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Motoyuki Shitamichi──下道基行
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下道基行(したみち・もとゆき)さんは、2005年に出版された「戦争のかたち」(リトルモア)という本によって注目されている写真家である。「戦争のかたち」は、日本各地に今も点在するいわゆる「戦争遺跡」の写真とそれにまつわる文章で構成されている。ぼくもこの本を店頭で手にとって興味ぶかく見た記憶がある。
「戦争のかたち」の写真は、最近ブームの「廃墟写真集」とはずいぶん異なっている。中判のネガフィルムで撮られたそれらの写真は、「廃墟写真」にありがちな劇的な構図やおどろおどろしいライティングとは無縁で、すっきりとしたニュートラルな色調はあきらかに今日的なテイストを感じさせる。近所を散歩していてふと目にとまったものにカメラをむけたかのようなさりげない絵作りであると言うこともできるだろう。
にもかかわらず、画面の中央にはなんだか見慣れない巨大な建築物があっけらかんと写りこんでいる。トーチカ(コンクリート製の防御陣地)や掩体壕(航空機を敵の攻撃から守るための格納庫)といった建築物は、たいていの人には見慣れない異様なものと映るだろう。戦争のための機能しか持たないそれらの人工物には、ある種の機能美がそなわっていてわれわれの目をひきつけもする。しかも、そうした場違いなオブジェが住宅地のそばや農地の中に突然あらわれる様は、超現実的と言ってもいいような違和感をかもし出す。下道さんの写真にはそうした「異化作用」の巧みな成功が見てとれる。
また「戦争のかたち」には、下道さんが書いた文章が含まれていることもユニークである。宅配ピザのバイト中に戦争遺跡を見かけて興味を持った最初のきっかけから、次第に興味をつのらせ日本中を旅してまわって写真を撮るようになった経緯。さまざまな戦争遺構の図解による説明、現在の日本に戦争遺跡が置かれた奇妙な状況について書かれた文章には、下道さんの旺盛な好奇心が反映されているように思う。
「下道基行」
http://www.m-shitamichi.com/ |
1978年 | 岡山生まれ |
2001年 | 武蔵野美術大学造形学部油絵科卒 | 2003年 | 東京綜合写真専門学校研究科中退 |
2003年 | 写真展「ムサシノ」(exhibit LIVE/東京) |
2003年 | 写真展「戦争のかたち」(whap/東京) |
2005年7月 | 写真展「戦いのかたち」(INAXギャラリー2/東京) |
2007年7月 | 写真展「Pictures」(新宿眼科画廊) |
※記事中の写真はすべて下道基行氏の作品です。 |
──下道さんは武蔵野美術大学の油絵科出身ですが、美術(絵画)から写真に転進したきっかけは?
6年前、大学卒業直後に銀座のギャラリーで絵画による個展をやったんですが、かなり面白くなかったです。観客はほとんどは美術関係者か友人だったからです。美術の専門家ではないもっと多くの人に自分の表現を見せたいと強く思いました。
そのころ都築響一氏の「TOKYO STYLE」(東京に住むさまざまな人の部屋を大型カメラで撮影した写真集)を見て関心を持ちました。都築さんは、狭い意味での美術界に属してはいないし、カメラマンというわけでもありません。編集者というポジションで自分に関心のあるものを記録して本という形でアウトプットする、それが多くの人の目に触れるというスタイルに強く惹かれました。
──写真をどうやって学びましたか?
完全に独学です。最初に戦争の遺構を撮り始めた時は、父親のコンパクトカメラで撮っていました。そのころは作品という意識ではなくて、自分が興味を持ったものを記録してファイルしたいという動機でした。掩体壕やトーチカを、その周辺のシチュエーションも含めて記録するために、より大きなフォーマットが必要だと感じて6×7や4×5のカメラを使うようになりました。カメラの師匠は、バイト先のカメラ好きのお兄ちゃんと写真集ですかね。
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──ドキュメンタリーという意識で写真を撮っているのですか?
ドキュメンタリーという言葉は定義がよくわからないので、僕にはあまり使えない言葉です。たとえば、先日個展で発表した「Pictures」というシリーズでは、祖父が描いた絵が掛けられた部屋の写真を撮っています。ライティングも含めて室内の状況に手を加えていないけど、その部屋の住人に「ここに座ってください」などと頼む程度の演出はしているわけで、どこからどこまでがドキュメンタリーなのかフェイクなのかはっきりと言い切ることは難しいと思います。
今は、ドキュメンタリーでもなければアートでもない、その両者のせめぎ合いの中で写真を撮り、作品を作っているのかなぁと思っています。
──下道さんのブログのタイトルは「旅←→写真」なのですが、下道さんにとって旅とは?
あくまでも作品を作るための旅であって、いわゆる放浪の旅ではありません。戦争の遺構は日本中に点在しているのでそれを撮るためにはどうしても旅が必要になります。だいたい2、3カ月に1回、2週間ほどの撮影旅行に出かけます。バイクに機材を積んで、場合によっては野宿したりしながら日本中をまわり、国内に残っているトーチカは全部撮り尽くしました。バイトでお金を貯めて出かけるのでどうしてもこれくらいの頻度になるのですが、事前にいろいろ調べたり撮った写真をプリントしたり編集する必要もあるので、これくらいのペースがちょうどいいのかもしれません。
ぼくにとって旅は「お見合い」みたいなところがあって、事前にある程度被写体の事は調べていくので全くの偶然性を求めているわけではないのですが、意外と現実は想像を色々と裏切ってくるんで、予定調和な作業にはならないです。
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──戦争遺跡に興味を持つ理由は?
日本近代史や戦争への興味からではありません。数年前に流行った廃墟探検や廃墟写真のような関心とも少しずれていると思います。いわゆる「廃墟写真」は、ラブホテルでも炭鉱でも戦争の遺構でもなんでもいいわけです。
時間が停止した様や自然に侵食された質感のような、廃墟に共通する「美しさ」でまとめています。そこにあるのは強烈なノスタルジーではないでしょうか。そういった感覚に共感もしますが、それだけでは全然つまらないと思います。
トーチカや掩体壕というのは戦争のためだけに機能するように作られたものなんですが、それが終戦によって突然「機能停止」し、戦争を放棄した国の中で数十年間大量に放置されている。建物自体時間が止まっているし、過去からタイムスリップしているようにも思えますし、切り離された戦前という時間を目の前に見せてくれる存在でもある。でも周囲の風景は劇的に変化していって、人の生活が遺構の上に乗っかってきている違和感。
僕は写真活動以外に、そういった戦争の遺構に新たに「機能」を付け加えたり、多くの人の目に触れさせたりしたいとも思います。
──Re-Fortというイベントを主催されていますが……
ReというのはたとえばRenovation(リノベーション 改修する)という言葉が示すように、「~しなおす」というような意味があります。Fortというのは要塞という意味です。戦争遺跡として戦後数十年間時間が止まった砲台や陣地にあらたな「機能」を付け加えようというイベントです。
ぼくが企画して、多くのアーティストに手伝ってもらって、これまで4回行なっています。たとえば皇居周辺の千鳥が淵公園に、戦時中の高射砲台が残っているんですが、そこで花見時期にカラオケパーティをやる「竹橋フォーク・ジャンボリー」とか、東京湾上の「第二海堡」(海上に作られた人工島で砲台を配置したもの)で、大々的に「缶けり」をやったり、昨年は千葉の富津岬のある砲台跡を建築関係のアーティストに改装してもらって1週間住み込み、最後にDJを入れたりしてパーティをやったりしました。
現在残っている戦時中の軍事施設というのは帰属や管轄が曖昧になっているものが多いんです。だから、そういった戦争遺跡に住んでいる人がいたり、取り壊そうとしてもどこが管轄かわからず、それもできなかったりします。千葉のイベントの時は警察に通報されたのですが、交渉によって土地の使用許可を得ました。そういった経過もふくめてすべてファイルとして保存してあります。こうしたイベントによって戦争遺跡という特殊な状況下にあるものに「ゆさぶり」をかけたい。
なぜこういうことをするかというと、自分がその場所を初めて目にした時のワクワクした感じを他の人にも味わせたいという動機が根本にあります。
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──撮影において心がけていることは?
ベッヒャー夫妻(ベルント・ベッヒャーとヒラ・ベッヒャー。ドイツの写真家・アーティスト。給水塔や溶鉱炉を図鑑や標本のように同一の構図で大量の組み作品として撮影した)に代表されるようなタイポロジー(類型学)的に写真を撮るスタイルがあります。ベッヒャー夫妻の作品はとても惹かれる部分があるのですが、逆に自分は寄り過ぎないように心がけています。
タイポロジー的な方法でトーチカを撮るとすれば、たとえば基本的には青空に雲が浮かんでいるような天気の日は避けて、うす曇りのような天気の日だけを選んで撮影すべきでしょう。つまり空をはじめとして周辺の風景は突出してはならず、あくまでもトーチカを標本のように記録するニュートラル背景と見なすのが、タイポロジー的な手法の主流だと思います。
ぼくは、何よりもトーチカを見た時のワクワクした感じを創作の土台に置いているし、現在の時間の中に紛れ込んだ異物としてのトーチカや、倉庫として使われたり邪魔者扱いされながらも外部とかかわっているあり方を写したいと思っています。だから、クールでスタイリッシュに標本のようにモノクロでトーチカを撮るのではなくて、自分が感じた違和感の様なものが見えやすい表現を探りつつ、カラーで情報量も多めに撮影しています。
──下道さんの作品の多くは写真と言葉が組み合わされたものです。ギャラリーでの展示においても言葉(キャプション)や図(グラフィック)が写真と並置されていたり、雑誌や書籍では写真と文をともに手がけています。写真と文のかかわりについてどう考えていますか?
ギャラリーで展示するときも、キャプションによって見る人をある程度誘導したいと思っています。
今回の個展「Pictures」も言葉で説明するのではなくて、むしろ謎を投げかけ、ギャラリーを1周して最初の写真をもう1度見たときに謎が解けるような構成を意図しています。
今のところ、写真だけで全部語る必要は無いと思っています。自分の作品において写真は重要ではあるけれど、表現のひとつの要素であると考えています。一番重要なのは、沢山の人に自分の作品をばらまいて何かを伝えることです。そのためには、本を出版して流通させ本屋の店頭に並べることが必要だと考えていますし、出版物への興味はとても強いと思います。
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■ URL
バックナンバー
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto_backnumber/
内原 恭彦 (うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/ |
2007/08/09 00:31
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