難波毅写真展「Panoramic Australia」-Kodakプロフェッショナル HDペーパー発売記念展-

――写真展リアルタイムレポート





レインボー・バレー/Rainbow Valley at sunset(SP:スティッチド・パノラマ)(c)難波毅

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 難波さんはオーストラリアに興味を持ったことが大きなきっかけになり、勤めていた日本経済新聞社の写真部を辞め、半年間、この大陸を旅した。1986年のことだ。以来、数年のブランクをはさみ、毎年、この地を撮影してきた。

 今回はオーストラリア大陸の北に位置するガルフ地方の「ロストシティ」を中心に、パノラマとスタンダードサイズで切り取った作品が並ぶ。富士フイルムのパノラマカメラ「TX-2」で撮影した22点と、ニコンD3SとD2Xを使い、複数の撮影画像で構成した「スティッチド・パノラマ」7点だ。

 オーストラリアならではの色と、悠久の時間が作り上げた手付かずの地球がワイドな画面で再現されている。20年以上の間、この地に身を置いてきた作者の眼差しは、このダイナミックな大地を温かく見つめている。この会場に足を踏み入れると、母なる大地に抱かれるような安らぎを感じるはずだ。

 会期は2010年10月12日~22日。開館時間は10時~19時(最終日は18時まで)。土曜、日曜、祝日休館。入場無料。会場のコダックフォトサロンは東京都千代田区外神田3-12-8 住友不動産 秋葉原ビル 12F。

「若い頃はがむしゃらに撮っていたけど、今は自分の撮りたいものだけを撮っている」と難波さん

再びオーストラリアへ

 オーストラリアで最も難波さんの目を惹いたのは、地形の面白さと、その大地が生まれるに至った物語だ。地層が重なり、大地の変動で、地表上に現れる。そのむき出しになった部分が、長い歳月の中で、風雨に削られ、独特のフォルムが形作られていく。

 最初の約10年は、そんな大自然に挑むように、スケール感を取り込みながら、ディティールの美しさを撮り続けていった。その成果の一つは1993年に出版した写真集『奇岩大陸』(講談社刊)となった。

「その後、一時、アメリカの自然を撮るようになり、2005年にもう一度、オーストラリアを撮ろうと思った。歳をとってきて、もう撮れなくなるんじゃないかという不安もあったんだ。自分がどれぐらいできるか、試したかった」

 ちょうどその頃、それまで入ることができなかった秘境、ロストシティが公開されることになった。そこは個人が所有する広大な牧場の中にあり、ヘリコプターでしか入れない。牧場の所有者が1社のツアー会社に、着陸の許可を与えたのだ。

 ロストシティのあるガルフ地方は、シドニーから3,500kmほど離れている。ランドクルーザーで旅しながら、再び、オーストラリアを撮り始めた。

クライマックス/Sunset at Ululu(SP)(c)難波毅

新聞記事がきっかけで行動を起こす

 オーストラリアに惹かれたきっかけは、新聞の記事だ。

“国土の7割はアウトバックと呼ばれる乾燥しきった人の住まない荒野、砂漠で、人口密度は1平方キロあたり1人にも満たない超過疎地域である”

「南半球の先進国で、大陸の真ん中に誰も住んでいない地域が広がっているなんて、感覚的にちょっと分からない。それで凄く見に行きたくなったんだ」

 就職して10年目。2~3週間で見て回れる場所ではないので、上司に半年間の休暇を願い出たが認められず、1年間、考えた末、退職を決めた。

「旅から戻った後のプランなんか、何もなかった。写真じゃなくても、日本なんだから、食う手立てはあると思っていたからね」

 会社を辞める前の1年間で、オーストラリアのことを調べた。一番の情報源はロンリー・プラネット社が出版している英文のガイドブックで、大体のコースを決めていった。

「何よりも、ランドクルーザー・クラブのメンバーたちに出会えたことが大きかった」

 難波さんは車が好きで、トヨタ自動車のランドクルーザーを所有していた。オーストラリアでこの車は高い人気があり、そのオーナーたちによる組織、ランドクルーザー・クラブがあることを知った。

「今度、オーストラリアに行くから会いたいという手紙を出した。反応があるか半信半疑だったけど、『名誉会員として喜んで招待する』という返事が来た。オージーたちは凄く親切で、温かいし、その中でもランクルの仲間たちの結びつきは特別なんだよ」

半年の旅で大きな手ごたえを

 現地ではクラブ員の家に泊めてもらい、さまざまな情報をもらった。その付き合いは今でも続き、難波さんが現地で購入したランクルは、何年もの間、クラブ員の家に置かせてもらっている。

「ガイドブックにはない情報、現地でなければ分からないことを教えてもらい、持って行った地図は撮影ポイントの書き込みだらけになったよ」

 数日、走っても1台の車とも行き交わない国を旅し、多くのことを学んだ。

アウトバックの風車/A lonely windmill (c)難波毅

「半年旅した後、これでいけると思った。次に行く場所も明確になっていたしね」

 帰国後、撮影した写真と企画書を雑誌社に送ると、アサヒグラフをはじめ、いくつかの雑誌で掲載が決まった。

「それでもまず仕事をしなくちゃと思っていたら、近所の写真スタジオで学校写真のカメラマンを募集していたので、そこに行った。その後、自動車雑誌などから仕事が入るようになって、写真スタジオの仕事は半年ぐらいしかしなかったけどね」

すべてが魅力的な大地

 オーストラリアへの渡航回数は20回を越す。

「麻薬みたいなもので、行かないと禁断症状が出てくるんだ」と笑う。

 乾燥したホコリっぽい大地、まったく人のいない空間、悠々と流れる時間、そこに住む人たち。すべてが魅力的で、難波さんの感性に合っていたのだ。

 使用カメラは新聞社時代がニコンF~F3で、フリーになってからはF4、F5、そしてデジタルカメラはD2、D2Sなどから始めた。広大な被写体を前に、中判カメラや大判カメラも使いたかったが、1人で行動しているため、多くの機材は持っていけない。

「自分の作品を撮るだけじゃなくて、雑誌に掲載する写真も撮らなければならなかったので、いろいろなカットを撮らなければならず、35mm判カメラは外せなかった」

夜明け/Sunrise view of Ululu (c)難波毅

パノラマカメラとは違う表現の味

 久しぶりに訪れたオーストラリアは、驚くほど変わっていなかった。街並みは以前のままだ。

「店舗自体はオーナーが変わったり、内装は変わったりしているけど、建物自体は昔のまま使っている。道路も悪いままで、凄く安心したよ」

 今回、パノラマで撮り始めたのは、友だちのオーストラリア人カメラマンが撮ったパノラマ写真を見せられた影響だ。最初は富士フイルムTX-2を使っていたが、最近は、ニコンD3S、D2X、D2でパノラマ画像を作っている。

 自作したアルミ製のL字アングルを三脚に付け、水準器で水平を出す。画面が重なるように、回転させながら数カット撮影していく。あとはパソコン上で、パノラマ作成ソフトを使い、画像をつなげていくのだ。

「シフトレンズで、画面の上下位置を調整します。空の風景を多く入れたいことが多いので、上に動かすことが多いですね」

 パノラマカメラと違い、周囲まで歪みなどはなく、クリアなイメージが得られる。そのせいか、同じワイドの画角でもパノラマカメラとスティッチド・パノラマでは、見え方が違うという。

「出来上がりを予測はするけど、合成してみるまで、どんなイメージになるのか、分からないところがある。まだ完全にはマスターできていないんですよね」

 難波さんはコダクロームが好きで、生産終了まで、そのフイルムを使い続けてきた。今回の作品はデジタルとエクタクロームを使い、新発売されたコダックプロフェッショナルHDペーパーにプリントしたものだが、どこかコダクロームを感じさせる色の世界がある。それが難波さんが長年かけて見つけたオーストラリアの姿であり、来場者はこれまでに見たことのないこの国の魅力を発見するはずだ。

ホープトン・フォールズ/Hopetoun Falls(SP)(c)難波毅


(いちいやすのぶ)1963年東京生まれ。4月某日、4回目になるギャラリーツアーを開催。老若男女の写真ファンと写真展を巡り、作品を鑑賞しつつ作家さんやキュレーターさんのお話を聞く会です。始めた頃、見慣れぬアート系の作品に戸惑っていた参加者も、今は自分の鑑賞眼をもって空間を楽しむようになりました。その進歩の程は驚嘆すべきものがあります。写真展めぐりの前には東京フォト散歩をご覧ください。開催情報もお気軽にどうぞ。

2010/10/18 00:25