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連載バックナンバー
【Case-41】橋詰雅代の場合
[2007/03/19]

【Case-40】廣瀬友香の場合
[2007/03/05]

【Case-39】今泉麗香の場合
[2007/02/19]

【Case-38】朝日桂宜の場合
[2007/02/05]

【Case-37】佐藤恵子の場合
[2007/01/22]

【Case-36】足立浩美の場合
[2007/01/15]


2006年

【Case-13】笠井えり子の場合



 神戸で生まれ育ちました。今も神戸に住んでいます。3つ違いの妹がいますが、両親にとっては私が初めての子どもだったので、とても大事に育てられたように思います。公務員で仕事には厳しい父ですが、私の事をすごく溺愛してくれました。それは今も変わらないんですけど……未だに私が小学生だったころのように話しかけてきます。最初に出会った男性である父親がとても優しかったせいなのか、「怒る男性」というものに慣れなくて、大人になった今でも短気な男性が苦手です。普段は優しい人でも、ちょっと怒ると、その人に対してものすごくがっかりしてしまうことがよくあります。

 3歳からバレエとピアノを始めて、小学生のころはさらに書道、英会話と、毎日習い事に通っていました。どれも母親に勧められて、気がついたら習っていたという感じでした。特に「自分から習いたい!」と思って始めたものってなかったような気がします。バレエは発表会だけが楽しかった。この頃は、今からだと想像つかないくらいにダークな性格でしたたねえ。「子どもらしく振るまえば親が安心する」、「笑い方ってどうやればうまくできるの?」なんて、いつも考え込んでるような子どもでした。1人で本を朗読したり、踊ったりするのが好きだったんですけど、親からはよく心配されました。

 中学と高校の記憶はあまりないんです。ただ、小説を読むのが好きな、どちらかというと文学少女だったのは覚えています。太宰治が大好きでした。よく小説を書いて文学賞なんかに応募してました。


 大学は語学部に入りました。「日本語を外国語としてとらえる」日本語学科です。ここは日本語を自国で教えたい留学生が沢山いる学科だったので、いろんな国の人に囲まれて授業を受けられるのは、とても刺激的でした。私自身もその時は「日本語教師になりたいな」と思っていて、ニュージーランドのパーマストーンノースという小さな田舎町の大学に、1カ月の短期研修にいったりしました。大学2年のときに、初めて「人生って楽しいのかもしれない!」と思い始めました。ニュージーランドへ行ってからはいろんな事を話し合える親友がたくさんできたし、その頃、今では趣味になっている「写真」に出会えたことも大きかったです。

 友達が、新しいカメラを買うから、とキティちゃんがついているプラスティックのカメラを譲ってくれたんです。最初は特に興味がなかったんですけど、周りの人を撮っているうちに「好きな人は綺麗に」、「苦手な人は変に」写る法則に気が付いて(笑)。「相手との間にある気持ちって映るんだ!」と言う事を確信したくて、バシャバシャ撮っていました。その後は、「苦手な人の白眼の写真が増えてもしょうがないな」と思って、大切な友人、恋人、家族だけを撮るようになりました。そして、「いい顔」で写っているものを見せたときの相手の笑顔が見たくて、それは今も続いています。



 大学卒業後しばらくして、語学を習って日本語教師になれたらいいな、と、再びニュージーランドに行くことにしました。でも、淡い情熱で向かったのが原因だったんだと思うんですが、すぐに飽きてしまい、たった1カ月ほどで、日本に戻ってきちゃいました。オークランドという町だったけど、ホームステイ先の人から「5時には帰るように」と注意されていました。理由は現地人(マオリ)の犯罪者とかがいて夜はとっても危険だからという理由でした。

 渡航の2週間前に友人の知り合いに紹介されたある男性に出会っていたのですが、出会ったその日になんとなく「今、結婚がしたいんだよね」という話で盛り上がっていて、帰国後はすぐに結婚の準備にとりかかっていました。今考えるとおかしな流れです。10月に出会って、翌年の9月に挙式をあげました。新居は神戸だったのですが、半年ほどで相手の転勤が決まり、翌年3月に山陰地方の港町に引っ越しました。同じ海でも、瀬戸内海と日本海は驚くほど違っていました。気候から文化から方言すべてに慣れずに四苦八苦しました。その後体調もどんどん悪くなり、ベッドから起き上がるのも苦しい時もありました。それでも「何かしていなければ駄目になる」という焦燥感から、昼は英会話教室に真剣に通い、夜は学習塾の講師として仕事もしていました。その間だけは土地なんか関係なく楽しくて、何かから逃れられている気がしました。

 2年後、隣町への引越しの話が持ち上がりました。そのときに、私は「これが転機だ」と思いました。体調もまったく改善せず、自分自身や将来に不安ばかりを抱いていたところでした。「死んだように生きていくか」あるいは「死に物狂いで生きるか」。答えは最初から出ていたのですが、1人だけの問題ではないので、ずっと我慢して機会をうかがっていたんだと思います。「どうせ生きるんなら、もっと自分に正直に生きよう」即座に、自分の荷物だけ地元に送る手配をして、彼とは別れて神戸に戻ってきました。


 今は、友人の立ち上げた音楽レーベルの営業を担当しています。この仕事をしていて楽しいのは、いろんな土地に行けて、いろんな人に出会えること。まったく音楽には詳しくはないのですが、人と接すること、人に伝えることが大好きな自分には向いているし、順調に進んでいます。周りの方々に恵まれているのが大きいと思いますが、とにかく今は毎日が楽しくて仕方ないです。

 あと、旅行が大好きです! 初めて海外旅行に行ったのは19歳の時、エジプト、イスラエル、フランスをめぐる20日間のツアーでした。エジプトは物凄く感動しました。その当時はまだピラミッドの中まで入れたんです。でも今でも「あんなの人間が作れるなんて信じられない!」と思っています。

 バリ島は大学生のときに女の子2人で行ってからずっと虜になっています。この5年間で7回、行きました。最初はリゾート地に誰かと一緒に行っていたんですけど、最近は1人で現地の人の生活にもぐりこむ様な時間を過ごしています。今ではバリ料理はもちろん、お供えの作り方も知ってるんですよ。民族衣装も何着か持っていて自分で着られるほどです。あまりにバリ島が好きなので、母が「バリの人と結婚すれば?」といいますが、残念ながらそういう機会は未だなさそうです(笑)

 これから行ってみたい所は、まずはキューバです。3年ほど前からずっと行きたくて、本や映画や音楽に触れてみてはいるんですけど、やっぱり行かなきゃ分からないと思ってます。今年の年末から来年の春までには行けたらな、なんて思っています。そのために今スペイン語をちょっとづつ勉強中です。余裕があればサルサも練習してから行きたいです。もしもキューバに行けたら、次は南米を縦断するのが夢です。アルゼンチンとかチリとか……考えるだけで楽しくなってきます。そのために、今はしっかりお仕事をしてお金も貯めて、ゆっくりとお休みを取れるように頑張りたいです!!



 今週登場のえり子ちゃんは神戸から友人の音楽プロモーション仕事での上京中の合間をぬっての2日間の撮影、慌ただしくて申し訳なかった。初日は彼女の希望で上京者らしい王道の浅草観光地巡りをしてきた(笑)。2日目は生憎の梅雨の雨の中、髪や服もビショビショになりながらも、笑顔で乗り切っての撮影。頑張ってもらった。

 使用メインレンズはデジタル専用のAF-S DX Zoom Nikkor ED 17-55mm F2.8G(IF)を多用。他に初日の浅草撮影では、キヤノンから借りたEOS 5Dも使用。機材データに記載した以外にも他の撮影でもEF 16-35mm F2.8L USM、EF 28mm F1.8 USM、EF100mm F2 USM、EF70-200mm F2.8L IS USMも使ってみた。フルサイズデジタルカメラをはじめて使ってみたが、この数年ニコンの1.5倍換算の焦点距離に慣れていたので、同時に撮影する時には「コレって、こんなにワイドだったっけ?」とか、「200mmはもっとアップじゃなかった?」とか、ダイヤル位置、リングやレンズ交換の方向の違いに戸惑いながらもなんとか無事に(?)終了。トップ写真は今回はじめてキヤノンのEF 50mm F1.4 USMを使用。十数年ぶりに使ったキヤノンもなかなか面白かった。日本のカメラを世界的にしてきた伝統あるニコンのカメラ創りにおけるプロ意識やレンズの素晴らしさ同様、キヤノンならではのフルサイズ画面や女性の肌が自然に描かれる描写性能も気になりはじめ、購入意欲がかなり高ぶってきたのが個人的には困るなあ(笑)。

使用機材
Nikon D2X
AF-S DX Zoom Nikkor ED 17-55mm F2.8G(IF)
Ai AF Nikkor 35mm F2D
Ai AF 50mm Ff1.4 D
Ai AF Nikkor 85mm F1.8D
AF-S VR Zoom Nikkor ED 70~200mm F2.8G(IF)
Canon EOS 5D
EF 50mm F1.4 USM
EF 24-105mm F4L IS USM
Sandisk Extreme III




HARUKI
(はるき)1959年広島市生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。広告、雑誌、音楽の媒体でポートレートを中心に活動。
1976年 個展「FIRST」を皮切りに、多数の個展、グループ展を開催。1987年朝日広告賞グループ入選、表現技術賞受賞。1991年パルコ期待される若手写真家展選出。コラボ作品がニューヨーク近代美術館に、「普通の人びと」シリーズ作品が神戸ファッション美術館に永久保存。
2005年に個展「Tokyo Girls♀彼女たちの居場所。」を東京 渋谷、2006年に京都で開催。

2006/06/26 00:00
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