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連載バックナンバー
【Case-41】橋詰雅代の場合
[2007/03/19]

【Case-40】廣瀬友香の場合
[2007/03/05]

【Case-39】今泉麗香の場合
[2007/02/19]

【Case-38】朝日桂宜の場合
[2007/02/05]

【Case-37】佐藤恵子の場合
[2007/01/22]

【Case-36】足立浩美の場合
[2007/01/15]


2006年

【Case-11】上村星の場合



 私の名前「星」と書いて「せい」と読みます。「星」って名前、昔は嫌いでした。だって、誰からもちゃんと読んでもらえないし、上にいる年の近い兄2人と兄弟3人似たような名前で、小さいころから3人一緒にされて呼ばれてたから。

 みっつ年上の兄は「海」、年子の兄が「陽」、そしたら女の子が生まれちゃったから星ってなったみたいで。ようは母親の思いつきと兄達からの流れでついた名前。だからか、小さい頃はごく普通の「子」や「美」のつく名前の友達がうらやましかった。

 でも高校に入ってからかな。誰も友達のいない女子高に進学して、初めて自己紹介をしたときに「かわいい名前だね」って言われたのがきっかけで、自分の名前に自信を持つようになったのは。こんなめったにない名前、流れでつけたとしても、今は親に感謝しています。

 私の生まれたところは熊本でもすっごく田舎で、集落17軒中14軒が同じ名字のSさんばかりです。そこは本家を中心に栄えた昔ながらの古い家達。残り3件中2件がまた同じ名字のFさん。そこも実はSさんとは親戚になる。

 つまり私のうちだけ他所ものってこと。おじいちゃんの両親がそこに来たのは実は100年ほど昔の話。100年経ってもいまだに他所ものという、昔ながらの村八分に近い状態が実はいまだに残っている地域です。お葬式はもちろんみんなで力を合わせてやるし、特別な寄り合いはとても多い。農業をしている家が多いせいか、商売をしている私の父に対しての目線は厳くて、たとえば新しい車を買ったりするとたちまち噂になり、陰口を云われたり、他所ものの家が良い生活をするのは許せない人達ばかり。さらに「マスオさん状態」の私の父に対してはなおさら人の目は冷たいもの。この閉鎖的な田舎が私は大っきらいだった。

 我が家には代々、猟犬のビーグル犬を飼っていて、小さい頃から常に傍に居る存在でした。それを、散歩で離していた時に近所の人が毒だんごを与えて、犬たちは次々に死んでいった。それを知ったのは私が大きくなってからだけど、その事件以来、近所の大人を小さい頃見ていたようにはもう見られなくなりました。


 まわりの家との関係はそんな事ばかりだけど、やっぱり私はここに生まれて良かったんだと思う。だって普通の人ができない体験をたくさんできた。小学校まで4kmの道のり。低学年の時は走って4km通学していて、死ぬかと思うくらいきつかったけど、弱音を吐いたら怒られたので泣かない子どもだった。

 その反動があってか、自分が高学年になって班長になった時は、後輩たちには基本的にユルかったです。集合も遅くて、走らないし怒らない。自分がきつかった事は下にはさせたくなかった。学校までの道のりはとにかく暇。夏は彼岸花を班旗で折りながら歩く。木に登って足で蹴ればクワガタやカブトムシに紛れて、ムカデ、ヤスデ、蜂なんかももれなく一緒に落ちてくる(笑)。まわりにある自然すべてが遊び道具だった。山の斜面で段ボールを使って滑ったりもした。野いちごもよく食べた。稲刈り後の田んぼでも走り回った。

 私が生まれた所は年寄りばかりで、買い物に出かけられない人が多かったので、町のスーパーが車に食品積んで集落の中心にあるお堂さんの前に売りにきたりもしていたので、いつも夏になると、プールから自転車をたちこぎで濡れた水着のままトンボ帰りをして、駄菓子を買い漁ってました。田舎の子供の唯一の楽しみがこれで、だいたいの目当てはビックリマンチョコ。このシールを集めるのがとにかく流行っていた。粉と粉を混ぜ合わせると不思議な合成着色料の色と味のするお菓子なんかも妙に惹かれたなあ。

 これだけだと、なんだか昭和の昔の子供みたいだけど、ちゃんとテレビゲームの世代でもありました(笑)。でも今思えば外に居る事が多くて、ちゃんと外で遊べる子供だった。都会の子ができないような体験と、誰でもがしている体験の両方ができたこと。今でも季節を感じるのは草のにおいだったり、湿気だったり。今でも季節の移り変わる感じがわかったりとするのは、田舎で育った良い経験があったからでした。



 偶然にも彼女はボクの学校の後輩だ。しかも学生時代に大変お世話になった教授陣や、よく通っていた喫茶店のマスターその他、深い関係だった共通の知り合いがたくさんいる事がわかったのには驚いた。彼女は高校から写真を撮り始めたのがきっかけで、現在は福岡の大学での作品制作で主にセルフポートレートを熱心に撮っている。就職活動の一環で上京した折りの、大変忙しい中での撮影だったが頑張ってくれた。感謝!!

 「大学4年の今は卒業制作と、資格の勉強と、就職のこと、秋にある写真展の事で頭がいっぱい。将来は……やっぱり写真を撮っていきたいかな。私にはこれしかないし、今の私から写真をとったら何も残らないだろうし(笑)」。

 本人が語っているように、もしかしたら将来、すごい女性カメラマンになるかも知れない。今のボクたちプロの仕事を奪わない程度に頑張って欲しいと思う(笑)。


 ちょっとした思い出話しを数回に渡って書いてみようと思う。ボクが人物写真を撮りたいと思ったきっかけのすべては、レコードジャケットへの興味からだった。カメラを手にしたのは音楽を聴き始めたのと同じ頃、中学生だった1970年代の前半。当然ながら今のように小さなCDは存在していなくて、30cm角の正方形サイズのジャケット写真、歌詞カード、4つ折りや8つ折りにたたまれて入っていた綴じ込みポスターetc.

 当時、好きだったロックバンドやフォークシンガー達のポートレート写真に強烈に惹かれた。レッド・ツェペリン、エアロスミス、ディープ・パープル、エルトン・ジョン、ミッシェル・ポルナレフ、T-レックス、イエス、デビッド・ボウイ、ジョン・レノン(何故かビートルズではなかった)、ローリング・ストーンズ、ピンク・フロイドetc.

 時代はベトナム戦争末期から終結への時代。欧米でも日本でも若者が主権を動かそうとしている中、パワーを持った表現手段としての数え切れないくらいたくさんの素敵な音楽(レコード)があった。ロックが大人社会でも少しずつ認知される頃でもあり、相次いで創刊された音楽雑誌などでの発表作品ももちろん多かった。日本のフォークシンガーたちもたくさんいたのだが、現在進行形で直接仕事に関わっている人たちも多いので、ここでは敢えて名前は伏せておこう(笑)。

 そのどれもが音楽は当然ながら、彼等の独特な個性を持った風貌、そして撮影したカメラマンたちの誰もがスターになっていった時代だった。日本人カメラマンとして音楽の世界で最初に世界的に有名になった中に、デビッド・ボウイの超ヒットアルバム「Heroes」などで知られる鋤田正義さんがいる。鋤田さんの撮る写真はミュージシャンのただのポートレートに留まらず、ロックのビートそのものを映し出していると感じた。デビッド・ボウイ以外にも数々の有名ミュージシャンからのオファーがくるのも肯ける。とても力強くて、しかも美しいトーンの中にミュージシャンの個性を表出していた。

 そんなレコードジャケットを手にしながら、部屋の壁に貼ったポスターを眺めたりしながら毎日毎日、音楽を聴いていた田舎の写真少年は、いつかは自分もそういう写真を撮れるようになりたいなあと憧れていた。あれから約30年経った現在でも決して色あせることはなく、ロック史上を代表するレコードジャケットの1枚である。次週へつづく。


使用機材
Nikon D2X
Sandisk Extreme 3
AF-S DX Zoom Nikkor ED 12~24mm F4G(IF)
AF-S DX Zoom Nikkor ED 17~55mm F2.8G(IF)
Ai AF 35mm/f2 D
Ai AF 50mm/f1.4 D
Ai AF 85mm/f1.8 D
AF-S VR Zoom Nikkor ED70~200mm F2.8G(IF)




HARUKI
(はるき)1959年広島市生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。広告、雑誌、音楽の媒体でポートレートを中心に活動。
1976年 個展「FIRST」を皮切りに、多数の個展、グループ展を開催。1987年朝日広告賞グループ入選、表現技術賞受賞。1991年パルコ期待される若手写真家展選出。コラボ作品がニューヨーク近代美術館に、「普通の人びと」シリーズ作品が神戸ファッション美術館に永久保存。
2005年に個展「Tokyo Girls♀彼女たちの居場所。」を東京 渋谷、2006年に京都で開催。

2006/06/12 00:00
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