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No digital──梶岡禄仙


梶岡禄仙(かじおか・よしひさ)「No digital」
http://www.digikazi.com/
1964年 奈良生まれ
2003年 第4回 平間至賞(優秀賞受賞)写真集「デジタリアン」出版
2003年 キヤノン写真新世紀 佳作
2003年 エプソンカラーイメージングコンテスト 佳作
2004年 エプソンカラーイメージングコンテスト 佐内正史賞受賞
2005年 キヤノン写真新世紀 優秀賞(森山大道選)
※記事中の写真はすべて梶岡禄仙氏の作品です。


No digital
梶岡禄仙氏

 梶岡さんの名前は「デジタリアン」という写真集の作者として知った。「デジタリアン」はコンパクトデジタルカメラで撮影したスナップ写真を、いわゆる写真用紙ではない普通用紙にインクジェットプリンタでプリントしたものを印刷原稿としており、独特の質感が印象深かった。荒々しいがどこかなつかしい記憶が写しとられたような写真である。

 「写真新世紀」展に1,000枚以上の写真を応募して受賞したという話も耳にしていたのだが、決定的なインパクトをぼくに与えたのは「No digital」という梶岡さんのWebサイトだった。そこには膨大な量の写真が載せられており、黒ツブレやノイズや白トビなども意に介さないで突き進む迫力を感じた。なんとなく、一筋縄ではいかないしぶとさや手ごわさを感じるサイトで、見ていると爽快な気分になった。

 その後、実際にお目にかかって何度か話をしたのだけど、とにかくジェントルな人柄で物静かに話す、どこか職人気質を感じさせる人だった。梶岡さんの奔放かつアグレッシブな写真と本人の印象がしっくり来ないな、とも思ったのだけど、今回のインタビューでいろいろと突っ込んだ話を聞くことができて、そうした印象の食い違いはだいぶ解消された気がする。

──写真を始めたきっかけは?

 中学の時に、白夜書房から出ていた「写真時代」という雑誌を見て衝撃を受けました。写真がどうのこうのという事よりも、ヌード写真が刺激的で毎月買っていました。(今も変わらないですが)当時のアラーキー(荒木経惟)は凄かった。アラーキーが裸でカメラをぶら下げで裸の女と2ショットで写っているのを見て「一体この人は何者なんだ?」と思いました。でも実は、アラーキーよりもヌードに興味があったのです。ましてや森山大道なんて名前も知らなかったです。僕にとって「写真時代」は単なるエロ本でした。

 「大阪写真専門学校」(現ビジュアルアーツ)の放送映画学科に在学していたころは、大阪の天王寺や新世界や通天閣の周りを、8mmフィルムのムービーカメラでスナップ的に撮影していました。ムービースナップと言ったらいいんでしょうか。それがスナップに興味を持ったきっかけかもしれません。


 卒業制作で、大阪の鶴橋にある大きな市場をドキュメンタリーにした映像作品を制作しました。半年の間、月に2、3回通って撮影したのですが、成り行きで撮影対象である金物店でアルバイトをするようになり、1カ月くらいアルバイトをしながら撮影しました。その店のおやじさんは僕に本当によくしてくれました。撮影させてくれたうえにバイト代までくれたんですから。その時ムービーで再撮影する素材としてスチル写真も撮ったのですが、その写真を学校の写真学科の先生が見て「なかなかええよ!」って言ってくれたのが嬉しかったのを覚えています。写真を始めたのはその事がきっかけだったと思います。「青色の街」というその卒業制作は、その年の優秀賞になりました。

 学校を卒業してからテレビカメラマンになりたくて制作プロダクションで数年間の下積み生活を送りました。「何が何でもカメラマンにならねば」と人生最大がんばったような気がします。その間は写真とは遠ざかっていました。

 やがてビデオカメラマンとして1人前になって写真を撮る余裕もできたので、中古のペンタックス67でまた写真を撮り始めました。モノクロの現像から焼き付けを自分でやるようになり、休みの日は写真を撮り歩くようになりました。たまにカメラ雑誌のコンテストに出したりして、趣味の範囲で楽しんで写真を撮っていたのです。カラーも撮るようになり、ラッキーのCP-32というプロセッサー(カラー印画紙を自家現像するための機械)を購入して、今度はカラーにハマって行きました。

 そしてデジタルで撮るようになり、さまざまなコンテストに応募するようになります。新風舎の平間至賞で受賞したことがきっかけで初めての写真集「デジタリアン」を出版しました。その後、エプソンカラーイメージングコンテストで佐内正史賞、写真新世紀で森山大道賞などを受賞して、現在に至ります。



──使用機材は?

 ペンタックス67、コンタックスT-2、ニコンミニ、ポラロイド690、ニコンD70、ライカMP

 いろいろなカメラを使ってみたい性分なので、中古カメラを買っては売りを繰り返し、この6台が残っています。現在はライカMPとCarl Zeissの25mmでほとんど撮っています。デジタルのライカM8も検討したんですけど、店頭で触ってみると持った感触やシャッター音がしっくりと来ませんでした。撮影した画像をプリントしたものを見ても、ごく普通のデジタル写真でした。「ライカなら何かが違うはず!」という思い込みがあったのかもしれませんが……。

──撮影方法について。

 普段は会社の行き帰りに撮ることが多いです。ロケで朝早い時なんかは、5時40分ぐらいに渋谷駅を降りて、会社までの約10分が撮影時間となります。まだ薄暗い中を歩きながら、パッパッと撮って行きます。終電ギリギリの帰宅時も、同じように歩きながら撮ります。

 夕方ぐらいに仕事が終わった時は、渋谷の円山町の方へふらふらと向かうことが多いです。少し危険な感じがして、猥褻で欲望をかきたてられる場所が特に好きです。そういう意味では新宿にもよく行きます。1枚撮影する毎に、欲望が満たされていくような感じがします。ほとんどがノーファインダーで、どんどんシャッターを切って行きます。絞りもピントも勘です。

 最近はライカMPにネオパン1600を入れて、太陽が当たっていればシャッター1/250秒、絞りF11、雲っていれば1/125秒、F8、夜は1/60秒、F4で撮っています。僕は少しオーバーめに撮って、ネガを硬くしてコントラストを付けたいので。森山大道さんに似ているとよく言われますが、危険な感じや猥褻さを出すには、コントラストを強くしないとしっくりこないのです。

 以前は自分で現像から焼き付けまでやっていのですが、結婚してから暗室を確保するのが難しくなりました。暗室作業では水を大量に使うのですが、水まわりを独占するわけにもいかないので、デジタルプリントで作品を作ることにしました。フィルムの現像はヨドバシカメラに出し、それをスキャンして、エプソンのPX-5500でプリントしています。PX-5500のモノクロ出力は本当にすごいと思いました。

 デジタル写真を始めてから、写真はMOや外付けHDDに保存しています。何十年単位で保存可能なネガフィルムにくらべると、HDDは故障の可能性があって耐久性では劣るのではないかと思っています。



──梶岡さんのブログのタイトルは「デジタルはきらい」ですが、ほんとうにデジタルは嫌いなのでしょうか?

 デジタルをやり始めたころは本当に嫌いでした。8mmムービーから始めたぼくには、フィルムに対するこだわりがあったのです。デジタルとフィルムの一番の違いは粒状感の有無です。デジタルには粒子がなく、のぺっとした人工的な感じがたまらなく嫌でした。

 また、デジタルはクリアに写りすぎるのも好きではありませんでした。トイカメラみたいに写らなすぎるのも問題ですけど、多少は現実から離れた写りのほうが、写真としての面白味を感じます。

 たとえば時代劇をビデオとフィルムで撮るのでは、まったく違う画になります。ビデオで撮るとどんなに俳優さんが名演技をしても、まるでメイキング映像のようで白けてしまいます。ビデオだとかつらやセットがクリアーに映りすぎてアラが見えてしまうから、ドラマの中に入っていけないのです。ところが、現在主流であるデジタルハイビジョンカメラによる撮影では、ビデオっぽくはなく、むしろフィルムに近い画が撮れます。ラチチュードが広いことやシネガンマ(フィルムライクなトーンを得るためのガンマカーブ)の搭載によるのでしょうけど。要はデジタルでもそれに最適な撮り方をして、作品の意図が実現できていればいいのです。

 デジタル写真についても同様で、ぼく自身この2年、デジタルを使っていろいろ試すことでその事がわかりました。昔のデジタル写真は合成したり画面をひん曲げたりコピーペーストを繰り返したようなものが多かったように思いますが、最近はデジタルでもストレート写真のほうが多いですよね。あえて言うなら、みんなフィルムに近づこうと努めている気がします。それが良いことかどうかはわからないのですが、フィルムが無くなりつつある現状で、写真家がデジタルの最先端の技術を使ってフィルムに追いつこうとしているのは、何か面白いですね。

 つまり、ぼくは本当はデジタルが好きなんです。ただ、デジタルはあまりにも簡単に写真が撮れてしまうし、簡単に消去することもできる、そのことに疑問も感じます。撮った写真を消してしまったら、撮った行為も消去したことになる。撮った時間さえ無くなってしまい、まったく意味のない時間を過ごしたことになってしまう気がします。フィルムの場合は、36枚の中にどう収めるかという真剣勝負でそれがドキドキします。


──ストリートスナップについて。

 スナップは、昔からさんざんやられているし、一番多い手法かもしれません。僕が何故スナップを撮っているか、理由は自分でもあまりわからないのです。撮りたいから撮っていて、それが続いているのだとしか言いようがありません。

 街を歩きながら撮影していると、いろいろな偶然性があります。偶然に人が角から出て来たり、良い配置に並んだり、狙って撮っても絶対に撮れないような画が撮れるのがスナップショットの面白さですね。

 僕がまだカメラ助手のころ、蜷川幸雄さん演出のテレビドラマの撮影で、ギリシャに1カ月ほどロケに行きました。ギリシャの街中で俳優さんが歩いて来るシーンを望遠で狙っていると、路地から人が出て来たのです。制作の人が人止めをしたら、監督がカットをかけました。そして監督は怒りました。「お前、何故、人を止めるんだ!」、「人が来る偶然性が面白いじゃないかー!」。

 確かに現地の人が歩いている中を俳優さんが歩いて来た方が自然だし、エキストラではどこか嘘っぽくなってしまうでしょう。蜷川監督はそんな偶然性を最初から狙っていたのかも知れません。街は偶然性が偶然を呼ぶことで成り立っていると思います。

 少し危険な感じがして猥褻なところで写真を撮るのも、自然に足が向かっていくからなのです。街で人が歩いてくるだけで面白い風景になると思うし、女の人が歩いてくるだけで欲望を感じたりするのです。人を撮るって事は凄く怖い事でもあります。こちらから仕掛けて撮るのではなく、向こうからやって来るモノを素早く撮影していく方がしっくり来るのです。



──路上で写真を撮るときの気持について。

 ぼくは他人が思うほど「いい人」ではありません。顔には出さないけど、心の中では「バカヤロー!」って常に思っています。

 街に出て写真を撮るというのはある程度こちらも腹をすえないといけない、周りをよく見て「撮ってやるぞ!!」みたいな気合いがいると思うんです。

 そして上手く撮れたら「バカヤロー」って事です。「撮ったぞ! バカヤロー!」みたいに心の中で気合を入れるというか。

 それとは別の意味で「バカヤロー」と思うこともあります。新宿や渋谷で撮影していると、しょっちゅう警官に職務質問を受けます。リュックを背負ってニット帽をかぶってカメラを持っているとかならずといっていいほどです。ある意味しかたがないとは思いますが、あまりにも頻繁なのでうんざりします。

 求めに応じてリュックの中や財布の中を見せたら、「おとうさん、ありがとうございました」と言われたことがありました。「おとうさん」ってホント、警官は市民を馬鹿にしていると思う。そういう目にあったときは「バカヤロー」と思いますね。

──奥さんのミチルダさん(本名はミチコさんだが、なぜかミチルダと呼ばれている)の写真をよく撮っていますね。

 今から7、8年前に、女性のポートレートを撮っていた時期がありました。表参道で歩いて来る女性に声をかけ、同潤会アパートの敷地内や屋上に来てもらって、30分ぐらい撮影させてもらいました。今から思えばよく怪しまれなかったなーと思います。

 1日声をかけてもダメな日もありましたが、調子いい日は4名ぐらい撮らせてもらい、気がつくと総勢50名のポートレートを撮っていました。そのころ撮影した女性の1人が今の妻です。ある意味ナンパですね。今でも妻の写真はよく撮りますが、付き合っていたころとは違った表情が撮れるように思います。日常生活を撮るのが僕の写真なので、これからも妻は登場するでしょう。



──展示やプリントとWebの違いについて

 僕は作品と言ったらやっぱりプリントや写真集、つまり紙にしなければ作品とは言えないと思います。Webももちろん新しい表現の場ではありますが、何か軽い感じがします。写真としての何か重みがないのです。どちらかと言えば軽いプレゼンみたいなもんでしょうか?

 パソコンのモニターだと、人それぞれのパソコンで観るので色やコントラストが当然違って来ます。なるべくオリジナルに近い感じで見せたいですから、完成形態はやはり紙です。

──仕事と写真について。

 僕の現在の職業はビデオカメラマンって事になります。仕事と写真は全く別モノで、ビデオカメラマンとしてはプロ意識を持って仕事をしています。ディレクターやクライアントの要求を第一に、時間と予算が許す限り最高の画を撮るためにあらゆる努力と工夫をしています。

 いっぽうで、写真は自分の作品として、自分が撮りたいように完全に自由に撮っています。もちろん、写真を撮っているほうがずーっと面白い。ただ、写真を職業にするつもりはありません。職業的なカメラマンとして仕事をするなら、現在やっているビデオカメラマンの仕事と同じことになってしまいます。自分が撮りたいと思う写真しか撮らないのが写真家で、それを誰かが評価してくれれば良いと思います。

 生計を立てるために仕事はしなければ生きていけないですが、それだけでは人生面白くない。職業としてのビデオカメラマンには定年があるけど、その時に残るのは「昔はカメラマンだった」という事実だけです。でも撮ってきた写真は残るでしょう。そういう意味で、僕は人生を記録として残していくために写真を撮っているのかもしれません。




URL
  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto_backnumber/

【お詫びと訂正】記事初出時、「記事中の写真はすべて横澤進一氏の作品です」と記述しましたが、梶岡禄仙氏の誤りでした。お詫びして訂正させていただきます。




内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2007/04/19 01:18
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