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写真の星──村上仁一
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[2008/04/10]


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2006年

dannna_o Blog──オオタカ・タカシ



 オオタカ・タカシ(大高隆)さんと、ぼくは年齢が同じである。加えて美術大学のデザイン科出身であるということも共通している(ぼくは中退しているが……)。オオタカさんのブログdannna_o Blogを見ると、写真の作風も、経歴も、趣味も、考えていることも、自分とはずいぶん異なっている。

 とりわけ、オオタカさんは職業的な写真家としても本の装丁を中心にさまざまな撮影の仕事を手がけており、その点がぼくとの一番の違いだろう。にもかかわらず、そうした違いを越えた「同級生」のような親近感を感じるのは、やはり同世代だからだろうか。「なんだかわかるな、こういう人いるよな」という思いだ。オオタカさんもぼくに対して同様に感じているかもしれない。

 オオタカさんの写真は、一見なにげないようでいてきわめてタフ(頑丈)であると感じる。焼きを入れた金属のかたまりから削りだした工業部品のような、緊密でスキがなくちょっとやそっとつっついても壊れないしたたかな完成品という印象だ。それと同時に、繊細さやていねいさなども感じられ、そうした多様さは、オオタカさんのブログに書かれている幅広いエントリーからもうかがわれる。

オオタカ・タカシ「dannna_o Blog」
http://www.optimagraphics.org/dannna_o/blog/
※記事中の写真はすべてオオタカ・タカシ氏の作品です。


dannna_o Blog
オオタカ・タカシ氏

──写真を始めたのはいつですか?

 写真を撮り始めたのは高校生のころです。以来、作家として作品を作るとか職業として写真を撮るというよりは「自分専用のアルバム」のために写真を撮り続けています。

──「自分専用のアルバム」とは?

 「自分専用のアルバム」というのは、身の周りの事物や人々、時代の様子、食事、ゴミ、それら秒速30万kmで拡散していく物を記録するもので、自分では見返すヒマもないのですが、いつか誰かに引き継いでもらえればいいかなと思ってます。貴族階級出身のラルティーグのように優雅なものではないですが、まぁ市井の記録になればいいかなと。

──写真の学校には行っていないんですね?

 当時は写真の仕事をするつもりはなかったし、イラストレーションの勉強がしたかったので、多摩美術大学のグラフィックデザイン科に進学しました。もちろん写真は撮り続けていて、在学中に何度かグループ展に参加しましたが、作家志向はありませんでした。

 多摩美を卒業したあと1年間某タレントのオフィシャル追っかけカメラマンとかそんなことをやってぼーっと過ごし、その後、写真の授業を補佐する助手として多摩美に戻り、3年間勤めました。

 多摩美を退職したあとさらに1年ほどプラプラし、NTTのInterCommunicationCenter(ICC)の立ち上げに御用カメラマンとして関わり、それがひとつのきっかけとなって写真を撮影する仕事にかかわるようになりました。



──使用している機材について

 基本はペンタックスのデジタル一眼レフです。K10Dと*istDを運用しています。フィルムの一眼レフはペンタックスが4台。ビューカメラはジナーFが2台とエボニーのSV45Tiです。ブローニーのフィルムカメラは機種により個性が違い、仕事に向き不向きがあるのでレンタル使用していました。所有しているのはマミヤC330Sです。あとは雑多なハンドカメラの類やポラロイドカメラ、single8カメラなどがあります。

 現在主に使っているのはK10DとジナーF(ビューカメラ)です。

 アオリが使えるかどうかがカメラにとっての最大の問題であり、感材の大きさやその感材がフィルムか撮像素子かは、あまり重要ではないと思っています。

──デジタルカメラについて

 カシオのQV-10が出た時に「これはフィルムはなくなるな」と思ったので早々にデジタル化しなければと思ったのですが、実際に仕事に使うようになったのはペンタックスがデジタル一眼レフを出した以後です。それ以前は三洋電機のDSC-MZ1(いわゆる動画デジカメ)とかコダックのDC4800なんかを使っていました。まぁこの辺で仕事をしたこともないではないです(笑)。

 CCDやCMOSといった撮像素子は、感材だと思っています。この感材は途中装填ができないのでカメラごと買って使ってます。フィルムの味というものはあると思いますが、撮像素子にも感材としての個性はあるので優劣というよりは違いですね。そのあたりは語り始めると終わらなくなるので語らないことにしてます。

 個人的には銀塩フィルムがなくなっていくということよりも、昔、Tri-X(コダックのモノクロフィルム)が公式発表のないままに乳剤特性が全く別物になっていた時の方がショックでした。今まで特に発表なく3回ほど変わっていると思います。

 自分が使いたいフィルムが安定供給されない状況で「銀塩フィルム」に固執することは馬鹿馬鹿しいような気がします。一方で、そろそろデジタル仕事もだいたいわかった気がするので、今年からは内容によってはフィルムで撮るようにも心がけています。

 仕事の撮影をデジタル化する上で最大のネックは、大判のビューカメラがその大きさ故に小サイズの撮像素子に充分対応できていないことです。商業的にペイするのは難しいと思いますが、主流であるハッセルブラッドのバックないしはマミヤRZのバックの規格に会わせて小型化した、モダンなビューカメラシステムの開発は必要なことではないかと思っています。


──オオタカさんのブログを読んでいると、RAW現像にやけに長い時間がかかっていますが、それはなぜでしょうか?

 仕事で撮影したカットはだいたい全部現像しますね。客先にあらかじめセレクトをしていただけず「ともかく全部」とおっしゃる場合が多いので。RAW現像がいかに時間を喰うものであるかということの周知努力を自分が怠っているせいですね。(あとコンピュータが遅いことも……)。

 未現像のRAWファイルを素早くブラウズしてセレクトできるアプリケーションが、客先とこちらの統一環境としてスタンダードになれば楽になるのですが。むしろOSレベルのブラウザでRAWがサポートされればいいと思っています。

 RAW現像においては、データはあまり作り込まず、健やかで素直なデータを作ることを心がけ「うちの娘をよろしくお願いします」という気持ちで送り出すようにしています(いやマジで)。

──職業的な写真家として、クライアントからはどのような写真家であると認知されていると思いますか?

 どうなんでしょう。「オオタカさんなら一緒に考えてくれるよ」という形で来ることが多々あるようです。イラストやタイポグラフィでの表現ではないことはわかっているけれども本当に写真でいいのか自信がもてない……という時にうちに電話がくるんだと思います。で、本当にこんな撮り方でいいのか……と悩みながら撮っています。写真で行くことがあらかじめはっきりしている場合には、もっと上手な方のところに行くと思います(そんなことではダメなのですが)。一方で「ガリピンのオオタカ」とも言われているようです。自分では普通に撮っているつもりなので意味がわかりませんが……。



──ネットとのかかわりについて

 どっぷり浸かるようになったのは2000年以降でしょうか。主に調べ物のためにGoogleやWikipediaを利用し、手帳代わりにblogを使っています。

 Webは便利ですが、基本的に文字しか検索できないため、これだけサイトが増えてしまっては文字で表現されたもの以外をネットで探すのは困難になってきています。たとえば、自分が日ごろ見ている写真サイトからリンクなどをたどって新しい写真サイトを見つけるということもありますが、それ以外の手段で自分が求めるような写真に出会うことは難しいです。そういった意味で、写真を表現として展開していく場としてWebというのは実は向いていないのではないかと思うこともあります。

──Flikrやはてなフォトライフといったオンラインの写真ストレージサービスでは、たとえば写真の色やExif情報やユーザーによる任意のキーワードによるタグによって検索したりすることができます。いずれは画像認識技術の発達によって、画像自体を検索することもできるようになるかもしれません。

 画像へのタグ付けに関しては、タグを付けるためのスキルやセンスが必要とされるので、それを行なうのは特定の一部の人間ということになってしまうのではないでしょうか。結果的には、評論家や「識者」がコラムやその他の記事を書いて紹介したものを受け身で読むという現状と、そんなに変わらないと思います。

 画像認識技術が実用化されたとしても、検索できるのは画像のモチーフ程度にとどまり、ほんとうの意味で写真を見る体験を拡げる手助けになるかどうかは疑問です。


──オオタカさんが写真を撮る上での流儀というか作法はありますか?

 「ヤオイ」ですね。ヤマ無しオチ無し意味無し。それでも見せる力があるのが「写真」だと思っています。小津安二郎の映画のように淡々と重ねていくことで伝えるのが好みです。ヤマのない日常を丹念に見てそれを伝えていきたいと思っています。

 写真を撮る作法的なことについて言うなら、まず立ったり座ったり寄ったり退いたりしないで、自分の目線と距離感で撮るようにしています。翻って言えば、撮れば写る位置や間合いに本能的に立つように体を躾けることを心がけてもいます。「あと一歩寄れば強い写真が撮れる」と思った時に安易にその一歩を寄らないようにしています。

 加えて世界を四角くリテラル(Literal)に理解すること。Literalとは訳すなら「逐語的に」というような意味です。すっきり説明するのは難しいのですが、ある文脈や価値観にあてはめて理解するのではなく、(カメラが本来そうであるように)「それはそれでしかない」という見方を身につけることと言ってよいでしょう。「どうやったら自分が綺麗だと思って見ている物をその通りに撮ることができますか」と訊かれることがたまにあって、以前はその答えに窮していたのですが、最近は「カメラに写る通りにそのまんまにしか見ないように自分の頭を変えた方が手っ取り早いです。それでも充分に、というかむしろその方が世界は美しく見えますから」と答えることにして、自分でもそのように努めています。

 決して撮影旅行や撮影のための散歩に行かないこと。これもずいぶんかたくなに守ってきましたけど、このあいだある調査旅行に写真家として同行した時に、その間プライベートの写真を撮らずにいるとアルバムに重大な空白ができてしまうので(笑)、仕方なく解禁しました。しばらくの間はこの禁はないものとして、「撮影のためにする撮影」をもしてみようかと思っています。



──いわゆる「作家」と、職業的な写真家はどのように違うのでしょうか?

 あまり変わりはないと思います。写真に限らず美術の世界でも結局、残っていく作家はまともな努力をするまともな人だし、「ワナビー(wanna be)」で終わる人はいつまでもピーターパン的なように思います。

 職業写真家としてバブル期の上り坂を駆け上がって来た人たちの中にも、これからいろいろ厳しい状況は現れてくると思いますが、少なくとも彼らには、朝から晩まで写真漬け撮影漬けで来た中で培って来た経験知というアドバンテージがあります。仕事として写真を撮ることは意外に写真漬けになるには早道なので。バブル期以降に仕事を始めた人には、そういう仕事量は望めないでしょう。写真で喰っていけるならば、そうしたほうがプライベートな写真撮影に割ける時間は多いと思います。

──写真の見せ方について

 写真を見せる行為っていうのは、結局ピンナップコレクションをジマンすることじゃないでしょうか。その意味ではプリクラ帳が一番純粋な写真表現だと思いますよ。マジで。今ならケータイの待受画面として使われる写真が一番幸せな写真じゃないでしょうか。

 ピンナップやプリクラ帳っていうのは、手近にあっていつでも見ることができるものですよね。昔だったらペンダントの中に入れた写真とか。今だったらケータイの待受画面ですね。そういう風に身につけることができる写真こそ、いちばん重要な写真だと思います。ギャラリーや美術館に収蔵された名作コレクションなんかは、見せるよりも見せないことが目的みたいになってしまっていますけれども。本来写真て見せるために持っていたいから、ひいては撮るのであって、いつでも見られるようにしておくのが愛ってもんだと思いますよ。

──オオタカさんにとって、いい写真とは?

 たとえば「壷」の写真を撮った時に、その写真は「壷」であることを了解させるのに充分な精度と具体性を備えていることが必要です。その上でできれば、それを見た人に「壷」のもっているさまざまな側面やら要素やらを自然と想起させて、「壷」に対する興味と不安を呼び起こし、「本当に壷について理解しているのか」ということを突きつけるくらいの力があることが、いい写真と言えるための条件だと思います。その結論が「壷とはこういう物で、それは美しい」という理解にまで導ければ単に「いい写真」というだけでなく、「本当にいい写真」ということになるでしょう。

 というようなことを学生の頃に話をしたら、後に嫁さんになった女が「あなたと同じことを言っているヒトがいたからコピーしてもって来たわ」と言って見せてくれたのが、中平卓馬の特集記事で、そこで「なぜ、植物図鑑か」という例のあれを知ったのですが。ディテールの言い回しは別として、あれは特別なことを言っているのではなくて写真の本質の一面だと思います。写真がそうあるべきということではなく、そういうことに向いているメディアではあると思いますよ。





※ここからは、オオタカさんが仕事で撮った写真を、ご自身に語っていただきます。(編集部)


ドリンキング・ライフ(ピート・ハミル 高見浩訳 新潮社)

 ピート・ハミルの自伝。幼年期から飲んだくれ時代をへて酒を卒業するまでが書かれている。

 撮影は高田馬場のジャズ喫茶イントロで行なった。照明がイメージよりもだいぶフラットだったので、黒アルミにナイフで無数に穴をあけて配光を調節するためのグリッドを作り、それをダウンライトにかぶせてグラスを置く位置だけを明るく照らし、それ以外は氷や酒が散乱する光でぼんやり照らすようにした。空間に奥行きを出すためにフロアの奥の方に20wの裸電球をつけたケージを置いて、さらに調光器で電圧を落とし、カウンターのエッジがうすぼんやり見える程度に調整。すべての調整は目見当ではなくスポットメーターで計測して、フィルムのレンジに対してマッピングしていく。

 飲んだくれの視点を表現するためにディスタゴンの50mmに中間リングをつけて、さらにわざとカメラを傾けて撮っている。+1段の増感で撮ったのだけど、ハッセルだったのできれいに写りすぎてしまった。そのまんま渡したのだけどデザイナーは何も言わずにPhotoshopでノイズをいい感じに乗せて仕上げてくれた(笑)。スタッフの共通認識がとれていると、仕事は早いし上がりもエレガント。





灰色の輝ける贈り物(アリステア・マクラウド 中野恵津子訳 新潮社)

 アイルランドのアイラ島を舞台としたアリステア・マクラウドの自伝的短編集。

 アイラ島伝統の手編みのセーターを使うアイデアはあったのだが、本当にそれで持つのかという不安もあって、たぶんうちに依頼が来たのだと思う。難儀だなと思ったけれども面白そうなので、ゲラを読みながらいろいろ考える。過酷な自然環境における暗い印象の話が多いのだが、全体としてそこで生きる人間の命の暖かさみたいなものを感じる小説なので、ともかくホッと暖かい印象にしようと決めた。

 仕掛けとしては、セーターの下に明るい暖かい印象の桃色系の色紙を敷いている。編み目を通してそれが見えることによって、絵画でいうところの地塗り/下塗りに通ずる効果を狙ってのことだ。それに加えて、画面で見て下側に、若草色のこれも鮮やかな色紙をセット。右上にはバーガンディっぽい色をセット。それぞれの色が毛糸の一本一本に映り込んで複雑な色の絡み合いが出るようにする。

 ここでもしもピントがボケたり解像力が足りなかったりすると単なる色濁りになってしまうので、レンズは普段のグラフィッククラロンではなくフジノン135mmをリバースにセットして、絞りはF13に決めうち。フィルムバックの重さでカメラが若干たわむので、ダミーのオモリを乗せた状態で角度計できっちりと平行をとって、真俯瞰で撮る。フィルムはコダックのE100VSを+1/2で使う。


本気で家を建てるには(村瀬春樹 新潮社)

 まったく建築門外漢な筆者が、家を建てるにあたってさまざまな問題に直面して「ならば自分でやってしまえ」というノリでしっかりと勉強して、ついには家を建ててしまったという顛末の記。担当編集者も「感染」して家を建てたらしい。

 レゴブロックの家を撮る、というアイデアだけがあったのだが、それだけではいけない気がして撮影当日の朝までいろいろ悩んだ。ふと家に転がっていた2×4材を並べてみたらそれで行けそうだと思い、その状態をデザイナーに見せる。「じゃ、これでいきましょう」と決まったんだけど、そこからが長かった。角を丸めたり、表示のスミ文字をいい感じにかすれさせるためにワイヤーブラシでこすったり。撮っている時間よりも大工仕事をしていた時間の方が長かった。

 ライティングはシンプルに、ディフューザを外したライトバンクと、エアーキャップを天トレがわりにして、あとはレフ板だけ。フィルムは黄色をペラっとしたカンジに表現したかったので、AGFAの100RSを使った。

 2×4材をバックにしたアイデアは著者に大ウケしたらしい。




花粉の部屋(ゾエ・イェニー 平野卿子訳 新潮社)

 少女から大人へ踏み出す第一歩のグローイングアップもの?

 「体育館の床のイメージ」と言われたのだけど、ニュアンスは別のことであると察したので、自分で作るしかないと思い、例によって大工仕事から入った。壁材を買ってきて、それをセットを組める最低限の大きさにあわせてカットして、いろいろな目止め剤やステインなどで加工してカンジを探る。結局は1度モデリングペーストで塗ったあとで、それを全部はがす! という作業を何回も繰り返したあとでアクリルブロックの角でならして、さらに安物の靴で熱くなるくらい擦ってやったら、それっぽくなった。そこにベビーパウダーを撒いてやって、「花粉」と表現されている気持ちをイメージしてデザイナーが3日間都内をさまよって見つけてきた何種類かのビー玉を並べて、撮影。ライティングは天トレ越しに1灯のみ。

 柔らかいカンジを求めてネガ撮りという指定だったので、たぶん赤系が落ち着いた発色になる方がいいだろうと思い、AGFAのOptimaを使って撮影し、プリント時に現像温度を限界まで下げて現像時間を増やし、露光もたっぷりと与えて、さらに部分的に副露光なども使ってトーンを作っている(自動現像機では不可能なので皿現像)。「オオタカさん。柔らかくボケた写真も撮れるんですね」と言われたのは忸怩たる思いですが。




魔窟ちゃん訪問(伊藤ガビン 大高隆 アスペクト)

 アスキーのEYECOM誌に伊藤ガビンさんとのコンビで連載していた企画。モノに満ちあふれて「魔窟」と化した部屋を渡り歩いて取材して、写真に収めるという作業。4×5で撮影しています。

 同時期に都築響一さんが撮っていた「TOKYO STYLE」との対照として捉えられている面もあるようで、都築さん本人にもお会いするたびに「なんでカラーで撮らなかったの?」、「パート2はやらないの?」などと聞かれているという、自分にとってはいわく付きの仕事。いろいろ読み切れなかった部分もあり、しばらくはあまり見ないようにしていたんだけれども、最近ようやく落ち着いて見返すことができるようになった。

 写真集自体は絶版なんだけれども、編集にあたっての写真セレクトをデザイナーにほぼ一任した結果として、4×5で撮った写真が省略されている「物件」もあるので、撮影者としてのけじめの意味もあり、私家本でもいいから全物件を収録したブックを作りたいと思っている。

 まぁ、三脚もまともに立たないというか、まず二足歩行が困難なくらいの魔窟状態の部屋をたくさん撮りましたから撮影技術は鍛えられました(笑)。



URL
  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto_backnumber/



内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2007/07/05 15:54
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