尾黒久美写真展「NOISE」

――写真展リアルタイムレポート

撮影場所は自宅か、最寄の場所。スタジオは使わない (c)尾黒久美

 

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 尾黒さんは、女性モデルを使い、セットアップした場面を撮影する。そこで捉えたいのは、現実の中に存在する、言葉にできない違和感、ほつれ、不確かな何かだ。それらが浮き上がってくる一瞬を探し、プリントに定着させる。

 尾黒さんの話を聞いていると、彼女はこの作品を制作することで、繰り返し自らの存在感を確かめているように思える。コアなイメージがつかまえられた時、それは観る者の個人的な物語を引きずり出す力を持つのだ。

 会期は2010年5月10日~22日。開館時間は10時~19時(最終日は16時まで)。なお5月15日の14時~15時半はイベントのため入場できない。日曜休館。会場のNADAR/SHIBUYA355は東京都渋谷区渋谷3-5-5 HAKKAビル2F。問い合わせは03-5468-3618。

 またSANAGI FINE ARTS(東京都中央区日本橋茅場町2-13-8 第一大倉ビル1F)でも尾黒久美写真展「NOISE」を5月15日~6月26日まで開催する。こちらでは欧州で発表している100×100cmを中心とした大型プリントを展示。日曜、月曜、祝日休廊。開廊は12時~19時。

尾黒久美さん。日本ではこれが初個展となる会場の様子

 

虚構か現実か

 写真家はカメラというツールを使って、イメージを切り取る。どんなモチーフを選ぶかは、その人の必然なのだ。

 会場には虚構と現実がない交ぜになったような、不思議な光景が並ぶ。氷と水がぶちまけられた床の上にうつぶせに倒れた少女や、ふたの開いた棺のようにも見える「何か」の前に立つ2人の女性、白い粉がまかれた床を四つん這いに歩く女性……。

 それぞれ女性たちの顔は隠され、身体も一部か、後姿だけが写し取られている。

 作品の前に立つと、まずはその意味を考えるより先に、イメージの美しさに眼がいく。その後、この情景に頭をめぐらせ始めると、ポツリポツリと自らの記憶、残像などが引き出され始める。

現在、よく使うモデルは4~5名だ (c)尾黒久美

 

キーワードの発見で作品が深化

 尾黒さんは短大を卒業後、社会人を経験し、語学留学を第一の目的に行ったイギリス留学で、本格的に写真を学び始めた。学生生活はロンドンで2年強、ベルギー・アントワープで6年に及んだ。

「最初は撮りたいものも明確になかった。ただ風景でも、静物でもなく、人物だというのはありました。ロンドンの後半から、今のような作品を撮り始め、ベルギーに行くとそれが良い方向に流れ始めましたね」

 ベルギーに住んで、初めて自分が外国人であることを意識したという。顔見知りが自分を見るときに当てはめてくる日本人像へのかすかな苛立ちや、自分の日常でありながら、どこか安住していない落ち着かなさを自覚し始めたのだ。

 外国で写真を撮り始めたこと。それが今の作品を引き寄せたのかもしれないと尾黒さんは言いつつ、「日本にいた時から、居心地の悪さを感じていたので、本当のところは分かりませんけどね」と笑う。

 その後、作品へのアプローチがさらに深化したのは、あるアドバイスがきっかけとなった。

「ある人が私の一連のイメージを指し、これにはNOISEがあると指摘した。私自身、その言葉の意味を考えていくことで、より自分が求めていたイメージのテーマが明瞭になった」

 尾黒さんが考えたノイズとは、例えば、ラジオで微かに違う局の放送が聞こえてくるような状態だ。無視しようと思うと、余計に気にかかり、ではそれが何を放送しているのか、聞こうとしても音が小さすぎてわからない。

 

制作の第一段階は断片の収集

 尾黒さんの作品制作は、撮影と全く関係のないところから始まる。

「何かをしていると、ふと断片を感じる時がある。それをメモして、ためていきます」

 そこに綴られる文字とは「引っかかってしまったスカート」というような表現だ。自分の中で機が熟してくると、撮影日を決め、モデルさんに声をかける。

「いくつかの言葉をつなぎ合わせて、ある瞬間を想定していきます。ただ事前に考えられるのは7~8割。あとは撮影の中で起こる何かで変化しますね」

 驚くのは、時折、休憩中のモデルの姿に反応して撮影したりすることもあるが、ほとんどは想定したシーンの中でのバリエーションで作り上げていることだ。それは尾黒さんの中に、確固たる完成形があるからだろう。

撮影は6×6判で行ない、デジタルプリントをする (c)尾黒久美

 モデルは友人か、その知り合い。そこで重視しているのは、良好な信頼関係が築けるかどうかだという。

モデルには最初、作品を見せて、どんな世界を作りたいかを示す。あと個々の撮影では、あまり深く狙うイメージは説明しないという。

「1回の撮影は長くて2時間程度。その間、緊張とリラックスを繰り返す中で撮影を進めます。そのバランスを一緒に上手くとれるかどうかですね」

 望む光景をつかまえるために、モデルの彼女たちから受ける影響は少なくない。

「このシーンは彼女でやりたいとか、この人との撮影だから、これとこれを組み合わせようとか刺激を受けています。だからモデルさんと一緒に作り上げている部分も大きいんです」

 

断片が持つ創造の可能性

 今後もNOISEをメインテーマとして、作品制作を行なっていくと尾黒さんは言う。写真家はある現実に対峙し、そこから何を切り取るかを感じ取っていくが、彼女の場合はその前に、欲しいイメージを創造する作業がある。

 そのプロセスと、彼女の感性が、生み出した1枚のイメージに、観る人それぞれの物語を想像させる力を持たせるのだろう。

「1点ずつのイメージに、私の中でどんなストーリーも描いていません。だから私自身、今度は何をやるんだろうって興味があるんです」と話す。

 NADARでは43×43cmの特別エディションを額装し、SANAGI FINE ARTSでは100cm×100cmを中心のエキシビションサイズを展示、販売する。新しい写真家の世界を、二つの会場で見比べてみよう。

「フィルムで撮影する緊張感が私の作品には重要だと思っています」 (c)尾黒久美


(いちいやすのぶ)1963年東京生まれ。4月某日、4回目になるギャラリーツアーを開催。老若男女の写真ファンと写真展を巡り、作品を鑑賞しつつ作家さんやキュレーターさんのお話を聞く会です。始めた頃、見慣れぬアート系の作品に戸惑っていた参加者も、今は自分の鑑賞眼をもって空間を楽しむようになりました。その進歩の程は驚嘆すべきものがあります。写真展めぐりの前には東京フォト散歩をご覧ください。開催情報もお気軽にどうぞ。

2010/5/14 00:00