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マーティン・パーCP+スペシャルトークショーレポート

現実をそのまま写して時代を解釈 「カメラはこれからもなくならい」

1980年代から日本の写真に興味を持つマーティン・パー氏。今回の来日でも20kgを超す写真集を持ち帰ることになると話す。

マーティン・パー氏は写真家、キュレーター、コレクターなど、さまざまな顔を持つ。また2014年からは、世界的なドキュメンタリーフォトグラファー集団のマグナム・フォト会長でもある。

1974年に写真集「HOME SWEET HOME」を出版して以来、これまでに約100冊に上る写真集を手がけてきた。自作のみならず、各国の優れた写真、写真家を見い出し、紹介することにも積極的で、日本の写真にも深い関心を持つ。

写真集で写真史を辿った「The Photobook: A History Volume I, 2004」「The Photobook: II, 2006」では日本人写真家を多く取り上げ、吉行耕平氏など、これをきっかけに海外に広く知られることになった写真家も少なくない。

そのパー氏が2015年2月14日、CP+2015の特別イベントとしてスペシャル・トークショーを行った。(以下はそのダイジェストです)

ドキュメンタリーにフィクションの要素

パー氏は祖父が熱心なアマチュア写真家で、その影響から18歳の時、写真家になることを決めた。

「父は非常に熱心なバードウォッチャーでした。僕が大学生の頃は、そのイベントの写真をよく撮っていました」

マンチェスター大学で写真を学び、卒業後は同級生たちと地元でアルバート・ストリート・ワークショップを立ち上げた。作品発表の場を持ち、常に新たな写真を見せていたそうだ。

「小さな町の伝統的な暮らし、労働者階級の生活を捉えることをしていた。非国教徒(プロテスタント)が集まる教会や、ある一家の生活とかです。その写真は2013年に写真集『Non Conformists』にまとめました」

その次に取り組んだのが「Bad Weather」(1982年刊)だ。天気が変わりやすいことで名高いイギリスで、悪天候の日に写真を撮った。

「写真の常識を覆すことが私のワークスタイルだった」

雨を気にせず撮影するため、水中カメラのニコノスとストロボを購入したそうだ。

その頃、自身の写真のスタイルを決める重要な写真を偶然撮影した。

夜の公園で三脚を立てて撮影したものだ。1枚はストロボオフ、もう1枚はストロボオン。

「どちらが真実を写しているか。写真は実に主観的なもので、写真家は被写体の見え方を変えることができることを学んだ」

影響を受けた人物として、2人の人物を上げた。英国のコメディアンであるトニー・ハンコックと、夭折した写真家のトニー・レイ=ジョーンズだ。

「アイロニーは英国の文化であり、ユーモアとともに私の作品にも込めていきたいと思った」

1980年代から、中判カメラを使いカラーフィルムで制作するようになった。カラー作品の端緒となったのが「The Last Resort」(1986年刊)だ。かつて人気だったリゾート地、ニューブライトンに集まる家族を撮影したものだ。

「うらぶれた風景の中で起きている家庭的な出来事という対比を狙った。撮りに行くのはゴミで一番汚れた日曜の午後を選ぶ。ドキュメンタリーフォトグラフィーなのだけど、フィクションの要素を入り込ませる。それが写真家の視点だ」

「The Last Resort」より

その後は、スーパーマーケット、ガソリンスタンド、フードセンターなど、被写体として人が見向きもしない光景を選んだ。

「何年も経った後で、どうやってその時代を解釈するか。今見ると、当時の給油ポンプは旧式となり、着る洋服も様変わりしている。私のDNAは普通のもの、見過ごされているものに引き寄せられる」

そうした「退屈な場所で面白いものを撮る」ことがパー氏の写真の核を成しており、そのために数多くのシャッターを切る。「その中から良い1枚を選ぶこと。選んだ以外の私の写真はクズ同然だ」と話す。

80年代末には、見過ごされているものとして中流階級を選び、「The Cost of Living」(1989年刊)を制作している。

「The Cost of Living」より

「Small World」(1995年刊)は世界の観光地がモチーフだ。ピサの斜塔やマチュピチュなどとともに、ラスベガスにあるベネチアやパリ、東武ワールドスクエアの光景も並ぶ。さらにそれぞれの写真には、観光を楽しむ人々の姿が入り込んでいる。

「私が写したいのは、その場所の美しさや神秘性などではなく、現実を収めたい。旅行客がいてこその観光地の風景なんだ」

「Small World」より

「世界最大の屋内ビーチだった宮崎のオーシャンドームが閉鎖されたのは残念だよ」

「Small World」より

「いつもエキサイトして活動していたい。ただ長年、やっていると以前やったパターンにはまることもあり得る」

1995年には、医療用で使われていたリングフラッシュとマクロレンズの組み合わせを撮影に持ち込んだ。接写で、モノのディティールがより明確に写せる。

「イギリスの食べ物を撮ろうと思った。ソーセージやケーキ、パンなど。とにかく、まずそうなところを見せたかった。食べ物からは人や社会が見えてくるからね。大好きな被写体の一つだよ」

それが「British Food」(1995年刊)だ。

「British Food」より

新たなフィールドにも挑戦

今、取り組んでいるのは望遠レンズを使った作品制作だ。このレンズはスポーツや報道の現場で活用されるが、アートの分野ではあまり活用されない。パー氏が選ぶ条件にはぴったりだ。ロケ地は海岸を選び、アルゼンチンのマル・デル・プラタやスペインのビーチリゾートを訪れている。

「ボケを重視し、かつディティールを出すことを自分に課している。今はこれに素晴らしく可能性を感じている」

自らの写真だけでなく、有名無名問わず全ての写真に興味と関心を注ぐ。そのフィールドは広大で、実に貪欲だ。

イギリスのサッチャー元首相が大嫌いだと公言しつつ、彼女のアイテムをコレクションするほか、写真を使った絵皿、時計、ビンラディン・グッズ、世界各地のポストカードなどを好んで手に入れている。

中でもパー氏が好きなモチーフは自分なのかもしれない。autoportrait(自画像)は約30年来、撮り続けている。ただし、この写真を撮るのは自分ではなく、各地のポートレートスタジオなどで、他人に撮ってもらう写真だ。

「これを続けてきた間、二つの大きな変革があった。一つはアナログからデジタルに変わったことで、もう一つは自分が歳を取ったことだ」

ウクライナで撮影
メキシコで撮影
バルセロナで撮影
ニューヨークのスタジオで撮影

25年前、ジャマイカで撮影し、15年前に北朝鮮・平壌でも撮った。

「写される時、笑わない。一貫して真面目な表情でカメラの前に立つ」

そうしたすべてが氏の創作意欲を刺激し、活動の原動力となる。それは楽しみであると同時に、写真家であり続けるために必要不可欠な行為なのかもしれない。

マグナムフォトは新人を求めている

講演後、30分以上、質疑応答が続いた。海外での活躍を期する日本の写真家へアドバイスを求められると「素晴らしい写真を撮ることです」と答えは明瞭だ。

「海外で出版しようとしなくても、日本の出版社でも世界にはつながっています。ただ英語を身につけることも重要です。ヨーロッパで評価の高い川内倫子さんとは2004年、アルルで会いました。その時、彼女は英語が話せなかったけど、今は話せるようになっています」

技術が進歩し、誰でも気軽に写真が得られる時代だ。そこで写真の未来像を問われると、「瞬間をきちんと捉える。それが真実であり、そうして得た1枚は説得力が違う」と断言する。

「瞬間をとどめるカメラはなくならない。私はその点ではピュアリストであり、オールドファッションです」

またマグナムフォトについての印象を求められると「新人はいつでも求めていて、日本からも素晴らしい若い写真家を探している。ヨーロッパの男性に偏りがちなので、女性であることは有利な条件の一つでもあります。興味があれば、マグナムの日本事務所に履歴書を送ってほしい」と回答した。

市井康延