デジカメ Watch
連載バックナンバー
【Case-41】橋詰雅代の場合
[2007/03/19]

【Case-40】廣瀬友香の場合
[2007/03/05]

【Case-39】今泉麗香の場合
[2007/02/19]

【Case-38】朝日桂宜の場合
[2007/02/05]

【Case-37】佐藤恵子の場合
[2007/01/22]

【Case-36】足立浩美の場合
[2007/01/15]


2006年

【Case-32】林沙代の場合



 私の人生にとって、一番大切なのは家族です。今までもこれからも何よりも大事に思っています。とってかわるものなんてない。1日の間に起きてる時間の中で一番考えているのは家族のことです。

 日本人だから、面と向かってアイラブユーとか言ったことないけど、たぶんこれからも言わないけど、私は家族を愛してるし、家族はそれ以上に私を愛してるくれてると思います。今までどんなに気持ちが落ち込んでも、鬱になっても、自分が誰からも必要とされない人間だなんて感じたことはなかったです。どんな時も、母が私を愛してくれるのを感じられたお陰です。

 最近まで父に対しては距離を感じてきました。子ども時代、大好きな母を叱りつけたりしてたのが気に入らなくて。でも今は、そういうふうにしか表現できない不器用な人なんだと理解できています。本当は父が母を愛してるのはとてもよくわかるし、私たち子どものことをちゃんと愛してるのもやっと実感できるようになりました。18才の時、父とは1年間同じ家に住んでいながら口をきかないぐらい関係がこじれて、私はひとり暮らしを始めました。日々感じる険悪な夫婦仲が許せなくて、その頃は家族を中心としたもの全てから逃げたかった。


 高校も転校して、その後働くようになって、その頃アフリカの太鼓に出会いました。その頃から私の暮らしは変わりました。今しているお仕事は、昼間は父の経営するフランス料理のレストランをきりもりして、夕方からは音楽のリハーサルかライブをしています。

 所属しているバンドは1つなんだけど、出演にあわせていろんな所から声が掛かります。私はアフリカの太鼓のアンサンブルにのせて歌を唄っています。多いときで週に3回、少なくても月に3回は人前でお金を頂いて演奏したり唄ったりしています。

 よくお客さんから「なんでこれをしようとおもったん?」ってきかれるんですが、アフリカ音楽の素晴らしいところは、お客さんと演奏者の間に境界線がないところです。椅子に座ってテレビを見るように眺めるものではないということ。手拍子でも歌でも参加できるし。そもそもこれはダンスのための伴奏。そこに居合わせた人が参加して完成です。それと即興性、その瞬間にしかないものを歌にのせて表現します。

 私はまだそこまでできないけど、達人の人と一緒にさせてもらう時は不思議な力で今までできなかった新しい歌が沸いてきます。音楽は特にちゃんと習ったことがないので、基礎がないんですが、熱い熱い想いだけでここまで進んできました。私は絶対これだけで食べていきたいとは思っていません、今は。歌うことをずっと好きでいたいから。



 自由と責任が全て自分の手の中にあって、悪いこともしたし、怖い目にもあいました。でもそれでよかったのです。よくわかった。生きていくことは容易じゃないと。1人も大変だけど、家族を持てばこの何倍もの責任と義務が肩にのっかって、行動には制限がかかってくる、自由もなくなる。

 家を出て家族と距離ができ、働くようになって初めて、父の苦労とそれを見せない強さに気付きました。22で母と結婚、23のとき私が産まれて、25で縁があって店を持って、それからずっとがんばってきた父は素晴らしいと思います。私の誇りです。

 母は、21で私を22で妹を、そして32で弟を産んで1人1人を大事に育ててくれました。できるだけ平等に、そして子どもという扱いではなく人間として尊重して接してくれました。私は、私だったら……とは考えられません。子どものためにこんなにはたぶんできない。いつもいつも、昔も今も家族の悩みの種は私です。ほんとに心配ばかりかけています。

 だけど、だからって正社員になったり、キチンとした人とお見合いして結婚して、両親と祖母を安心させるなんて絶対できないです。今では家族のことを心から愛してるけど、私は大事な両親2人から産まれた私自身も愛してるから。私には叶えたい夢やもっと勉強したいことがあって。そういう自分の求めるものに突き進む私を、父はいつもアウトローだというけど、そこだけは変えられません。賛成してもらえなくても、応援されなくても、私は自分の音楽家としての道はあきらめたりしない。音の高みを感じるために危ない場所へ留学することも。家族が反対してるのは知ってるけど、それを理由に安全な場所で納得してない状態を続けるなんてできない。「愛」とは、いいなりになることだとは思わないのです。

 もともとアフリカでも吟遊詩人家系に生まれたものにしか許されなかった太鼓と歌を、今こうして日本で、日本人が日本人のために奏でること。伝統はいつも変化し続け、生まれかわり、人の心に残ってゆくと信じています。

 表現に国境はないです。私は彼らの文化も伝統も尊重しつつ、自分の思い、日本人としての現代に生きる女の子としての自分を表していきたいと思っています。音に喜びをのせて、その瞬間に出会った人と共有したいです。
私は音楽の大きな力を信じています。


 大阪から応募してきてくれた沙代ちゃん。東京へ来てからも毎日毎日、いろんな用事でパワフルに行動している彼女は、さすが浪速っ子だなあと感じる。夢に向かって力強く生きている部分は尊敬にも値する。彼女の話しをきいていたらバンドを始めたくなってきた。その前に誰かに楽器の演奏を習わなきゃいけないのだが……。

 発売されたばかりのキヤノンのズームレンズを買って早速試してみたが、このレンズのブレ防止機能はなかなかのものだと思った。これから多用して、また掲載の折には結果報告ができるかもしれない。


使用機材
Canon EOS 5D
EF 24mm F1.4L USM
EF 35mm F1.4L USM
EF 50mm F1.4 USM
EF 135mm F2L USM
EF 70~200mm F2.8L IS USM
EF 70~200mm F4L IS USM
RICHO GR DIGITAL
Sandisk Extreme III



URL
  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/haruki_backnumber/



HARUKI
(はるき)1959年広島市生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。広告、雑誌、音楽の媒体でポートレートを中心に活動。
1976年 個展「FIRST」を皮切りに、多数の個展、グループ展を開催。1987年朝日広告賞グループ入選、表現技術賞受賞。1991年パルコ期待される若手写真家展選出。コラボ作品がニューヨーク近代美術館に、「普通の人びと」シリーズ作品が神戸ファッション美術館に永久保存。
2005年に個展「Tokyo Girls♀彼女たちの居場所。」を東京 渋谷、2006年に京都で開催。
http://www.harukiphoto.com/

2006/12/04 00:01
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