写真展
赤羽末吉スケッチ写真「モンゴル・1943年」
(JCIIフォトサロン)
Reported by 本誌:河野知佳(2016/5/23 17:00)
後に『かさじぞう』『スーホの白い馬』などの絵本作家として名をはせる赤羽末吉(1910-1990)は、22歳で満洲国(中国東北部)へ渡り、絵画の腕を見込まれて満洲電信電話株式会社で広報の仕事に就きました。1943年には興安に新設される成吉思汗廟内の壁画制作グループの一員として内蒙古(内モンゴル自治区)を取材し、スケッチ画と写真を残しています。本展ではこの時に撮影された写真約90点を初公開いたします。
草原に点在するパオ、馬や羊の遊牧、晴天からスコールへの変化が一望できる大空、貝子廟での祭り、装飾的な民族衣装など、モンゴルの大地と民俗が画家の視線で切り取られています。後の赤羽は「ひ弱と思われる人間が、大地に足をふんばって、営々とたくましく生活している」とモンゴルの印象を記しており、写真にはその新鮮な感動が表れています。
長春(新京)での留用を経て日本へ引き揚げる際は、「いつか絵の大作に役にたてよう」と携行厳禁であった写真やネガを密かに持ち帰りました。これらを参考に、1961年にモンゴル民話の絵本『スーホのしろいうま』を描いています。
学問寺として名を馳せた貝子廟は、1966年の文化大革命で破壊されてしまいました。近代化が進む現在、赤羽の写真は73年前のモンゴルを伝える貴重な記録でもあります。
会場・スケジュールなど
- ・会場:JCIIフォトサロン
- ・住所:東京都千代田区一番町25番地JCIIビル
- ・会期:2016年5月31日(火)〜6月26日(日)
- ・時間:10時〜17時
- ・休館:月曜日
- ・入場:無料
作者プロフィール
1910年 5月3日東京・神田美土代町に生まれ、1923年に赤羽家の養子となる。
1928年 順天中学校を卒業。この後、日本画家に1年間入門し、プロレタリア美術研究所に3カ月通う。
1932年 姉夫婦を頼って満洲国大連に渡り、運送会社に就職。傍ら絵を描き続け、郷土研究グループにも加わる。
1936年 満洲電信電話株式会社(新京)に移り、1945年まで広報などの仕事に携わる。
1942年 「開拓地の子ら」で第5回満洲国美術展特選賞を受賞し、満洲美術家協会委員となる。
1943年 新設の成吉思汗廟内壁画「成吉思汗一代記」制作グループの一員として、内蒙古、大同、北京に取材旅行。
1947年 敗戦後に長春で留用となり、瀋陽収容所を経て日本へ引き揚げ。
1948年 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)民間情報教育局(CIE)展示課に就職。
1952年 アメリカ大使館文化交換局展示部に勤務し、展覧会などに携わる。
1961年 福音館書店の絵本『こどものとも』のために「かさじぞう」「スーホのしろいうま」を制作。この後、日本と中国の民話などを題材に絵本を多数制作。
1967年 改訂版『スーホの白い馬』を上梓し、サンケイ児童出版文化賞などを受賞。
1969年 アメリカ大使館を退職して専業の絵本画家となる。
1980年 画業全般に対して国際アンデルセン賞画家賞を受賞。
1990年 6月8日逝去(享年80歳)