写真を巡る、今日の読書
第117回:写真と言葉が交錯する。都市の記憶と失われた時間を呼び覚ます3冊
2026年8月19日 07:00
写真家 大和田良が、写真にまつわる書籍を紹介する本連載。写真集、小説、エッセイ、写真論から、一見写真と関係が無さそうな雑学系まで、隔週で3冊ずつピックアップします。
写真と言葉の緊密な交錯
写真というメディアは、単に目の前の現実を記録するだけでなく、過ぎ去った光景や、人々の記憶の底に沈んだ風景を呼び覚ます引き金にもなります。
特に、文学の世界において写真が接続されるとき、言葉とイメージは互いに響き合いながら、私たちが忘れかけていた歴史や個人の不確かな記憶、あるいは感情を、鮮やかに、ときには不穏に浮き彫りにします。それはまるで、時間のベールの向こうに沈んだ光と影を、1枚の印画紙の上に定着させるような作業です。
今回は、都市の記憶や失われた時間を、写真と言葉の緊密な交錯によって描き出した3つの作品を巡ってみたいと思います。
『アウステルリッツ』W・G・ゼーバルト 著(白水社/2020年)
1冊目は、W・G・ゼーバルトの『アウステルリッツ』です。自身のルーツを知らずに育った建築史家アウステルリッツが、自らの記憶を辿り、ホロコーストによって引き裂かれた過去の真実に迫っていく長編小説です。
本作の最大の特徴は、テキストの途中に説明文なしで、古い写真や図版が唐突に、しかし必然性を持って挿入されている点にあります。ゼーバルトが織りなす圧倒的な細密画のような文章と、出所不明のモノクロ写真が混ざり合うことで、虚構と現実の境界線は曖昧になり、読者はいつしか主人公とともに深い歴史の迷宮へと立ち入ることになります。
写真が持つ「かつてそこに存在した」という証明の力と、その断片性ゆえの不安定さが、文学のなかで不穏かつ美しく機能している例として、写真と記憶の関係を考えるうえで、極めて示唆的な作品です。
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『パリ環状通り』パトリック・モディアノ 著(講談社/2014年)
2冊目は、パトリック・モディアノの『パリ環状通り』です。ノーベル文学賞作家であるモディアノの初期代表作であり、占領下のパリを舞台に、失踪した父親の影を追い求める若者の姿を描いた物語です。
モディアノの文章は、どこか古いアルバムの片隅に残された、輪郭のぼやけた写真の残像を眺めているような独特の浮遊感があります。
不確かな記憶、書き換えられる過去、執拗なほどに反復され、ときにノスタルジックに描き出されるパリという都市の陰影。主人公が父親の足跡を辿るプロセスは、写真家におきかえると現実のかけらを編み込みながら、1冊の写真集を立ち上げていく過程のようでもあり、読後もなお、霧の立ち込めるパリのストリートの気配が心に残り続けます。
写真における「痕跡」や「幽霊性」といったキーワードを文学の側から理解することにも役立つのではないでしょうか。
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『やさしいパリ』パトリック・モディアーノ 著(リブロポート/1991年)
3冊目は、モディアノが小説のなかで繰り返し描いてきた「都市=記憶の容器」という主題が、ブラッサイの写真と結びついた『やさしいパリ』です。
1冊目、2冊目が写真を内包した、あるいは写真を想起させる「物語」だったとすれば、本作は写真家ブラッサイが捉えた1930年代のパリの夜や人々の記憶に、モディアノが朧げで漂うような言葉を寄せた、視覚と言語の「交感」です。
ブラッサイが写し出す霧に煙る街灯、石畳、夜の住人たちのポートレートは、それ自体が豊かな物語を内包しています。そこにモディアノのテキストが重なることで、単なるノスタルジーを超えた、もう戻ることのできない「失われたパリ」の時間が立体的に立ち上がってきます。
写真と言葉が互いを引き立て合い、1枚のイメージの背景にある物語を無限に広げてくれる読書体験をもたらしてくれる1冊です。
ブラッサイの代表作『夜のパリ』『未知のパリ、深夜のパリ』と共通する写真も編まれていますが、その2冊では見ることのなかった、明るく朗らかな昼間のパリや子供達の姿も多く収録されており、ブラッサイの写真世界を別の角度から照らし返す1冊として、本書は重要な補助線にもなるでしょう。





