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Photographer's File

 #21:野村佐紀子

取材・撮影・文  HARUKI


野村佐紀子(のむら さきこ)
プロフィール:1967年山口県下関市生まれ。1990年九州産業大学芸術学部写真学科卒業。同年春より1年間、麻布スタジオに勤務。1991年より写真家・荒木経惟氏に師事。写真展は1993年の「針のない時計」1994年「裸の部屋」などを皮切りにこれまで20年間で約100回近くを開催。写真集は1994年「裸の部屋」、1997年「裸ノ時間」、1999年「闇の音」、2000年「愛ノ時間」、2002年「黒猫」、2005年「tsukuyomi」、2006年「近藤良平」、2008年「波動」、同年「夜間飛行」、同年「黒闇」などがある。
今月「0617 23:36」を100部限定で自費出版。今後暫くはこのスタイルで毎月発行予定。10月にはマッチ&カンパニーより写真集を発刊予定、現時点ではタイトル未定。



 一般的によく云われてる彼女の表現。男性ヌード、モノクローム、暗い画面、謎が多い。それはすべて当たっているだろう。

 ボクの中での印象は、ひたむきさ加減を出るほどの真面目人間。写真展や写真集が突然動き出す。迅速な判断能力。そして、やっぱり謎が多いひとだ(笑)



 こうやって面と向かってインタビューするって、なんか照れちゃうねなどと言いながらビールなど注ぐ(笑)。

 えーと、まずは皆さんに訊いてる、“写真を始めたきっかけ”などからお話をスタートしたいと思います。

「それはもうねー、あまりにも残念すぎるお話しなので、例えば“形見のカメラが……”とか、本来ならばもうちょっと前に捏造しておくべきだったんですが(笑)」

「高校までは進学校に行ってたんですが、みんなが大学受験とかに向けて一生懸命勉強してる時に遊んでるわけですよ。だけど3年生とかの後半になってくると誰も遊んでくれないんですね。そんで私も大学行くってなるんですけど、時期的にもう限られていて高校からの推薦で行ける大学を探してたらその中にあったのが隣の県の九産の写真学科だったというだけなんです。それまでは写真とかカメラにまったく興味がなかったんですけど、入学してからはもうカメラマンとか写真家というものに将来はなるものだと決めていましたね(笑)」

 じゃあ、学生時代に目指していた、あるいは憧れていた、具体的なカメラマン像とかってあったの?

「男子と女子で考え方が違う部分もあるのですが、あくまでも私はワタシだから、そういうのってあんまり無かったです。例えばエルスケンの撮る写真は好きでした。だけど彼がどんな思想を持って、どんな暮らしぶりだったのかなんてことにはまったく興味が無く、ただただ彼の写真はよいなあってだけで。だから憧れとか目標とかの対象ではなかったですね」

「その後で麻布スタジオへ入った時にも、荒木さんのところへ行く時にもそうでしたが、みんなが“どうすんの?”って訊くんです。特に荒木さんの場合は弟子をとっていない人なので。だけど私の中では “私が最初にやればよいじゃない”っていう考えなので。男の子だとそうじゃないでしょう、女子的なんだと思いますが(笑)」

 スゲー! 潔いっていうのかなあ?グジグジしてる男を女々しいって呼ぶじゃない? アレの反対の意味で。むしろ男らしいです。サキちゃんが先輩だったら良かったのになー。絶対について行ってますよ(笑)。


梅雨の季節にお邪魔した撮影現場。金沢で知り合った頃から撮影をしているという男性はミノルさん。男のボクから見ても素敵な彼を今日はこのままヌードまで撮っていくらしい。後日、作品を見るのが楽しみだ。カメラはニコンFM2にモノクロフィルムが詰まっている。レンズは主に50mm、35mmだった。

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生い立ち

「普通のお家ですよ。父、母、祖母、兄、私の5人家族。両親は役所勤めの公務員で、兄は4歳上です。本州の最西端の町、山口県下関市の生まれです。例え話じゃなく本当に家の目の前は海だったんで、子どもの頃の夏には水着ですぐに飛び込むような環境でした」

「高校生の時、駅から家まで歩いて帰る約10分間は西に向かっているので、視界に入る風景のほとんどを占めるのが逆光の空なんです。風景を撮ったりすると何も無い空間が多いのですが、それはもしかしたら生まれ育った実家のまわりの環境が、無意識に影響してるのかとも今は思えます。こないだ実家へ帰った時に歩いてて、それを思い出しました。今でも町の景色があまり変わっていないまま残っています」

 西の空と海へ向かって歩く道。

 それは野村佐紀子の撮る風景写真の元となっている、原風景でもあるわけだよねえ?

「下関は三方向に海があるんですけど、私の家があるのは日本海側の海だから関門海峡を出たあたりで、夜は沖の方で大きな貨物船やタンカーとかが何隻も停泊してるんです。日が暮れて夜になる前の時間帯に、海と空の境目がだんだんわからなくなる薄暗い中に船の灯りが見えている。それを見て育った印象も大きいのかな」

 どんな少女時代を過ごしてきたんでしょうか?

「小学生の頃から、何かを作って誰かに伝える、という仕事を将来したいとは思っていました。例えば職人さんみたいなことでしょうね。ただ、それが具体的にどういう職業なのかまではハッキリとは思い浮かばなかったです。嫁姑家庭では世間一般によくある話で、母と祖母がよく喧嘩してるのを近くで見て育ったので、どっちの味方にもつきません状態で独立心が芽生えたのは早かったと思います(笑)」

「ですから小さい頃から、早く出たいとずっと思っていました。それは家に不満があるわけでもなく、下関が嫌いとかじゃなく、ただただ早く独立して自分一人で何かをやりたいという感覚でした。みんながアイドルに夢中になってる時期に、私はそうじゃなくって、興味対象は近くにいる男の子でした。ブラウン管の中のアイドルよりも、身近な男の子という現実的な事柄のほうに興味があったんですね」

海外のバレエ団などで活躍するコンテンポラリー・ダンサーの成澤幾波子さん。2008年には彼女の写真集も出している。現在はヨーロッパのチームに所属している彼女が夏休みで一時帰国しているタイミングで、野村さんとのフォトセッションが青山スタジオで行なわれた。夜遅くに短時間で撮影されたのはご覧のとおりのモノクロフィルムの山……この日もカメラはニコンだった。

麻布スタジオの1年間

「写真家になる、カメラマンになるっていうことは大学に入ってからはもうすぐに決めてたんですけど、就職活動をする3年生くらいの時期にいい就職先が見つからないまま過ごしてたんです。学校が九州ですし今と違ってネット情報もなかったので、東京まで足を運んだりして探してたんですがいいところがなくて」

「そしたらある日バイト先の喫茶店でコーヒーを飲みながらその話をしてたら、カウンターで隣に座ってコーヒーを飲んでた人が“だったら、ウチに来ればいいじゃない?”っていってくれて。その人が麻布スタジオでスタジオマンをしてる人で、たまたま同じ大学の先輩だったんです。それで、卒業と同時にまずは東京へと、出てきて麻布スタジオで働き始めたんですね」

「あの頃は、立木義浩さん、沢渡朔さん、大倉舜二さん、加納典明さんなど有名カメラマンの方たちがよくいらっしゃってました。麻布スタジオに居た1年間、ほとんどの撮影現場のライティングをメモしてて、カメラマンさんの本番が終わってその日の仕事が全部終了した後に、毎回それを自分で同じようにライティングを組み直してポラでテスト撮りしたものを貼り付けてストロボの出力や絞りなどの数値を記録に残してたんです」

「この間、そのメモ帳が出てきて、“スゴーイ、私!”って思いましたね(笑)。たぶんそれは、何かをこういう風に撮りたいっていう時のためにライティング知識とノウハウを付ける部分として当時はやっていたんだと思いますが、後になってそのことが実践でとても役に立っています」

「当時は世の中の景気も今ほど悪くなくスタジオの仕事はものすごく忙しかったので、当時の記憶はそのくらいしか無いんですけど、もうひとつ記憶してることに、ある日ランチのご飯を買いに外へ出た時に季節が夏になってたのに驚いたことを覚えています。当時は郊外の小金井に住んでいましたから、麻布スタジオのある広尾まで始発で来て終電で帰るか、スタジオに泊まりになるかのどっちかでしたから」

「態度の悪いカメラマンやタレントさんはいっぱいいましたねえ(笑)。だけどその事はイヤだとか辛いなんて全く感じなかったですね。目の前の仕事が忙しいのでそれをちゃんとこなしていくことと、自分の目標はもっと先にあるので、意識はそっちを向いてるんです」

「それよりもいろんな人が出入りするので、その人たちをよく観察して楽しんでたかなあ(笑)。たぶんレコード会社とかクライアント関係の人たちだと思うんですけど、スーツを着たエライ人たちが当時売れっ子だった20歳くらいの歌手がスタジオ入りするのを大勢でズラッと並んで待っているんですよ。そこへ登場した彼女はクルマから降りてきてすぐに椅子に座っているとか、不思議な光景だなあって思って眺めてました」

「有名人はたくさんいらっしゃいましたが、中でもある大物ロック・ミュージシャンはやはりスゴイ方でしたね。スタジオ入りの時間にちょっとだけ遅れていらしたんです。たぶん5分とかくらいだけ。その方はスタジオへ入って来るなり、ひとりずつみんなに謝ってまわられて、しかもスタジオマンの私たちにさえもひとりずつ謝られてるんですよ。もう本当に感動しちゃいましたね、スーパースターはやっぱり違うなーって(笑)」


荒木経惟さんの事務所へ

「学生時代やスタジオマン時代に将来とかを考えた時に、写真家として誰かから何かを学ぶという事が必要かどうかってことに対してつくづく疑問を思っていたんです。ならば一番の人がいいと。もちろん荒木さんの作品が大好きで尊敬もしていたんですが、未だ若かったからよい悪いとかはわからないんですよ。だけど、身体の中の違う細胞が何かを感じてるような気がしてたんです。そんな感じ方をするのは荒木さんの他には誰もいないんですよ」

「私の場合何かを決める時に、右か左かという比較の選択肢じゃなく、やるかやらないか、必要か必要じゃないか、という決め方なんです。つまり写真家の所で助手をさせてもらうというのは荒木さん以外にはあり得なかったんです。こっちが勝手に押しかけて行く立場だったんですけど(笑)」

「洋服や靴を買う時も、写真集のデザインを選ぶのもみんな同じで、“私はコレなんです” というやり方でずっときています。自分の中で何かを比べる、比較ということはあまり気持ちのよいものではないという認識はあるかな。All or Nothingです」


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 仕事でもプライベートの私事でも、野村佐紀子といえばヌードを多く撮影されているわけですが、そこの部分での違いっていうのはあるんでしょうか?

「ううん、基本的には違いはないですよ。滅多にないですけど、ごくまれにこの角度から撮って欲しいとかってちょっとだけ注文されることもなくはないですが。でもほとんどの場合は、プライベートと同じようなスタンスでやらせてもらっていますので、自分の中での違いというものはないんです」

「ただ広告のお仕事の時などでは、絵コンテとかはじめからでき上がり想像図があってのものですから、自分の意思とは関係なく切り抜き合成になったりする場合もありますよね。それは仕方のない決まり事だという認識です。例えば雑誌の仕事でパンとかを撮っているんですけど、全然OKですしね(笑)」

 似たような質問ですが、銀塩モノクロームという印象が強く実際に多いのですが、デジタルカメラも使われています。そこの違いというのはどうですか?

「まだまとまってないんですが、今回はじめて(個展としては)デジタルでやるんですけど、まあ、撮ってる分には変わらないっていうか同じですね。違いの部分というのはこのあいだも話しましたが、記憶の問題かも知れないですね」

「撮って1カ月後に上がった写真を見たときに、気分が写っているか、忠実に写しているかの違い。フィルムだと、撮った後にフィルム現像して、プリントしてと段階があって、1カ月後にその写真を見たときに時間や記憶を辿っていく行為で気分を感じるとかがあるんですけど、デジタルだと撮ってすぐにプレビューでも見れるのから、ああ、ちゃんと写ってるとかで終わってしまう印象が強いですね」

「それが馴染まなかったんですが、馴染まなかったなりに面白い部分があり、Photoshopにデータが出るじゃないですか。今度の写真集のタイトル“0618 23:36”というのも、実際にその時間じゃなくても操作しても面白い部分があるという、ある種新しく面白いツールを手に入れたような感じでデジタルを楽しんでいるというのはありますね。記録の時間操作をすることによって、記憶を作るみたいなことができるじゃないですか」

「デジタルは違う回路の媒体だと解釈すれば、今後うまく付き合って表現ができるんじゃないかと思えるようになってきました。例えばズラッと並べた写真を全部12時5分に撮りましたとかも面白いか知れないですね(笑)」


「写真を巡る連続トーク」というトークショーのシリーズをマッチ&カンパニーの町口さんを中心にゲストを迎えて新宿の文化学園大学ホールで開催されていた。その最後のゲストスピーカーが野村さんの登場だった。内容は今回の記事とも重複するので内緒です(笑)。

神奈川県川崎市麻生区にある「つくしの里」にて。野村さんたち、ヘアメイクさん、スタイリストさん、ライターさんたちは多忙な合間を縫って、月に1〜2度訪れてはお婆ちゃんたち、お爺ちゃんたちの素敵な笑顔を撮っている。ここではキヤノンEOS 5D他のデジタルカメラ、そしてキヤノンの銀塩一眼レフも活躍していた。

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制作中の写真集、そして最後の写真というものについて

「昔からずっと撮ってきていたヒロキくんという友人の男の子が亡くなってしまい、最初は彼のヌードシリーズの作品だけを集めて作るつもりでしたけど、亡くなってしまった人の写真を並べるというのは何か違うんじゃないかと思い始めてて。その後にも、別の友人で仲の良かったヨシくんという男性、香ちゃんという女性が立て続けに亡くなってしまったんです。みんなほぼ同世代の仲間で、香ちゃんは建築関係の仕事をしていてインドのプロジェクトの話を持って来てくれたひとで、私がインドへ撮影に行ってる間に亡くなっちゃったんです」

「成田に到着した足ですぐに暗室へ入って彼女の遺影にとプリントして御主人に渡したんですが、実際に使われたのは旦那さんが撮った素敵なスナップ写真でした。それを見て“なるほどなあ”って思い、写真家としての傲りのようなものに気付いて反省するいい機会でした。去年の東日本大震災以降にいろいろと思い直すことがあって、写真のセレクトや並べ方(見せ方)を変えて新しく作り直しているところです」

「遺影というので思い出したんですが、この本の写真は(“若き友人たちへ/筑紫哲也著”の表紙を見せながら)元々はecocoloという雑誌の仕事で撮影したものなんですが、筑紫さんご本人がこの写真を気に入ってくださって、“僕は写真が苦手だったのだけど、最後になるかも知れないすてきな写真を今回撮られてよかった、ありがとう”という主旨の手紙を頂いてたんです。その後に事務所の方から ”写真を遺影に使いたいからこのサイズでプリントして送ってください“ との連絡をもらったんですね。その当時には筑紫さんご本人もガンだとは公表されていなかったし、私も知らなかったんでどうしようかって悩んでいたんでそのままにしてたんです」

「筑紫さんが亡くなったのが2008年の秋 、私の個展“夜間飛行”のオープニングの日だったんです。パーティー中は携帯電話を置いてたんで、事務所からの連絡メッセージを後から留守電で聞いて、亡くなった後に写真を用意することになったんです。プリントを下さいって最初に言われた時に渡していれば、その中から選んでもらう時間もあったのになあーって」

「だけど当時は自分の中でまさか筑紫さんが亡くなるなんて、とリアリティーがなかったんだと思います。人にはいつか必ず訪れる、“最後”があるんで、そのための遺影の写真はご本人が一番喜んでくれるものを残したいと強く思いました。筑紫さんのことや、元々お婆ちゃん子だったのでお年寄りの写真を撮っていたも関係するんですけど、ヘアメイクさんとライターさんが介護のことをやられていて、老人たちのおめかしした写真を撮ろうということでスタイリストさんと私も加わって一緒にはじめたのがこのシリーズなんです」

「ウチのお爺ちゃんもそうだったんですが、それまで遺影というとたいていは昔の写真を探してその中から切り抜いて使うというものが多かったんですね。それはそれで良いのかも知れないですが、お婆ちゃんだって女性だから美しくありたいし、お爺ちゃんだっておしゃれしてハンサムなほうが良いじゃないですか。自分のお婆ちゃんも施設に入っているんですが、私は写真家なので寝たきりのお年寄りとかに少しでもおしゃれしてもらって、ご本人が納得する最後の写真を使ってもらえたらなという思いでやっています」

「ボランティアとかおこがましいものではなく、これはあくまでも自主撮影です。さっきの話にも出たウチのお婆ちゃんは今99歳なんですが、実は10年くらい前からビデオをまわしながら、戦前、戦中、戦後の歴史を辿っているんです。お婆ちゃんが居たハルピンへ代わりに父と一緒に行って来たんですが、父が小さい頃に父のお母さんである私のお婆ちゃんが“良い子にしてお留守番するんだよ”ってアイスキャンディーを買ってもらった記憶があるらしいんです。だから今回は祖母の代わりに私が父にアイスキャンディーを買ってあげました(笑)」

「有名な人の物語は本になったりテレビや映画になって語られるんですが、一般市民の話はあまり伝えられていないじゃないですか。だけど何でもない一般家庭の中での思い出とか、そういうのをきいてると面白い話がいっぱいあるんですよ。誰も知らない女性の話とか記憶にとどめておかなければと思いますし、その人の話から歴史を想像して顔を撮るという行為は貴重な体験になっています」


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福岡、「貘」での作品発表

「えーと、HARUKIさんもかなり縁が深い場所なのですが(笑)、福岡市天神にある“アートスペース貘”というお店で学生時代にバイトしていたんです。九州の現代美術ギャラリーとしては歴史も古く小さいながらも多くの作家を輩出してきた場所で大学の関係者や文化人などが集まる場所です」

「そこで1995年から現在まで毎年ずっと展覧会をやらせてもらっています。私にとっての存在としては、自分の中の実験的な場所として、何でもやってみたら良いんじゃない、ってことが若い時の私にとってはものすごく心強かったんです。だけど長くやっていくうちには、私もギャラリーのオーナーも、何でも良いというわけじゃないんですね、当たり前だけど(笑)。基本的には適切な判断でいってくれるし、悪い時には何にもいわないという感じでずっと続いています」

「時期的にも私が東京から下関に帰省する時には福岡空港を利用するので、展覧会の開催にはお盆休みの時期に合わせてスケジューリングしてもらっていますので助かっています(笑)。HOMEのような甘い関係とは違う意味で、次はなに? って感じできいてくれて、毎年必ず見てくれているという安心感を保てる場ではありますので、とても重要で程良い距離感でお付き合いしていただいている唯一無二のありがたい存在なんです。今後もずっと続けていきたいと思っています」



 彼女はお気に入りだという動物の足みたいなデザインのマルタン・マルジェラの靴。そしてソニア・パークとコム・デ・ギャルソンの軟らかい衣装を用意してカメラの前に立ってくれた。目の前にいるこの小柄な笑顔の素敵な女の子が、いったんカメラを持つと強烈なパワーを放つ暗闇の女王に変身するんだなあーって思いながらシャッターを切っている自分がいた。だけど、いったんカメラを置いたら可愛い女性に戻るから不思議だねえ、サキちゃん。こうやってまた女の人に騙されながら生きていくんだなボクは(笑)。



野村佐紀子ホームページ
アニエスベー写真展「THE SNAP CARDIGAN SHOW」アニエスb.
月刊

取材協力 今回の取材撮影使用機材
  • ペンタックス:645D、FA 645 55mm F2.8、SMC Pentax FA 645 75mm F2.8、SMC Pentax FA 645 150mm F2.8 [IF]
  • ニコン:D7000、AF-S ED 18-200mm F3.5-5.6 G VR
  • シグマ:8-16mm F4.5-5.6 DC HSM
  • オリンパス:OM-D E-M5、PEN E-P3、M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZ、M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 II R、M.ZUIKO DIGITAL 45mm F1.8、M.ZUIKO ED 75mm F1.8
  • サンディスク:Extreme Pro CF & Extreme Pro SDHC


(はるき)写真家、ビジュアルディレクター。1959年広島市生まれ。九州産業大学芸術学部写 真学科卒業。広告、雑誌、音楽などの媒体でポートレートを中心に活動。1987年朝日広告賞グループ 入選、写真表現技術賞(個人)受賞。1991年PARCO期待される若手写真家展選出。2005年個展「Tokyo Girls♀彼女たちの居場所。」、個展「普通の人びと」キヤノンギャラリー他、個展グループ展多数。プリント作品はニューヨーク近代美術館、神戸ファッ ション美術館に永久収蔵。
http://www.facebook.com/HARUKIphoto
http://twitter.com/HARUKIxxxPhoto

2012/8/28 00:00