コーワPROMINARの世界 高画質マイクロフォーサーズレンズの秘密を探る

この高性能レンズは一体?
マイクロフォーサーズ界の新星「プロミナー」とは

知る人ぞ知るメーカー“コーワ”、その技術と歴史を紹介

OM-D E-M5 Mark IIに装着しているのが、KOWA PROMINAR 25mm F1.8。中央のレンズはKOWA PROMINAR 12mm F1.8、右端がKOWA PROMINAR 8.5mm F2.8。

「コーワのプロミナー(PROMINAR)が復活!!」このニュースを聞いて私は我が耳を疑った。デジタルカメラで写真を始めた読者の方は何とも思わないかも知れないが、私のような50歳代半ばを迎えたカメラファンにとってプロミナーは特別な存在である。

この記事の後半で説明する通り、古くは6×6判二眼レフのカロフレックスで解像力の新記録を達成、さらに広角専用機のカロワイドやコーワSWで絶賛を浴びるなど、プロミナーは、まさにレンズ界のレジェンド・オブ・レジェンド。まさかプロミナーの描写がデジタルカメラで味わえる日がやって来るとは夢にも思わなかった。

今回発売された3本のプロミナーレンズは、往年のプロミナーの流れを汲む興和光学株式会社が設計、製造したものだ。

レンズを手にして最初に感動したのは外観デザイン。特にピントリングのローレットの刻み方などは、往年のプロミナーレンズそのもの。もちろん鏡筒はオール金属製で、カムのトルクも適度で使っていて心地が良い。

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8。35mm判換算で焦点距離17mm相当の超広角レンズ。カラーはシルバー、ブラック、グリーンの3色が選べる。
焦点距離24mm相当のKOWA PROMINAR 12mm F1.8。同じく3色をラインナップ
KOWA PROMINAR 25mm F1.8は、焦点距離50mm相当の標準レンズ。

当然のことだがプロミナーを名乗るだけあって描写力は抜群である。

まずびっくりしたのは、2本の広角レンズのディストーションの少なさ。ほぼゼロと言えるレベルまで補正されているばかりか広角レンズに付きものの周辺減光もほとんどない。そして25mmの緻密な描写力と美しいボケ味は息を呑むばかりだ。

次の作例を見て欲しい。

東京駅ドームを下から見上げて撮影。35mm換算で17mmに相当する超広角レンズだが、画面上部の梁にまったく歪みがなくディストーションが良好に補正されていることが分かる

KOWA PROMINAR 8.5mm F2.8/E-M5 Mark II/F4/1/50秒/ISO1600/0EV/WB:オート/仕上がり:ナチュラル

逆光で撮影しているがフレアによる画質の低下がなく全体に透明感のあるクリアな描写だ。周辺光量不足の影響もほとんどない。

KOWA PROMINAR 12mm F1.8/E-M5 Mark II/F5.6/1/50秒/ISO200/+0.7EV/WB:オート/仕上がり:ナチュラル

逆光で透き通った木蓮の花の質感が見事に再現された。背景のボケ味も自然で美しい。

KOWA PROMINAR 25mm F1.8/E-M5 Mark II/F2.8/1/1,000秒/ISO200/+1EV/WB:オート/仕上がり:ナチュラル

今回から、マイクロフォーサーズ用レンズとして復活したプロミナー製品の魅力に迫りたい。

まずはプロミナーを生み出したコーワ(興和)の歴史だ。コーワが伝統ある光学メーカーであり、プロミナーの性能がその歴史に裏打ちされたものだとご理解いただけるだろう。

映写機レンズの国内シェア90%!

コーワ(興和)の歴史は、愛知県名古屋市で1894年に創業した綿布問屋「服部兼三郎商店」に遡る。

最初は近隣で生産される知多木綿などの集荷を行っていたが、1912年事業拡大とともに株式会社服部商店に改組、自社工場を新設し、総合繊維商社への道を歩み始める。また創業者の服部兼三郎はトヨタグループの創始者である豊田佐吉と親交があり、自動織機開発の際、援助を惜しまなかったことでも知られている。

この後、株式会社服部商店は海外にも販路を拡大。インド、ベトナム、中国、チリに事務所を開設するまでになる。また1939年商事部門と紡績部門を分離して株式会社カネカ服部商店を設立。これら両部門が現在の興和株式会社と興和紡績株式会社に発展する。

第二次世界大戦により、綿紡績設備の大半を失った興和が選んだ道は経営の多角化。「光学」と「医薬」を二本柱に据え戦後復興がスタートする。

まず光学分野では海軍豊川工廠の技術者をスカウト。1946年に蒲郡の大成兵器跡地で興和光器製作所が産声を上げた。旧日本軍の技術を平和産業へ転換したという意味で、日本光学(現ニコン)と良く似た事例と言えるだろう。そしてその翌年には陸軍衛生廠出身者の協力を得て、興和紡績矢田川工場内に興和化学名古屋工場が設立された。

興和光器製作所が最初に手がけた製品は眼鏡用レンズで、やがてオペラグラス、映写機用投影レンズになどに事業を拡大する。

プロミナーの名前が最初に与えられた映写機用レンズ。1950年代前半には国内シェア90%を占めたという。

このとき映写機用レンズに与えられた名前がプロミナー(Prominar)。「卓越した」を意味する英語のprominentから名付けられた。これが今回のメーンテーマであるプロミナーレンズのルーツである。

そして1952年代になると、後に東京オリンピックの射撃競技で活躍するスポッティングスコープが登場する。

スポッティングスコープTS-1(1952年)
興和初のスポッティングスコープ。36年間製造されたロングセラーで、東京オリンピック(1964年)の射撃競技でも公式採用された。
後にスポッティングスコープもプロミナーブランドを採用。最近のバードウォッチングブームでは定番商品となっている。

カロワイド、コーワシックス…名機続々と

興和がカメラ事業に参入したのは1954年、二眼レフのカロフレックスI型が最初の製品である。

カロフレックスI型(1954年)
興和が初めて発売したカメラ。フィルム装填はスタートマーク合わせ式セミオートマットで撮影用レンズは4枚構成のプロミナー75mm F3.5。このレンズはカメラ誌のテストで125L/mmの解像度を記録した。

ちなみに商品名のカロ(kallo)ギリシャ語の「美しい」の意味。すでにこの時、日本国内における二眼レフブームは終わりに近づいていたが、興和は高級タイプの商品で他社との差別化を図ろうとしたのだった。

このカメラはフォーカシングノブと巻き上げクランクを同軸上にレイアウトし操作性の向上を図ったほか、高解像度のプロミナー75mm F3.5を装着。特にこのレンズは当時のカメラ雑誌のテストで最高の解像度を記録、写真撮影用レンズとしてプロミナーの名声を確立することに成功する。

カロベックス(1959年)
6×6判のほか、マスクを交換すると645判、4×4判、28×40mm、35mmフルサイズの撮影ができる。ビューレンズがF3.5からF3になり、ファインダー像がより明るくなった。

そして1956年、興和初の35mmカメラ、カロワイドが登場。

カロワイド(1956年)
興和初の35mmカメラ。レンズはプロミナー35mm F2.8で、4群6枚構成の高級タイプ。ヘリコイドは直進式で距離計に連動するなどワンランク上を狙って開発された。

商品名のワイドが示す通り35mm広角レンズを採用したのが最大の特徴で、先行するオリンパスワイドと差別化を図るためレンジファインダーを搭載。独創性を追求する興和のポリシーが強く表れたカメラだった。

そして翌年には、プラネタリウム、個室型1分間写真機カロフォトスタット、一眼レフ用交換レンズ、ライカ用交換レンズ、8mmムービーカメラのカロ8ゴールド/シルバーも発表された。

このほか興和らしいユニークな製品として1959年発売のカロT85とT100が上げられる。この2機種は、それぞれ85mm、100mmの望遠レンズを固定式にしたレンズシャッター機。交換レンズ1本分の値段でボディごと買えるコストパフォーマンスの高さがセールスポイントになっていた。

また同年にはレンズ交換式の最高級カロ140が登場。そしてこの翌年にはカメラのブランドがカロからコーワに変更される。

カロワイドP型(1956年)
カロワイドのピント合わせを目測式に変更した試作機。レンジファインダーを内蔵したカロワイドと同時に発表されたが発売は見送られた。
コーワSW(1964年)
レンズはプロミナー28mm F3.2。レンズ構成は4群6枚構成の高級タイプ。当時としては非常に珍しい28mm付きで、この画角はスーパーワイド(超広角)に分類された。ファインダーもケプラー型実像式の高級タイプ。
コーワラメラ(1959年)
16mm幅のカートリッジ入りフィルムを使用するカメラとラジオを合体させた商品。ラジオの「ラ」とカメラの「メラ」を組み合わせてこの名が付いた。トランジスタラジオやテープレコーダーを生産していた興和電気研究所とのコラボレーションの産物で、写真を見れば分かる通りボディのほぼ8割をラジオのスペースが占めている。
コーワキッド(1960年)
名前が示す通り、127フィルムを使う子供向け入門機。ピントは固定式で、シャッタースピードはBとS(約1/50秒)の2速。お天気マークで絞りを選ぶ。入門機とは言えボディはダイカスト製で、重量は370gもある。
カロシルバー(1957年)
専用マガジンにフィルムを詰めて装填する独自のシステムを採用した2本ターレット式8mmカメラ。姉妹機のカロゴールドには、シネマサイズの撮影ができるアナモフィックレンズが付いていた。
グラフィックジェット35(1961年)
興和はニコンに次いでアメリカに販売会社を設立するなど、早い時期から輸出に力を注いでいた。その一方でアメリカのグラフレックス社にカメラをOEM。センチュリーブランドでカメラを供給していた。なかでもジェット35はグラフィック社だけに供給されたオリジナルモデルで、ソーダサイホン用ガスボンベのガス圧を利用してフィルムを巻き上げる。またマミヤシックスのようにフィルム面を前後させてピント調節を行うなど、何から何までユニークなカメラだった。このほか国内未発売の輸出専用モデルには、4×4判一眼レフのコマフレックスS(1960年)がある。

1960年、興和はレンズシャッター式35mm一眼レフのコーワフレックスで一眼レフ市場に参入する。

最初の製品はシャッターを切るとファインダーがブラックアウトするタイプだったが、翌年発売のコーワフレックスEでクイックリターンミラーを実現。この後、国産初のレンズシャッター式プログラムAEを搭載したコーワH、レンズ交換ができるコーワSERに発展する。

コーワフレックス(1960年)
興和初の35mm一眼レフ。レンズは固定式でレンズ前側にコンバージョンレンズを付けて画角を変更する。レンズ名にプロミナーが使われたのは、このカメラまで。2機種めのコーワフレックスE以降、カメラと同じコーワブランドに統一される。なおシャッターはレンズシャッター式で、最終モデルのUW190まで、興和はレンズシャッター方式にこだわり続けた。
コーワH(1963年)
カメラのペンタプリズム部にセレン光式電池を備えプログラムAEを実現した。ボディ底部のトリガーボタンでフィルムを巻き上げる。
コーワSE(1964年)
セレン光式電池からCdSに露出計受光部を変更。測光範囲が広くなると同時に、より正確な測光が可能になった。またレンズの明るさもF1.9と明るくなった。
コーワSER(1965年)
興和の一眼レフとして初めてレンズ交換式を採用。マウントは専用バヨネット式で、28mm、35mm、50mm、100mm、135mm,200mmのレンズが用意された。
コーワSET(1966年)
外光式だったSEの測光方式をTTLに変更したモデルでレンズは固定式。
コーワSETR(1968年)
レンズ交換式のSERをTTL測光に変更したモデル。測光方式はSETと同じ開放/平均測光。

また1966年には、販売強化のため興和カメラ株式会社を設立。1972年には19mm超広角レンズを固定式にしたUW190が登場する。

コーワUW190(1972年)
19mm F4レンズを固定式にした超広角専用機。ボディはSERがベースで、興和最後の35mm一眼レフになった。

1966年のフォトキナでデビューしたコーワシックスは、国産初の6×6判レンズシャッター式一眼レフだ。

フィッシュアイ19mmから500mmまで、全部で10本のレンズをラインアップ。ミラーはクイックリターンではなかったが、フレネルレンズとコンデンサーレンズを併用した明るいファインダーが評判を呼びフィールドカメラとして活躍。さらにレンズシャッターの採用でストロボが全速同調することから、スタジオ撮影でも重宝された。

また1972年には、ミラーアップと多重露出を搭載したコーワシックスMM、翌年にはフィルムバック交換式のコーワシックスII型、さらに改良型のコーワスーパー66が登場、コーワシックスシリーズは国産中判一眼レフの頂点を極める。

コーワスーパー66(1974年)
フィルムバック交換式のII型にミラーアップ機構を追加したコーワシックスシリーズの最終モデル。引き蓋不要の独自の構造により、ボタンを押すだけでバック交換ができる。このモデルを最後に興和はカメラ事業から撤退した。

しかし1978年、急激な円高のため輸出が激減、カメラ生産中止を余儀なくされる。

興和から生まれたカメラ、レンズたち

こうして興和は34年間に渡ったカメラメーカーとしての歴史に幕を下ろしたが、その後も蒲郡の工場では、スポッティングスコープをはじめ映画用やビデオ用レンズ、眼底カメラなど医療用光学機器の製造を継続。コーワ/プロミナーで培った光学技術はこれらの製品に引き継がれた。今回紹介するマイクロフォーサーズ用レンズは、まさにコーワのDNAの覚醒と言えるだろう。

往年の名機の前に並んだマイクロフォーサーズ用プロミナーレンズ。こうして見るとフィルムカメラ時代のレンズを強く意識したデザインであることがよく分かる。

今回は主に、興和の光学メーカーとしての歴史を紹介した。次回からはマイクロフォーサーズ用レンズとして新たなステージを歩み出した3本の新生プロミナーレンズについて深く掘り下げることにしたい。

制作協力:興和光学株式会社

参考文献:戦後日本カメラ発展史(日本写真機工業会編)、コーワのすべて(カメラレビュークラシックカメラ専科No.40)

製品写真撮影協力:日本カメラ博物館、マルチカムラボラトリー テクニカルプロデューサー 渡邊聡

中村文夫

(なかむら ふみお)1959年生まれ。学習院大学法学部卒業。カメラメーカー勤務を経て1996年にフォトグラファーとして独立。カメラ専門誌のハウツーやメカニズム記事の執筆を中心に、写真教室など、幅広い分野で活躍中。クラシックカメラに関する造詣も深く、所有するカメラは300台を超える。