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[2008/04/10]


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2006年

#6700098 Takaci Hirano Photography──平野高志


平野高志(ひらの・たかし)
「#6700098 Takaci Hirano Photography」
http://takacihirano.boo.jp/
 
1981年鳥取県生まれ
2004年東京外国語大学ロシア語専攻卒業
大学在学中に写真を始める
2005年東京工業大学大学院社会理工学研究科人間行動システム専攻修士課程退学。同時に、写真家活動を開始し現在に至る
また、フリーランスとして商業の現場でも細々と活動中
1999年 1月本Webサイトの原型を作成、公開開始
2002年 6月Color Me Popグループ展(disco girl :: 東京)
2004年 4月雑誌「UOVO vol.8」(BOLETSFERNANDO:伊)掲載
( http://www.boletsfernando.org/uovo/> )
2005年12月個展「命を探す君へ-2005」(ONE PLUS 1 gallery:大阪)
2006年 2月グループ展「股旅」参加(ONE PLUS 1 gallery:大阪)
その他、複数活動

※記事中の写真はすべて平野高志氏の作品です。


#6700098 Takaci Hirano Photography 平野高志氏

 平野高志さんのWebサイト「#6700098 Takaci Hirano Photography」は、もう数年にわたって更新され続けている「古株」とも言える写真サイトである。ぼくはかなり以前から#6700098を見ているのだが、これまで平野さん自身と交流を持ったことはなかった。平野さんの撮る写真はぼくの写真とかなり異質で、むしろ正反対の写真のようですらあることに距離を感じていたからかもしれない。

 平野さんの写真の多くは人間を撮ったものであり、日常生活におけるスナップにせよ演出された作品にせよ、その背後には人と人の濃密なコミュニケーションがうかがえる。特に「写真戯曲」というタイトルのコンテンツは、平野さんの生活を日記のようにスナップ写真で記録したもので、学生生活から始まって大学院の中退、都内における数回の転居、恋愛と離別、遊びや気晴らし、写真に対する探求、友人との出会い、飲み会、食事、苦悩、鳥取県で離れて暮らす家族、仕事、旅、など、要するに平野さんのこの数年間の生活すべてが膨大な数の写真によって記録されている。

 写真による日記のような生活の記録というと、他の多くの人が写真ブログなどでやっているありがちな事のように思えるかもしれないが、平野さんの「写真戯曲」は「ここまでやるか」というくらい自分をさらけ出している点で群を抜いてユニークである。ぼくには絶対撮れない写真であり、だからこそ興味と関心をひかれるのだろう。

──写真を始めたきっかけは?

 いつの間にか撮り始めていたので答えるのは難しいんですが、大学がロシア語専攻ということもあって、ロシア製のトイカメラを物珍しさから買ったことや、はじめてのインド旅行にウクライナ製の一眼レフ「キエフ19」を持って行ったのがきっかけと言えるでしょうか。50mmのレンズ付きで1万6,000円でした。手に入れた日に8枚だけ試し撮りして、次の日にはもうインドに行っていました。

──東京外国語大学でロシア語を専攻しようと思ったきっかけは?

 ロシア語を勉強したかったわけじゃなくて、ウクライナの研究がしたかったから、便宜的にウクライナの勉強ができるロシア語専攻に入ったんです。ウクライナに興味を持ったのは、本による影響や、高校生の頃にいろんな国の人とメールのやり取りをしていた時、一番趣味が合ったのがウクライナの同い年の女性だったことなどが理由です。

──語学を勉強したことは、写真に影響はありますか?

 語学が写真に影響があるかどうかについては、あると思っています。日本にいると外国語を使う機会はあんまり無いですけど、外国に1、2年滞在して作品作りしたいとはずっと考えています。

 人の写真を撮る際は、言葉によってコミュニケーションが深まったり、多岐に広がることで、作品に変化が生まれると感じています。言葉がわかんないと、あるところから先は深めようがないですから。



──使用機材とその遍歴について教えてください。

 カメラボディは「スメナ8」と「スメナ35」→「キエフ19」→「キエフ19M」→「ニコンFE」→「ニコンF3」。レンズは「ARSAT 50mm F2」、「ARSAT 20mm F2.8」(ウクライナ製)。その後、ニッコールの50mmと28mmも使ってます。

 仕事の時のみブローニーも使います。ニコンが好きというわけではなくて、最初に買ったキエフ19がニコンFマウントなんですよ。だからキエフのボディが壊れた時、それに付いていたレンズを使うためにはニコンしか無かったってだけです。ニコンF3は頑丈だからありがたいです。

──インターネットはいつから始め、どのように利用されていますか?

 1998年、高校2年の時です。一般家庭でインターネット環境が整ってきたころですね。当時は、エロサイト巡りとチャットばっかりしてました。毎日朝4時までチャットしてて、遠方に彼女ができたことなんかもありました。そういうわけでますます夢中になったんですが、当時はまだネットが定額制じゃなかったので、とんでもない額の請求書が届いて、親にずいぶん怒られました。でもやめられなかったですね。当時知り合った人たちとは今でも交流があります。

 今は、ネットで可能なことはすべてネットで行なっています。ネットを利用することで、ネット以外のことのために時間を有効に使うこともできます。

──自分のWebサイトを作ったのはいつからですか?

 1999年の1月だったと思います。ネット上で知り合った人が急に「ここにお前用のホームページを作ったから、何か作れ」と、ジオシティーズに私の名前で登録してたのがきっかけです。別にとりたてて作りたかったわけじゃないんですけど、ひまつぶしにHTMLをいろいろいじって遊んでました。作った詩を載せてみたり、下手なCG載せてみたり、父親のデジカメで撮った写真を載せてみたり、日記を載せてみたりです。

 そう言えばあの頃、ホームページを作ることが割と流行ってた気がします。素人のサイトが沢山あって、あれはあれで楽しかったですね。最近、Web作成の技術レベルが上がっちゃって、素人サイトが淘汰されてしまった感があるのが残念です。

 一時期、ウクライナ情報サイトを併設していましたが、更新する意欲が無くなったので切り離しました。ですから、写真サイトを作ろうと思って始めたわけではないです。とにかく何かが発信したかったのだと思います。

──タイトルの由来は?

 大学の学籍番号です。外そうかどうしようか悩んでます。



──写真日記「写真戯曲」について説明してください。

 実際の劇ってのは必ずしも「劇的」だったり「ドラマチック」であるとは限らないんですよ。創作物としての劇はどんな要素でも劇になりうる。個人的な好みを言えば、何でもかんでも放り込んでるものの方が劇として面白い。そう考えていくと、人生(や日常生活)に勝るドラマは無いな、って思ったんです。

 淡々としてる時もあれば、とんでもないことが起こる時もある、まさかあの時のあの人と何年か後にこんなことになるなんて、とか。「劇」としての人生を作品として表現したり発表するには、文章や動画よりも写真のほうが向いていると思いました。

 ただ「写真戯曲」というタイトルからは、そういう意図が伝わりにくいかもしれないですね。最近会う人ごとに「戯曲見てますよ」って言われるので、定着してんならまあいっかっても思いますけど。

──平野さんのWebサイトに書かれている「記録と保存を続けることが大切だと思ってます」というのはなぜでしょうか。

 人は印象に残らないことは忘れてしまいますが、記憶に残らないことの中にも重要なことがたくさん含まれていると思います。でも忘れていってしまう。まるでデジカメでいらないデータを消去するように。でも、それは生きる上でとても重要ななにかを捨ててしまう、もったいないことのように思います。重要か重要でないかという判断は時間が経てば変わるのだから、なるべくたくさんのことを記録し保存するのが大切だと思います。

 フィルムで撮っている理由もそこにつながります。何十年経ってもたとえ劣化していても、確実にそこに残っているということが肝要だと思います。

──「写真戯曲」に載せられている自分の過去の写真を見返すことはありますか?

 けっこう頻繁に見返します。われながら面白いの撮ってるなー! とか、これつまらんなーひどいなー……とか。過去のことってどんどん忘れちゃうので、あーこんなことあったなー、こんなところ行ったんだった、こんなことやったんだ! とか。私にとって、そういう究極の備忘録としての役割を果たしています。最近つまんない写真撮ってるみたいだからどうにかせなな、とも思ったり。

──撮影ペースについて。

 人に会わない週などは、1週間で36枚撮り1本だったりもします。逆に人と会ってると1日100枚超えたり。人に会うこと次第で撮影枚数は変わります。


──写真をどのように学んできましたか?

 独学です。人の写真を見よう見まねで撮ってみたり、友達と遊びながら面白い写真を見つけたり。わかんない時や必要な時だけ、くわしい人に教えてもらっていましたが、後は遊んでるうちにいつの間にかです。

 高校時代に部活でやっていた演劇から学んだことも多いように思います。演劇というのは、身体や感情や声など、人間がなかなか簡単には制御できないものを使って何とか工夫して色々やってみよう、というものだと思っています。それは一種の「遊び」でもあり、演じる側も見る側も楽しい。「遊び」という観点においては、写真も同じだと思います。

 私がカメラを持ち、相手がカメラを向けられて、楽しいことをしたい。要約すればそれだけですが、身体や感情等をフル稼働して徹底的に楽しむ方法(身体や感情についての体感的な知識)については、演劇から学んだのだと思っています。

──今後、演劇にかかわることはありますか?

 今のところは無いと思います。舞台の上や練習中でも自由にシャッターを切ってよいならともかく、そこまでわがままな行為を楽しんでくれるほど寛容な人はいないでしょうから。



──ヌードを撮らせてくれるモデルをどのように見つけていますか?

 大半がWebサイトでの募集によって来て下さる方々です。たまに、実際に会ってから、モデルをしてみたいと言われたり、私からやってみないかと話をすることもありますが、Webサイトからの方が多いですね。

──「裸体」について話してください。

 裸を特別なものとみなす世間の考え方に、違和感を感じるんですよ。恥ずかしいものだとか、綺麗なものだとか、いやらしいものだとか、自由の象徴だとか、愛の象徴だとか、そういうこだわりには違和感を覚えます。常識にとらわれてるだけなんじゃねーの、と思います。服を着てようが着てまいが、その人はその人だし、着てる時もあれば着てない時もある。

 社会的な規範やルールがなければ、裸になりたい人は実はたくさんいるんじゃないかと思います。かといってそういった規範に反抗しているわけでもありません。裸体ってのは、まったく特別なものではないものだと思っています。

──写真にとって「人」というのは特別な被写体であると思いますか?

 特別とは思いませんが、人は時間とともに変化するので、そこがワクワクするし撮って楽しいと思っています。変化しないものだと飽きてしまいます。

──人を撮るうえで、平野さんは他の写真家とどこが異なっていると思いますか?

 うーん、人間一個人の個性に対しての執着心ですかねえ……。知りたくて仕方がないとか、見たくて仕方がない、って気持ちが人一倍強いだけだと思います。かなり対話しますよ。実際に会うだけじゃなくメッセンジャーとかスカイプとかも多用して。多分、対話時間だけはほかの写真家さんをはるかに凌駕していると思います。時の経過とともに人は変化していくので、延々と対話し続けているのが私の姿勢のような気がします。

──写真を撮らなくなることはあると思いますか?

 無いと思います。続けることが面白いから写真をやってるようなものなので。



──デジタル写真が数の上では優勢となってきていますが、デジタル写真とフィルムの写真についてどう考えますか?

 デジタルだろうとフィルムだろうと、面白かったら何でも良いです。というか、デジタルだから面白いとかフィルムだから面白いとかそういった議論のうえにある写真には興味が無いんですよね。写っているものが面白いものが面白いですよ。私がフィルムで撮る理由は、何十年経った時ですら、万が一でも消えていたら困るから。その一点だけです。

──デジタルとフィルムの時間的な耐久性に関して言うと、考え方によってはかならずしもフィルムのほうが長く残るとは言えないのではないでしょうか? たとえば、火事になってしまえばフィルムも焼失してしまいます。デジタルであればコピーを数箇所に分散して保存しておけば災害への耐久性は高まるとも言えます。

 その点に関してはおっしゃる通りだと思います。褪色する点を考えれば、フィルムの不利は自明ですし。

 一方で、デジタル写真データがほぼPCと一体で考えられなければいけない点に強い抵抗を覚えます。写真管理をする際に、デジタルは基本的にカメラと写真の間にPCを介さなければ成立しないところが長所であると同時に、短所であるとも感じています。

 写真を基本的にはスタンドアローンにしておきたいのです。写真がPCと繋げられるという点にはすごく興味を持っている一方で、写真とPCを一元的に考えるのはちょっとヤダなという考えです。

 そこには一線を画しておきたいんですよね。保存に際してもそうですし、レタッチに関してもそう思っています。HDDまでがカメラ、みたいな現実を、フットワークへの足枷のように感じてしまいます。

 もしデジタルが水にも振動にも砂漠でも極寒の地でも長距離長期間の移動でも無類の強さを誇ったら、考えは変わるかも知れません。内原さんがノートPCを自転車に乗せて東南アジアを旅されているのってほんと面白い実験だなあと思ってるんですよ。

(内原註:ぼくは実際にはノートPCはほとんど滞在先のホテルに置きっぱなしなので、デジタルにとってもさほど過酷な旅ではないのですが……)


──他の写真サイトを見ますか?

 割と見る方だと思います。同じところを続けて見てもいますし、欧米なんかの写真サイトを紹介している個人ブログなどをたよりに、見て回ったりしています。

──平野さんの写真は複数の写真による組作品なのでしょうか? 1枚で独立、あるいは成立する写真と、複数で成立、複数で1個の作品であることの違いについてどう考えますか?

 写真を撮る時には、組写真や単写真の区別はあまり考えないようにしていますが、見せ方はいわゆる組写真ですね。単写真の持つ印象の強さよりも、組写真にして意図を適切に伝えたいという考えは持っています。

 しかし、一般的には組写真というのはだいたい数枚だったり多くて数十枚の作品として定義されているのに対して、「写真戯曲」のような大量に見せることで成立させているものが、組写真と呼べるか疑問もあります。また「写真戯曲」のような、モニターの前で何時間、何日もかけないと見られないような形態の作品だからこそ伝わるものへの興味が強い一方で、そうでなくても伝わる見せ方というものも並行して考える必要を感じています。



──「写真戯曲」には言葉が付されていて、それがとても効果的で面白いのですが、写真は写真で自律すべきで、言葉を付け加えるべきではないという考え方もありえます。写真と言葉(この場合、写真と対になった言葉)についてどう考えますか?

 付加された言葉が写真の魅力を殺してしまう場合は沢山あると思います。見方を強制するような言葉の付け方なんかはそうなりがちかなと感じています。

 一方で、世の中のほとんどの作品集には題名という形で言葉があたり前のようについています。言葉を万能だとは思っていませんが、写真だけでは伝わらないものだとか、もしくは、写真だけではむしろ誤解を与えてしまうような場合もあるので、そういう時には補完的に言葉が足されても良いと思っています。

──Webというのは他人に写真を見せる手段のひとつですが、他人が自分の写真を見ることについてどのように考えますか?

 他人を楽しませること、他人に理解してもらいたいということだと思っています。「写真戯曲」のような“超私写真群”と呼べるようなものもまた、写真作品として人が見るに面白いもの、またある種のメッセージだと思って発表しています。



URL
  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto_backnumber/



内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2007/05/17 01:09
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