井本礼子写真展「箱庭の窓」(ギャラリー冬青)
実際の「箱庭」とは、好みの物を蓋のない箱の中に取り入れながら創ってゆく、小さな庭造りのような個人的世界である。日本での箱庭を創る文化は、江戸時代にさかのぼる。現代において「箱庭」は、人の心の様子を診ていくための心理療法の一つである「箱庭療法」として、特に日本で発達を遂げた。「箱庭」は人(作り手)の心を映す鏡であると考えられている。
真四角フォーマットのカメラで写真を写すとき、その四角く切り取られた世界(カメラのファインダーや正方形の写真)は、それ自体が四角い「窓」であるように見えた。私はカメラを手に外界を注意深く観察し、心に留った現実の一部を写し取る。それと同時に、写真を通して自己表現を試みる。(そして否応無しに、その写真イメージには、無意識の世界が多かれ少なかれ映し出される、という結果となる。)プリントされた正方形の写真を眺めるとき、「窓を通して外を見ながら、窓に映る反射を目にすることにより、自分の心の内側で起きている作用を知る」というような感覚が生ずる。すなわち、そのような「写真」は、自身にとっての「箱庭の窓」であるといえる。
写真をひとつのシリーズにまとめるとき、まず小さくプリントされた沢山の写真の中から、本当に気になるイメージだけを拾い集める。そして、それらの間に関係性を見い出しながら、写真のシークエンス作りに熱中する。自分自身の心を覗き込みながら、写真を通して一つのストーリーを紡ぎ出す作業だ。それらの写真を眺め直しては、写真イメージと、自分の心のヴィジョンに現れる新たな側面に気づき、何度も何度も、感じたままに写真を並べ替えてみる。納得がいくまで、その創造的作業は繰り返される。このプロセスもまた、「箱庭創り」にとても似ているように思う。そして、「写真」という一連の活動は、自分の「内的宇宙と外的世界」、もしくは「自己と他者」を繋げ得る新たな「窓」と化する。
「自己表現としての写真」の存在する意義は、作者本人の意識から作品が解き放たれたときにこそ、思いがけなく幅を増すことがある。「写真作品」が鑑賞を通し共有される時、その「写真イメージ」にまた新たな見方や意味が加えられるからだ。
今回のプロジェクトの写真が、観る人の心を個別に誘い出し映し込む「箱庭の窓」となり、作品の持つ小さな役目が果たされることを願ってやみません。
『箱庭の窓』展にようこそ。
(写真展情報より)
- 名称:井本礼子写真展「箱庭の窓」
- 会場:ギャラリー冬青
- 住所:東京都中野区中央5-18-20
- 会期:2012年10月4日〜2012年10月27日
- 時間:11時〜19時
- 休館:日曜・月曜・祝日
2012/9/20 00:00