写真展

写真展「山端祥玉が見た昭和天皇――摂政から象徴まで――」

(JCIIフォトサロン)

[にわとりを追う皇太子(今上天皇)を見守る昭和天皇]1945年12月

1945年10月に写真通信社サン・ニュース・フォトスを興した山端祥玉氏は、年末に宮内省嘱託となって昭和天皇一家を撮影しました。敗戦後に天皇の戦争責任が叫ばれる中で、その人間性を伝えようと、団らんのひと時をもつ家庭人、顕微鏡を覗く科学者としての姿をとらえています。一連の写真は、1946年の元旦に新聞各紙が掲載した「人間宣言」に添えられ、同年2月4日号の米グラフ誌『LIFE』に掲載され、さらに、1947年には日英併記の写真集『天皇』(トッパン)にまとめられて、内外に大きな反響を呼びました。

遡る戦中の山端氏が率いた写真製作会社G.T.サン商会は、陸海軍などの写真業務を請け負い、大規模な演習や皇紀2600年式典に臨む軍服姿の昭和天皇を写しています。天皇は、戦後制定された日本国憲法によって日本国と日本国民統合の「象徴」と規定されましたが、現人神であった戦中の軍服姿も、また、その頃の我が国を象徴していたと言えましょう。

今回展示の作品は、山端氏が仕事で携わったものとして、ご遺族からJCIIに寄贈された1920年代から1940年代の写真です。終戦から70年の節目にあたり、昭和天皇の写真を通じて時代や社会を振り返る本展が、これからの日本を考える機会になれば幸いです。

(展示情報より)

[海軍艦上にて伏見宮博恭海軍大将と]1927年頃

会場・スケジュールなど

  • ・会場:JCIIフォトサロン
  • ・住所:東京都千代田区一番町25番地JCIIビル
  • ・会期:2015年12月1日火曜日〜2015年12月24日木曜日
  • ・時間:10時〜17時
  • ・休館:月曜日
  • ・入場:無料

飯沢耕太郎+白山眞理 トークショー

・JCIIビル6階会議室:2015年12月12日土曜日14時~16時(300円/定員80名)

明治以降に写された天皇の写真について、また、昭和天皇を撮影した山端祥玉の仕事にはどのような意味があったのかなど、最新の調査による知見と深い考察。
応募方法は、JCIIフォトサロンにて直接受付。または電話にて受付。

飯沢耕太郎
写真史家、写真評論家。筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房、1986年)で日本写真協会年度賞、『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書1996年)でサントリー学芸賞、2009年には多彩な執筆活動と写真界のナビゲーターとしての功績に対して日本写真協会学芸賞を受賞。写真公募展審査員、学校講師、写真展企画など多方面で活躍中。

白山眞理
日本カメラ博物館運営委員。JCIIフォトサロンにて「名取洋之助と日本工房作品展」(2003年)、「パウル・ヴォルフ 木村伊兵衛 土門拳―1930年代ライカ写真」(2008年)、「渡辺淳の世界」(2014年)などの展示を企画構成。IZU PHOTO MUSEUMにて現在開催中の「戦争と平和―伝えたかった日本」展を小原真史氏と共同キュレーション。著書に『<報道写真>と戦争』(吉川弘文館、2014年)がある。

作者プロフィール

1887年4月4日、福井県生まれ。本名啓之助。 小学校を卒業し、1904 年より東京・本郷の望月東涯に写真を学ぶ。その後、近衛歩兵一連隊に入営し、 除隊後出張写真師となる。 1910年、蘭領スマトラ島メダン市の朝日写真館技師長に就任。 1914年、英 領シンガポールに写真材料商サン商会と写真館設立。帰国して1927 年にG.T.サン商会(東京築地。 1943 年に山端写真科学研究所と改称)を創設。1933 年に写真印画用の高速輪転機で特許を取得。 1937 年より終戦まで内閣情報部、海軍省、陸軍省の嘱託となり、1938年より陸軍の上海写真製作所で あるプレス・ユニオンを名取洋之助と共に担当。 1945年10月に写真通信社サン・ニュース・フォトスを設 立し、宮内省嘱託となって天皇一家を撮影。 1946 年に戦後間もなく解散したG.T.サンを再興し、同年に 毎日新聞社の出資を得てサン写真新聞社創設。 1947年に公職追放となり各社代表を退く。 1963年2月 24日没。75歳。長崎の原爆投下直後を撮影した山端庸介氏は長男。

(本誌:河野知佳)