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【Case-12】青木沙弥香の場合
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2001年8月から1年間、アメリカのカンザス州ローレンスの大学への留学をしていました。アメリカに留学したのは勉強をしたかったんじゃなくて、当時すごく好きな彼氏がいて、その彼が向こうへ行ってしまうことになったから。離れ離れになるなんて考えられなかったので、1年かけて両親を説得して留学しました。今思えば、彼氏を追いかけて海外に行くなんて、「若かったなぁ……」って感じです。でもあの当時は本当に一生懸命で、親から許可が出た時は本当に嬉しかったな。
でも異国での生活や男女の仲はそんな簡単にうまくはいかなくて、結局は色んなことが積み重なって、その彼とは別れました。別れたら、私にとってはアメリカにいる意味もないので即帰国。彼への気持ちを断ち切る為にTattooまで入れて。胸元にあるこのTattoo。よく「蝶々??」って聞かれるんですけど、これ「羽根」なんですよ。胴体がないの。「私だけの羽根」にしたかったから、胴体はあえて刻みませんでした。
アメリカでの生活で1番楽しかったのは、やっぱりPartyやClubとかに、友達と毎週出かけてたことかな。向こうでは大学の寮に住んでたんだけど、アメリカ人の子、リンゼイとルームシェアだったのね。で、その子はココでは話せないくらい変わってたんだけど、すごくいい子だったの(笑)。行って間もない英語がまったく話せない私を、積極的に外に連れ出してくれたんだ。そのおかげで、外に出ていろんなアメリカ人と知り合いになるのが楽しくてしかたなかった。帰国してからずいぶんたったので、その子とはもう何年もあってないけど、いまだにメールをしたり、お互いの誕生日にはプレゼントを送りあったりしてる。あの子がルームメイトじゃなかったら、アメリカはあんなに楽しいものにはならなかったと思うなあ。
逆に向こうで暮らしていて1番辛かったのは、太ること。学生寮のカフェテリアで食事をすることが多かったんだけど、ハンバーガーやステーキ(カンザス牛で有名な場所です)などどうしても肉がメインだったり、野菜サラダもかかってるドレッシング自体がカロリーが高かったなあ。しかもアメリカ人って、やっぱり日本人に比べると太ってるでしょ?? だから自分が太っても、実感がまったくないの。で、私もつられてどんどん太る、みたいな(笑)。最終的には10kgぐらい太ったかな~。それでもジムに行ったり走ってたりしたから、そんなにはヤバくないだろ~って思ってたんだけど……。
帰国した時に、一番仲の良い友達がわざわざ空港まで迎えにきてくれたんだけど、まず久しぶりに顔を会わせてからの一言目が「おかえり~!!」じゃなくて「さやか、マジ太った~!!」だった時に、やっと本当のヤバさを実感できかたな。でも、ダイエットする必要もなく、帰国して2カ月ぐらいで自然に元の体重に戻ったんだよね。アメリカの食事って本当に太りやすくて、日本食は、本当にヘルシーなんだな~って身をもって体感できた。心配して損しちゃった、やっぱり安心して食べられる日本食が一番良いな(笑)。
今は、派遣で事務職をしています。今までの仕事はショップ店員とか、エステティシャンとか、外見が重要視される仕事だったから、一緒に働いている女性達も髪型やメイクなどに気を遣って「キレイになろう!!」ってゆー意識が常にあった。事務職とかになると、電話の応対がメインになり、話をするのも社内の人ばかりで他人と接する機会が極端に減るし、刺激もない。まわりの人が頑張ってると自分も張り合いっていうか、「負けられない!!」って思うけど……。
毎日が同じことの繰り返しだから、自分に対しての向上意識も前よりはなくなる。そーゆー意味で、事務職ってあんまり好きじゃないのかもしれない。あ、でも週末にはちゃんと休めるのと、お給料が前の仕事よりいい点だけは好きかな。アメリカ生活での失敗の二の舞にならないように、太らないようにするのが大切かなあ(笑)。
「あおきさやか」って名前はもちろん本名ですが、同名のあの女性芸人が売れ始めてきた頃からは、病院とか役所みたいなフルネームで名前を呼ばれる場所にはかなり行きづらくなりましたねえ。絶対にみんなが振り向くから。本人でもないのに恥ずかしさと同情の目から逃れる為に、帽子とサングラスが必須アイテムになりました。みんなに覚えてもらうのは便利ですけど、芸能人じゃないのでありがた迷惑です(笑)。
私の「沙弥香」ってゆー名前は、パパがつけてくれたらしいです。パパがどうしても「香」っていう字を付けたかったらしくて。色んな候補が上がったけど、「さわやかで」、「やさしくて」、「かわいい」女の子に育つようにっていう願いを込めて、「さやか」って名前をつけたって言ってました。今では「どれもかなわなかったよ、まったく……」なんて言われてますけど(笑)。
さやかの撮影は昨年のちょうど今頃にスターしたが、その後梅雨などの悪天候が続いたうえに、ボクのスケジュールの都合で伸ばし伸ばしになってしまった。紫陽花の季節に始まり紫陽花の季節に終了。約1年かけての撮影、長い間お疲れさまでしたー。
昨年のスタート時の機材はブローニーの銀塩カメラがメインでサブ機のD70やD100からのスタートだったが、今はデジタルばかりでD2Xがメインへと移行。レンズもずいぶんといろんな種類を使用してきたものだ(笑)。
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さてここからは先週始まった「レコードジャケット」の話の続き。デビッド・ボウイを始めとする数々の有名ミュージシャンを撮影した鋤田正義さんの作品のほかにも、素晴らしい写真家の作品に次々と接することとなった。そして田舎の音楽大好き写真少年は友人たちをモデルに真似をして写真を撮り、「ジャケ写ごっご」をしたものだった。
柔らかいモノクロームトーンの作風で有名なノーマン・シーフはその頃のアメリカを代表するカメラマンのひとり。初期のシーフは、中でもLAを中心としたウェストコーストサウンドのミュージシャンの撮影が多かったような気がする。ジョニ・ミッチェル、エリック・カルメン、リッキー・リー・ジョーンズ、ローリング・ストーンズ、バリー・ホワイト、カーリー・サイモン、ジェームス・テイラー、ザ・バンド、イーグルス。パット・メセニー・グループ、ジョー・サンプル、今は無きジャコ・パストリアス、レイ・チャールズのラストアルバム「ジーニアス・ラブズ・カンパニー」等々も有名だが、そのどれものレコードジャケットが洒落たバーや部屋のインテリアとして飾られて来たものばかり。優しい光で包まれているモノクロの世界。その後、彼は同じ手法で女性ヌードなども手がけることになっていく。まさに毎日眺めるために、目の前に飾りたくなるような写真そのものだと思う。
西海岸からスタートしたがニューヨークなどの東海岸のミュージシャンはもちろん、ヨーロッパまで、つまりワールドワイドへと、そしてロックからジャズ、ヌードまでと幅広く多くのミュージシャンやタレントとの撮影をした写真集「Hot Shots」や「Sessionns!」などが、日本でも発売されているので興味がある人はどうぞ。個人的には青春時代の真っ只中に買った、イーグルスのメガヒットアルバム「ホテル・カルフォルニア」のインナースリーブの5人のポートレートが一番好きだった。
シーフと同じようにモノクロをメインに撮影する写真家だが、アメリカではなくヨーロッパからミュージックシーンに台頭してきたアントン・コービンは、シーフとは対照的な作風で素粒子で強烈な陰影世界。ハードな感じの表現が売りであった。殊にU2とのコラボレーションは、彼らが売れ始めた頃からずっと一緒に撮影をしてきているので、U2の歴史の生き証人のようなものだし、彼らの独特のハードなイメージはコービンが映像プロデュースしてきたともいえる。コービンは、元は「NME」という英国の音楽誌の専属カメラマンとしてスタートしたオランダ人。一説には彼の父親が厳格なプロテスタントの牧師であるとか。コービンが創り上げる世界観は「開放的」というよりも「禁則的」な、人の心の奥底にある「暗い影」のような映像はどこか宗教的な翳りをも臭わせる。ジャンルも目的もはまったく違うがドキュメンタリー写真家のセバスチャン・サルガドが過去に撮ってきた、アイルランドの農村での宗教儀式の作品とも共通する何かを思わせる。一言でいうのは難解だが、誤解なきことを願って敢えていうなら、ボクは「哀しみの色気」とも感じる。
現在ではもちろんカラー作品やミュージックビデオも数多く制作。U2やデペッシュ・モードの他にも、メタリカ、エコー&ザ・マニーメン、ピーター・ガブリエルやニルバーナなども手がけているのでも有名だ。ブライアン・イーノをプロデューサーに迎えて1987年発表されたU2のアルバム「The Joshua Tree」からのシングルカット「With Or Without You 」がヒットチャートを賑わし、彼らは世界の頂点に立っていた。
この年の初夏からボクは、編集者と一緒に仕事とプライベート撮影の両方のため、飛行機とレンタカーでアメリカ本土を2カ月かけて廻ったのだが、どこの州でも、すべてのFM局からWith Or Without Youが「もういい、嫌いっ!」と思うくらいに毎日毎日何十回も繰り返し流れ、聴かされていた。旅の途中、ひと儲けしようと立ち寄ったラスベガスで何やらたくさんの人が集まっていて、重厚な機材車やクレーンがあったので「エイガかコマーシャルかナニカのサツエイ」をしているのはわかったが、英語を理解できないボクたちはメガホンで誘導されるまま歩いていたら、知らない間に数百人のエキストラ達の間に紛れ込んでいた。帰国後、しばらく経ってMTVで放送されたPVを見たら、それは数カ月前にベガスで見た人たちとあの風景。偶然にもU2の新曲クリップの撮影現場にいたことがわかった。何台ものカメラ機材や大量のフィルムが入ったボロボロのバックッパック姿で旅する東洋人のボクたちは、カットされていたけど(笑)。映像はもちろんアントン・コービンの作品だった。次週へつづく。
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使用機材
Nikon D2X / D100 / D70
Sandisk Extreme III、Lexer 80X
AF-S DX Zoom Nikkor ED 12-24mm F4G(IF)
AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-70mm F3.5-4.5G(IF)
Ai AF-S Zoom Nikkor ED 17-35mm F2.8D(IF)
AF-S DX Zoom Nikkor ED 17-55mm F2.8G(IF)
SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC
Ai AF 50mm Ff1.4 D
AF-S VR Zoom Nikkor ED70-200mm F2.8G(IF)
Ai AF Zoom Nikkor ED 80-200mm F2.8D
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HARUKI (はるき)1959年広島市生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。広告、雑誌、音楽の媒体でポートレートを中心に活動。
1976年 個展「FIRST」を皮切りに、多数の個展、グループ展を開催。1987年朝日広告賞グループ入選、表現技術賞受賞。1991年パルコ期待される若手写真家展選出。コラボ作品がニューヨーク近代美術館に、「普通の人びと」シリーズ作品が神戸ファッション美術館に永久保存。
2005年に個展「Tokyo Girls♀彼女たちの居場所。」を東京 渋谷、2006年に京都で開催。 |
2006/06/19 00:01
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