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[2007/03/19]

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[2007/03/05]

【Case-39】今泉麗香の場合
[2007/02/19]

【Case-38】朝日桂宜の場合
[2007/02/05]

【Case-37】佐藤恵子の場合
[2007/01/22]

【Case-36】足立浩美の場合
[2007/01/15]


2006年

【Case-38】朝日桂宜の場合



 私は台湾国籍を持つ韓国生まれ韓国育ちの両親から生まれた。東京、港区生まれで品川育ちだけど国籍は台湾。ぱっと聞き、意味がわからないよね。自分でも、何だかよくわからなくて(笑)。でも最近になってやっと「自分のルーツ」がわかってきた。

 「韓国の中華街みたいな所で育った、中国人の価値観を持つ台湾人の父親」と、「韓国の田舎で育った純粋な韓国人の価値観を持った台湾人の母親」との間に、韓国で生まれ日本で育った台湾人の4つ上の兄が1人いる。そんな家庭で育った私は純粋な台湾人なんだけど、これまでの23年間「東京」以外をまったく知らないで育ってきた。親子ケンカとかは「異文化交流的」な内容だったりする、自慢じゃないけど……。

 なかなか他の人ができないような良い「経験」をしているけど、当事者は嫌だったりした時もある。自分の都合で「良い経験」にしたり「悪い経験」にしたり自己中心的だね。こんな自分が嫌で嫌でしょうがない時の方が多かった。日本語しか知らない、知ろうとしない。自分を知ろうとしない、知りたくなかった。今日は3年前の自分に会いに来た。


 その頃の私は自分という存在を否定していて自分という存在を一切合切認めなかった。「こうあるべき」と全く違う自分を作り、いつまでも「走り逃げなげれば」と思い「走り逃げ続けている」途中で様々な人達に出会い、「追いかけて」くれる人もいて。何も感情も湧かない「モノクロ」の世界から「極彩色」な世界へ連れて行ってくれた人達もいて。「役目がない学芸会」から「舞台の主役」へ登って、「逃げる」方から「鬼」になり「追いかける」みたいな。

 ここ数年の私は「鬼ごっこ」にはまっていた。私は足が遅いし、非常にどんくさい。だから鬼から逃げるのとても大変だ。足が遅いぶん……隠れたり、先回りしてみたり、相手の動きを読んだりね。逃げまくってた。そして鬼でいるのもそれなりに結構大変なことに気がついた。でも逃げる方より鬼の方がいい。自分から逃げるものをとことん追いかけられる。自分が追いかける方だから、自分の判断でそれも辞められる。一度、鬼の楽しさを味わうと、逃げる方はつまらなくてしょうがない。だから、私は鬼になる事にした。そして今、2年前の自分に会った。



 煙草の煙を眺めてると、私に似てるって思った。自動販売機に銀色のコイン3枚と茶色のコイン2枚を入れると、自分と同じくらいの身長の鉄の箱から20人兄弟で生まれてきて……。1人1人が火で焼かれて、大きく吸い込んだ煙をなるべく憧れの空に向かって届くように、細く高く行くように吹いてみて薄く散って行く。焼かれた灰は小さな小皿に受け止められるか、道端に捨てられるか。灰は雨の日に溶けて無くなり消える……。歩き煙草はしないけど、以前1回だけ歩き煙草をしたことがあった。その時は、道に捨てた灰がなぜか自分のように感じられた。雨が降って溶けて下水に流れて、いつか憧れの海に到達できるのかなって思ったけど……。

 私はどちらかとうと灰皿に受け止められたいって方だから、自分から逃げずに行こうと思った。2年前の自分に会って安心した。良かった。うん、確かに自分は成長しているな。今は、逃げるより追いかける鬼。鬼は楽しいよ。この楽しさ味わいたいなら、まずは自分から逃げてる自分を捕まえなきゃ。もし、自分から逃げるのなら、鬼が10秒数えてる間に好きなだけ遠くへ逃げるしかない。だけど今の私は鬼の側。本腰入った鬼は相当強いぞ。手に入れたいものがある。私はその世界をもう1度見るためどうしても必要なんだ。だから今までの物全てを投げ出しても、あの極彩色の世界を手に入れにいくよ!


 桂宜という名前の通り彼女は在日台湾人だが、完全に日本語しか話さないので、どう見ても日本人にしか思えない。かつて長い間の鎖国をしてきた島国日本だが、もう昔とは違いこれからは彼女のように異国や様々なアイデンティティを持つ人たちがどんどんと増えていってる。

 最初に会ったのは2005年の春。ちょうどボクがニコンのデジタルカメラをD2Xに変えたばかりだった。ここにある掲載カットの約半分はその年の暮れに撮影したもの。長かった髪の毛は久しぶりに会ったら、ショートカットになっていた。この2年間に彼女の中ではいろんな変化があったみたいで……。「2年間の変化」といえば撮影機材も日々進化し続けている。2005年に発売されたD2Xはその後D2Xsになった(ボクのカメラはシャッターユニットを交換して未だにD2Xが現役で頑張ってくれてる)。掲載カットの多くに使用したシグマの18~50mmの同じ焦点距離のズームレンズ2本も、以前のものに比べてずいぶんと改良されて近接撮影距離が20cmまで短縮されたので、日頃のポートレートだけだはなく、ちょっとした小物のブツ撮り等にも使えるようになった。

 長玉はニコン純正の定番名玉85mm F1.8と、昨年秋に発売されたシグマの50~150mmのズームを使用。70~200mmだとどうしてもレンズ本体が大きく重くなる上に、1.5倍換算のニコンマウントでは約105~300mmになってしまうのだが、このレンズの焦点距離では最短焦点距離側が約75mmと短くてグッと使いやすいうえに、約半分の重量なので35mm換算で300mmが必要なければこのレンズがちょうど良い。手ブレ防止機構が搭載されたら完璧なんだけどなあ。シグマのレンズは、ニコン純正ラインナップで間の焦点距離が抜けてるあたりをうまくカバーしてくれるので大変重宝する。


使用機材
Nikon D2X
Nikon D200
AF-S DX Zoom Nikkor ED 12~24mmF4G (IF)
Ai AF-S Zoom Nikkor ED 17~35mmF2.8D (IF)
Ai AF Nikkor 85mm/f1.8D
SIGMA 18~50mmF2.8 EX DC
SIGMA 18~50mmF2.8 EX DC MACRO
SIGMA 30mmF1.4 EX DC HSM
SIGMA APO 50~150mm F2.8 EX DC HSM
Sandisk Extreme III
Lexer 80X



URL
  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/haruki_backnumber/



HARUKI
(はるき)1959年広島市生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。広告、雑誌、音楽の媒体でポートレートを中心に活動。
1976年 個展「FIRST」を皮切りに、多数の個展、グループ展を開催。1987年朝日広告賞グループ入選、表現技術賞受賞。1991年パルコ期待される若手写真家展選出。コラボ作品がニューヨーク近代美術館に、「普通の人びと」シリーズ作品が神戸ファッション美術館に永久保存。
2005年に個展「Tokyo Girls♀彼女たちの居場所。」を東京 渋谷、2006年に京都で開催。
http://www.harukiphoto.com/

2007/02/05 00:00
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