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【Case-41】橋詰雅代の場合
[2007/03/19]

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[2007/03/05]

【Case-39】今泉麗香の場合
[2007/02/19]

【Case-38】朝日桂宜の場合
[2007/02/05]

【Case-37】佐藤恵子の場合
[2007/01/22]

【Case-36】足立浩美の場合
[2007/01/15]


2006年

【Case-21】中村みどりの場合



 青森県は青森市で生まれました。父、母、兄、私の家族四人構成。この家庭の中で一番家を支えているのは、何と言っても母です。仕事を朝から夜まで週6日でこなし、その上で語学、音楽、映画、その他何でも興味津々。実にパワフル、実にソウルフル、そんな母を私は尊敬し、目標にしています。そう思いながらももうすぐ22年目の人生経験に突入してしまいました。そんな反省を少しだけ振り返ってみたいと思います。

 思い起こせば幼い頃の私は、自分を守りたくて平気で嘘をつく子でした。親が共働きだった頃に入った保育園。自分の立場を確立したかった頃かなあ。全然そんな事当時は意識していなかったんだろうけど、今はもうわかる。子どもだって色々考えて行動している。


 そうして不安と期待の小学校時代。うちの小学校は古いんだけど戦争の時に空襲があってもなくならなかった、今も現存する立派で有名な建物でお金持ちの子が集まる所だった。昔は古かった事もあってどこもかしこも何だかお化けがいるみたいに感じてた。トイレ、理科室、音楽室、放送室、配膳室……。放課後になるとその全部が暗かった。非常口マークの緑色。火災報知器の赤色。そしてトイレの非常灯色。今思えばすべてが怖くて、すべてが楽しそうでもあり羨ましい。1クラスしかないのにその中で恋をしたり、喧嘩したり。あの頃感じていた未知の世界への好奇心、探究心は今はどこにいってしまったのだろう。少しだけ物悲しいとも思う。戻れるならばまた小学生になりたい程だ。



 あっという間の小学校に別れを告げ、結構沈んでいた中学校。その頃グループで何でも行動するのが流行ってて。今でもそうなんだろうけど徒党みたいなやつを組んじゃう感じ。あれって日本人は好きだよね。ちょっと組織化してねちっこく威張るやつ。私はそんなの面倒で好きじゃない。その当時、軽くいじめられたのかもしれないけれど、お互い精神的に大人じゃなかっただけなのですね。ほんの少しだけ考えればわかる事なのに、どうしてあの頃はずーっと気にして、勝手にひとりで悩んでいたのだろう。いじめる方もそうで、どうして下を作りたがったのだろう、なんのために? きっと大きなところに本能があったんだろう。縄張り意識、階級意識、名誉意識とかいろいろ。よくわからないけど中学校までは本当の意味でかなり子どもだったなあ。

 ただ高校時代になってからはずいぶんと違ってきた。1年目は相変わらず徒党っ子主義者が多い「社会」だったけど、中学校時代程私も馬鹿じ ゃない。やりたいことを素直にやり進めていた。特にそれは演劇という部活にあった。2年、3年と段々と同じ考えを持つ人が多くなった。それは自由のための責任(今の日本の社会に足りないやつね)。そういった責任をきちんと持てる人が周りに沢山できるようになったのだ。とても厳しくて楽しくて、そんな友人達が今でも誇らしい。

 先生方にも大変救われた。歴史の先生。私の恩師。まだ若くて色々ドジをふんだりした先生だったけど、兄弟みたいに仲が良かった。あの方のおかげで歴史のテストだけは毎回学年1位、2位を争ってきたし、勿論日本の歴史を深く知ろうというきっかけを作って下さった事にも感謝している。そして主任の先生、部活の顧問兼、教頭先生。今はもううちの高校にいないけれど、皆あるべき地位に在籍しているとお聞きしている。立派な指導者は社会的に自由の責任を深く持ち、後世に必ず残る。骨折とかもしてきたけど、またみんなで一緒に球技大会がしたいなあ……。


 そして卒業し、2003年の春。東京に出てきたのがつい最近のように思えるのに、あっという間の大学生活。卒論……いやいや絶対卒業だ卒業しなきゃ! 今やもう考えられない程の沢山の人やものに囲まれてきたんだなあーて。そしてまだまだやろうかなって事がたくさんあって。選んで。捨てて。選んで。育てて。就職してこれからはじめる仕事も。どこまでいけるのかとか。いけるというよりは、まあいくかな?いってみようかなという感じの今日この頃です。

 別に限界を感じたらまた悩めばいい。困ればいい。そして誰かに相談すればいい。自由だから 。自由だからこそ責任を持つ自分に自信がつく。こんな余裕と猶予がないと生きていけないものですから。マイペースだけはやっぱりこの歳になっても血液型そのままに変わらないのです。

 私はAB型です。血液型で1、2を争う程差別されやすい人種です(笑)。でも日本人に1割はいたっていいじゃない。そう思いながら毎日生きています。趣味はゲームセンターのUFOキャッチャーですが、最近はやっていません。だって……夏休み中に実家に帰り、カナダ、四国に旅行をしに、そしてのんだくれる毎日。だからUFOキャッチャーやってるお金がないんです。早く春になって働きたいものです……。最後に。私を生んでくれた両親が大好きです。感謝しています 。来年からやっと人並みに親孝行ができそうです。そこだけは譲れません。頑張らせて頂きます。ありがとう。これからもありがとうって言いたい。



 みどりちゃんの撮影は最初は7月の中旬だった。すぐに続きを撮って仕上げたかったのだが、彼女が書いてるように夏休みに突入し、彼女が実家へ帰ったりしていて、それを待ってる間に夏の終わりに近づいてからになってしまった。しかしそれが良い意味で功を奏したと思ったのは、はじめは緊張してなのか表情もガチガチだったのに、2回目という事もあり、帰省して夏休みをたっぷりと満喫してきたせいか、すっかり日焼けして少しだけ大人っぽくなって帰ってきた彼女は、レンズの前でもずいぶんと慣れてきたみたいだった。

 安心して撮影がすすんだので、1ヶ月半もハラハラしながら待った甲斐があった。この誌上以降も3回、4回と良い表情が生まれるのが期待できそうである。あるカットを撮影中、偶然にも画面の中の良い場所に良いタイミングで鳥が入ってきてくれた。友人から借りたフィッシュアイレンズも久しぶりに使ってみた。これもパッと見でいかにも「はい、魚眼です!」というのを避けるよう努めてみた。どちらも拡大して探してみてほしい。

使用機材
Nikon D2X
AF DX Fisheye Nikkor ED 10.5mm F2.8G
Canon EOS 5D
EF 16~35mm F2.8L USM
EF 50mm F1.4 USM
EF 135mm F2L USM
EF 70~200mm F2.8L IS USM
Sandisk Extreme III




HARUKI
(はるき)1959年広島市生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。広告、雑誌、音楽の媒体でポートレートを中心に活動。
1976年 個展「FIRST」を皮切りに、多数の個展、グループ展を開催。1987年朝日広告賞グループ入選、表現技術賞受賞。1991年パルコ期待される若手写真家展選出。コラボ作品がニューヨーク近代美術館に、「普通の人びと」シリーズ作品が神戸ファッション美術館に永久保存。
2005年に個展「Tokyo Girls♀彼女たちの居場所。」を東京 渋谷、2006年に京都で開催。

2006/09/04 00:04
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