冨永晋写真展「零度の領界」

――写真展リアルタイムレポート

(c)冨永晋

 三宅島は火山の噴火で2000年9月2日から2005年2月1日まで、4年5カ月間、無人の島となった。今はおよそ1,700世帯、2,700人強が住み、ダイバーや釣り人など、観光客が訪れるようになったが、島の一部には無人島だった頃の風景が残された場所がある。

 冨永さんは2006年の夏に初めてこの島を訪れ、以来、季節ごとに10回ほど撮影してきた。最初は大地の破壊力の凄さと、荒涼とした風景に圧倒されたが、ある時から、そこにしかない美しさに気づいた。

 「島の中央にある雄山に登ると、無音になる場所がある。ただ時折、ピーという微かな電子音が響く。自分がどこにいるのか、不思議な感覚にとらわれますね」

冨永さんは、三宅島を撮った事で、新燃岳の撮影も始めたそうだ会場の様子
  • 名称:冨永晋写真展「零度の領界」
  • 会場:コニカミノルタプラザ
  • 住所:東京都新宿区新宿3-26-11 新宿高野ビル4F
  • 会期:2011年11月19日~2011年11月29日
  • 時間:10時30分~19時(最終日は15時まで)
  • 休館:会期中無休

三宅島で見つけたもの

 展示作品は淡く、落ち着いた色調で統一されている。大噴火があった島がモチーフとなれば、見る人はどこかで破壊と再生のイメージを探してしまうだろうが、作者は殊更そこを強調していない。

 作品は、言い伝えで、神々が初めてこの島に足を踏み入れた場所に建てられた鳥居の1枚から始まる。並べられた風景にはところどころ、人間の手になる残骸はあるが、人の気配はほとんど感じられない。

 溶岩で壊されたレストハウスは、濃いガスに隠されている。山腹に打ち捨てられた残骸の光景は、生命が途絶えたどこかの星のようにも見える。

 太古から行なわれてきた地球の活動により、ここには地球という星本来の姿が現出した。作者はそこに見たことのない風景の魅力を実感したのだろう。


未知の風景への興味

 三宅島を訪れるきっかけは、強制避難が解除され、島に住んでいた人が帰る姿を伝えるテレビニュースを見たことだ。

 「4年以上も人がいなかった島って、どうなっているんだろう。ふと、そんな思いが浮かびました」

 冨永さんが敏感に反応したのは、日本の風景をテーマに撮影を続けていたこともあるようだ。

 「外国から見た日本は、相も変わらず、一面的な情報に偏っている。そんな外国人にありのままの日本を見せたいと思って撮り始めました。本当はこちらを先に発表したかったのですが、点数が増えすぎて、どうまとめるか、収拾がつかなくなっています(笑)」

 三宅島はまず6×7判のモノクロで撮り始めたが、3~4回、通ううちに、4×5判のカラーに切り替えた。

「モノクロだと、あまりにも強くなり過ぎてしまったんです。それはそれで良いんですが、僕が表現したいことから外れてしまう。カラーにしてからも、何度も微調整を繰り返しました」

 カラーでは自分でCタイププリントを行なっていたが、撮ってからプリントを見るまでの時間がかかりすぎると感じ、スキャンしてインクジェットプリントすることにした。と同時に、Photoshop上で彩度のみ調整し、今の色調を見つけた。

(c)冨永晋

繰り返し並べて見る

 冨永さんの撮影は、プリントを見ることが重要なプロセスになっている。撮影から帰ると、まず2Lサイズに出力し、部屋の床に並べて見る。

「展示では50点でまとめることを想定していました。それに合わせて並べて見て、イメージ通りに撮れているか確かめ、足りないカットを見つけていきます」

 1回の撮影で持っていくフィルムは100~200枚ほど。7日から10日ほどの滞在になるので、ワンカットずつ大事にシャッターを切る。

 「1つの場所で撮るのは1枚だけです。自分でベストだと思って撮っていますが、帰ってほかの写真と並べて見ると、満足いかないことが出てくる。そうしたら、次に行った時に再撮します」

 島での移動は軽のミニバンで、車が入れない山道は歩く。

 「最初は民宿に泊まっていましたが、三宅島出身の知り合いを見つけ、彼の実家に格安で泊めてもらえるようになりました。車付きで1日3,000円です」

 ひたすら知らない道を走り回り、島の風景を眼に焼き付けていった。

 「気づくと途中で道がなくなっていて、戻り道が不確かで、帰れないんじゃないかと慌てたことが何度かあります」

 ちなみに島の周囲は約35kmで、面積はおよそ55k平方m。山手線の1周とほぼ同じ長さがある。

(c)冨永晋

自然の中で感性が開く

 冨永さんの出身は宮崎県だから、新燃岳の噴火で活火山の風景は見知っている。それでも三宅島の光景には圧倒されたという。火山性ガスにより、冨永さんが訪れた数年間で、ガードレールは腐食し、折れ曲がった。溶岩に埋まったままの鳥居や、建物も点在している。

 ただ1983年の噴火で、1晩のうちに水が干上がった新澪池は、今、草地に変わった。写真には写っていないが、地面には小さな虫が活発に動き回るようになっている。そして島の周囲には、生命の源である海が広がる。

「夏に来た時は、昼間、大概、海で泳ぎますね。そのままの自然に触れること、人のいない中で過ごす楽しさが、この島に通う理由の1つなのは確かです」


人は自然の一部

 会場には2点、夜間撮影したカットがある。最初の鳥居の1枚と、海を写したものだ。

「1度、深夜に山に入ったこともありますが、電気が全くないので、星明りがあっても、かなり暗いです」

 海の中にある島だから、本州であれば存在する街灯かりも全くない。さらに撮影を阻むのは、強風だ。

「昼夜問わず、吹き始めると物凄い。昼間でも、車を風除けにして撮影しないと、カメラが揺れます」

 三宅島での撮影は、自分が自然の一部であることを再確認させ、地球の上で生活する以上、この光景は世界のどこでも起こり得るものだと冨永さんは言う。そんな敬虔さにも似た畏れを持った視点で切り取った光景は、見る人それぞれを不思議な世界に誘う。

(c)冨永晋


(いちいやすのぶ)1963年、東京生まれ。ここ数年で、新しいギャラリーが随分と増えてきた。若手写真家の自主ギャラリー、アート志向の画廊系ギャラリーなど、そのカラーもさまざまだ。必見の写真展を見落とさないように、東京フォト散歩でギャラリー情報の確認を。写真展の開催情報もお気軽にお寄せください。

2011/11/22 15:14