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ジャカルタ下町散策記──岩崎サムスル


岩崎サムスル「ジャカルタ下町散策記」
http://www.geocities.jp/samsul_0/
※記事中の写真はすべて岩崎サムスル氏の作品です。


ジャカルタ下町散策記
岩崎サムスル氏

 インドネシアの首都ジャカルタについてイメージ検索をしていた時に偶然発見したのが、サムスルさん(ハンドルネーム)の写真サイト「ジャカルタ下町散策記」だった。日本企業の駐在員であるサムスルさんは、長年にわたってジャカルタで暮らしつつ写真を撮っている。

 「ジャカルタ下町散策記」には、ジャカルタの下町や近郊の村の路上で人々に声をかけて撮った写真が数多く掲載されており、それらの人物写真にぼくはとてもひきつけられる。純然たるキャンディッド・フォト(声をかけずに撮ったスナップ写真)ではなく、かといって写真的な演出がほどこされたものでもない。とにかくわざとらしさのまったく無いストレートな写真だと思う。そこに写っている人々の多くは、ほんの少しの照れを含んだ微笑を浮かべている。写真を撮られることを面白がっているようだが、いつもの自然な表情だろうと感じる。添えられたキャプションも写真の面白さを増している。サムスルさんの写真は、外国で撮った写真ということとは無関係に、人を撮った写真としてすぐれたものだと思う。

 少し長くなるけれど、サムスルさんがWebサイトに書かれた文章を引用させてもらいたい。サムスルさんがどのように写真を撮る人であるかということを何よりも明瞭に示していると思う。

※編集部注:引用部分の表記はデジカメWatchに合わせて変更してあります。


 『ある民家での出来事、おばさんから「うちの子を撮ってほしい」と頼まれました。「よいですよ、この辺で撮りましょうか」と表の軒先を示すと、困った顔で「今家の中にいるのです」と言います。ストロボをカメラに装着して、入口から中を窺がいますが暗くてよく見えません。「すみません、お子さんはどこに……?」、「いやそこに居ます」、「え! どこですか?」と目を凝らしてみると、土間から少し上がったところに誰か横たわっていました。向こうを向いて寝ているので、よくわからなかったのですが、高校生くらいのようでした。彼は「お母さん、俺写真要らないよ」と言っています。私は「無理に撮らなくてもよいでしょう」とそこから立ち去り、よその子どもを撮っていました。

 しばらくすると、また小母さんがやって来て「やはりうちの子を撮って欲しい」と言うので、また入口からから中に入りました。入りましたというのは間違いです。本当に入ってしまうと被写体の息子さんと1mも距離がありません。ですから入口から中を覗く格好になります。暗くてピントも合わせられないので、だいたいの距離を目測ではかり、カメラの距離計を合わせストロボのチャージランプを確認して、「さあそれじゃ撮りましょう、こちらを向いてくれますか」……影がうごめきこちらを向いてくれました。もの凄く細く痩せ細った身体の脇腹に子どもの頭ほどの大きな腫瘍が有ります。ああ、これで彼は嫌がっていたんだな。一瞬ためらいましたが、そのままシャッターを押しました。ストロボの閃光に白く細い身体がパッと浮き上がりました。

 これは急ぎの写真だろうと思い、その日のうちに現像プリントし、翌日は仕事だったのですが外出する用事をつくり、写真とネガを届けに行きました。何でも、どこかのTV局に持ち込み、取材に来てもらうそうです。どうもそういう恵まれない方を取材して募金を集める番組があると後から聞きました。その集まったお金で手術をしてもらうのでしょう。その後、通りかかったときに聞いたのですが、彼の手術は無事成功し元気になったそうです。また撮るかと言われましたが、瞼の奥にあの痩せこけた身体が浮き上がり、丁重にお断りしました。』


──「サムスル」というハンドルネームの由来はなんですか?

 “samsul”とはアラビア語で太陽という意味だそうです。会社のメールアドレスに使っていたものをハンドルネームにしました。

──どのような経緯でジャカルタで生活するようになったのですか?

 1980年代初めに新婚旅行でバリ島に来てから、インドネシアが好きになりました。バリ島ではかなり長い間すごしたのですが、そのとき隣近所の人たちが、まるで家族のようにあつかってくれました。観光旅行で数回来ているうちに、実際にインドネシアで生きてみようという気になり、転職を経て1990年2月からジャカルタで暮らしています。他の東南アジアの国々を旅すると、どこでも中国文化に出会います。私は中国文化も好きですが、その影響があまりにも強い場所は画一的に見えてきます。

──インドネシア語はどのように学んだのですか?

 ほとんど独学です。ボイスオブアメリカ(VOA)のインドネシア向け放送を短波ラジオからカセットテープに録音して、それで発音を勉強しました。インドネシアに旅行した際、新聞や雑誌を買って帰り、辞書を片手に綴りや文法を勉強しました。



──写真を始めたきっかけは?

 1997年の健康診断で「脂肪肝ですね」と先生に言われ、何か運動しなければと思い、カメラで下町の風景を撮影しながら歩くことにしました。初めは子どもの成長記録用に買ったミノルタα303を持って歩いていましたが、どうもカメラが目立つので、近所の写真屋に置いてあったヤシカFX-3スーパー2000を購入しました。それから毎日曜日の朝6時半からお昼頃まで平均15kmは歩き、体重が10kg減り脂肪肝も消えました。

──写真はどのように学ばれましたか?

 ジャカルタの写真ギャラリーを訪れた時、同じ工業団地で働く日本人の方と知り合いました。以前から面識はあったのですが、写真が趣味であることは知りませんでした。この方は中学生の頃から写真を趣味にしておられ、本当にたくさん教えていただきました。

 私は2001年ごろまでは自分のWebサイトは持っておらず、他人の写真サイトを見たり時おりBBSに書き込む程度でした。しかし、だんだん自分でも写真を発表したくなり、ホームページを立ち上げ、ネット上での写真・カメラクラブである「ジャパンファミリーカメラ」にも参加しました。ネット上で交流のある方々とは、一時帰国した際にオフ会を開いてもらって交流しています。BBSなどでは伝わりにくい生の意見をいただいています。



──ジャカルタをどのように撮っていますか?

 ジャカルタは港から内陸に向けて発展した街です。ジャカルタが開港したころ、外国やインドネシア各地から人が集まってきて集落が生まれ、今でもその名残が残っています。そういった集落には昔ながらの隣近所の関係が残っており、言うなれば「村」のようなものです。

 ジャカルタは二重経済構造というか、近代化したビルや富裕層の住宅と「村」のような集落が混在しており、私はそういった場所によく写真を撮りに出かけます。地方から出てきた貧困層の住むところ(スラム)は、川や線路沿い、高圧線や高架橋の下にあります。以前はそういうところにも出かけていましたが、訪れることが次第に苦痛になってきて止めました。

 かなりの長距離を歩くので、水分補給はこまめにしています。またお昼に1回で量の多い食事を取らず、10時と2時に軽く2回食べることでしょうか。その合間に、冷たいお汁粉みたいなものや、こちらのお菓子もいただきます。なんか食べ歩きしているみたいですね。


──どのように人を撮っていますか?

 自分の作品を撮るためにモノクロフィルムを入れたカメラと、プリントをさしあげるためにカラーネガフィルムを入れたカメラのふたつを持って、ジャカルタの下町地区や市場、あるいは郊外に出かけます。初めての場所では、まず世間話から入って1枚撮らせてもらい次の機会に写真を渡して人間関係を作ります。「お得意さん」になってしまえば、以降は訪れた時に向こうから撮ってくれという声がかかります。基本的にインドネシアの人は、人なつっこく写真を撮られることに対してポジティブですね。撮った写真をプリントしてさしあげたとき、とても感激してくれます。でも最近は断られることも多くなってきて、インドネシアも変わってゆくんだなと思います。

 撮影中は「撮らせてもらっている」、「撮ってやっている」、「ストレス解消・元気をもらおう」などとは思いません。自然体でその場にシンクロするように心掛けています。最初のころはファインダーの中でよい表情ばかりを狙っていましたが、今は相手と気心が合ったらシャッターを押すようにしています。それで結果が悪くても後悔はしません。また、気分が乗らないときは、「今日はフィルムが終わっちゃった」とか理由をつけて撮らないことも多いです。

 さしあげるためにカラーネガで撮る場合は、2/3~1段くらい露出オーバー目にして、なるべく明るい感じになるように心がけています。色白に写った写真が好まれるようです。ラボのプリントも明るめに焼くのでこのようにしています。

──トラブルにあったことはありますか?

 酔ったチンピラに絡まれたことが数回あります。そのときはなるべくゆっくりした口調で笑顔を絶やさず話して難を逃れました。また、精神を病んでいる人に付きまとわれたこともあります。その時は、周囲の人から「少しお金をあげれば行っちゃうよ」と教えてもらいました。実際は気が気ではなかったです。遠目に見て危なそうな時は、近づかないことだと思います。もしトラブルになってしまっても、慌てずゆっくり落ち着いて笑顔で対応することが大切と言えるでしょうか……。



──どのようなカメラを使われていますか?

 メインはブローニーで、フジGW690III、GA645i、マミヤ7、マミヤC220です。EOS-1Nにはいつも50mmが付いています。ときどき結婚式などのセレモニーに出くわし撮影を頼まれるので、軽量なズームレンズとストロボはいつも携帯してます。思い入れのあるカメラは、ネット仲間からのいただきものや、自分で修理したコニカC35やローライフレックスなどですね。

 仕事が木製家具製造なので撮影も多く、デジタルカメラにお世話になってます。ジャカルタではなかなかデジタル関連の情報が得られないので、日本のWebサイトを参考にしています。今とても欲しいのはEOS 5Dです。

──ジャカルタでは、フィルムや機材といった用品を入手するうえで不便はありませんか?

 とても不便です。機材、特に中古は、日本のように常に在庫があるわけではなく、ときどき店頭に1台ぽつんと出ていると思わず買ってしまうということがあります。フィルムは種類が少なくチョイスは限られてしまいます。ブローニーの白黒ISO400は確保できないので、日本に帰ったときにまとめて仕入れてきます。135のフィルムは中国製のネガが安価に手に入るので常用しています。ネガに関してはフジ・コダック・コニカミノルタのものが手に入ります。



──サムスルさんにとって、ジャカルタはどのような場所ですか?

 写真を撮るうえでも大切な場所ですが、もう自分のふるさとですね。それ程深い付き合いではないかもしれませんがかなりの数の友達がいます。人の家に上がりこんで、お茶やお菓子をいただいたり、ご飯をご馳走になったりします。

──インドネシア人で写真を撮る人たちとの交流はありますか?

 有名なプロ写真家とは交流がないです。結婚式やセレモニーなどを撮るプロとは、機材やフィルムなどの情報交換をしたりしてます。しかしなるべく彼・彼女達の仕事の領域には入らないように気を配っています。アマチュア写真家には、観光地のようなところでよく会いますね。いつも笑顔で接していますよ。でも2回、3回と同じ人に会うことは少ないです。




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  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto_backnumber/



内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2007/07/26 00:16
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