劉敏史写真展「-270.42℃, My Cold Field」

――写真展リアルタイムレポート

(c)Minsa YOU

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 被写体は茨城県つくば市にある高エネルギー加速器研究機構(KEK)の研究施設だ。地下約10mのトンネルに、一周3kmほどのリングを敷設し、素粒子物理の実験を行なう。

 今の宇宙には、ビッグバンにより宇宙が誕生した時に創られたはずの反物質が見当たらない。これを人工的に作り出し、その過程を測定することで、宇宙創生の謎を解明するのがこの研究の目的だ。

 この作品は単なるドキュメントでも、最先端技術が持つ美を追求したものではない。劉さんは、この施設に人間の存在を仮託し、そこに分け入ることで「人間とはなにか」という根源的な問いかけに答えうるイメージをつかまえようと試みている。

 会期は2011年5月28日~6月25日。開廊時間は12時~18時。日曜、月曜、祝日休館。入場無料。会場のAKAAKA Galleryは東京都江東区白河2-5-10。問い合わせは03-5620-1475。

 6月11日15時からは、劉敏史×佐伯剛(「風の旅人」編集長)×普後均(写真家)によるトークショーを開催。予約不要、入場無料。

劉 敏史(ゆう みんさ)さんは1974年生まれ
展示風景。会場には宇宙線観測装置が設置されている

偶然、KEKに出会う

 劉さんは偶然、この施設、KEKのことを知った。興味のあるテーマを探っていくと、宇宙につながり、KEKに出会った。

「何を調べていたか、はっきりとは覚えていないんです。ただ、この『謎を解く』という研究活動を知った時、興味を覚えて、連絡を入れました」

 素粒子というミクロの研究が、宇宙という大きな世界につながる。人類の目にできるものの限界に興味を持った。約3年前のことだ。

 当初は毎回、撮影許可の申請が必要だった。許可が下りた日は、目いっぱい時間を使い、素粒子物理学のレクチャーを受けながら撮影を続けた。

「素粒子物理学に関して知識がなかったので、研究所の藤本順平さんに教わりながら制作しました。藤本さんと二人三脚で制作したものだと言えます」

 1998年暮れから稼動してきた測定器は、2010年6月30日でその役目を終え、さらに高度な設備にアップグレードされることになった。

「加速器の研究施設は世界でも何カ所かあり、つくばにある加速器は『何故、宇宙が安定して存在できるのか』という問題に取り組んでいます。どこも設備の記録を写真で残しています。このつくばの加速器の写真を撮影する必要があると考えました」

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答えを求めて旅へ

 劉さんは在日韓国人として京都に生まれた。常に自らの居場所がない感覚を強く持ち、外の世界を求めるようになっていった。世の中がどうなっているのか体験したくて、16歳ぐらいから国内を旅した後、アジア、インドへと足を伸ばした。

 友人の紹介で沖縄の鮪漁船に乗った後、木工職人見習い、骨董商を経て、古布の輸入を始めている。

「コンゴのクバ族が作るクバベルベットという古布を扱っていました。そのうち、知人に貰ったカメラで写真を撮り始めると、次から次へとやるべきことが発生して、写真への興味が強くなっていきました」

 道中での様々な出会いを通して、旅先で写真を始めると決心し、帰国した。

 その後、都内の写真スタジオで働き、証明写真を撮ることになった。それがポートレートに興味を持つきっかけの一つだ。

「他者という外の世界と、私という内の世界を旅すること」への試みであり、「自分と全く違う世界で生きるように見える」エチオピアのハマルという小さな村に住む人々を被写体にした。

「人は閉じた自分の内側で、外世界の何かを見る。対象を知ることは、閉じた自分をは超えていくことへの前提。ポートレート撮影を通して、対象の本質とは何かと試行錯誤した」

 その作品「ユビクヰタス キアスム」は2005年(第3回)ビジュアルアーツフォトアワード大賞を受賞している。

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横でなく、縦への旅へ

 遠くまで旅をしても、遠くなどどこにもない。自分が帰るべき場所が遠くなっていくだけと、旅が飽和し始めた。

「土地を横に異動して、どこまで行っても変わらないものがあった。縦の旅という、自分の気づかないことを認識するための内省的なアプローチをせざるをえなくなった」

 そこで出会ったのがKEKだ。

 宇宙は最初、手のひらに乗る大きさよりも小さく、高温、高圧、高エネルギーの状態、ビッグバンにより誕生した。

 加速器KEKBで電子と陽電子を衝突させ、宇宙の創生時に存在した素粒子を作り出す。その素粒子の反応を観察するのが、ベル(BELLE)測定器だ。

 展示作品の中に、未知なる宇宙を写真で表現するため、黒板に記した宇宙の方程式を撮った1枚がある。

「宇宙という言葉は宇宙よりもはるかに遠い宇宙を含んでいる。数々の数式を書いては消した上に、その方程式を乗せることで、未知なる存在、この数式から零れ落ちる部分があることを表現しようとした。数式は外世界の宇宙を表すと言うが、人間の脳という閉じた内世界を表象するにすぎない」

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ミクロとマクロが交差する世界

 劉さんは最初、初めて見る研究施設の面白さに興味を持ち、次に探求する研究者たちの姿に惹かれ、彼らが見つめるものに共感しようと試みた。

「この施設やこれらの構造物は原初的な人間だと言えると、ある研究者が発した言葉が僕の中にとどまった。電子と陽電子が衝突する瞬間を観察するベル測定器は、人間に例えるなら、瞳孔部分だと言えます。人間が創りだした外世界の構造物を写真にすることで、人間とは何かという問いを表象することができないかと考えた」

 研究棟の通路には、ところどころに旋盤などの工具が置かれ、研究者がこれを操り、測定機などを制作し、改良を施す。また測定器から無数に張り出しているコードは、一本ずつ決められた長さを測り、研究者が切って装着していったものだという。

 巨大な装置の中で、素粒子というミクロな物質が起こす反応を観察し、それが宇宙というマクロな世界へとつながる。その中で、機械を操作している人間の姿は、-270.42℃という極寒の宇宙の片隅に生息する人類(ホモサピエンス=知恵のあるヒト)の姿だった。

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人間とは何かへの問いかけ

 撮影機材は最初、4×5判のフィルムカメラを使った。画面すべてを高解像度で描きたいと考えたからだ。その後、フェーズワンのデジタルバックに変えた。

「撮影する対象が変化することで、撮影機材もその対象に合わせた。初めは構造物を、次に先端科学の現場を、その後研究者が見据えている460億光年に拡がる宇宙へと撮影対象が変化した。表象するにはどの機材で撮影することが適しているかを考えた」

 科学や物理学は数式という言語で、新たな事実を解明し、記録する。ただその言語は限られた人の中でしか伝達できない。

「科学や言葉といった言語ではこぼれ落ちる情報を写真は提示してくれる。このシリーズは、僕自身、興味の尽きない『人間』という対象の本質を問う写真群になると考えています」

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【2011年6月8日】宇宙に関する一部の記述に、KEKによる修正を加えました。
【2011年6月7日】劉氏の発言について、大幅に修正しました。






(いちいやすのぶ)1963年、東京生まれ。ここ数年で、新しいギャラリーが随分と増えてきた。若手写真家の自主ギャラリー、アート志向の画廊系ギャラリーなど、そのカラーもさまざまだ。必見の写真展を見落とさないように、東京フォト散歩でギャラリー情報の確認を。写真展の開催情報もお気軽にお寄せください。

2011/6/7 00:00