気になるデジカメ長期リアルタイムレポート

PENTAX K-5 IIs【第4回】

KA/KマウントのMFレンズを使う

 前回とりあげた「Nokton 58mm F1.4」はKAマウント仕様のレンズだった。KAマウントはMF時代のペンタックスのマウントで、純正smc PENTAX Aシリーズのほか、コシナの製造したVoigtlander/Carl Zeissレンズなど、数多くの名レンズに採用されている。K-5 II/IIsをはじめとする現行Kシリーズデジタル一眼レフカメラには、それらKAマウント、あるいは更に古いKマウントのMFレンズも使うことができる。

今回ネタにするMF時代のsmc PENTAXレンズとK-5 IIsのそろい踏み。K 28mm F2、M 40mm F2.8、A* 85mm F1.4、A* 200mm F2.8、それにA 35-105mm F3.5ズーム。

 KAマウントの基礎であるPENTAX Kマウントは、前世代のペンタックス一眼レフが採用していたPENTAXスクリューマウント(通称Sマウント)を刷新するバヨネットマウントとして開発された。当時、旭光学工業(現在のペンタックスリコーイメージング)と西独カール・ツァイス(カール・ツァイス財団のレンズ製造部門)のあいだに技術交流があり、そのことから、実はKマウントはカールツァイスとの共同設計であるとする説もある。

Kマウントのフランジバックは後のヤシカ・コンタックスと同じ45.46mm。口径はKマウントが約45mm、ヤシカ・コンタックスが約48mmと酷似している。ヤシカ・コンタックスのツァイスレンズが元々Kマウントのために設計されたものだったと言われても、さほど違和感はない。

 レンズ製造を事業とするカール・ツァイスは、傘下のカメラメーカーであるツァイス・イコンが1971年にカメラ事業から撤退した事をうけ、日本のカメラメーカーと提携して競争力のある近代的一眼レフを発売し、そのカメラ向けにレンズを供給するビジネス展開を模索していた。その嚆矢となったのがPENTAXを製造する旭光学工業だった。

 結果的に両社の提携は不調に終わり、ツァイスの持つコンタックスブランドの一眼レフは、後にツァイスと提携したヤシカから発売されることになった。技術交流の成果として双方に残されたもののすべてが明らかにされたわけではないが、ツァイスレンズに近代的なT*コーティングが採用されたのは旭光学との交流解消後の事だ。PENTAX側には、ツァイスの設計とされる幾つかのレンズがラインナップに加わったほか、ツァイスとの交流という経験がその後のsmc PENTAXレンズに影響を与えた事は想像に難くない。

 Kマウントの機械的構造は1975年の登場以来変更がない。30年前の古いレンズを何の改造も要さず最新のボディに取り付けて撮影可能なのも、この不変のKマウントあればこそだ。ただし、レンズとボディの連動機能に関しては、AEの進歩やAF化に合わせ変更を重ねて来た。

マウントシステム主な採用例機能
KマウントKシリーズ、Mシリーズ、LXボディ/K、Mレンズ機械的なTTL開放測光に対応。絞り優先AEとマニュアル露光まで。
KAマウントAシリーズボディ/AレンズKマウントにボディ側から絞りを制御する機能を加え、マルチモードAEに対応。絞りリングにA位置がある。
KAFマウントSFシリーズボディ/Fレンズボディ内モーターによるAF化。AFカプラーを新設。レンズとボディの情報通信をデジタル化。焦点距離情報内蔵
KAF2マウントZ-1以降ボディ/FAレンズ/DAレンズKAFマウントにパワーズームレンズへの電源供給用接点を追加。現在はこの接点をSDMレンズの電源供給に流用。
KAF3マウントSDM仕様レンズKAF2マウント仕様のレンズマウントからボディ内モーターAF用のAFカプラーを省略。

 現行ボディはKAF2マウントであり、レンズがKAFマウント以降(つまりはAFレンズ)であればすべての機能を使うことができる。一方で、MF時代のsmc PENTAXレンズには、年代の古いほうから順に、Kシリーズ、Mシリーズ、Aシリーズの3種類がある。最初にそれぞれの特徴をおさらいしておこう。

Kシリーズ

初期のKマウントレンズは、KシリーズあるいはPシリーズと呼ばれている。その由来は、Kシリーズのボディと同時発売されたことや、レンズブランドがTAKUMARからPENTAXに変更されたことによると思われるが、いずれも通称である。このテキストではとりあえずKシリーズと呼ぶことにする。Kシリーズのカメラ/レンズは性能追求の結果として大型化してしまい、スクリューマウントPENTAXの小型軽量を愛するファンには不評で、商業的には失敗だったようだ。

Mシリーズ

Kシリーズ発表の翌年には、小型軽量を重点に新設計されたカメラ/レンズが投入された。それがMシリーズだ。KシリーズのカメラはMシリーズと交代する形で姿を消したがレンズは併売され、Mシリーズで28mmから200mm辺りの主要ラインナップを構成し、大口径/超広角/超望遠をKシリーズでカバーするという形で、両者が混在する状態が次のAシリーズ登場まで続いた。

Aシリーズ

AシリーズはマルチモードAEを搭載した新ボディ「superA」(読みはスーパーエー)のためのレンズシステムとして登場した。マウントには絞り情報を伝達する電気接点が追加され、KAマウントとなった。時代的にはちょうどバブル景気の頂点にさしかかる頃にあたる。余談ながら、私が高校生だったの頃の話で、ここからがリアルタイムに経験した範囲。

 話を光学設計の面に移そう。Kシリーズレンズはツァイスとの交流の中で生まれ、意欲的な設計をとるものが多い。例えば今回取り上げたK 28mm F2にはフローティング機構が採用され、後継となったMシリーズ/Aシリーズの広角F2レンズよりも、むしろヤシカ・コンタックスや現在のコシナ・ツァイスとの近縁を感じさせる。

Kシリーズの28mm F2。外見からは中望遠と見紛うような、ズッシリと重い、ガラスの塊のようなレンズだ。

 Mシリーズは、レンズ名「smc PENTAX」の後にMの一字がついていることでKシリーズと区別できる。Kシリーズのように凝った設計のレンズはないが、ツァイスのテッサーをベースに、一眼レフ用に最適化したsmc PENTAX M 40mm F2.8はこの時代のプロダクトだ。

旭光学伝統の4群5枚構成の光学系を持つ2本の40mm F2.8。真正テッサーの3群4枚とは違うが、抜けのよい描写とコンパクトさは、最近流行のダブルガウスタイプのパンケーキレンズとは一線を画す。右がsmc PENTAX M 40mm F2.8で左がsmc PENTAX DA 40mm F2.8 Limited。

 ツァイスとの交流の中で旭光学製KマウントCONTAX用にKマウントのテッサーも試作されたとすれば、そのテストを通じて、旭光学は一眼レフ用レンズとしてみた場合のテッサーの欠点と優秀性の両面を充分に学んだはずだ。その結果、テッサーの3群4枚の最後尾に1枚追加する事で、テッサーのヌケのよさを活かしつつ、周辺減光や像面平坦性、焦点移動などを改善した4群5枚の光学系を持つM 40mm F2.8が生まれ、そのレンズ構成が更なる改良を受けてDA 40mm F2.8 Limitedにまで受け継がれたのだとすれば、昔日の旭光学とツァイスの交流が四半世紀という時を経て、DA 40mm F2.8 Limitedという落とし子を生んだというストーリーを描くことができる。それは妄想に過ぎないけれども、趣のある話ではないだろうか。

 時代はさらに移り、smc PENTAX Aシリーズでは、近接撮影時の収差増大を抑える後群分離全体繰出方式(FREEシステム)を採用した大口径単焦点レンズや、ズーム全域でF値の変わらないF3.5~F4クラスのズームレンズなどが展開された。smc PENTAX Aスターレンズが順次追加され、後のFAスターからDAスターへと連なるスターレンズラインナップが確立したのもこの頃。Mシリーズの雌伏の時を経て、再び大口径・高性能を追求した時代といえる。

筆者の手元にあるAスターレンズは200mm F2.8と85mm F1.4の2本。フィルム用に設計されたレンズではあるが、その性能は現在でもトップレベルと言える。
smc PENTAX A 35-105mm F3.5ズームレンズ。F2.8通しのズームレンズが登場するのはこれより一世代あとの話であり、F3.5通しの3倍ズームは画期的なものだった。(紙幅の都合でこのレンズの実写作例は割愛)

 Aシリーズの時代は同時に、コンピュータによる設計支援システム導入が光学設計に革新をもたらした時代でもあった。それ以前には、試作前の新レンズの設計評価はベテラン数十人掛かりで計算尺を用いて何週間もかけて光路解析計算を行ない、ようやくおおよその結果が分かるという気の長い仕事だった。コンピュータの導入によりシミュレーションに要する時間が大幅に短縮された結果、前例のない光学系に挑戦する事が比較的容易になり、日本製レンズ全般の性能が飛躍的に向上したのがこの頃だ。

◆     ◆     ◆

 それでは、KAおよびKマウントレンズを実際に使う場合のポイントについての話に移ろう。

 まずKAマウントのレンズを使用する場合、現行ペンタックスのデジタル一眼レフカメラは以下のような機能制限を受ける。

  • マニュアルフォーカスレンズである(中央1点でフォーカスエイドが可能)
  • 焦点距離情報が手動入力になる
焦点距離情報を持たないため、カメラをオンにすると焦点距離の入力を求められる。
Aレンズを取り付けた時のステータススクリーンの様子。AFエリア選択はスイッチがどの位置にあろうと中央1点になる。

 複数の単焦点レンズがある場合は、レンズ交換の都度、別の値を入力せねばならず少々煩雑になるが、1本だけであれば前回入力した値が保持されているので再入力の必要はない。ズームレンズの場合、ズーミングに連動して焦点距離を入力するのは不可能なので、手ブレ補正をオフにして使うほうが無難だ。

 合致する焦点距離がない場合は近似のものを選択する。例えば前回のNoktonの場合、58mmという選択肢がないので私は55mmを入力する。焦点距離の入力が済めば、分割測光やマルチモードAEが使え、絞り操作もボディ側から行なうことができるので、古いレンズであることを意識させられることはほとんどない。KAマウントの単焦点レンズは機能の上からは完全に現役と言ってよいだろう。

 一般には「Kマウント」という言葉は、現行KAF2/KAF3マウントを含むPENTAXバヨネットマウント全体の事を指すが、このテキストでは旧式レンズの使い方を扱うため、以下、特に断りなく「Kマウント」と書く場合、マウント面の電気接点と絞りリングのAポジションを持たないKシリーズとMシリーズのレンズマウントを意味するものとご了解願う。

 続いてKマウントのレンズの場合、KAマウントとは少々事情が違い、ボディから絞りを制御できないことによる制限が加わり、以下のようになる。

  • マニュアルフォーカスレンズである(中央1点でフォーカスエイドが可能)。
  • 焦点距離情報が手動入力になる。
  • 絞り優先モードでは開放絞りのみ使用可能。
  • 通常撮影可能な露出モードはマニュアルとバルブに制限される。
  • マルチパターン測光不可。
  • 絞りはレンズの絞りリングで操作する(事前にカスタムファンクション設定が必要)。
  • 絞り値が表示されない。
  • 露出計非連動(メータードマニュアル不可)。

 まず大前提として、カスタムファンクションで「絞りリングの使用」を許可してやらなければならない。これを忘れると、Kマウントレンズを装着した時点でカメラが作動せず、撮影不能に陥る。

出荷時の初期設定のままKマウントレンズをつけると、ごらんのようにシャッター速度も絞りもグレーアウトされ、なにもできない。
この状態を解消するにはカスタムファンクションの一番最後にある「絞りリングの使用」を許可してやればよい。
絞りリングの利用が許可されると、絞りリングにA位置がないKマウントレンズ、あるいはマウントアダプターなどをマニュアルモードとバルブで使えるようになる。
設定後、動作するようになった状態のAvモードのステータススクリーン。Avモードでは絞りの設定に関わらず、開放絞りでの撮影になる。

 Avモードでは、シャッターを切っても絞り込みが行なわれず、絞りリングで設定した絞り値に関わらず、常に開放絞りでの撮影になる。一見問題なく動作してしまうのだが意図を反映した撮影はできない。初期設定で禁止とされているのは、それによる失敗を防ぐためだろう。通常撮影に使えるのはMモード(マニュアル露出)だけということになるが、そこで問題になるのがファインダーにもステータススクリーンにも露出表示がいっさい出ないことだ。

 一般に、マニュアルモードでは露出計の表示を参考に撮影者が絞りとシャッター速度を操作して適正露出を得る。古い言葉ではメータードマニュアルというが、Kマウントレンズをつけると露出計が一切表示されないため、これは不可能だ。しかし、ここでグリーンボタンを押すと、絞りとシャッター速度が適性露出を得る値に瞬時にセットされる。これがペンタックスのお家芸、「ハイパーマニュアル」だ。

Kマウントレンズを着けてMモードにすると、露出計がグレーアウトされ機能しなくなる。
ハイパーマニュアルを操作するのがこのグリーンボタン。後ダイヤルから少し指を降ろせば自然に触れる特等席にレイアウトされる。
メニューの「電子ダイヤル」を開き、「Mモード」→「グリーンボタン」と進み、表示される4つの選択肢の中から、ハイパーマニュアルの動作マナーを選ぶ。
グリーンボタンを押すとTvが変化して、レンズ側で設定した絞りに対する適性露出が得られる。

 ハイパーマニュアルの動作は「プログラムライン」、「Avシフト」、「Tvシフト」、「無効」の4つから選択する。絞りをカメラ側から制御できないため、Tvをカメラが変更して適正露出を得るモードになっていなければならない。これにあたるのは「プログラムライン」か「Tvシフト」のいずれかで、「Avシフト」か「無効」に設定されている場合、グリーンボタンを押しても何も起こらない。

 露出補正はハイパーマニュアルにも有効で、あらかじめ露出補正値(明暗)を設定した後でグリーンボタンを押せば、補正を反映したシャッター速度にセットされる。使い勝手としては部分測光のAE機でAEロックを使って撮影するのに近い。電源を切っても露出値を保持するAEロックだと思えばいいだろう。

 例えば女性ポートレートなら+1.3EVにセットし、測光エリアにモデルの顔を捉えながらグリーンボタンを押せば、肌を明るく描写する露出にセットされる……というような具合に。

  • 作例のサムネイルをクリックすると、リサイズなし・補正なしの撮影画像をダウンロード後、800×600ピクセル前後の縮小画像を表示します。その後、クリックした箇所をピクセル等倍で表示します。
  • 縦位置で撮影した写真のみ、無劣化での回転処理を施しています。

・smc PENTAX 28mm F2

F4で撮影。中心部分は充分にシャープだが、周辺部には流れが見受けられる。K-5 IIs / smc PENTAX 28mm F2 / 約9.7MB / 4,928×3,264 / 1/1,250秒 / F4 / +0.3EV / ISO400 / マニュアル / WB:太陽光 / 28mm
F5.6で撮影。これも日の丸構図。F5.6でも3/4画角より外は乱れるが重要な被写体を置かず、適度にボケる絞りとピント位置を選べば何とかまとめられる。K-5 IIs / smc PENTAX 28mm F2 / 約11.6MB / 4,928×3,264 / 1/2,000秒 / F5.6 / +0.3EV / ISO400 / マニュアル / WB:太陽光 / 28mm
F4で撮影。周辺部の非点隔差が大きく、2段絞っても点光源が十文字に流れて写る。この辺りは如何せん計算尺時代のレンズと言わざるを得ない。K-5 IIs / smc PENTAX 28mm F2 / 約9.1MB / 3,264×4,928 / 1/8,000秒 / F4 / 0EV / ISO400 / マニュアル / WB:太陽光 / 28mm
F8で撮影。これくらいまで絞ってようやく周辺部の乱れも気にならなくなる。まぁ40年前の広角レンズというのはこういうものです。K-5 IIs / smc PENTAX 28mm F2 / 約9.2MB / 3,264×4,928 / 1/1,600秒 / F8 / 0EV / ISO400 / マニュアル / WB:太陽光 / 28mm

・smc PENTAX M 40mm F2.8

K-5 IIs / smc PENTAX M 40mm F2.8 / 約11.8MB / 4,928×3,264 / 1/800秒 / F2.8 / 0EV / ISO800 / 絞り優先AE / WB:太陽光 / 40mm
F8で撮影。30年以上前のレンズでもシャドウ部が潰れないのはダブルガウスに較べ反射面の少ない変形テッサータイプの構成とスーパーマルチコーティング「smc」の賜物。K-5 IIs / smc PENTAX M 40mm F2.8 / 約11.7MB / 4,928×3,264 / 1/160秒 / F8 / +0.3EV / ISO100 / マニュアル / WB:オート / 40mm
K-5 IIs / smc PENTAX M 40mm F2.8 / 約10.5MB / 4,928×3,264 / 1/400秒 / F2.8 / 0EV / ISO100 / 絞り優先AE / WB:太陽光 / 40mm
K-5 IIs / smc PENTAX M 40mm F2.8 / 約7.9MB / 4,928×3,264 / 1/500秒 / F2.8 / -0.3EV / ISO800 / 絞り優先AE / WB:太陽光 / 40mm

※smc PENTAX M 40mm F2.8で絞り優先AEで撮影した作例は、すべて絞り開放で撮影されています。

・smc PENTAX A* 85mm F1.4

F1.4開放では色収差と球面収差がありフワッとにじむが、これは“残した”収差だろう。絶対的な解像力は非常に高く、撮影された写真から甘さを感じることはない。K-5 IIs / smc PENTAX A* 85mm F1.4 / 約8.4MB / 3,264×4,928 / 1/6,400秒 / F1.4 / 0EV / ISO100 / マニュアル / WB:太陽光 / 85mm
F2.8まで絞れば色収差は消え、その他の残存収差もほぼ感じさせない。スターレンズの貫禄と言うのは容易いが、その前提にはコンピュータ設計支援や硝材の進歩などの技術革新があった。K-5 IIs / smc PENTAX A* 85mm F1.4 / 約8.8MB / 3,264×4,928 / 1/1,600秒 / F2.8 / 0EV / ISO100 / マニュアル / WB:太陽光 / 85mm
風が強く花が大きく揺れ動いていたので、ピンぼけになるのを避けるためにF2.8で撮影。本当はF1.4で撮りたい構図だけれども。K-5 IIs / smc PENTAX A* 85mm F1.4 / 約9.5MB / 4,928×3,264 / 1/1,000秒 / F2.8 / +0.3EV / ISO100 / 絞り優先AE / WB:太陽光 / 85mm
APS-CのK-5では35mmフルサイズ換算127mm相当F1.4にあたる。発情期でとさかを膨らまして雌を追いかけているところ。動きが速かったのでF2.8に絞ったけど少し後ピンか。K-5 IIs / smc PENTAX A* 85mm F1.4 / 約10.6MB / 4,928×3,264 / 1/3,200秒 / F2.8 / +0.3EV / ISO400 / 絞り優先AE / WB:太陽光 / 85mm

・smc PENTAX A* 200mm F2.8

F2.8開放では色収差と球面収差が少し見受けられるがこれはA* 85mm F1.4同様、意図されたものだろう。K-5 IIs / smc PENTAX A* 200mm F2.8 / 約10MB / 3,264×4,928 / 1/1,600秒 / F2.8 / 0EV / ISO100 / マニュアル / WB:太陽光 / 200mm
F4で収差は消える。つまり柔らかさが欲しければF2.8で、収差を避けたければF4で撮ればいい。そういう設計。ちなみに、1Avステップで撮ってみたが、最高解像力が出たのはF4、シャープネス最良はF5.6と判断した。K-5 IIs / smc PENTAX A* 200mm F2.8 / 約9.8MB / 3,264×4,928 / 1/800秒 / F4 / 0EV / ISO100 / マニュアル / WB:太陽光 / 200mm
MFレンズで、しかもインナーフォーカスを避けて全体繰出しを採用しているため、飛びモノなどは苦手。登場した頃は「いまどき全体繰出しかよ」と、同級生に小馬鹿にされました(実話)。善くも悪くもニコンキヤノンとは別の世界を見ていたわけで、どちらかと言えばツァイスと競っていたのかな。K-5 IIs / smc PENTAX A* 200mm F2.8 / 約11.3MB / 4,928×3,264 / 1/800秒 / F3.5 / +0.3EV / ISO250 / 絞り優先AE / WB:太陽光 / 200mm
内部構造が複雑になりがちなインナーフォーカスレンズと違い、内面反射防止は万全。斜逆光を入れながら撮影してもごく薄く色づくようなフレアが出るだけで乱れが一切ない。このレンズはA*の中でも特にフレアがきれいな1本で、わざとフードを畳んで撮ることもある。K-5 IIs / smc PENTAX A* 200mm F2.8 / 約7.4MB / 4,928×3,264 / 1/1,600秒 / F3.5 / +0.3EV / ISO400 / 絞り優先AE / WB:太陽光 / 200mm

 さすがにKシリーズは古く、ツァイスの流れを汲むとはいえ、現在供給されている各社のモダン・ツァイスに及ぶものではない。しかしボディ側の機能はこの古いレンズをよくサポートしており、ハイパーマニュアルを活用すれば、往年のレンズの味を偲ぶことができる。Aシリーズに関しては、日本のカメラ工業の黄金期の製品であり、最新のK-5 IIsとの組み合せでも全く破綻を見せない。古いレンズゆえの修理の不安など難点があるのは確かだが、クラシックとしてではなく、実用レンズとして充分期待に応える性能だ。

 ヘリコイドならではの滑らかなフォーカシングの感触に象徴されるように、AFを前提とした現行システムでは望めない魅力がMFレンズにはある。いまだ画餅ではあるが、ペンタックスは35mmフルサイズ機の開発を明言しており、それがリリースされればフルサイズをカバーするペンタックス用レンズの市場が立ち上がるだろう。純正Aレンズや惜しくも終売となっているコシナのZKマウントレンズ群が、強い存在感を持つようになる日も遠くはないはずだ。

訂正のお詫び

記事初出時に筆者の誤認と検証の不十分さから、絞りA位置のないKマウントレンズについても絞り優先(Av)モードでの撮影に問題がないように記述し、それを推奨する内容となっておりましたが、正しくは訂正した本文にありますように、現行Kデジタル一眼レフにKマウントレンズを取り付けた場合、AVモードでは設定値に関わらず開放絞りでの撮影という意図せぬ動作となります。Kマウントレンズで正常な撮影が可能なのは、バルブを含むマニュアル撮影(MモードないしはBモード)に限られ、その際にハイパーマニュアルを活用することができます。

以上、訂正の上、つつしんでお詫び申し上げます。

筆者

大高隆

1964年東京生まれ。美大をでた後、メディアアート/サブカル系から、果ては堅い背広のおじさんまで広くカバーする職業写真屋となる。最近は、1000年存続した村の力の源を研究する「千年村」運動に随行写真家として加わり、動画などもこなす。日本生活学会、日本荒れ地学会正会員

http://dannnao.net/