中筋純写真展「黙示録チェルノブイリ 再生の春」
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「廃墟は独特の空間。作ろうと思って、作れる場所ではない。朽ち果てていく一方で、さまざまな生命が芽吹き、人間の思惑と関わりなく、新たな場所へと生まれ変わっていく」
中筋さんは1990年代半ばに、雑誌の企画でこのテーマに出会った。以来、日本中の廃墟を撮影し、今も、漫画実話ナックルズで「廃墟探訪IV」を連載中だ。
「チェルノブイリを訪れた時、僕が廃墟を撮り始めたのは、これを写すためだったのかもしれないと、ふと思いました」
この写真展の企画をサロンに応募したのは昨年10月。今日の状況は誰も予想だにしなかったことだ。単なる偶然か、天の配剤か。作者が投げかける「再生のイメージ」を、一人でも多くの人が真剣に受け止めてほしいと願う。
会期は2011年4月12日~25日。開館時間は10時半~18時半(最終日は15時まで)。入場無料。会場の新宿ニコンサロンは東京都新宿区西新宿1-6-1 新宿エルタワー28階。
「質問がでやすいように、敢えてキャプションはいれませんでした」と中筋純さん。会場に作者がいたら気軽に質問しよう | ネガをスキャンし、ラムダとインクジェットで出力した |
■廃墟が語ること
ギャラリーに入ると、正面の壁一面にパノラマ写真が展示されている。チェルノブイリ原子力発電所に隣接したプリピァチ市の俯瞰図だ。発電所の城下町として栄えた街には鉄筋コンクリートのビルが建ち並ぶが、当然、ここには人っ子一人いない。
中筋さんは雑誌の仕事では、デジタルカメラをメインに使うが、プライベートの作品制作ではネガカラーを使う。廃墟の撮影では現場の雰囲気を写し込むため、ストロボは使わず、窓から差し込む外光を生かす。当然、三脚は欠かせない。
「ネガのデータキャッチ量は凄い。デジタルだと、ハイライトが飛んでしまうので、2枚撮りで合成する必要も出てくる」
廃墟とはいえ、窓から入る昼の光は美しく、のどかささえ感じさせる。床の隙間から伸びた木は人よりも高く成長し、深緑色の苔についた滴はきらきらと光を放つ。
一方で壁を崩された部屋や、壊されたピアノが横倒しになっている光景もある。
「住人が退去後、盗賊が入って壊していったみたいです」
■写真歴は小学生から
中筋さんは写真好きの父親の影響で、小学生からカメラで遊び始めた。大学時代はバックパッカーとして海外を旅し、同時に写真の面白さにもはまって行った。就職したバイク雑誌「アウトライダー」は、ツーリングの企画記事が中心で、カメラマンと一緒に全国を旅して回った。
「こりゃ、天職だと思ったね」と笑う。
小さな出版社ゆえ、編集とはいえ実質はカメラマンのアシスタント代わり。荷物持ちからフィルムの管理までをこなすうちに、プロのノウハウを覚えていった。
フリーカメラマンとなって、依頼された仕事の一つが廃墟ものの取材記事だ。
「ミリオン出版の『GON!』で最初は1ページものでした。当時はインターネットなんかないから、情報集めが大変。ただバイク雑誌で全国を回っていた時の経験が役に立ちましたね。あとは地元の若い子たちに『肝試しで使っている場所を教えて?』って聞いたりね」
季節、時間帯によって、廃墟はその様相を大きく変える。だから飽きないという。
「気に入った場所は何度も通っています。岩手の八幡平にある松尾鉱山はその一つです」
標高900mの場所に開かれた鉱山町で、背景に岩手山が見える。眼下には街が広がり「風景がダイナミックで、いろいろなレンズを使いきれるんです」。
■初訪問は2007年の秋
チェルノブイリ原発事故は中筋さんが大学2年の時に起きた。環境論をかじっていたこともあり、ずっと気になる存在だった。実際、動き始めたのは2005年からだ。
「最初は正攻法で、政府の出先機関に取材依頼をしましたが、案の定、全く話が進まない。そんな時、スチル撮影の仕事で映画の撮影現場に入ったら、ムービーカメラマンの山田武典さんと同室になりました」
山田さんは、チェルノブイリ原発事故で汚染された村を舞台にした映画「ナージャの村」の撮影アシスタントだ。いろいろ話を聞いた後、「とにかく秋に行ってみなよ」と勧められ、キエフのエージェント経由で具体化させていった。
実現したのは2007年の秋。通訳、案内人、ドライバー兼役所の見張り役の総勢4名体制だ。
「案内は広河隆一さんもガイドしたというベテラン。役所の見張り役は、実は近くの農家のおじさんで、アルバイトでやっているらしい」
発電所の30km圏内は立ち入りが制限され、検問がある。当然のごとく、中筋さんの取材は伝達されていない。
「そんな時のために、ペットボトル入りのビールやウオッカを用意していました」
放射能の汚染濃度が濃い場所は、爆心地から同心円状に広がるわけではなく、不規則だ。現場の人間はその場所を熟知しているが、時折、予想外のところで高濃度が検出されることがある。
「たまに彼らも青ざめていましたが、急性放射能障害になるようなことはありません。事故を起こした4号炉は別ですが」
■春が来るのか確かめたくなった
高所に上がり、全体を見渡すと、見渡す限り平地が続く。そこには、滅多にお目にかかれない美しい紅葉が広がっていた。
「不謹慎だけど、きれいだと思った。空と地球の接点が見えるような広大な場所に、不釣合いな都市がある。それは人間の叡智を結集した施設で、打ち捨てられた残骸なんですよね」
この時の写真は2009年4月からキヤノンギャラリーで発表し、写真集「廃墟チェルノブイリ」を出版した。今回の「再生の春」は、その展示期間中に再訪がかなって、撮影したものだ。
「秋に行った時、ガイドから『1週間後には北極から冷たい風が吹いてきて、冬が来る』と聞いた。そうしたら、本当に春が来るのか確かめたくなったんです。もう一回来るよって伝えたら、彼らは信じられないという顔をしていましたけどね」
事故を起こした4号炉の向こうには、建設途中の5号炉、6号炉がある。秋には足を踏み入れられなかった場所にも、今回は入ることができた。
「見張り役も『役所には内緒にしておくから。ただし10分で帰って来い』ってね」
建物に入ると外部の音は遮断され、低い反響音だけが鳴り続ける。見上げると、空に大きな鳥が飛んでいた。
この巨大な廃墟は、あなたに何を語りかけるだろうか。
2011/4/18 00:00