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【Case-37】佐藤恵子の場合
[2007/01/22]

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[2007/01/15]


2006年

【Case-37】佐藤恵子の場合



 毎日、あくびをしながら、教室の窓からずっと空を見ていた。静岡で過ごした高校生活は退屈だった。学校の成績などどうでも良く、教師のマニュアル的な教育にため息を吐き、同じ毎日の繰り返しに、私の足取りは重い。空のように、ただ漂っていたい、空を飛べたら気持ちがよいだろう、空は一瞬たりとも同じ瞬間なんてなかった。

 取り敢えず高校を卒業した私は、先ずは近場のデザインの専門学校に入学した。絵をやりたいという気持ちは漠然とあったのだが、自分はデッサンが特別うまいわけではなく、そんなことを口に出すのは恥ずかしいことだと思っていた。


 「私なんかが」って否定的思考はいつも私の頭上に影をつくり、暗闇の中にとじ篭る。そんな感情の中、イラストレーターで講師であるN先生に連れられ、人生の転機となったであろう、東京のとあるアトリエに行った。そこは「異空間」という言葉がぴったりの場所。暖色に光る灯火と、優しい香りのエキゾチックな雰囲気漂う流木。見るもの全てが新鮮で、私の今まで居た箱のような四角い世界、当たり前だと思っていた直線の世界の住人の私を、自由に延びる曲線によって暖かく迎え入れてくれた。その異空間に住む、髭の洒落た叔父さんが私の人生を大きく変えたのだと思う。私は東京へ向かった。1人っ子で甘い環境で育ち、お小遣いも貰っていた状況から、いきなりの1人暮らし。

 仕送りは月2万円、毎月の交通費だけで消えてしまう中、家賃と生活費を稼ぎながら学校へ行く。それでもバイトに自分の時間を取られたくなかったから、一気に働いていた。上野の美術館での連働12日間、睡眠時間は3時間だけ。電車の中で倒れた事もあった。自分に毎日言い聞かせていた「大丈夫、辛くなんかない」って。その頃は誰とも会わずに、ただひたすら沢山絵を描いていた。自分の意思とは裏腹に、涙が自然に溢れてくる。カントリーロード歌いながら、アメイジン・グレイスを歌いながら過ごしていた。今なら言える。「私は、辛かった。」色がどんどん淀み、絵がどんどん死んでいった。

 ある朝私は起き上がり、静岡に帰る途中の駅のホームでもう1人の私は飛び降りていた。私は必死でホームの椅子を掴んでいた。その後、自宅で3カ月寝込む。空をずっと眺めていた。時間がまるで止まったような空でも、少しずつ風に乗って動いていた。やがて私は恋をした。海や山へ行った。夜中の野球場にも行った。1人では見れない景色を、沢山知った。

 やがて恋は恋のまま終わりを告げ、私は愛に向かって走り出す。その人に会うために自転車に乗って走り出す。迷いながら笑いながら泣きながら静岡から東京まで250kmを祖父に貰ったお気に入りの赤い自転車で。私はその人と同棲をした。理由はまた東京で暮らしたかったから、学校へ行きたかったから。ただしそこは6畳一間の狭い部屋。醒めていく愛情、積み重なっていくストレス。積み木が崩れていくのに、そう長い時間はかからなかった。



 少しでも遠くへ、遠くへ行きたかった。できれば知っている人、誰とも会いたくなかった。私は飛行機と船を乗り継いで遠くへ出掛けた。住み込み仕事で仲居さんをする為だ。初心に還りたかったので、なるべく安いお給料の所、なるべく私の住む場所から遠い場所へ行った。そこが世界遺産、屋久島だった。都会の人の冷たさに、疲れていた。屋久島の人たちは皆な暖かかった、島中が1つの家族みたいだった。街の灯りに逃げ場を失っていた時、満天の星空が私に微笑みかけてくれた。

 そして帰って来た今、思い返せば私はずっと幸せだったと思う。なのに幸せすぎて、それを退屈だと感じていた。ふと高校生活のあくびをしながら空を眺める自分が蘇る。幸せはいつもそこにあったんだ。どの瞬間だって同じ空がないように、私は常に変化しているんだ。時には早足だったり、時には立ち止まりながらも私はいつだって歩いてきたんだ。漠然と旅がしたかった。いつだって旅をしていた。みんなみんな、何処かで繋がっている。それを心から実感してみたい。いろんな人に会いたい。日本中のみんなに、世界中のみんなに。みんなに会いたいからこそ、これから世界一周の旅に行きたいな。


 小中学生の頃、ボクも恵子ちゃんと同じように窓の外の空ばかり毎日眺めて過ごしていた。彼女にとっての「絵」との出会いが、その頃のデッサンやクロッキーに飽き飽きしていたボクにとっては「絵」から「写真」へと興味の変化の具現化の時期だったんだと思う。ここに書かなかった多くの話を含めて、恵子ちゃんとは育ってきた環境も時代も性別も違うが、彼女が話してくれた中のある部分には人が成長していく途中、「さなぎの時代の終わり」に体験する共通項を感じることが出来た。

 今回はペンタックスのK10Dと、シグマの新しいレンズ2本を追加した。MACRO 70mm F2.8 EX DGと18~50mm F2.8 EX DC MACROだ。ズームの方は一見すると同じように見えるが、実は弱点だった逆光性能が口径と共にフードが変わりずいぶん改良されたうえ、マクロ機能があるのでワイド系での近接撮影も可能になった。これ1本でいろんな撮影が可能になった。これからは旧タイプに替わって出番が増えそうだ。マクロはもっと慣れるまで使ってみなければわからないが35mmフルサイズ中望遠マクロとして使いやすいのではないだろうか。

 ペンタックスのK10Dにパンケーキレンズのセットは高性能でコンパクトで、スナップショットに大変重宝だ。K10Dとその他にも発売されてる各種パンケーキレンズとの組み合わせは独特なので、今後のデジタル一眼機材のもうひとつの楽しみ方としてはとても興味深いと思う。


使用機材
Nikon D2X
SIGMA 18~50mm F2.8 EX DC MACRO
SIGMA 30mm F1.4 EX DC HSM
Canon EOS 5D
EF 16~35mm F2.8 L USM
EF 24mm F1.4 L USM
EF 35mm F1.4 L USM
EF 50mm F1.4 USM
EF 70~200mm F4 L IS USM
SIGMA MACRO 70mm F2.8 EX DG
PENTAX K10D
DA 21mm F3.2 AL Limited
Sandisk Extreme III
ATP Pro MAX SDHC



URL
  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/haruki_backnumber/



HARUKI
(はるき)1959年広島市生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。広告、雑誌、音楽の媒体でポートレートを中心に活動。
1976年 個展「FIRST」を皮切りに、多数の個展、グループ展を開催。1987年朝日広告賞グループ入選、表現技術賞受賞。1991年パルコ期待される若手写真家展選出。コラボ作品がニューヨーク近代美術館に、「普通の人びと」シリーズ作品が神戸ファッション美術館に永久保存。
2005年に個展「Tokyo Girls♀彼女たちの居場所。」を東京 渋谷、2006年に京都で開催。
http://www.harukiphoto.com/

2007/01/22 00:00
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