上野昌子写真展「CAT THEATER vol.12」

――写真展リアルタイムレポート

(c) ueno masako

 上野さんは猫をモチーフにした作品制作に取り組み、年に一度、このギャラリーで発表してきた。作者自身が見たいイメージを捕まえるため、撮影方法は変化させてきたが、一貫してモノクロームの銀塩プリントを使い続けている。

 作者にとって写真は記録であるより、記憶に近く、特にモノクロ写真はこのメディアが持つ虚構性に惹かれているという。銀粒子が再現する像は、現実を写しながら、また別の空間を現出させるからだ。

「古いモノクロ写真を見る時、いつも時間や世界というものの不思議さを思います。私が作り出したいのは、そんなどこか謎めいていて懐かしい光景なんです」

 上野さんの作品は猫が水先案内人となって、見る人を一幕の夢物語に誘う。

 会場では展示作品のほか、1点ずつ作者がプリントした印画紙によるポストカード(300円)も販売。

上野さんが手焼きするポストカード作品は会期中、300枚ほどオーダーが入るそうだ木の床の佇まいが心地よい空間だ
  • 名称:上野昌子写真展「CAT THEATER vol.12」
  • 会場:ギャラリー Jy
  • 住所:東京都港区北青山2-12-23 Uビル1F
  • 会期:2012年1月17日〜2月5日
  • 時間:12時〜19時(最終日は17時まで)
  • 休館:月曜

そこはどこでもない場所

 作品を見た人は、どこで撮られたのか、頭をひねらせるに違いない。異国の古城か、古い館の一室を想像する人もいるだろう。

 正解はもちろん日本。上野さんの自宅にある縁側の1畳ほどのスペースだ。そこを劇場に見立て、イメージに合った小道具をしつらえ、舞台のような空間を作り上げていく。演じる猫は、作者の飼い猫だ。

「劇場に見立てていますが、そこに何かのストーリーを想定しているわけではありません。時代も、場所もどこか分からない中で、見たことがないけど、何故か懐かしさを覚える空間を作りたいんです」

 舞台のしつらえは、事前に具体的に思い浮かぶこともあれば、気になるイメージの断片を組み合わせていくこともある。そんなアイデアは時折、湧いてくるので、「イメージノート」に文字やイラストで書き留めておく。

「世界堂で買った手だけのマネキンや、家にあった額縁、ボールや市松模様の布を自作したこともあります。あと街中で見つけた気に入った壁を写真に撮って、そのプリントのコピーを背景に使ったりもしますね」

 新しいセットを組むと、まず1〜2日は猫に慣れてもらう時間をとる。撮影していく中で、舞台は適宜手直ししていく。

「作った瞬間に、気に入らず解体することもあります。大体、一つのセットで1週間ぐらいは撮り続けますが、猫との共同作業なので、うまく進む時もあれば、全く駄目な時もあります」

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自然光でISO6400程度に増感

 使用機材はニコンF3とFM3Aで、フィルムはトライX。自宅の暗室で現像、プリントを行なう。

「このシリーズを始めたのは、2009年頃からです。手探りで、ちょっとずつシアターらしい形に行きついていきました。まさに猫に育てられましたね」

 撮影の光源は自然光のみ。猫と背景までピントが合う被写界深度を得るために、ISO6400ぐらいに増感現像しているという。

「照明を使うと、猫の瞳孔が針のようになってしまうのと、猫も私も暑さと、ストレスで不快なんです」

 また、ライトを当ててISO800ぐらいで撮ると、どこか生っぽい質感が出てしまう。自然光で増感すると、版画のような質感が生まれて、それもこの作品に合うのだ。

 光の状態も作品の出来を左右する大きな要素で、2つのセットを同時に作って、時間帯に分けて撮ることもある。

「欲しいイメージは漠然としていて、頭の片隅にちらちらと映像が見える。ザーッと砂嵐になったテレビ画面の向こうに、何かが見えそうで見えないみたいな(笑)」


記録より記憶

 上野さんは「何でもいいから作る人になりたい」と思って、東京藝術大学美術学部で芸術学を学んだ。向かいにあった音楽学部でオペラに触れ、舞台の面白さに目覚めた。その一方で、友人に教わり、モノクロ写真も始めている。

「舞台は美術、衣装デザイン、演出などにも関わりましたが、途方もない労力とお金がかかる。それに対して写真は、一人で劇場っぽいものが作れるので、それを使って小さな世界ができないかと思い始めました」

 卒業後は演劇の世界に進み、一時、写真から離れたが、舞台を撮り始めたことで写真熱が復活した。

「舞台写真は、工夫して撮っても、ほとんどが記録にしかならないんです。やはり自分の中で、記憶につながる作品を作りたくなり、被写体を探し始めました」

 当時も猫は飼っていたが、死んだ後、写真だけが残るのが嫌で一切撮らなかった。都内を歩くと、野良猫を何匹も目にすることから、彼らを撮ることにした。今よりのどかな、90年代後半のことだ。

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猫との出会いは嗅覚と勘

 被写体に猫を選んだのは、見続けても飽きない魅力に惹かれてだ。

「猫のフォルムや柔らかい感じ、目の表情など、大好きです。どこにでもいる、ありふれた被写体でありながら、どこか謎めいていて、不思議な存在感があります」

 最初はやみくもに猫をアップで狙ったが、すぐに思うイメージが得られないことに気づき、段々、引いて撮るようになった。

「写真に切り取ると、どこかわからないような風景になる時があって、そういったロケーションを考えて猫を撮るようになりました」

 路地まで載っている東京の地図を見て、行き先を決める。そのうち地図の形で、猫がいそうな場所が分かるようになってきたという。

「路地に足を踏み入れると、猫の匂いが感じられる。そんな嗅覚と勘が頼りで、非常に効率が悪い(笑)。半日徘徊しても収穫なしってこともありましたしね」

 ある時、新聞の文化欄で、ある展覧会が目を惹き、足を運んだ。そこがギャラリーJyだった。

 このシリーズは2001年から8年ほど続けたが、次第に街の再開発が進み、撮りたい街並みが急激に失われていった。そこで好きな壁だけを撮影し、グレーバックで撮った猫を印画紙の上で2回露光させた作品を作ったこともある。

「うまくいくと、見たことのない光景が生まれます。ただ個展で、合成したことを話すと、思った以上に色めき立つ人が多いのには驚きました(笑)」


どこでもない場所へ

 そんな頃、一人暮らしをしていた叔母が亡くなり、彼女が買っていた猫が上野さんの元へやってきた。それがこの劇場の主人公だ。彼女はただのペットではなく、作品制作のパートナーとして遣わされたのだと、上野さんは受け止めた。

「最初はどういうものができるか分からず、彼女自身もカメラを見たことがないようで、少しずつ撮影が日常の出来事になるように慣れてもらいました」

 シンプルな背景から、試行錯誤を続け、今の形で発表を始めたのは2009年からだ。

「3.11の後、計画停電の夜、小さな明かりで過ごした時、暗い中での小さな光の美しさを実感した。この体験もいつか作品にできたらいいと思います」

 ただ、今回の個展の作品搬入日に、この劇場の主人公は逝ってしまったそうだ。

「これからどうするか、今は全く考えていません。ただ続けて正しいことであれば、新しい出会いがあるのかなと漠然とですが感じています」

 どこでもないある場所。それは貴方のどんな記憶を呼び起こすのだろうか。

(c) ueno masako


(いちいやすのぶ)1963年、東京生まれ。ここ数年で、新しいギャラリーが随分と増えてきた。若手写真家の自主ギャラリー、アート志向の画廊系ギャラリーなど、そのカラーもさまざまだ。必見の写真展を見落とさないように、東京フォト散歩でギャラリー情報の確認を。写真展の開催情報もお気軽にお寄せください。

2012/1/23 07:31