・PHOTOGRAPHER HAL(ふぉとぐらふぁー はる)
プロフィール:1971年東京都日野市生まれ、6歳より埼玉県日高市で育つ。本名、川口晴彦。1996年東海大学工学部機械科卒業後、広告制作会社の株式会社東京アドデザイナース写真部に入社する。1999年より同社フォトグラファー。2004年に写真集“Pinky & Killer”リリース後、カップルを主な被写体として撮り始める。2007年に出した写真集“Pinky & Killer DX”で2008年のParis Photoに参加したことがきっかけで、フランスで次作品“Couple Jam”が売れ始める。2010年から撮り始めたシリーズ“Flesh Love”がアメリカのサンディエゴで行なわれる国際コンペ“Art of Photography Show”で1st Placeを受賞。写真集「Pinky & Killer」私家版、「Pinky & Killer DX」、「Couple Jam」、「Flesh Love」冬青社刊。個展2006年「Pinky & Killer 100 Couple:」、新宿ゴールデン街Tomorrow、2008年「Pinky & Killer DX」ミームマシーンギャラリー、2009年「Couple Jam」ギャラリー冬青、2011年 「Flesh Love」新宿ニコンサロン その他、グループ展などに多数参加。
■まるで歌舞伎町と道頓堀をかき混ぜた小宇宙が、東京湾に突如出現したようなSMALL WORLD
ショッキングピンクにコバルトブルー。レモンイエローにカーマインレッド。これでもかっ! というくらいの超ド派手な色彩の組合せ。蛍光色に金銀が煌めき、漆黒の闇の中に散りばめられたスパンコールの華が煌びやかに咲く、怪しいPOPな夜の世界。21世紀のTOKYOに生きる若者たちをラディカルに、そしてカップルたちに強烈なストロボライトの光源を浴びせて一瞬で切り取っていく。魚眼レンズにも見える超広角のケラレの使い方が、暴力的なまでに淡々とした写真群。ド派手なのにクール! 歌舞伎町と道頓堀が混在した小宇宙が東京湾に突如出現したみたいなSMALL WORLD。ありそうでなかった新しい写真。それが初めてHALと会った日に持参してくれた「Pinky & Killer」という写真集になったばかりの、A4ファイルに入ったオリジナルプリント作品から放つエネルギーに対しての素直な第一印象だった。
あれから何年も経った。その後「Pinky & Killer DX」「Couple Jam」と作品群はベースラインを同じく保ちながらも徐々に形を変えて進化し、2011年の暮れ。最新作「Flesh Love」として新しい本が完成して届いたばかりだ。昨年から撮影をスタートしたこのシリーズ。この夏に撮影現場へ何度もお邪魔してきたのでリポートは後半に紹介する。
「Pinky & Killer」より (c) PHOTOGRAPHER HAL |
「Pinky & Killer DX」より (c) PHOTOGRAPHER HAL |
■広告職人としてのバランス感覚と「無駄なことは何も無い」という姿勢
もうひとつの顔というか、フォトグラファーHALとしての作家活動以外の時間、実は平日の昼間は株式会社東京アドデザイナースという広告制作会社の写真部に身を置くスタッフフォトグラファーなのである。HALは、百貨店、ファッション、学校、流通、各種メーカー、サービス業など、さまざまな企業のポスターや雑誌広告、パンフレット、カタログなどの媒体で、広告宣伝物に使用する写真を撮影するカメラマンでもある。日頃のHALはPHOTOGRAPHER HALという作家ではなくて、川口晴彦という広告カメラマンであり、会社員でもあるのだ。
話題になったキャンペーンなどもたくさんあるので、街角や駅、店舗、販促物などいろいろな場所で見かけたことのある人も多いのではないだろうか。ボク自身もフリーランスの立場で、日頃は同じく広告写真を撮っている人間なので、よーく解るのだが、これらの広告写真の撮影には大元の発注者であるクライアント(広告主)、広告代理店、デザイン事務所やプロデュース会社などの制作会社、デザイナー、コピーライター、スタイリスト、ヘアメイク、キャスティング、コーディネーター、モデル、ロケバス、アシスタント、場合によってはムービーカメラマンやオペレーターetc とにかく大勢のスタッフによって、決められた条件を満たしていくという共同作業の現場だ。そこは広告写真を制作する現場であって、カメラマン個人の自己表現の場ではない。カメラマンはチームの一員としての役目を担って働く。限られた時間と予算(豊富にある場合もなくはないが・笑)と条件の中で、期待されている一定レベル以上のモノを創り上げていく。当たり前のようでいて難しい。それを責任持って全うすることがプロフェッショナルな職人だ。
(c) PHOTOGRAPHER HAL | (c) PHOTOGRAPHER HAL |
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(c) PHOTOGRAPHER HAL | (c) PHOTOGRAPHER HAL |
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彼が生まれた1970年代初頭といえば我が国のモータリゼーション盛んな時期。自動車部品を作るための工業用ロボットの設計事務所を経営していた父親の仕事の関係で、幼いときに埼玉県へ引っ越した。ご両親の他に3歳違いの弟さん妹さんのいる家族の長男として育った。山や川が身近にある埼玉県でも自然が多く残るエリアで暮らしていたHALは幼少の頃から、“根っからの野生児”としてたくましく育ったようだ。自転車のスポークの先を尖らせて槍にして、近くの高麗川に入り鮎などを突いて獲ってははらわたを取った魚を焚き火をして焼いて食べたり、胡桃の実を割って食べたりしてたらしい。キャンプや林間学校でもないのにそんなことして暮らしてる小学生って、野生児というよりもジャングルに棲息する原始人か(笑)。
その後は渓流釣りをしたり、釣り船で海に出て鯵や鰹を釣りにも行くようになる。母親に怒られて家に入れてもらえなかったりすると、近所に落ちているテレビや冷蔵庫などが入っていた大きい段ボールを拾ってきては、工作して簡易基地を作って、家の外で眠ったりもしていたと。子どもの頃からナイフを持ち歩くようになったHAL少年、はじめに手にしたスターターキットは文房具屋で買った「肥後の守」(ひごのかみ)という子ども用の和式の小さな簡易ナイフらしい。小さな頃からいつも持ち歩いて、まるで自分の手足のように使いこなしていたので、生活に欠かせない存在だった。いまでも必要な時にはパッと素早く出して使うことが多い。スタジオワークや撮影の仕事現場にはカッターなどが必要な場面が多々あるが、ナイフ捌きは並みじゃないと思ったら年季が入っていたわけだ。そういえばはじめて会った頃にナイフが似合うオトコの印象があった(笑)。
「以前はいつでも持ち歩いてたけど、おかしな人が増えて犯罪が多いから今じゃナイフとかを持ち歩くっていうのは危険なんでやめちゃいました。年齢的にもすっかり難しい時代になっちゃいましたよね(笑)」「もしもカメラマンをやってなかったら、カスタムナイフを作る職人になりたいと真剣に思っています。そのくらい好きですね!」
「会社に入ってすぐからの、アシスタントの仕事がすごく忙しかったんです。朝早くから帰りも深夜になることばかりが続いてかなりきつくて、そのうちもう辞めようかなって思った時期もありました。会社を辞めてフリーになっていく人も多い時代でしたけど、だけどせっかく入った会社で自分ができることが何かあるんじゃないかなと。いま会社を辞めても中途半端で何にもならない。今はアシスタントで面白くないけど、ちゃんと続けてやってればこの先にいいことがあるんじゃないか? もっと面白くなるんじゃないかと考え直して、その頃から自分の作品も撮るようになっていきました」
以前はポジだと紙焼きのプリントで見せるのが難しいから、作品として成立しにくいという風潮だった。それもあってボクはモノクロでスタートして、そのうち全ての作品をネガカラーで撮って暗室に自現機を揃えて、自分でカラープリントをするようになっていったんだけど、その辺はどうしてたの?
「会社には結構前からドラムスキャナーがあったんで、それを使わせてもらって、現像したポジフィルムをドラムスキャンで取り込んでデータ処理したものを原稿にしてインクジェットで出力するというやり方ですね」「アシスタント時代から今でもそうなんですけど、地味な仕事だとか、小さい仕事だとかでも、どんな条件の仕事でも面白いものや発見があると思ってるんで、いやな場面も経験だと思うんです。若い人とか、派手なことや目立つことばかりをやりたがるけど、何やってても必ず新しい発見があるんで大事じゃないかと」
「入社当時はまだ景気のいい時代でしたから、会社にはカメラマン、アシスタントがそれぞれ12〜13人づつくらいいて大所帯でした。初めの3年間はアシスタントやってて、4年目くらいから先輩のやってる仕事の一部を徐々にやらせてもらえるようになっていきました。ショッピングセンターのポスターとチラシ広告の撮影を任されたのがターニングポイントですね。別の仕事で知り合ったディレクターが、撮影の現場でかなり冒険させてくれたことも今の仕事に繋がっていると印象に残っています」
(c) PHOTOGRAPHER HAL | (c) PHOTOGRAPHER HAL | (c) PHOTOGRAPHER HAL |
(c) PHOTOGRAPHER HAL | (c) PHOTOGRAPHER HAL |
(c) PHOTOGRAPHER HAL | (c) PHOTOGRAPHER HAL |
■野生児だった川口少年。どうして、この世界へ入ろうと思ったの?
「10代の頃から親父の仕事場に出入りしたりしてて、子どもの時代は、長男だしいずれ自分が親父の仕事の跡を継ぐんだろうなって漠然と思ってたんです。大学は工学部の機械設計科というところに通っていて、大学生の時にはその設計事務所でアルバイトしてたんですけど面白く無くって」
「コレってなんか自分には向いていないなあーって思い始めたんです」
具体的に、何がそう思わせたんだろうねえ?
「親父の仕事は、自動車部品の組み立てロボットの設計をやってるんですけど、自動車そのものから遠い存在にいるようで、関わり方が歯車の一部でしかなく全体像が見えてこないんですよ。自分の目からは自動車を作っている実感がしないっていうか」「まあ、今思うと学生なんて遊びたい盛りじゃないですか。家の仕事が何をやってても、外へ出て遊ぶことしか頭になかったんでしょうけどね(笑)」「もしもウチの親父がカメラマンだったとしたら、カメラマンになりたいとは絶対に思わなかったかもしれないですね」
「それからは、この先どうやって生きていこうか? って悩み初めて。取りあえずパチンコ屋でアルバイトしてたんですけど、バイト仲間がインドへ行って来たっていう話しをきいて、もしかしたら世界観が変わるかも知れないな、面白そうだなって。バイトして稼いだお金で旅に出ようって、自分もインドへ行ったんです」「2回目がパキスタンとイラン、次が中国へ行ってチベットを通ってネパールとか、1回行くと2カ月くらいなんですがだんだんと貧乏旅行にはまっていって。学生時代はバイトしてお金が貯まったら、また旅へ出ての繰り返しでした」
よくある話で、悩める若者が旅先に出て、写真を撮り始めたわけだ(笑)。
「はい(笑)。インドへ行くときにはじめてカメラを買いました。ニコンのFM2に標準レンズ付きを新品で。外国へ行くと、見たことがない風景だったり人種とかに出会ったりして面白いじゃないですか。それまでは友達とかと一緒の記念写真だって撮ったことがなかったんですが、二度と来れない旅かも知れないって思うと、旅先で写真を撮って残しておこうって」
「最初はネガカラーで撮ってたんですが、そのうちに写真のカルチャースクールみたいなところへ通ってモノクロのネガ現像とかを教わって、モノクロフィルムで撮るようになりました。学校で教わったとおりに、暗室道具を買い揃えて部屋で暗室作業とかやり始めました」
「卒業が近づいてくると大学の仲間たちは、工学部なので設計の仕事でメーカー系へ就職したりSEになったりしていくんですけど、自分のまわりに写真関係でやってる人が誰も居なかったんで、学校の就職課の事務員にきいても情報がないし、どうやってカメラマンになるのかサッパリわからなかったんです。そんな時にマスコミ電話帳を買ってきて出版社とか広告会社とかに葉書を送ったりしてたんですが、その中で今の会社を受験することになって就職しました」
「入社試験で4×5カメラを使って与えられた課題を撮る実技がありました。4×5カメラの使い方はカルチャースクールで最低限必要なことだけは教わってたんですが、試験の現場でポラを切って見せることになり、そこで初めてポラロイドフィルムやポラホルダーを見たんです。どうやって使うのか全くわからなくって、、、。一緒に受けてる他の人たちは大抵が写真の大学や専門学校に行ってた人なんで自分でできるんですが、僕は使い方をまったく知らなかったんで試験管の手伝いの人にききながら、手取り足取りでやったらちゃんと撮れててましたね。知らない作戦で会社の試験に受かったんです(笑)」
その時の試験官助手のひとが、就職したら会社の先輩になったわけだ。ラッキーだったよね、今じゃ考えられない感謝しなきゃね(笑)。
11月初旬のある日。茨城県でのファッションメーカーのコレクションカタログ撮影ロケ。まだ真っ暗い中、渋谷ハチ公前。早朝5時半に集合して、大型ロケバスとワンボックスの機材車は6時には出発〜! 8時過ぎ、太平洋に面した現地ハウススタジオに到着。すぐに機材や衣装を降ろして準備開始。今回の撮影スタッフはクライアントさんを入れて24人 |
HALくんの人物撮影チームと、同じく東京アドデザイナース写真部の野口カメラマンのブツ撮りチームの2班同時進行体制でロケをするので、両カメラマンはクライアント、デザイナー、ディレクターとそれぞれの打ち合わせをして準備を進めていく |
進行表をチェックしながら撮影順序の検討は天気との戦いでもある。日中シンクロのストロボの配置や光量は写真の決めてにもなるので慎重にセッティングされる。スタジオや屋内ロケの必需品、空気の抜けたテニスボールは三脚やスタンド類の下に挟んで床面をガードする |
両チームとも本日のカメラはキヤノンEOS-1Ds。ブツ撮りの野口さんは主にTS-Eレンズでアオリを使っていく。HALくんは28mm、35mm、50mm、85mmをメインに使っている。ダミー人物で構図を覗くときにはたいてい、24-70mmを装着してテスト撮影をして画角やレンズを決めていく。小さなカットの場合もこのレンズが多い |
膝のプロテクターは彼のロケでは必ず必要になる。サバイバルゲーム用品の流用らしいが、膝をついて撮影が多いので重宝しているらしい。直結したMacでのピントのチェックは大事な役目だ。ボクもそうだが、撮影に夢中になっていると構図やシャッターチャンスが優先になりがちなので、開放近くだとピントの範囲が狭いのでオペレーションしてもらったほうが正確でよい |
年代物のミニ。ブルーのペイントがかわいい自動車だ、ボクたちが若い頃、メイクさんやスタイリストさんたちはよくこのクルマに乗っていたものだ。カメラマンは後部が観音開きに開くタイプが多かったなー。なつかしい |
嵐のような強風が吹きすさむ中、春夏シーズンの撮影は着々とすすんでいった。風も強く、海の波しぶきや砂が飛んでくるので、何度も行なわれたレンズ交換は、マッハの速度で行わなければいけない。11月半ばの寒い日の水温は想像もしたくない程冷たいだろう。モデルさんのプロ根性には脱帽だ。午後はスタジオや海岸を離れて、ゴルフ場へ移動 |
ここでもテキパキと撮影は進んでいくが、カット数がたくさんあるので急がなければ時間が足りない。撮影スタッフの皆さんを遠目から見ると、ゴルフにきた集団に見えなくもない(笑)。日没ギリギリのところで、無事すべてのカットの撮影を終了。オツカレサマでした!! |
ロケの時のレンズは2種類に分けられて、バッグに収納&持ち運ばれる。この写真はズームレンズが入ったバッグ | こちらはもう一つのバッグでロープロ製。単焦点のレンズやメーターなど小物も入れるのでやや大きめ |
「Couple Jam」より (c) PHOTOGRAPHER HAL | 「Couple Jam」より (c) PHOTOGRAPHER HAL | 「Couple Jam」より (c) PHOTOGRAPHER HAL |
「Couple Jam」より (c) PHOTOGRAPHER HAL | 「Couple Jam」より (c) PHOTOGRAPHER HAL | 「Couple Jam」より (c) PHOTOGRAPHER HAL |
「Couple Jam」より (c) PHOTOGRAPHER HAL | 「Couple Jam」より (c) PHOTOGRAPHER HAL | 「Couple Jam」より (c) PHOTOGRAPHER HAL |
最初は洋服を着たままで一度中に入ってテスト撮影をして感じを掴んでもらってから、本番に挑む。呼吸ができない袋の中で、息を止めていられるのは10秒以内。カウントしながら撮影をする。イザっていう時のためにも助手が必要な現場だ。1回でシャッターチャンスは2回、もしくは3回までが限界なのでほんの数回しかシャッターを切れない苦労がある。 |
撮影時に、モデルさんが、万が一呼吸困難になったり熱が出た時のために、瞬間冷却剤と酸素ボンベは必ず準備している。実際に袋の中に入ってみたらどんな感じなのか? レポーターとしては気になったので自ら中に入って閉じ込めてもらったのだが、HALくんたち外の世界が曇ったら霞んでハッキリと目視し難いので不安になってすぐに開けてもらったら生き返ったみたいな感じ。やっぱりモデルは務まりません(笑) |
都内にある自宅の作業場。パソコンはデスクトップがiMac、ノートが15インチディスプレイのMac Book Proを使用。プリンターはキヤノンPIXUS Pro9000。予備のインクカートリッジは常に確保。書類や紙類、データなどは収納ボックス、カメラ&レンズ機材は防湿庫にちゃんと整理されている。 |
フィルムカメラは昔から使ってきたブローニーのペンタックス製。67と645が揃っている |
デジタルカメラとレンズ類はキヤノンがメイン。EOS-1Ds、EOS 5D Mark II、EOS Kiss X3。リコーGX200も |
三脚は定番のハスキークイックセット。マンフロットのカーボン一脚にはペンタックスのクイックシューセットを装着 |
長年愛用しているショルダーバッグとセコニックの露出計 | エプソンのフォトスレージとMacBook Pro 15インチ |
以前のシリーズ撮影までに活躍したセットはEOS-1Dsに装着した24㎜レンズ。そしてアメリカ製メーカーのリングストロボシステムを改造した手製のリングライト。フード部分がブリキを削って突き出てる部分をなくしている。中にはキヤノンの580EXが入っている。 |
■昼間の「川口晴彦」から、深夜の「PHOTOGRAPHER HAL」に変身していく過程
「最初はスナップを撮りたかったんですが、平日の昼間は会社の仕事で自分の時間がないので、仕事が終わったあとで撮れるものはないかとテーマを探してたんです。ポジフィルムで夜の世界を撮影するようになり、同時に休みの日でスタジオの空き時間は使えたので自分と同じように若いメイクさんやモデルさんと作品撮りをやってたんです。それを融合させた手法が自分流の手法かなと発見しました」
そこらへんから「Pinky & Killer」のシリーズへと繋がっていくわけだね。そして、好きな写真家は森山大道だと云う彼らしく、初期に撮られた夜の街や、ワイドで切り取っていくスナップ写真には、カラーなんだけど森山さんぽさが出てる写真がある。
「夜の街でスナップ写真のシリーズを撮ってるうちに知り合ったある人が印刷会社の人だったんです。その人物が中心となって仲間内で、この作品で写真集を作ろうということになったんです。クレジットを入れる時の名前をどうしようかと相談してたんですが、本名の川口晴彦でもいいんだけど、なんかインパクト無いなと。名前を見た時に、男なのか女なのかもわからないような名前でかつ、写真家だとすぐわかるような印象的な名前がないかなーってことで、思いついたのが、“PHOTOGRAPHER HAL=フォトグラファー ハル”だったんです」
何度もいろんな話しをしてきたけど、名前の由来については今こうしてインタビューして初めて訊いた。
もう7〜8年前だが、最初に彼の名前をきいた時、「えっ、ボクと似てるなー」とか、確か「プロゴルファー 猿」ってマンガがあったよなー、とかいろいろ思い巡らせた記憶がある。しかもこのコーナータイトル「Photographer’s File」ともカブってるので、今回は紹介の仕方が困ったなあ〜っとも思った!!(笑)
「Flesh Love」より (c) PHOTOGRAPHER HAL | 「Flesh Love」より (c) PHOTOGRAPHER HAL |
「Flesh Love」より (c) PHOTOGRAPHER HAL | 「Flesh Love」より (c) PHOTOGRAPHER HAL |
「Flesh Love」について作者からのコメントがある。
『恋人と抱き合っていると、そのまま溶け込んでしまいたいと思うことがある。私はそれを具現化するため、小さなスペースやラブホテル、バスタブでカップルを撮影してきた。作品の密着度はより濃厚なものへと向かっている。結果として密着度を増すことにより、コミュ二ケーションは必要不可欠なものとなる。そして今回カップルを真空パックにするところまで行き着いた。撮影セットは自宅のキッチンに組んでいる。天井にはライトが常に仕込んでありスイッチ一つでライティング準備OKになっている。背景用の紙もいくつもの種類を丸めてキッチンの隅に置いてある。カップルが圧縮袋の中に入ってもらい、その中の空気を掃除機で抜く。中は完全に真空状態。撮影時間は10秒間。その間にシャッターを切らな ればならない。せいぜいシャッターは2回が限度だ。自分でも袋に入ってみたが、とてつもない恐怖感がある。撮影も回を重ね毎に真空度は増し、お互いの身体はコミュ二ケーションを取り始め凸凹や関節の曲がり、カップルが表現したい形へと納めていく。二人の距離がぐんぐん縮み、やがて一つにトランスフォームする。 二人の新鮮なLOVEがたっぷり詰まっている真空パックを見ながら、この2人のように人と人とが手を繋ぎリンクして行く事ができれば、戦争のような争いごとの無い平和な世の中になるに違いない。真空パックは私に取って単なる手段でしかない。リンクする事が大事なのだ。』
■「FRESH」よりも「FLESH」?
この夏にサンディエゴで行なわれた“Art of Photography Show”というコンペで“Flesh Love”シリーズの作品が1位を受賞したということで、おめでとうございます! だけど現地へ行くまではいろいろ不安要素もあったということだけど? それと「フレッシュ」が新鮮なFreshじゃなくてFleshなんだけど。
「ありがとうございます。コンペに応募してから“受賞したので賞金を手渡したいから、こっちへ来て欲しい”というメール連絡が来たんです。サンディエゴの町興しで入賞作品を展示販売してる場所があるんですが、大きなショッピングモールみたいな場所のホールが会場なので、ロスからも近いのでもしかしたらセレブリティが買いに来てくれるかも知れないな? という期待があったから自腹で出掛けたんです。前もって額装して、7万円もかけて送っておいた作品が輸送途中でダメージを受けていて、再プリントしなきゃいけなかったりとか、現地の空港でも長時間足止めをくらったりとかいろいろとトラブルがあったんですが、会場へ行ってみると僕の作品が看板になって飾ってあるんですよ。で、中へ入ったら作品に「1位」の札が貼られてました。やったーって思って! それからは大変な騒ぎで、HALと一緒に話したいとかサインを欲しいという人たちが大勢行列を作っていましてちょっとしたお祭りですよ(笑)。受賞したことで、アメリカの別なアートフェアに出品しないかという問い合わせや、あなたの作品を販売したいという、イタリアからの申し出もあったんで、この先どうなるかわかりませんけど種は蒔いてきたかなと」
「タイトル、実は最初は綴りを間違ってしまったんですよ。だけど「肉の塊」みたいな方がより親密というか密着してる感じがしたんでコレでいこうと(笑)」
それも凄いね、大成功だよね! そういえばU2のボーノと一緒に写ってた写真をみたんだけど。会場にボーノも来てたんだ?
「実はアメリカまで行くかどうか考えてる時に、参考のために去年の授賞式のビデオを見てたら、授賞式にU2のボーノが写ってたんです。きっとボーノも写真が好きで買いに来たりするんだ、と思ってて。それで現地へ行って実行委員にそのことを話したら“ああアレね。ボーノの公式ソックリさんで明後日ニューヨークの営業から帰って来るから、会いたいなら1位のお祝いに呼んであげるから一緒に飲みましょう”ってことで席を設けてもらって飲みました。そしたら胡散臭い日本語を喋るんですよ、彼は昔、日本に2年間住んでたとかで(笑)」
肝心の受賞金額は今年の円高為替レートで、往復の航空機代や宿泊費や作品輸送費などで消えたらしいけど、ボーノとも飲めたから良かったんじゃないかなあ〜……(笑)。
「仕事にしても何にしても、出会いとか偶然とかの積み重ねなんで、やっぱり人生は全部旅をしてるんだと思います。10代の終わりに初めて旅に出てから、ずっと旅は続いてるんです。まさか40歳になるまで会社にいるなんてコレっぽっちも思わなかったですけど、今こうしているのも、旅先で泊めてもらった友達の家が居心地が良かったんでそのまま居着いちゃったみたいなもんで、僕達が知り合ったのも同じで、すべて旅をしているようなものでしょうね」
最後にひとつ質問だけど、カメラマンとカスタムナイフ職人、どっちを選ぶ?
「やっぱりカメラマンですね。カメラマンになって良かったです。いい職業をやってると思いますよ」
きっと、そういうだろうと思ってた(笑)。
夜の街のスナップショットから始まり、カップル写真へと進化して、バスタブへ詰め込んでいたと思ったら、今回は圧縮袋にバキュームされてしまったカップルたち。今後、カップルたちは一体どうなってしまうんだろうか?(笑)。
いつも飄々としてるHALくんだが、意外なカタチでアイディアを具現化してしまう。これから先もフレッシュな発想の作品でボクたちを楽しませてくれるだろう。
- 名称:PHOTOGRAPHER HAL写真展「Flesh Love」
- 会場:ギャラリー冬青
- 住所:東京都中野区中央5-18-20
- 開催日:2011年12月2日〜2011年12月24日
- 時間:11時分〜19時
- 休館:日、月、祝日
文中、敬称略
取材協力:ヤマトインターナショナル株式会社、株式会社協同宣伝、株式会社東京アドデザイナース
- ペンタックス645D、FA 645 55mm F2.8、SMC Pentax 67 75mm F2.8 AL
- キヤノンEOS 7D、EF 16-35mm F2.8 L II、EF 50mm F1.4、 EF 85mm F1.8、EF-S 10-22mm F3.5-4.5 USM
- ニコンD7000、AF-S NIKKOR 16-35mm F4 G ED VR、AF-S DX NIKKOR 18-200mm F3.5-5.6 G ED VR 、SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 DC HSM
- オリンパスE-P3、M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6ⅡR
- パナソニックLUMIX G VARIO HD 7-14mm F4 ASPH
- サンディスクExtreme Pro SDHC、Extreme Ⅳ CF
2011/12/2 19:44