与田弘志写真展「Something In The Air」
(c)与田弘志 |
与田さんは1960年代から、イギリス、そして日本でファッション写真の第一線で活動してきた。今回の展示は、拠点をイギリスから日本に移した1971年以降の作品で構成している。
そこには雑誌、広告として発表したものだけでなく、自ら撮りためた作品も含む。「自分がその写真にどれだけ関わったかを基準に選びました。どれも僕の作品と呼べるものです」と与田さん。約40年間にわたって撮影された作品だが、会場を一巡して驚くのが、どの作品もまったく古びていないことだ。
それは与田さんが流行の表層にまどわされず、時代のセンスを明確に捉えてきたからにほかならない。これが洗練ということなのだろう。
会期は2010年5月19日~6月28日。開館時間は10時~17時半。日曜、祝日休館。会場のキヤノンギャラリーSは東京都港区港南2-16-6 キヤノンSタワー1F。問い合わせはTel.03-6719-9021。
また5月29日は、作者による講演会が開かれる。要予約(Webサイトの申し込みフォームから申し込む)、入場無料。定員は先着300名。締切は5月27日。
与田さんにポートレート撮影をお願いしたら、脚立を持ってきて上り始めた | 1968年、イギリス「オブザーバー」誌の日本特集で、三島由紀夫、小澤征爾、武満徹、横尾忠則に出会い、日本への興味がわいた |
70年代前後からJUN&ROPEのイメージ広告、「anan」のロンドン特集、歌舞伎を取り入れた山本寛斎のロンドンでのファッションショー、西武百貨店の広告キャンペーンなどを手がけてきた |
■60年代のロンドンで写真家を志す
「好きな音楽、映画、本などを通して、自分に合ったものを身につけていく。それが写真を撮る時に、自分の考えとして出てくるんだ」と与田さんは言う。
高校を卒業後、1961年に父の転勤について、イギリス・ロンドンに渡った。そこではポップ・アート、モッズカルチャーなど、新しいファッション、文化、芸術が生み出されていた。「町にあふれていたエネルギー」に刺激され、写真を撮り始めた。
「敢えて自分から情報を仕入れようとしたことはない。自然とどこからか入ってくる。そして周りには、いつも何かをやろう、作り出そうとしている人がいて、そこから刺激や発想をもらっていた」
イギリスでは師事した写真家のデヴィッド・モントゴメリ氏であり、アーティストの横尾忠則氏、ファッションデザイナーの山本寛斎氏、編集者の椎根和氏などだ。
■順風満帆、それとも挫折の連続?
2つのアートカレッジで1年ずつ写真を学び、ロンドンの人気ファッション写真家だったデヴィッド・モントゴメリ氏のチーフアシスタントに就いた。当初、ファッションに全く興味はなかったが、アーヴィング・ペン、リチャード・アヴェドンの写真に惹かれ、関心を持ち始めた。
「2つ目に行った大学は写真だけじゃなく、物理や化学も必修で、単位を落として退学になってしまったんだ。それで急遽、仕事を探し始めたら、ちょうど彼のところに求人があった。日本人は真面目に働くという信用があって、すぐ採用してくれた」
(c)与田弘志 |
モントゴメリはファッションや広告で活躍しており、世界的なセレブリティたちやエリザベス女王のポートレートも撮影している。
「暗室、ライティング、クライアントとどう接するかなど、学校では教わらない技術的なことを学んだ」
1年ほど経った時、モントゴメリが昨日撮った写真を示して、感想を求めてきた。与田さんは正直に「マンネリに陥っている。新鮮味が感じられない」と答えたという。
「そうしたら『明日から来なくていい』って(笑)。その後、数週間、自由に暗室を使わせてくれ、それまで撮っておいた自分の作品をプリントした。出来上がったポートフォリオをモントゴメリに見せると、ヴォーグを紹介してくれ、仕事がもらえるようになったんだ」
■沈黙でモデルを揺さぶる
与田さんが撮影で重視しているのは、被写体とどのようにコミュニケートするかだという。
「モントゴメリは撮影中、一言も話さない。ただ僕と違ってフィーリングがある人で、ハンサムで背が高い。僕は話さないところだけ真似た」
与田夫人のブリットさんは1970年にモデルとして与田さんと出会い、以来、すぐれた被写体として与田作品に貢献してきた。ちなみに本展のポートレートの約1/4は彼女がモデルだ。
「緊張して面接に行くと、彼は真っ黒なメガネをかけて、ずっと黙ったままこちらを見ていた」とはブリットさんの証言。
(c)与田弘志 |
沈黙は相手からの反応を引き出すための手段の一つ。与田さんが狙うのは、被写体から不意に顔を出すシャープな部分だ。
「アーヴィング・ペンは相手が飽きるまで待ち、その時、出てくる何かを撮る。ある撮影では6時間黙っていたというエピソードを聞いて、カッコいい(笑)と思った」
独立してすぐ、フリーのアシスタントとしてアヴェドンの現場に入った時には、正反対の手法を目にした。アメリカの雑誌「LOOK」の仕事で、被写体はビートルズの4人だ。
「2日間かけ、メンバー1人ずつを違う時間に呼んでいた。アヴェドンは彼らと2時間ぐらい話し込み、最後の10分程度で撮影を済ます。凄いなと思ったけど、僕にはできない芸当だ」
■写真は自分のアンテナで撮る
撮影前、ある程度のイメージプランは頭の中で作っておくが、「自分のアイデアだけでは面白くない。その場に行って感じたこと、起きたことに反応して撮っていく」。作り込んだ中で、最終的にはスナップショット的に撮る。そこが最も重要なのだ。
「一緒にロケーションに行くと、彼は常に何かを探している。ただ何を探しているかは説明しない」とブリットさんが言うと、「自分が何を探しているか分からないから説明できない。見つかった時、分かるんだ」と与田さん。
見たことのないイメージ、普遍的な美しさは、セオリーの中からは生み出せない。選び抜いたパーツを配置し、その中で生まれた「一瞬」をつかみとるしかない。
「あくまでも写真は自分のアンテナで撮っている部分がある。自分の頭に入っているものが反応するかどうかなんだ」
(c)与田弘志 |
雑誌の仕事では、予算の関係でモデルを選ぶことは難しい。コミュニケートできない、反応できないモデルが来た場合は悲惨だ。
「その人を好きになろうって必死になる。意志がかみ合わないと、シャッターを押せないし、機材が壊れるんじゃないかと思う」
与田夫人に口止めされたので、ここだけの話にして欲しいのだが、一度は撮影の途中で帰り(その雑誌社からの仕事は途絶えた)、一度はモデルの顔を黒い袋で覆ったという。
■息子を10年前から撮影
自分のための作品制作は「ストレス解消」と言って笑う。遊びであり、気になるものをより深く観察し、発見していく作業のようだ。
梅干しに煮干しを刺した1枚がある。両方とも乾燥させた食品で、保存食だ。
「煮干しが梅干しパワーで生き返って、飛んでいくんじゃないかって想像した」
小さな牛の人形の上に、水の入ったビニール袋が吊り下げられている。
「自分の頭の上に、あんな大きなものがいつもあったらどんな感じがするのか。雨が地上に降らず、水が空の上で貯まっていったらどんなだろうと考えながら撮っていた」
(c)与田弘志 |
もう一つ重要なモチーフが、息子だ。10年ほど継続していて、近いうちに個展としてまとめる予定だという。今回も数点展示されている。
「彼のポートレートを焼いた時、現像液の中で目玉がふわっと浮き上がってきた。彼を撮ったはずが、一瞬、自分だと思ってしまった。その経験から、彼の中に自分と似た部分を探すようになって、撮り始めたんです」
それは単に日常を撮るのではなく、息子を相手にしたフォトセッションだ。
「自分がやりたいイメージを彼に突きつけたら、どんな反応が出るかを楽しんでいる。僕と彼の遊び。ただ自分の遊びを押し付けているだけかもしれないけどね」
センスで切り取る。与田さんの作品は、まざまざとその凄さを教えてくれる。
(c)与田弘志 |
2010/5/24 12:52