赤城耕一の「アカギカメラ」
第152回:GR IV Monochromeで対峙するモノクロの世界
2026年11月5日 07:30
今回もまた、リコーGR IV Monochromeの話をしようと思います。前回は試用期間が短くて、少々納得できずにストレスが溜まって終了しましたが、今回は本業撮影の合間や大阪への仕事のおりに持参できましたので、思い切りモノクロ撮影を楽しむことができました。そこで追加で報告することにいたします。
また、前回記事を読み直してみると、筆者のモノクロ写真に対するスタンスについて、言い足りないこともありましたので、この機会に少々重複した話になるかもしれませんが、加筆することにします。
フィルムカメラ時代、筆者は個人的な写真制作はモノクロ写真を基本としていました。単純に、光と影により、世界を白とグレーと黒に置き換え、ハイエストライトからディープシャドーまでを繋がりよく再現する写真が好きだったからです。
色がついていない写真を古臭い、普通ではない、不自然だと感じる人も少なからずいるそうですが、これは若い人なら無理もないかもしれませんね。
でもそんな時代背景もありつつ、大量に売れるとは思えないモノクロ専用のデジタルカメラがGRシリーズから生まれてくるのですからこれは相当な英断といえます。やりますねリコーイメージング。価格はノーマルのGR IVよりも高額ですが、このようなニッチなモデルを用意したことはすばらしいと思います。
筆者自身もウェブで見る写真がモノクロだったりすると、この撮影者はどういう意図があって画像をモノクロ化したのだろうかと、勘ぐったりしてしまうことがあります。
ファッションとか目立ちたいために、キミは大した意味もなくカラー画像をモノクロ化してませんか? とケチつけたくなったりすることがあります。
イヤな老害発言ですから気にしないでください。カラーとモノクロを気軽に行き来できるデジタルの多様性、ある意味での優柔不断さが、逆に思想の欠落を招くようにも思えてくることがあるわけです。
カラーとモノクロ、どっちにするかはっきりせい! とジジイは世界に向かって叫ぶわけ。
年寄りの一部には、モノクロこそが写真の基本ではないのか、という考え方がカラダの奥底に染み付いてる人がいます。筆者もそのひとりかもしれません。
写真に色がついていなくても、違和感なく特別な印象を持つこともなく、自然にモノクロフィルムを詰めたカメラで撮影したりモノクロ写真を鑑賞することができます。
いまもモノクロフィルムによる銀塩写真制作を続けていますが、銀塩モノクロ VS デジタルモノクロという良否とか対決という考え方を持ったことはありません。
デジタルのカラー画像をモノクロ化する利便性は大いに評価しています。ただ、それを認めつつも、昔から続けている行為をこれからも継続してゆきたいという望みがあるからこそ、銀塩モノクロ写真制作を続けています。どうです? 謙虚でしょ?
あ、もうひとつ理由もあります。古いフィルムカメラがウチにたくさんありますから、これを不燃ゴミにしたくないという思いもありますね(笑)。
現在の銀塩モノクロ写真制作はすべてプライベートな活動によるものです。したがって仕事の効率とか納期を考える必要もないから続けることができるわけであります。これ、仕事だったらとっくに放棄していたことでしょう。
こんな筆者でも、デジタル時代を迎えてからは、逆にモノクロ写真というのは特別なものに感じたりすることがあるわけですね。これも不思議なことだし、けっこういいかげんですよね。
そうです、デジタル写真というものはカラーが基本となり、モノクロ写真はカメラ内で意図的に設定したり、PCを使った画像処理をせねば制作できないからでしょう。
筆者はデジタル黎明期に「カラー画像をグレースケールにする」という意味をよく理解することができず、デジタル写真の参考書を読んでも「色相、彩度を持たずに、白と黒と中間の灰色の濃淡を明るさで表現していることがモノクロ写真」であるという解説を読んで、へー、そんなものなのかと思いました。
どなたですか? このように書いた人は。たしかに見かけはモノクロ写真ですけどね。
たとえ見かけだけだとしてもデジタルはカラー画像からモノクロ画像への変換を瞬時に行うことができるわけですから、すばらしく便利だと思い、とくに仕事の写真に関していえば、この当時から抵抗は感じず、便利に使っています。
昔の印刷だと、カラーポジからのモノクロ印刷する場合には、モノクロ反転デュープとか自分でやってましたからねえ。信じられないなあ。
また、これも前回も述べましたが、最終的なページがモノクロかカラーかわからない時に、同じ種類のカメラをシルバーボディとブラックボディと2台用意して、シルバーにはカラーフィルム、ブラックにはモノクロフィルムを装填して、条件によって撮り分けるとかやってました。
しかし、千手観音でもあるまいし、不器用な筆者がどのように現場でそれを判断していたのか、いまでは思い出せないのです。
モノクロフィルムでしか撮れなかったシーンを、カラーページで使いたいと言われたら、これは完全にアウトになりますね。だから相当に使い分けはスリリングだったはずです。
はい、ここから本題のリコーGR IV Monochromeの話をします。あいかわらずの前置き失礼しました。
GR IV Monochrome、まずはボディまわりをみてみましょう。表面の仕上げはペイントのような質感が指先に心地よく、高級感があります。ノーマルのGR IVより好きかも。
筐体の大きさはノーマルのGR IVと同じであります。ボディまわりで気づくのは、後述しますが「Red Filter」ボタンが独立して存在していること、イメージコントロール設定が十字キーの下方に割り当てられていることでしょうか。電源ボタンとアクセスランプは両方ともに白色になりました。ノーマルのGR IVは緑色です。モノクロ専用機であることを主張したいのでしょう。
企画段階で色のついたランプが点灯するのはどうだろうかということになったに違いありませんが、筆者はさすがにそこまではこだわらないけれど、差別化を考えた開発者はさすがですね。
とはいえ、せっかくの凝ったランプですが、筆者はカメラ本体から光を放つのは反則ではないかと考えているので、電源ボタンのランプ点灯表示はオフに設定します(笑)。
アクセスランプは電源オンの時やUSB接続で充電する時は点灯します。これは必要ですね。
GR IVのモノクロ化への要望の多くは、主にアドバンストアマチュアとか一部のプロだったようです。筆者も真実を追求するジャーナリストですから、PENTAX K-3 Mark III Monochromeが登場した時に、同じAPS-Cサイズのモノクロセンサーだから、これを流用すればGRのモノクロ専用機はすぐに実現可能ですよねと無責任にリコーのあるエンジニアの方に申し上げた記憶があります。
そうしたら「そんな簡単なものじゃないんですよ!」とリコーのエンジニアさんはお怒りになりました。すみません、怒らないでください。素人の考えなんてそんなものなのです。
断っておきますが、筆者は自らGRのモノクロ化をアオるような発言はしていませんので念のため。
PENTAX K-3 Mark III MonochromeやライカM10 Monochromeなど、モノクロ専用機の鮮鋭かつ厚みのある画像は、それぞれの画像処理エンジンが秀逸なこともあるのでしょうが、モノクロ専用機のために不要になったセンサー前にあるカラーフィルターを省いたことも、要因のひとつとしてありそうです。
ノーマルのGR IVももちろんモノクロ設定で撮影することができますが、取り込んだ光からRGBの色情報を得て補完処理を行い、カラー画像からモノクロ化するという工程になります。
GR IV MonochromeのセンサーはAPS-Cサイズで2,574万画素あります。
取り込んだ光、輝度情報をそれぞれの画素が明るさを記録し、モノクロ画像にするため、補完処理をすることはありません。このため画像の解像力や階調の繋がりは優秀で、レンズの性能も理屈ではダイレクトに再現することができます。
GR IV MonochromeにはノーマルのGR IVに備えられたNDフィルターに代わって、赤フィルターが内蔵されています。
画像処理ではなく、光学的に赤フィルターを使うのはモノクロフィルムを装填したカメラのレンズ前に赤フィルターを装着したことと同様の効果になります。このため赤色を明るくしたり青空をどんと暗く落とすことができるので、印象的なモノクロ写真を制作することができます。
当然、赤フィルターを使えば露光倍数がかかります。これは本機でも同様です。でもこのファクターはISO感度の設定を上げることで吸収することができますから、フィルムよりも圧倒的に使いやすいですね。思い切り振り切ったモノクロの強いコントラスト効果を再現するために、赤フィルターを内蔵したことは正解だと思います。
イメージコントロール機能も充実しており、暗室で印画紙のグレードを選んだり、ダッジングするような効果も得ることができます。今回、新しくソラリゼーション調効果も加わりました。
こうしたエフェクトは当初はカメラに騙されてしまったように感じていたのですが、いまは普通に馴染み、モチーフや表現、光の強弱、その日の気分によって適宜に設定を変えて撮影しています。
PCを使用せずに、カメラ単体で、これだけ大きく画像の再現性を変えることができるのは驚きです。それでも人間は時間を経ると気が変わることがあります。ここはRAW設定で撮影しておき、将来の心変わりに備えておくのもありだと思います。
感度設定はISO 160〜409600まで可能になっています。ノーマルのGR IVでのカラー画像では超高感度領域に設定すると、カラーノイズにしか見えませんが、GR IV Monochromeでは、粒状感としてみせる印象を持ちます。
モノクロフィルムでは頑張ってもISO 6400あたりが、実効感度の限界ですから、これを超える高感度領域撮影は本機ならではの再現、効果ということになるでしょう。
フィルム時代はフィルムの感度以上の高感度ISO設定を行い増感現像のために高温現像処理をして粗粒子効果を得ました。
粒状の効果は個人の好みですが、本機においては相当に感度を上げないと目立った粗粒子効果を得ることができません。これは画像処理やノイズのコントロールが巧みに行われているからでしょう。
このため本機では中、低感度領域のISO感度設定でも、画像に粒状を加えることができます。粒状の大きさの変更が可能であることもデジタルならではの表現と考えれば納得することができます。
簡単な設定で、超微粒子表現と粗粒子表現を即座に使い分けることが可能になるわけですから、表現の幅は大きく広がることになります。モノクロフィルムは一度粗粒子のネガを作ってしまうと、もう後戻りはできず、微粒子効果を得る写真を制作することはできません。GR IV Monochromeでは、自分の気の済むまで、効果を試すことができるのは非常に痛快です。
擬似的な粒状を被せるという考え方は、当初は銀塩写真に似せるためではないかと、少々抵抗を感じていたことは事実です。ところがGR IV Monochromeのイメージコントロールや粒状効果の再現性は筆者自身のデジタルモノクロ写真への疑念を払拭しました。
イメージコントロールも多種あり、それぞれ面白い効果を得ることができますが、カメラのLCDで効果を完全に見極めるのは難儀です。筆者としては本機で得ることができる画像の耐性からみても、画像処理を行うことで、納得できるまで画像を追い込んで仕上げるということも楽しく感じました。これこそがLightroomではないかと感じたくらいです。
AF性能やコマ速度はノーマルのGR IVと同じですが、筆者は昨今自動選択AFも多用するようになりました。実焦点距離が短いので被写界深度が深く、大きくフォーカスを外すことも少ないからです。フォーカスのレスポンスは優秀ですし、連写設定でもストレスはありませんから、とにかく目に入ったものを片っ端から拾い集めるような気分で世界と対峙しようと考えるわけです。
フィルムカメラ時代にも、モノクロフィルムを装填したカメラを持って撮影に出ても、カラー写真が制作できないという不満や不自由さを感じることはほとんどありませんでした。
その日1日は世界をモノクロの目のみで観察することに決めて撮影に挑んでいたからです。筆者は不器用ですから、必要以上には欲張りません。欲張るとろくでもない結果を招くことを知っているからです。
GR IV Monochromeは色再現を写真表現の一助として応用することができません。モノクロフィルムを詰めたフィルムカメラと同じことだと考えれば、単機能のモノクロ専用機として納得することができるでしょう。
不思議なことにGR IV Monochromeを使いはじめると、肉眼もモノクロ化し、世界をモノクロの目で見ることができるようになるようです。
被写体を色や輪郭だけで捉えるだけではなく、光に敏感になり、事象の本質を見抜くことを考えるようになります。モノクロしか撮影できないという不自由さが想像力を生む。これは画質の問題よりも重要です。
それがリコー GR IV Monochromeを使う真の意義かもしれません。
























