赤城耕一の「アカギカメラ」
第103回:その特殊性を作画に生かしたい、少し懐かしい魚眼レンズたち
2024年10月5日 07:00
自分では曲がったことが嫌いな真っ直ぐな性格のつもりでしたが、内心は歪んだ性格であり、その自覚がないまま、今日に至るまで普通に生活をしていました。
それを証拠に、昔から真っ直ぐな線が歪んで写る魚眼レンズが好きな筆者なのであります。ホントは素直じゃないぜ、ということが、こうしたレンズ選択にも表れてしまうわけでありますね。同じ思いの方、気をつけてください。
最近は魚眼レンズよりもフィッシュアイレンズと呼んだほうが通りがいいのでしょうか。フィッシュアイは単に英語で呼んだだけじゃんと思うのですが、筆者はおじいさんなんで、ここでは魚眼レンズで通します。老人は頑固でいけません。
魚眼とはそのまま「サカナの眼」ということになるのですが、魚は水面の下から水面の上を見上げた場合、水の屈折率の関係で見たものが円形に見えるとされているようです。筆者は魚になったことはないのでウラはとれていませんが、視野はかなり広そうです。
最初にきっぱり言っておけば、魚眼レンズは一般の方には必要ない特殊レンズだと思います。
と、そう考えていたのですが、いまやスマートフォンのコンバージョンレンズですら魚眼レンズが用意されているくらい一般的なものとなっています。昔より超広角レンズやデフォルメされて写る魚眼レンズが特別なものではなくなり一般化されたのかもしれません。こういうのはテレビやネットなど、人のビジュアルの環境変化におけるところが大きいかと思います。
それでも魚眼レンズユーザーの方は、写真人口全体からみれば、そう多くはいないでしょうし、関心は低そうなんですけど、実際のところどうなんでしょうか。ついうるさいことを言ってしまうので老害とか言われるんだろうな。でも魚眼レンズの画像を見ても、誰も驚かないわけです。
あらためて魚眼レンズの特性を見直してみます。魚眼レンズは画角が広く、すべての世界を歪めて四角い枠のなかにとじ込めようする特異な描写をすることが知られています。
魚眼レンズには画面全体を使用する対角線魚眼レンズと、円形に写る全周魚眼レンズがありますが、今回は対角線魚眼レンズの話をします。前者は画角的には170-180度くらいになりますから、アングルに留意しないと、撮影者自身の足も写ってしまいます。
魚眼レンズの歪みはレンズの光学的な特性によるものですから、写真というメディウムならではの個性的表現として応用することができます。
これは宿命ともいえる現象でありますから、理屈的には無理がないわけです。
絵画で世界をデフォルメして描いた画をみたことがありますが、そこには根拠がないというか、筆者の妄想の中で生まれた世界でありますね。
いや、世の中は広いですから肉眼においても、世界を魚眼的な見方をすることができる画家もいらっしゃるでしょう。もっともいずれにしろ、魚眼レンズ的な効果を狙うということは、写真でも映画でも絵画でも少々あざとくなるわけです。まあこれは表現の一環として使われるわけですから問題はありません。創作自体があざといわけですからね。
一般的な写真レンズの場合ですが、これらを設計する光学設計者の目標のひとつに収差を撲滅することがあります。
通常レンズに限って、とくに歪曲収差は、まっすぐなものはまっすぐに写らねばならんという目標が掲げられいるのがふつうだと思います。それを魚眼レンズは中央の一部以外の周囲を歪ませて、超広角レンズよりもさらに広い範囲を写すために 力技を使ったことになります。
35mmフルサイズのフォーマットをカバーする、いわゆる対角線魚眼レンズの焦点距離は15-18mmくらいでしょうか。
でもね、最近ではレンズの設計技術が驚異的に進みました。さらに新開発の硝材を使うことができるようになったことも理由としてあるでしょう。たとえば35mmフルサイズ用の10-12mmあたりの焦点距離のレンズでも、歪曲のない通常撮影が可能な超広角レンズが登場してきました。
これは年寄りにはたいへんな事件でありまして、登場時にはとても驚きました。光学のエンジニアさんには申し訳ないのですが、当初はこの種のレンズは相当にムリをしている雰囲気がありました。筆者もこれらの超広角レンズはパフォーマンス重視で、実際の写りは大したことないのではと予想していました。ところが期待以上の写りをするレンズが多く、新しい世界をみせてくれました。技術の発展というのは素晴らしいことだと思います。
これらの超広角レンズの登場で、対角線魚眼レンズの存在意義はなくなってしまうのではないかと心配していたのですが、それでもまだ多くのメーカーは対角線魚眼レンズを用意しています。この理由はなぜでしょうか。
最近では魚眼レンズは自然写真とか、空全体をなるべく多く取り込みたい星景、天体撮影などに使われることも珍しくなくなりました。収差補正が行き届き、黎明期はコマ収差の影響で点に羽根が生えたように写ってしまう魚眼レンズでも「点が点に写る」ようになったからでしょう。
その昔、魚眼レンズはトンネル内の工事現場とか科学写真とか、インダストリアルフォトなどに使われていることが多かったようです。
筆者も若いころは、工業系の会社のPR誌制作や広告撮影などに携わっていたこともあるので、魚眼レンズはたいへん有用なものでした、狭い工場の製造現場、トンネルや採石場の撮影では大活躍したものです。そこには魚眼レンズを使用する必然があったわけですね。
メーカーが現在でも魚眼レンズをラインアップしている理由は、先に少し述べましたけど、光学的に生まれる特異な描写にあると言ってよいでしょう。
つまり歪みの面白さを作画に十分に応用してくださいということですね。こうした魚眼レンズの使い方はあざとくはあれども、大きな効果を上げる場合もあり、歴史的な作品の中にはポートレートとかヌードにも応用されてきた経緯はあります。
もちろん魚眼レンズの使いこなしは簡単ではありません。いや、筆者の場合は使われてしまったというのが正解かもしれませんが。
ここでの作例でもわかるとおり、ただでさえヘタな筆者の作例が、今回さらにヘタレになってしまったことをお詫びしておくことにします。
まず、魚眼レンズは超広角レンズの仲間には違いありませんから、主要被写体までの距離が中途半端だと撮影者が何を写したかわからない散漫な画になります。被写界深度も思い切り深くなりますからパンフォーカス再現になり、主題はわかりづらくなることがあるわけです。
基本的には魚眼レンズを使用すると主要被写体と衝突するくらいの気持ちで被写体に近づき、フレーミングしないと力は出ません。今回の撮影でも、久しぶりにレンズ前玉が被写体の花とか葉っぱにくっついてしまい、汚れてしまうという事例がありました。レンズクリーニングキットは必携であります。
魚眼レンズでは被写体の位置が画面中央にないと、けっこう思い切り被写体は歪みますね。最初は主要被写体の画面内の位置を変えて対処するしか方法はありません。わずかな位置の変化でも効果はかなり変わってしまうからです。
筆者は、写真を鑑賞したとき、使用レンズの焦点距離がわからないようにするのがレンズの使いこなしのコツではないかと考えています。
とくに広角レンズの場合は強いパースペクティブの抑制に務めるのが基本と考えていますから、カメラを水平、垂直に構えることを基本としています。
魚眼レンズも同様な考え方をしていますが、何をどうしようとしても画面中心以外は歪んでいるのですから、歪みを前提に撮影するしかありません。と、いうか歪みに期待しているわけですね。
それでも、可能なかぎり自然な雰囲気にしたいという場合には、魚眼レンズ使用時にもカメラを水平、垂直に気をつけて構えることは重要だと思います。歪みの面白さを通り越して、その先にゆくのはなかなか難しいものがありますけれど。
このところ、少し思うところあって、新規の設備投資をおさえつつ、手持ち機材の整理を進めている筆者です。年寄りですから仕方ありません。今回魚眼レンズも機材ロッカーからいくつか出てきました。これらを整理対象にしたことが、まずは本稿執筆のきっかけになりました。
とはいえ年に数度はアサインメントの撮影で、魚眼レンズが必要になることがあります。いわゆる“盛った”写真の制作というか 非現実表現のための要望があるので、この要望にお応えするために使用するわけです。
手元にある35mm判用の魚眼レンズはいずれも一眼レフ時代のものですが、ミラーレス専用交換レンズのラインアップでは魚眼レンズのシリーズはまだ多くはありませんから、アダプターを介してこれらを使用しているというわけであります。
言うまでもなく魚眼レンズも最新設計のほうが光学性能が高いことは間違いないでしょう。当然、古い魚眼レンズにはEDレンズなどは使われていませんから、色収差などの残存はそれなりにあり、点は点とならず引っ張られるような描写をする可能性もあります。けれど画像処理で各種収差を抑制してしまうという手段もありますから古いレンズでも生かすべきでじゃないかと思うわけです。
魚眼レンズは「必要な人には必要」なものであることは間違いありません。ただの歪みの大きな非現実の世界を作るための超広角レンズとして、その表面上の描写だけを面白がるのか、その特性を必然として作画に応用するのかでは、写真の意味はかなり変わってきそうです。