大和田良作品展「ノーツ オン フォトグラフィー」

――写真展リアルタイムレポート

5 (c)大和田良

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 1枚の美しいプリント。

 それが大和田さんが目指す作品の完成形だ。そこにどういうイメージがあればいいのか。そのイメージの原型を求めて、日々、目の前に展開する光景を見つめ、切り取る。

「今でも写真が自分に合っているか、分からない」と口にする。何を撮るか、どう表現していくかを常に考えながら、作品制作に取り組む。

 今回、写真の道を選んだ頃から現在までを振り返ったフォトエッセイ「ノーツ オン フォトグラフィー」(発行:リブロアルテ、1,000円)を出版。本展はその内容に合わせて、自らの軌跡を作品でたどったものだ。

 敢えて雑然とした感じを意図したであろう展示は、作家のプライベート空間を思わせる。作品そのものと、それを作り出すアーティストという存在に触れられる作品展だ。

 会期は2010年7月7日~8月10日。開館時間は11時~20時。会期中無休。会場のB GALLERYは東京都新宿区新宿3-32-6 ビームスジャパン6F。問い合わせは03-5368-7300。

音楽は外に向かい、写真は内に向かう。「音楽でも内に向かう人がいて、そういう人が音楽を選び、続けていくのかもしれない」と大和田良さん展示ではいつも実験的な要素を入れるという。その反応で学ぶべきことがあるからだ。今回はシャボン玉の映像を上映している

大学で偶然写真に出会う

 大和田さんは大学に入るまで、写真とは無縁だった。ずっとパンクバンドでドラムを叩いていて、大学3年までは、音楽への思いは継続していたという。

 個性的な友人が芸術学部を選んだことで、面白そうな人間が集まる場所として興味を持ち、結果的に東京工芸大学の写真学科に進んだ。

 その授業で1枚の印象的な写真に出会う。教授の細江英公氏が所有する最も古いプリントとして見せたものだ。

「写っているのは風景で、ほとんど褪色していた。『もののあはれ』を写真で初めて感じ、それから写真の見え方、写真に対する取り組み方が変わりました」

 そのプリントを手に、細江氏は写真に対する自らの思いを語った。

「その写真そのものというより、細江先生の写真に対する執念、愛情に圧倒されたのかもしれません」

Tokyo Tower (c)大和田良

「写真になる」ことの不思議

 大和田さんは「撮りたいジャンル、モチーフは別段ないんですよ」という。一番に求めているのは、写真の物質性、印画紙の触感などだ。

 そこで「写真になっている」ことが一番満足できる形なのだが、「写真になる」ことがどういうことなのかは分からない。茫漠としながらも、明確にそれはある。

「それを知ることが、僕が写真を続けている意味です」

 大学では一時、暗室にこもり、繰り返し印画紙の階調表現の違いを研究した。

「ギターでも運指とか、基礎的なトレーニングは苦じゃないんです。焼き込みとか、コンタクトプリントを見て、撮り直したり、いろいろやっていました。ただ今でも、写真はこのプロセスが大きいと思います」

 さらに写真家の五味彬氏のワークショップでは、技術面では特にスタジオライティングを学んだ。

「微妙なニュアンスのライティングが好きですね。陰翳とかは、あとから焼き込んでいきます。僕は被写体の線と点のフォルムを重視していて、そこさえしっかり出ていればいい。それはモノクロでもカラーでも同じです」

SEVEN (c)大和田良

偶発的に起こる何か

 今も撮り続けているシンメトリーを応用した作品シリーズ「World of ROUND」は、大学院の卒業制作として発表したほか、スイス・ローザンヌのエリゼ美術館が主催した公募展「明日の有望写真家50人」に出品、選出されたものだ。シュルレアリスムに傾倒していた時期で、エッシャーの無限階段のような表現が写真でできないかと考えた。

「これまで使ったモチーフは桜、梅、田園など。いろいろと試みてはいるんですが、なかなか増えませんね」

ROUND“65” (c)大和田良

 作品制作に意識して取り入れているのが、偶発的に起こる事故だ。活版の活字を撮ったシリーズでは、現像ムラを生かした表現を試み、チューリップをアウトフォーカスで撮った作品では、デジタルカメラが露光ミスしたイメージを選んでいる。

「リーフは100枚に1枚ぐらい、本体のハッセルブラッドとうまく同調せず、露光ミスが起こる。それを狙って、シャッターを切り続けました。リーフの機嫌が悪いと、つねにちゃんと撮れてしまうんですよ」

 曖昧なチューリップのフォルムが、周囲の淡い光に包まれているイメージは、不思議な美しさと「何か」をかもし出している。

最終的にはスナップに行き着く……

 カメラはつねに持ち歩き、1日に数枚は必ず撮ることを課しているという。

「スナップは自分の撮影の欲求を満たしてくれて、コンセプトのある作品は、写真とはまた別の思考を刺激する。両方をやっていることで、バランスが取れている部分もあると思う。ただ最終的にたどり着くのは、スナップかもしれないと最近は思います」

 いくつものビジュアルアイディアが頭の中に蓄積されていて、目の前のシーンがどれかに近づいたり、当てはまった時、シャッターを押している。そうして意識に引っかかっていったイメージは、後々、プリントという存在で、再度、写真家の創作意欲を刺激していく。

「海外で作品を発表するようになって、以前より日本的なものに意識が向くようになりました。これをシリーズ化できないかと考えていますが、なかなか難しい。表層的な日本を捉えたいわけではなく、結局、自分は何を見たいのか、何を考えているのかに行き着いていくテーマなんですよね」

記録の向こうに見える物語

 さまざまな赤のグラデーションが美しいワインのシリーズは、最も新しいシリーズだ。このきっかけは、大和田さんの作品を購入したコレクターが、ワインのコレクションもしていたことからだった。

「そのワインを知るために、葡萄の産地に土を食べに行ったとか、彼からいろいろな話を聞いた。その情熱の源や、そこまで人を虜にするワインの魅力はなんだろうというのが最初でした」

Chateau Cheval Blanc 1982 (c)大和田良

 同じワインでも年によって色が違い、また年を経るごとに色は変わる。

「まずワインが見せる色を記録として残しておく面白さがある。あと何本かのワインを並べた時に、コレクターの個性、考え方の違いなどが垣間見えてくる。ただの赤の集積なんですけどね」

 撮影は、ワインのボトル越しにストロボを発光させて行なう。ただ事前に、ボトルのガラスの色のみを測り、ホワイトバランスで抜く。

「この撮影はデジタルカメラでないとできません。ただこの撮影データはすごくデリケートで、トーンカーブはまったくいじれないし、拡大もできない。だからできるだけ大きな撮影画像を作るため、ハッセルブラッドにリーフをつけて撮影しています」

現実を記録すること

 「ノーツ オン フォトグラフィー」の中で、大和田さんは最近気づいたこととして、以下の言葉を記している。

「記録すること。それが僕のやりたかったことなのだ。だから写真なのか」

 現実を何らかの形で写真としてとどめること。それが写真家の欲求であり、目的だ。では、なにをどうイメージに焼き付け、表現するか。感覚的スナップショットの時代を経て、今、大和田良的な写真観が注目されているのは必然なのだろう。

イルカ (c)大和田良




(いちいやすのぶ)1963年東京生まれ。4月某日、4回目になるギャラリーツアーを開催。老若男女の写真ファンと写真展を巡り、作品を鑑賞しつつ作家さんやキュレーターさんのお話を聞く会です。始めた頃、見慣れぬアート系の作品に戸惑っていた参加者も、今は自分の鑑賞眼をもって空間を楽しむようになりました。その進歩の程は驚嘆すべきものがあります。写真展めぐりの前には東京フォト散歩をご覧ください。開催情報もお気軽にどうぞ。

2010/7/14 13:16