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写真の星──村上仁一
[2008/05/15]

アパートメント ウェブ フォト ギャラリー──兼平雄樹
[2008/04/10]


2007年

2006年

アパートメント ウェブ フォト ギャラリー──兼平雄樹



 兼平雄樹さんは、10年以上にわたって同潤会アパートを撮り続けている写真家である。

 同潤会アパートは、昭和初期に東京、横浜の16カ所に建設された鉄筋コンクリートの集合住宅である。防災理念や都市中間層への住宅供給という目的で建設されたモダンでユニークな建築として知られている。80年の時を経て古色を帯びた外観と、当時の最新技術や未来への志向をこめられたモダニズム建築としての魅力によって多くの人の興味を引きつけてきた。

 すでに2カ所を除いてほとんどの同潤会アパートは取り壊されてしまったが、映画やコマーシャルなどの「舞台装置」として数え切れないほどの映像として記録されてきた。ぼく自身も何回か三ノ輪の同潤会アパートなどを撮りにいったことがある。産業遺産や廃墟やレトロ(懐古趣味)的な建築への興味は一種のブームとなっており、同潤会アパートもそうした文脈でとらえられている側面があり、被写体としては消費しつくされた感がある。

 兼平さんが撮った同潤会アパートの写真は、そうした流行として消費されていく手垢のついた写真とはまったく異なる次元にある。一番大きな違いは、兼平さんは同潤会アパートに住みながら写真を撮っているということだろう。住人の居室をふくめたアパートのすみからすみまであらゆる場所をもらさず記録するということは、そこの住人にしかできないことである。寝る時とアルバイトに出かける時以外のほとんどすべての時間をアパートを撮ることに費やす生活を何年も続け、兼平さん自身にも何枚あるかわからないという大量の写真が撮影された。

 それらの写真は情緒や演出を排したきわめてオーソドックスかつ端正な写真であると同時にある種のタイポロジー(類型学)的な写真のように過度に抑制的であることをポーズのように示すものではない。兼平さんの写真を見て感じられることは、同潤会アパートのすべてを撮りつくしたいという強い欲求と、被写体の一部に同化してしまいたいという欲望のようなものである。

兼平雄樹「アパートメント ウェブ フォト ギャラリー」
http://www.apartment-photo.gr.jp/
1969年東京生まれ
法政大学社会学部
東京綜合写真専門学校、第二学科卒業
1995年~2001年広告制作会社に勤務
1996年同潤会アパートをはじめとする歴史ある集合住宅の撮影をスタート
2000年~2003年清砂通り同潤会アパートに居住
2001年「水辺のモダン」(東京都現代美術館)
2001年「飴色の街-清砂同潤会アパート」(新宿コニカプラザ)
2001年「ヤングポートフォリオ展」(K MoPA 清里フォトアートミュージアム)
2003年「わたしの同潤会アパート展」(日本建築学会 建築博物館ギャラリー)
2004年「消えゆく同潤会アパートメント展」(リビングデザインセンターOZONE)
2005年「同潤会江戸川アパートメント」(コニカミノルタプラザ)
2006年「Tokyo East Perspective」(アサヒアートフェスティバル2006の参加企画)
2008年「同潤会清砂通りアパート-完結編」(コニカミノルタプラザ)


アパートメント ウェブ フォト ギャラリー
兼平雄樹氏

──写真を始めたきっかけは?

 白川義員さんの山岳写真や、藤原新也さんの旅の写真が好きで、それが写真に興味を持ったきっかけのひとつです。学生時代は登山やマウンテンバイクをやっていて、ヒマラヤにマウンテンバイクをかついで登ったりしていました。ヒマラヤにはコンパクトカメラを持っていったのだけど、寒さでカメラが動かなくなり写真が撮れなくてくやしい思いをしました。それで、もうちょっと写真をちゃんと勉強しようと思って東京綜合写真専門学校に入りました。

──同潤会アパートを撮り始めたのは?

 写真学校に通っていたときに、同潤会アパートの写真を撮って持っていくと「こういう写真を撮るのはやめなさい。これは対象に力がある写真であって、写真について考える写真じゃない」と言われたりしました。また、テレビやファッションや広告の世界でも、同潤会アパートが舞台背景として利用されたりしていました。当時は、作品として成立させるのは難しい「危険な被写体」であると思っていました。

 1996年に代官山同潤会アパートがなくなったんですが、あとから調べてみると「いろんな人が撮っている」と言われている割に、実は誰もちゃんと撮ってないんですよね。自分がアパートに対して感じていた愛情や、こういう写真を撮りたいなと思っていたようには誰も撮ってないことに気づくわけです。自分が好きなものはやっぱり自分が撮らなきゃいかんぞ、ということを強く思いました。代官山同潤会アパートが無くなってから、ぼくは本気で撮り始めたんです。好きなものを失ってから撮影をスタートしているんです。



──同潤会アパートの魅力はどんなところですか?

 歴史を経てきた建物の持っている、たたずまいの良さですよね。とはいっても、同時代に建てられた銀行や百貨店といった建築にひかれるということは無いんです。

 たぶん同潤会アパートが持っている、擬似ユートピア的な共同体への理想を感じたのではないかと思います。建物のファサードにしても、中庭をコの字型に包む構造などが、その設計自体が思想を含んだものだと思うんです。それは感じることができる。

 特にぼくが好きだった代官山同潤会アパートは、傾斜地の中に建物が点在していて、その間に緑や中庭や遊ぶ場所があって、それら全体でひとつの田園都市みたいなおもむきがあって、とっても居心地がよかったんですよ。中学生のころはそこに行って菓子パンを食べたりして、いつか住んでみたいと思っていました。

──清砂同潤会アパートを7年間撮り続け、そのうち3年間は実際にそこに住まわれていたわけですが。

 清砂同潤会アパートは全部で16棟が4つのブロックに分かれていて、一番大規模だったんです。中には公園や小学校もあって、店舗も含めてひとつの町のようになっていました。同潤会アパートはその立地によっても、雰囲気や個性が異なります。山の手の同潤会アパートは閉鎖的で部外者が敷地に立ち入れないところもあったのですが、清砂の同潤会アパートは下町の雰囲気がありました。

 最初の4年間は通いながら写真を撮っていました。もちろん住人の居室内には立ち入れませんから、もっぱら外観が中心です。通いつめているうちに親切な住人の方が「そんなに撮りたいなら」ということで、屋上や階段といった共有スペースを案内して撮影させてくれるということもありました。

 ただ、忘れられないのは「汚いところばかり撮りやがって」と住人の方から罵声を浴びせられたことです。そのときはタイミング的にこちらの気持ちを説明することができなかったせいもあって、その言葉についてはずいぶん悩みました。外部から写真を撮りに来ているぼくが同潤会アパートに対してもっているある種の「あこがれ」と、住人の方が自分が住んでいる場所に対して持っている感情のあきらかなギャップをつきつけられたからです。

 そのギャップは住人になることによってしか埋められません。それに加えて、四季や時間の移り変わり、建物の中、居室の中、といった部分は、外から通っているかぎり、なかなか撮れないんですね。



──で、実際に清砂同潤会アパートに入居されるわけですが、それはどうやって。

 現在では同潤会アパートは基本的には分譲されているんですが、中には家主さんが賃貸している物件もあるんですね。通って写真を撮っているときに、賃貸物件の貼り紙を見て、不動産屋に連絡して、その時はすでに埋まってしまっていたんですが、それから1年くらいたって空きが出たという連絡をもらい、契約して入居しました。

──住人の方とはどういう交流を持ちましたか?

 写真を撮りたいという一心でアパートの共同体の中にどんどん入り込んでいったという感じですね。高齢化が進んだアパートを支えるために若い人手がけっこう求められていたので、積極的に手伝ったり役職を引き受けました。「あのお兄ちゃん、けっこう働くね」という評価を得て、仲良くなっていってはじめて写真を撮らせてもらえるようになりました。また、写真を撮らせてもらったらかならずプリントを差し上げるようにしました。そのうち「あのお兄ちゃんはきれいに写真を撮ってくれるよ」という評判が口コミで広がりました。孫を連れてお子さんが遊びに来たときなんかは、記念に集合写真を撮ってくれと頼まれることもありました。

──撮影に際して大変だったことは?

 1時間撮影させてもらうために、3時間お手伝いをする、という具合に時間はかかりましたね。撮影しているかバイトか寝ているか、というような生活でした。友だちをアパートに招くということもほとんどしませんでした。

 あくまでも写真を撮るために同潤会アパートに住んでいるという、ジレンマもありました。アパートの仕事を手伝うのも、極論すれば撮影させてもらうためという下心があることをどこかうしろめたく感じていたのでしょう。

 1度、お手伝いをしているとき「いやー、実は撮影させてもらいたいからお手伝いしているんですよ」とぽろっと言っちゃったこともあるんです。すると「それでもね、昔から住んでいるのにまったく手伝わない人よりはいいよね」と年輩の住人の方が言ってくれたんです。これを聞いて「ああ、こちらの下心なんてお見通しなんだな」と、かえって気が楽になりました。許されているような感じでしょうか。カメラを持っている立場である以上、完全に住人にはなれませんが、彼らに寄り添うというような気持ちでいます。



──どのような撮影機材を使っていますか?

 建物の外観や共有スペースなどは4×5や8×10が多く、室内や人物の写真の多くはペンタックス67で撮影しています。居室にお邪魔して撮影する場合、迷惑にならないようにできるだけスピーディーに撮影することを心がけているので、中判で撮るようにしています。建物の外観など時間をかけられる撮影には、大型カメラを使っていました。現在では清砂アパートの頃よりも慣れたので、居室も4×5か8×10で撮影しています。

──デジタル写真についてはどのように考えていますか?

 興味はあるんですけど、同潤会アパートの質感にデジタルの色は合わないような気はちょっとしますね。また、フィルムに物質としての信頼感を置いているところがあって、ハードディスクがクラッシュしてしまってデータが失われるということに不安を感じています。ただ、今後デジタル技術が進んで、バックアップの方法も確立できればまた変わるんでしょうけど。

──プリントはどうやっていますか?

 現在はネガで撮って、レンタルラボで自家プリントしたものを色見本として、フォトグラファーズ・ラボラトリーというプロラボで引き伸ばしてもらっています。



──同潤会アパートは建築学的な研究対象にもなっていて、そうした調査に兼平さんも写真家として参加されていますね。兼平さんの写真は一種のドキュメンタリーとみなしてもいいのでしょうか?

 はい。大前提としては、「自分が好きなものを撮りたい」という動機から始まっていますが、同潤会アパートの歴史の一断面を記録するドキュメンタリーだと思っています。

 ただ、学術的な研究には敬意を払っていますし、それを読んで勉強もしますけど、ぼく自身はアパートを研究対象としては見ていないですね。数値化されたデータではなくて、アパートの住人と個別にかかわることで得られる顔の見えるデータに、より惹かれますね。それが写真家のやり方だと思います。

──清砂同潤会アパートはすでに取り壊され、残った2カ所の同潤会アパートもいずれは建て替えられる日が来ると思われます。被写体が消滅してしまうことについてどう思いますか?

 まず、言っておきたいのは、清砂アパートの取り壊しは住人の総意であるということです。住人たちの望みがかなったわけですから、それは尊重すべきでしょう。

 これまで8カ所撮影してきて6カ所が無くなってしまったのだけど、それはいずれなくなるということはあらかじめわかっていたことです。現在は2カ所残ったアパートの撮影を継続していますし、これまで撮った写真をまとめる作業も行なっています。これらの作業で現在は精一杯ですね。手元に発表していない作品が3つ残っているし、本の形にもしたいし、おそらく同潤会アパートの作品は今後10年は関わることになるでしょう。



──作品を発表するやり方について

 コニカミノルタプラザでの個展(「同潤会清砂通りアパート~完結編」2008年3月22日~31日http://konicaminolta.jp/plaza/schedule/2008march/gallery_c_080322.html)では、建物の外観、室内、夜間撮影、共同体のスナップ、解体工事という5つの切り口から構成しました。アパートに流れる時間を示すことで、ひとつのストーリーや物語を含んだドキュメンタリーにしたかったのです。

 写真集も出版したいと考えていますが、ぼくの作品は枚数が多いので難しいですね。今までに無かった同潤会アパートの写真集にするには、どうしても分量が必要となります。

──Webギャラリーという形であれば、原理的には何枚でも写真を掲載することができますが……

 それもひとつの方法だとは思いますが、住人の姿が写っている写真があるので、プライバシーの問題があってそれはWebには載せられません。もちろん個別に許可を取れば、また話は別でしょうけど。いずれにしても、10年後にもし写真集が出ていなかったら、それから考えます(笑)。そのころには、ネット接続環境や法整備といった問題も解決しているかもしれませんから。



URL
  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto_backnumber/
「Web写真界隈」が「第6回竹尾賞・デザイン評論部門優秀賞」を受賞しました




内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2008/04/10 00:49
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