E-PL1をフィルムカメラ風にする「反-液晶画面カバー」
Reported by糸崎公朗
■スナップが楽しくなる準標準レンズと光学ファインダー
最近のぼくは、オリンパス E-PL1にパンケーキ「準標準レンズ」を装着し撮影するのに凝っている。と思ったら、 12月4日に「E-PL1s」が発売になった。しかしE-PL1sはほんのマイナーチェンジに過ぎず、セットの標準ズームが大幅に改良されているのがウリである。だから「単焦点派」のユーザーは慌てて買い換える必要はないかも知れない(笑)。
話を戻すと、ぼくが E-PL1+準標準レンズで撮っているのは自ら「反-反写真」と名付けたシリーズだ。「反-反写真」とはこの連載でたびたび説明しているとおり、いわゆる「基本に忠実なスナップ写真」に過ぎないのだが、天邪鬼のぼくがそのように命名したのだ(もとよりアーティストは天の邪鬼が多いが)。
「準標準レンズ」とは、ライカ判換算50mm相当を「標準レンズ」とし、それと前後する画角(およそ35mm~65mm相当)のレンズを指す。オリンパスからは 「M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8」 (ライカ判換算34mm相当)が発売されており、スナップ写真の基本を学ぶのに適している。このレンズには専用の光学ファインダー「VF-1」が用意されているが、視野が大きくブライトフレームの見え具合もなかなかよい。
デジタルの時代に、光学ファインダーは時代遅れで実用性は低いかもしれないが、写真の基本とはフィルムカメラの延長であって、懐古的スタイルを真似ることも時には必要なのだ。実際、E-PL1に準標準と光学ファインダーを装着して撮るスタイルは、昔のフィルム式コンパクトカメラのような感覚で楽しいのだ。
この光学ファインダーVF-1は、実はパナソニック「LUMIX G 20mm F1.7 ASPH.」(ライカ判換算40mm相当)にも使える。光学ファインダーは技術的に視野率100%を実現するのは難しく、VF-1もだいたいの視野率で作られている。だからブライトフレームに対し余裕を持って構図を決めれば35mm相当に対応し、タイトに構図を決めると40mm相当に対応できるのだ。
ところが、パナソニックの「LUMIX DMC-GF1」で試したところ、残念ながらアクセサリーシューにVF-1が装着できなかった。だから LUMIX G 20mm F1.7 ASPH.にVF-1を組み合わせて使いたい場合、ボディはオリンパスをセレクトするしかない。
オリンパス製光学ファインダーVF-1の視野はこんな感じ。アルバダ式と言われる方式で、視野を示すためのブライトフレームが浮かんで見えるのが特徴 | VF-1で構図を決めた M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8 (ライカ判換算35mm相当)の実写画像。ブライトフレームで示された外側も写っていて、視野に余裕のある設計であることが分かる |
■液晶画面を否定する「反-液晶画面カバー」
ところで、光学ファインダーを使って撮影していると、液晶モニターが点灯しているのがどうも目障りだ。そもそも光学ファインダーの存在は、デジタルカメラならではの液晶画面を否定するいわば「反-液晶画面」主義の産物で、どうせなら主義を徹底したくなるのだ(笑)。
いちおう、E-PL1はカスタムメニューで「Fn」ボタンなどに「液晶画面の消灯」機能を割り当てることができる。しかしそのように設定しても、カメラの電源ONで必ず液晶画面が点灯し、その都度ボタンを押し「液晶画面の消灯」をしなければならない。これでは光学ファインダーに集中する“気分”がどうも欠けてしまう。
なのでいっそのこと、液晶モニターに“蓋”をしてしまうことを思いついた。ちょうどおあつらえ向きに、E-PL1の液晶モニターは少しくぼんでいて、蓋を作ってピッタリはめることができそうだ。しかし、ただ単に蓋をするだけでは面白くない。
そこで昔のカメラのように、フィルムの紙箱の蓋を入れるホルダーを付けることにした。一時期のフィルムカメラの裏蓋には、入れたフィルムの種類を識別するため、紙箱の蓋を切って入れるホルダーを備えていたのだ。まさにフィルムカメラ気分の「反-液晶画面カバー」だが、単なる冗談より“本気の冗談”として徹底した方が楽しいのである。
―注意―
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E-PL1の液晶画面は、2mmほどくぼんでいるのが特徴だ。このくぼみにピッタリはまるカバーを製作する | カバーの材料はタミヤ模型の「プラ板セット」を使用。これをご覧のような形状にカットし、5つのパーツを製作する。上段がメインのカバーパーツで、0.5mm厚。中段の左は0.3mm厚、右は1.2mm厚。下段がホルダーのパーツで、左が0.5mm厚、右が1.2mm厚のプラ板を使用 |
さらに2組のパーツを接着する | 全てのパーツを接着し、タミヤカラースプレー「セミグロスブラック」で塗装するとカバーが完成する。これは表側で、フィルムのフタを差し込むホルダーがある |
こちらは裏側。E-PL1の液晶画面の縁に合わせ、厚みが2段になっている。切れ込みのある部分は、プラ板の弾力を利用したスプリング。液晶モニターの縁にカバーをしっかり固定する役目を果たす。このようなアイデアは、市販のプラスティック製品が参考になる | E-PL1の液晶画面に、カバーをはめ込んだところ。ピッタリとフィットし、違和感もない |
さらにダメ押しで用意した、フィルムの紙箱の蓋。モノクロフィルムの定番、コダック社の「トライ-X 400」をセレクトしてみた | 背面のホルダーにフタを差し込むと、まるでフィルムカメラの気分になる。傍らに置いたフィルムはもちろん無関係だが(笑)、E-PL1はもともとフィルムカメラっぽいデザインなので違和感がない |
オリンパスのフィルム一眼レフ「OM-1」と並べてみたが、この時代のカメラには裏蓋に「フィルムの蓋ホルダー」を装備したものが多かった。そして1台にカラーリバーサルを入れ、もう1台にモノクロネガを入れたりして、使い分けをしていた |
■今回のセッティングと使用感
「反-液晶画面カバー」を装着したE-PL1は、露出値をはじめとする一切の撮影データが見られなくなる。しかしこれはまさに昔のフィルムコンパクトカメラと同じであって、割り切って使えば機能的に問題はない。そもそもE-PL1はモードダイヤルにいわゆる「登録モード」が無く、単機能として割り切る方が気分が楽なのだ。(これはオリンパス製デジタルカメラ全般の特徴でもある)。
さてE-PL1のセッティングだが、まず露出モードはプログラムオートに固定し、絞りやシャッター速度などを確認不要にする。また「Fn」ボタンに「AEロック」を設定し、露出補正のかわりに使う。ピントはAFの中央1点測距で、シャッター半押しで作動。もし、レンズキャップを外し忘れて撮影しようとしても、AFが迷ってシャッターが切れないから安心だ。
画像設定(仕上がり)は、ホルダーに差し込んだトライ-X 400に合わせ「モノトーン(モノクロ)」に設定した。実は後述するように、最近モノクロに凝っているのだ。感度もISO400に設定したいところだが、今回は画質とシャッターチャンスを優先するため「ISOオート」に設定してみた。
実際の使用感だが、まことに不思議で新鮮な気分だ。はじめは撮影直後についカメラ背面を見てしまうのだが、当然のことながら「トライ-X 400」の蓋が見えるのみで、非常にもどかしい(笑)。ところがしばらく経つと、フィルムカメラで撮影していた時分の感覚が蘇ってくる。さらに慣れてくると、E-PL1に「巻き上げレバー」が無いことに違和感を覚えたりする(笑)。
撮影した写真のチェックは、帰宅してパソコンにコピーするまで我慢する。そのようにしてパソコンで初めて開く写真は、実に新鮮な気分で見ることができる。撮影した時点の記憶が少し遠ざかっているし、光学ファインダーの視野と撮影画面にもズレがある。これにより、自分で撮ったはずなのにまるで“他人の写真”のように客観的な気分で眺めることができてしまうのだ。
この感覚はデジタルカメラの登場以前は当たり前だった、と言うよりその時代は当たり前すぎて意識しなかったかも知れない。ともかく自分の作品を客観的に見るのはアートを学ぶ基本であり、「反-液晶画面カバー」は意外にも実用的なのかも知れない(笑)
■作例
※作例のサムネイルをクリックすると、リサイズなし・補正なしの撮影画像をダウンロード後、800×600ピクセル前後の縮小画像を表示します。その後、クリックした箇所をピクセル等倍で表示します。
●M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8
オリンパス純正だけあって、E-PL1とはデザインもマッチして使いやすい。凡庸なスペックだが、基本を学ぶレンズとしては十分だろう。VF-1を使うとフレーミングより少し広い範囲が写るので、そのズレが面白い効果を生み出す。
●LUMIX G 20mm F1.7 ASPH.
パナソニック製としては「ライカ」ブランドではないものの、非常に先鋭な画像で驚いてしまった。非球面レンズを採用し、大口径、小型軽量、高画質を実現している。気になったのは、E-PL1とDMC-GF1にこのレンズを装着すると、シャッタータイムラグが生じること。確認すると、自動絞りの動きがほかのレンズよりちょっと遅い。タイミングを掴めば問題ないが、動きもののスナップでは問題が生じるかも知れない。
■モノクロでも「反-反写真」
ぼくは実は、フィルムカメラを使用していた時代はもちろん、つい最近までモノクロ写真はまったく撮っていなかった。ぼくが撮る写真は、対象が街並みでも昆虫でも「図鑑的記録写真」であり、当然カラーでなければならない。モノクロ写真は記録として不十分で、存在意義が理解できないでいた。
ぼくはあくまで「実物至上主義」であり、写真はその記録に徹するべきで、写真そのものは「アートにならない」と考え、その意味での「反写真」の立場にいた。そのような偏向した考えが、アーティストとしての自分独自のコンセプトとも繋がっていた。
しかしある時、自分のアートを客観的に捉えるためには、自分のアートの「外」に出る必要があることに気がついたのだ。つまり自分の「反写真」の外には、多くの人が認める「写真」の世界がある。だからぼくは自分の「反写真」をさらに反転させた「反-反写真」的思考によって、「写真とは何か」をあらためて学ぶことにしたのである。
そのように回り回って素直に「写真」というものを捉えると、それは実物の単なる記録ではなく、「アートとしての写真」になり得ることがわかってくる。つまりアートとしての写真とは、むしろ実物とは決定的に異なる「写真として自律した世界」を表現しているのだ。そうなると、実物からカラー情報をスポイルすることの意味も理解できるようになり、急に自分でもモノクロ写真が撮りたくなってしまったのだ。
これは「反写真」から「写真」への鞍替えではなく、「反写真」としての自分をキープしたまま、新たに「写真を楽しむ自分」という別人格を追加する試みであり、だから「反-反写真」と名付けている。もとよりぼくは立体写真「フォトモ」を考案する一方で、「路上ネイチャー」と題した昆虫写真を撮ったりもして、アーティストとしての人格が分離しているのだ。
アーティストには「この道一筋」で統一した人格を貫く大家もおられるが、ぼくの場合そのやり方だとどうも行き詰まってしまう。これはもちろん“アートとしての問題”であって、実際上のぼくの人格は統一されているので安心して欲しい(笑)。
■告知
名称:ワークショップ「フォトモで作ろう! 静岡の街」
日時:2011年1月15日(土)、1月16日(日)、1月22日(土)、1月23日(日)、2月20日(日)
時間:10時~16時
場所:静岡市美術館 ワークショップ室
住所:静岡県静岡市葵区紺屋町17-1 葵タワー3階
講師:糸崎公朗氏
対象:高校生以上で、5日間とも参加できる方
定員:20名、申込先着順
材料費:1,000円
持ち物:デジタルカメラ
申込方法:11月10日10時以降に電話(054-273-1515)で受付
2010/12/15 12:08