写真展

内田九一写真展Part1「皇城と西国・九州巡幸」

(JCIIフォトサロン)

今回は、幕末・明治の写真黎明期にその名を刻んだ高名写真師・内田九一の作品展のPart1として、九一が撮影した、明治天皇にまつわる写真約70点を展示いたします。

内田九一(1844-1875)は長崎で写真術を習得し、その後神戸、大阪を経て、慶応2年(1866)に横浜、明治2年(1869)には東京・浅草でも写真館を開業しました。長崎に生まれ、そこで養育を受けた幕医松本良順の後押しもあり、明治維新で活躍した高官たちや華族などを多く撮影したことで、高い評判を得ていきました。

「皇城(こうじょう)」とは、旧江戸城、すなわち現在の皇居のかつての名称です。江戸城は慶応4年(1868)に明治新政府軍に明け渡され「東京城(とうけいじょう)」と改称し、翌明治2年(1869)、明治天皇が正式に入城されたのに伴い、「皇城」に改称されました。皇居である西の丸以外は荒廃していく一方の旧江戸城の姿を記録として残そうと、蜷川式胤(にながわのりたね)が太政官に撮影許可願いを出し、明治4年(1871)横山松三郎が撮影を行い、その際内田九一も撮影に加わったとされています。今回展示する皇城の写真は、九一がそれより少し後の明治5~6年頃(1872-1873)に撮影したと思われるものになります。

そして明治5年(1872)、九一は写真師として初めて明治天皇の肖像を撮影することを許されました。翌年に再び撮影した洋装礼服姿の明治天皇の肖像写真は、これを複製したものが「御真影」として地方官庁・学校などに下賜され、現代の教科書や歴史文献にも使用されています。

また、明治政府が天皇を中心とする近代中央集権国家を目指し、新時代の統治者である明治天皇が日本各地へ巡幸することで新しい時代を迎えたことを示すために行われた、明治5年(1872)の西国・九州巡幸の際、九一は宮内省御用掛の写真師第一号として随行し、巡幸先の写真を数多く撮影しました。

展示では、江戸から明治になり、電信柱や建設されたばかりの近衛砲兵営などが写り込んだ皇城の写真、史上初の公式な明治天皇・皇后の肖像写真、巡幸の際に撮影した明治天皇の乗る御召艦龍驤(りゅうじょう)を見つめる人々、西南の役にて火災にあう前の熊本城、そして、長崎港や神戸港、京都御所、嵐山のパノラマ写真など、明治初期に一世を風靡しながらも32歳で夭折した九一が残した、貴重な歴史的記録としても価値ある作品の数々をご覧いただきます。

(写真展情報より)

会場・スケジュールなど

  • ・会場:JCIIフォトサロン
  • ・住所:東京都千代田区一番町25番地JCIIビル
  • ・会期:2015年9月1日火曜日〜2015年9月27日日曜日
  • ・時間:10時〜17時
  • ・休館:月曜日
  • ・入場:無料

石黒敬章・井桜直美 トークショー「“内田九一”を語る」

明治天皇を初めて撮影した写真師として、明治初期の写真黎明期にその名を馳せた高名写真師・内田九一について、専門家二人が語る予定。

2015年9月5日土曜日14時~16時(定員100名/受講料300円)

作者プロフィール

弘化元年(1844)長崎生まれ。幼少にして両親を失う。松本良順の庇護を受けつつ、オランダ軍医・ポンペの舎密試験所で化学を学び(上野彦馬の後輩)、福岡藩士・前田玄造などから写真術を学んだ。神戸、大阪を経て、慶応2年(1866)に横浜、明治2年(1869)には東京・浅草で開業した。明治5年(1872)、明治天皇最初の巡幸(西国・九州巡幸)の際に随行し、巡幸先の写真を数多く撮影。また、写真師として初めて明治天皇を撮影した。明治維新の志士や高官、華族などを多く撮影したことで高い評判を得て商業的な成功をおさめるが、肺結核を患い、明治8年(1875)死去。享年32歳。

(本誌:河野知佳)