写真展告知
杉野信也写真展:Pilgrimage II Leica as Plenary Indulgence
(ライカギャラリー東京・京都)5月13日〜/5月14日〜
2022年5月13日 07:00
ライカカメラジャパン株式会社は、杉野信也写真展「Pilgrimage II Leica as Plenary Indulgence」をライカギャラリー東京およびライカプロフェッショナルストア東京で5月13日から、ライカギャラリー京都で5月14日から開催する。
「Pilgrimage II Leica as Plenary Indulgence (巡礼II 免罪符としてのライカ)」と題して今回3つの会場にて同時開催される本展では、カナダの広告映像作家の第一人者として名高く、テレビCMのディレクターや撮影監督などの分野でも活動を続ける写真作家 杉野信也が「フォトポリマーグラビュール」という技法を用いて完成させたモノクローム作品を展示いたします。
雁皮紙に銀箔で裏打ちされたプリントは、最新のデジタル技術と古典的なフォトグラビュールを組み合わせた複雑なプロセスを経て完成へと導かれ、圧倒的な存在感を放ちます。これまでに見たことのない感覚の光るような像の立ち現れ方が印象的です。古典技法とデジタル技術との融合を目指した試みによる杉野独自の世界観が、見る者の心を惹きつけてやみません。
また、本展は2部構成になっており、第1部はライカギャラリー東京およびライカプロフェッショナルストア東京、第2部はライカギャラリー京都にて展示されます。第1部、 第2部の全作品は特設ウェブサイト https://pilgrimage2.com にてご覧いただけます。
L’étranger, 異邦人、Déjà vu, 既視感
巡礼とは確認の旅です。ある人は信仰の確認として巡礼という旅に出ます。ある人は己というメッカに向かって模索と言う巡礼の旅に出ます。
今でも私には、子供の頃から常にまとわりついて離れない疎外感、異邦人の感覚があります。また、私の見るカメラファインダーの中の異国の風景、教会、聖画には、常に不思議な既視感と納得感がありました。それは、乳児の頃から大阪でフランス人のシスターの厳格なカトリシズム教育の中で育てられ一時は聖職者を目指し神学校に在籍した体験と無縁では無いのでしょう。
この一連の作品を撮影した旅は自分の異邦人としての感覚と既視感を確認するための巡礼であり、生み出された作品は私にとって宗教画であると同時に己の模索の記録です。それはヘッセが語る破壊への渇望であり、ジョイスが叫ぶ絶対性の矛盾、死、贖罪への希望に似たものがあります。
免罪符としてのライカ
“ライカ” は独特の哲学を持つカメラです。向き合うのに覚悟のいるカメラです。私にとっての“ライカ” は自己満足やライカの歴史への憧憬も含めて自分の作品作りのシンボルとしてのカメラ(免罪符)でした。
私はアーティストフォトグラファーとして出発したものの生活のために商業写真家へ転身せざるを得ず、挫折感と自分自身を裏切ったかのような罪悪感に苛まれた日々を過ごしていたことがあります。
その忸怩たる思いを救ってくれたのが机の奥深くに仕舞われていたライカでした。このライカとともに異国の地に赴き、ただ自分の為だけの作品(広告主、アートディレクターのアイデアやコンセプトでは無く)を撮りに行くことが、自分の作家としての存在への免罪符だったのです。
杉野信也
杉野信也氏を知ったのは、知人の写真家が主宰するギャラリーの銀塩写真をテーマにしたグループ展に参加し、展示を共にした時であった。カナダで活動する彼に実際に会って会話した中で、強烈な印象として残っているのが厳格なカトリックの施設でフランス人のシスター達に育てられ、神学を学んだという彼の生い立ちである。
人格形成の根幹を築く大切な時期である少年期に特異な環境に身を置いていた事が、現在に至るまでの価値観に多大な影響を及ぼし続けている事は想像に難くない。作品を読み解く上で、原体験としての宗教を基軸に考えていく事は当然の事であろう。
今作のタイトルに付けられた「Pilgrimage」は、即ち「巡礼」の意味である。撮影地がヴェネチアやパリ、トロント、東京といった全くバラバラの都市を再構成している事でも分かる通り、巡礼の行先は特定の聖地などではない。
逆説的に言えば、作品1枚ずつに付随された具体的な地名は特に意味を持たず、ここで展開されるのは、どこでもない幻想の都市である事を補足しているのである。また、本作は多くのカットで2枚の画像からの合成でのコラージュ的な処理がなされている。
彼の内面に渦巻く複雑怪奇な幻想を具現化するには、ストレートなカットのみで構成するのは不可能であり、合成は不可避の必然であったのだろう。特筆すべきは、最新のデジタル技術と古典的なフォトグラビュールを組み合わせた複雑なプロセスを経て仕上げられたプリントが放つ圧倒的な存在感である。
雁皮紙に銀箔で裏打ちされたというプリントは、全く見た事の無い感覚の光る様な像の立ち現れ方なのだ。PCを駆使してコラージュ画像化した脳内の強烈なイメージを実体化する為には、生半可なプリントでは許される筈もなく、プリントへの執念もまた不可避の必然なのだろう。
生み出された全てのカットに通底する重々しく荘厳な気配の奥に透けて見えるのは、禁欲的な戒律や道徳などではなく、背徳とも言えるエロティックな幻想、死の香りである。崇高なる神の教えと共に頭と身体に刻み込まれたであろう記憶、妄想、疑問、罪悪感、美意識‥そうした諸々を杉野のライカは幻視しフィルムに刻み付ける。
生身の人間達は実体を失って消え入りそうな影と化す一方で、宗教画の断片や欠落したトルソ、指先への執拗なフェチズムが、生々しく強烈な存在感を発している。建物に埋め込まれた髑髏や首、重厚な石造りの椅子や寝台からは拷問や弾圧と言った恐怖さえも連想させられる。
抑圧された性への幻想と倒錯した欲望が、作品のそこかしこに立ち現れており、それは禁欲的な戒律に縛られたキリスト教の成立以前、はるか古代ローマの血なまぐさく残酷なエロスに向かっていた様にも思えてならない。杉野は、作品製作を通して少年期の宗教的な環境下での苦おしくも甘美な幻想と真摯に対峙した。
時空を超えた自身の内なる世界への巡礼であり、葛藤の告白であり、贖罪の旅だったのである。撮影の為には、巨匠達が愛用して傑作の数々を生み出した偉大なカメラであるライカを「免罪符」として携える必要があった。
商業写真家としての地位を確立しながらも、作家活動から離れていた事に罪悪感を持っていたという杉野にとってライカは、道具としての役割を越えて重要な意味を持つ宗教的なシンボルと化したのである。今作ではフィルムカメラのMシリーズと共にデジタルカメラのMモノクローム、M10モノクロームをメインに使用している。
撮影機材を完全にデジタル化するのを拒み、敢えてフィルムも使用した所に古典技法の使い手である杉野の作家としてのプライドがある。銀の粒子で光と影を描く事はひとつの神秘であり、デジタルの自在性と重厚な古典技法のハイブリッドは現在進行形の彼が辿り着いたひとつの解なのである。
この作品は作家として新たな一歩を踏み出す為の落とし前でもあるのだろう。
開催概要
ライカギャラリー東京/ライカプロフェッショナルストア東京
・会期:2022年5月13日(金)〜8月13日(土)
・所在地:東京都中央区銀座6-4-1 ライカ銀座店2F
・営業時間:11時〜19時
・休館日:ライカギャラリー東京は月曜定休、ライカプロフェッショナルストア東京は日曜・月曜定休
ライカギャラリー京都
・会期:2022年5月14日(土)〜8月18日(木)
・所在地:京都府京都市東山区祇園町南側570-120 ライカ京都店2F
・営業時間:11時〜19時
・休館日:月曜
作者プロフィール
杉野信也(Shin Sugino)
大阪生まれ。19歳でカナダに移住。オンタリオ州トロント市のライアソン大学で写真、映画を専攻。その後、同市ヨーク大学美術学部の講師を務める傍ら、写真作家としてのキャリアをスタートさせる。1980-1986年には活動の場を広げ、カナダ、米国、スペイン、オーストリアの各国にて長編劇場映画のスチール写真カメラマンとして活躍。1986年に広告写真スタジオ“Sugino Studio”を創設。1995年カナダで初の完全デジタルプロダクションシステムを確立、カナダの広告映像作家の第一人者としての地位を築く。以後、写真だけでなく、テレビCMのディレクターや撮影監督などの分野でも活動を続ける。
これまでに、各種の国際的な賞を受賞。1988年、2002年にカンヌ国際広告映画祭で金獅子賞、2006年には同広告映画祭サイバー部門でも金獅子賞を獲得。この他、Clio Award Gold, The One Show, The Advertising and Design Club of Canada,Applied Arts Magazine, Photo District News, Communication ArtsMagazine, Lürzer’s Archive Magazine などで数々の賞に輝く。
広告写真、コマーシャルの制作の傍ら写真作家活動を常に続けており主に古典技法の湿板写真、プラチナプリント、フォトポリマーグラビュールのプリントで作品を数々の写真展で発表。写真作家としての作品はカナダ国立美術館、Ontario ArtsCouncil Collection, Banff School of Fine Arts Collectionや、数多くのプライベートコレクションに収められている。