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撮り初め─鎌倉



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このページに掲載された画像はすべて内原恭彦氏により加工された作品です。(編集部)


 年が明けてから鎌倉に写真を撮りに行った。そろそろ松も取れようかという6日(土曜日)であるにもかかわらず、初詣の参拝客で鎌倉駅は混雑し、小町通り(鶴岡八幡宮の参道わきの商店街)は文字通り立錐の余地もない。人が埋め尽くしてほとんど身動きできず数m進むのに1分はかかるというありさまだった。

 もう何年も初詣に出かけたことすらないぼくは、鎌倉の正月を少しナメすぎていたかもしれない。もちろんぼくは鎌倉の古寺に詣でたわけではなく、お正月でにぎわう鎌倉の風景を撮ろうと思ったわけでもない。

 鎌倉に出かけたのは例によって特に理由はないのだが、年中行事に無関心なぼくにも、なんとなく賀正の雰囲気が伝播して足を向けさせたのかもしれない。「神奈川県立近代美術館・鎌倉」で6日から行なわれている畠山直哉の写真展を見ようと思ったことも鎌倉に出かけるきっかけのひとつだった。



 鎌倉は好きな町である。「古都」の呼び名にふさわしい雰囲気が確かにあって、東京近郊のどの地方都市ともはっきりと異なる景観を見せている。早い話が、駅前にパチスロ屋やカラオケ屋や牛丼屋の入った雑居ビルなんかがない。風致地区という名目で規制がなされているのだろう。

 もし、鎌倉に対するなんらかの出店規制がされていなかったら、たちまち松戸や厚木といった東京近郊の街とそっくりの景観になってしまうだろう。古都とは言いながらも要するに鎌倉は観光地であり、俗悪すれすれのみやげ物屋や小洒落た飲食店が立ち並んでいる。

 冒頭で述べた小町通りなどは、原宿の竹下通りと巣鴨のとげ抜き地蔵の商店街が混ぜ合わされたような趣きがある。ティーンエージャーから高齢者までを満遍なくカバーするさまざまな小物や食べ物が、品を失わない程度に旺盛な商魂を持って並べられている。

 駅前の商店街から少し裏通りに入ると、古くからの住人が暮らす住宅街がひっそりとしたたたずまいを見せており、ところによってはかつての湘南の漁師町の名残も感じさせる。文化住宅(大正時代に作られた洋風を取り入れた一般向け住宅)が今もわずかながら残り、モダンさを感じさせる住宅街である。舗装されていない入り組んだ路地には、地面の上にコンクリートタイルが敷石のように並べられていて、どこかなつかしさを感じさせる。

 特に目的もなく、休日に鎌倉をブラブラ散策することは楽しい。もっとはっきり言うと、デートなどにはおあつらえ向きの町と言えよう。だがしかし、ぼくにとって鎌倉は写真を撮る場所としてはいまひとつしっくりと来ない。あまりにも観光名所としてのイメージが確立しすぎていて、どこにカメラを向けても、たいてい誰かがすでに撮ってしまっているだろうし、どこかで見たような鎌倉の典型的なイメージから離れることが難しいからだ。もちろん、そうした事情をふまえた上で工夫を凝らし、ありきたりでない写真を撮るのが腕の見せどころなのだろうが、ぼくにはちょっと荷が重い。そのせいか、写真を始めてから鎌倉には足が遠のいてしまった。

 今回は、鎌倉とその周辺を延べ2日で1,500枚ほど撮影した中から選んだ。撮影はそれなりに楽しめたが、いわゆる「鎌倉らしい風景」に正面から対峙した写真はほとんどない。路上で見かけたバケツや、JAFのレッカー車の写真なんかは鎌倉じゃなくても撮れるだろう、と言われればそれまでだが、それがまあぼくの写真撮影スタイルであるとしか言いようがない。

 ただ、どこでも撮れる写真かもしれないけど、それと同時に、どの写真もそこでしか撮れなかった写真だと言うこともできる。少なくともぼくにとっては、これらの写真にはある日の鎌倉の光と寒風の中でしか撮れなかったという事実がある。



 鶴岡八幡宮の境内の池に面して建てられた神奈川県立近代美術館・鎌倉の建物に落ちる木の影の写真。この美術館を設計した坂倉準三のことは知らなかったが、美術館の建物自体が素敵だと改めて思った。ヒスイ色に濁った池に太陽の光が反射してパティオのようなスペースを明るく照らしていた。

 畠山直哉の写真展は、都市を上空から俯瞰したもの、巨大な建築物を支えるトラスのような構造部材、排水溝の水面に街の光が反射した抽象的なイメージといった、大まかにいうと人間が作り出したもっとも大きなモノである都市を撮っている写真だと思った。

 ぼくも都市を撮っているが、撮り方としてはまったく異なる。好きな写真とは言えないが、これらの写真について理解したいと思った。



 駅から1kmほど南に進むと、相模湾に面した由比ヶ浜に出る。この日は恐ろしく強い風が吹き荒れる日で、各地で鉄道が運休したほどだった。海岸に出ると砂粒や水しぶきが吹きつけ、よろけてまともに歩くことすらできない。

 そんな強風の中、ボードセーリングの人たちがたくさん波間を滑るように走っていた。由比ヶ浜には漁師小屋が並び、あざやかなプラスチックの漁具や什器が太陽の紫外線にさらされ、色あせて劣化している。靄(もや)のかかったような空の色や海の色、漁具の色を生かすために、いろいろとピクチャースタイルを変えたりホワイトバランスをいじってみたが、最終的にはスタンダードに現像してみた。



 藤沢と鎌倉を結ぶ路面電車「江ノ電」は広く知られているだろう。ぼくは鉄道に特に関心はないのだけど、路面電車にだけは幼児のころと変わらぬ愛着を持っている。

 鎌倉や江ノ島に来るたびに必ず江ノ電の写真は撮っているのだけど、どちらかというと一般車道の上を進む江ノ島近辺のほうが、路面電車っぽさが表現しやすいかもしれない。



 若宮大路沿いのお店にいた犬。この犬を見たら理屈ぬきでとりあえず撮ることにしている。これを見たら、誰でも撮りたくなるのではないだろうか? 今回はガラス越しの小春日和を浴びて、リラックスしているところを撮れた。

 この犬は時々路上でも見かけるのだけど、なんという犬種なのか知らなかった。高校の時流行っていたリック・スプリングフィールドというロックミュージシャンのアルバムにこの犬が写っていたので、ぼくの中ではリック犬あるいはジェシーズ・ガール犬と呼んでいた。検索して調べたところ、ブルテリアという種類の犬であると知った。



 魚屋かなにかの、店頭の水をたたえたバケツ。ぼくは、プラスチックの色というのはきれいだと思う。どぎつい色彩で均一に成型され、そっけない手触りで下品な質感ではあるが、それを写真に撮るとべったりと塗りつぶしたような一種抽象的な色面が得られる。

 たとえば、木、金属、陶器といった自然な風合いを持った素材とは違った、プラスチックならではの色彩の強さというものがあると感じる。まあ、実際にプラスチックでできた品物を手に取ってみると、安っぽかったりニュアンスが不足していたりということもあるが、それは素材としてのプラスチックの扱い方の問題だろう。

 写真に撮ると、被写体の物質感はいったん“括弧”に入れられる。どんなに精緻に被写体の質感を写し取ったとしても、原理的に写真に写るのは色彩と形状だけ。すなわちイメージのみである。そこである種の転倒が生じるように思うのだ。ありふれた、取るに足りない物質として記憶されていたプラスチック。しかし、写真に撮ることで抽象的な色の結晶体のように見えて、美を感じてしまうというような“倒錯”を体験することがある。



 渋滞する長谷寺界隈の路上でトラブルを起こした車を、JAFが牽引しようとしていた。ある意味、混雑する行楽地で見かけやすい光景と言えなくもない。JAFのレッカー車は警戒色としての意味なのか、あざやかな黄色と青色に塗装されていて美しい。作業員も同様に高彩度な装いである。JAFの車も路上で見かけるたびに写真を撮りたくなる被写体である。



 由比ヶ浜の浜辺で暮らす人が飼っている犬。こんなところに住んでいいのかどうか知らないが、数年前から同じ場所で見かける。缶ビールや焼酎のボトルが散乱する砂丘の中で、この寒風の下酩酊しているらしき様子で上機嫌だった。体を壊さなければよいのだが……。

 屋外に住む人たちは、身の安全のためにも犬やネコを飼っていることが多い。もっともネコは身の安全にはまったく役には立たないが。この犬たちは、手作りの小屋につながれ快適に暮らしているようだった。もっともカメラを構えると怖いらしく、吼えながら後ずさりして小屋の中に入ってしまった。あまり番犬としては役に立たなそうだ。



 建物はやや古びているが、洒落た感じの美容室。停められているアメリカンタイプのバイクがポイントだろう。近所にこんな店があったら、つい髪を切りにはいってしまうのだが。



 由比ヶ浜沿いの歩道のコンクリートに生えていた植物。深く刻み込まれたような葉脈が日ざしに照らされくっきりとしたテクスチャーを見せている。この植物は以前、御茶ノ水駅のそばの路上にも生えているのを見かけて、写真を撮った記憶がある。ほこりっぽい路上を好む植物なのだろうか。

 この場所では、コンクリートの隙間にたまったわずかな砂地にはびこって群落を作っていた。森山大道の「サン・ルゥへの手紙」という写真集にもこの植物の写真が載っている。



 海岸の消波ブロックの上に、ウミウ(海鵜)の群れがとまっていた。ウはうちの近所の川なんかでもよく見かけるのだが、それとは違った種類らしい。ウは羽毛に油分が少なく水をはじかないので、潜水したら日光浴して体を乾かす必要があると聞いたことがある。ブロックが糞で白くなっているところを見ると、ここは群の定位置らしい。地元ではよく知られた光景なのだろう。

 それにしても壮観なのだけど、単焦点の50mmレンズでは思い通りに撮影することはできなかった。おそらく野鳥やネイチャー写真を撮る人からすると稚拙な写真と思われるだろうが、こんな被写体があるということをお知らせするためにもこの写真を載せようと思う。



 稲村ガ崎から極楽寺の方に山道を進むと、斜面には住宅が点在している。鎌倉は、山と谷が複雑に入り組んで実際の面積以上に広く感じる。この辺は低い山と雑木林、古びた雑貨屋や寺の合間を江ノ電が走り、湧き水が小川となって海に注いでいる。

 古い日本の里山の風景はこういった感じなのだろうか、と思わされる。多摩地区の山のほとんどは、杉の木が植林されて風景としては面白みを感じないのだけど、鎌倉近辺の樹木は多様性があって見た目にも面白い。春や初夏は新緑がさらに美しいだろう。ただ、ぼくにとってはこの辺はちょっとキレイすぎてかえって写真を撮るのは難しく感じた。



 鎌倉から海沿いに江ノ島のほうに進み七里ガ浜に出た。そろそろ折り返して鎌倉にもどるか、それとも江ノ島からモノレールに乗って大船に出ようかと考えながら、一息つくためにコンビニで缶ビールとエビカツパンを買ってビーチに向かって歩き始めたとたん、交差点でいきなり手に持ったエビカツパンがトビにかっさらわれた。一瞬の出来事で何が起きたかわからなかったが、背後から急降下してきたトビが、手に持った一口食いかけたエビカツパンを袋ごとつかんで飛び去ったのだ。何か茶色の風が目の前を吹きぬけたようで、ほとんど何も目にとまらなかった。もっともトビにはエビカツパンは少々大きすぎたようでつかみきれないまま数メートル前の路上に散らばってしまった。

 トビの習性として人間の食べ物を狙ってくるということは、周辺のの看板にも記されているので知っていたのだけど、完全に油断していた。トビは道路上に散らばったエビカツパンを再度急降下して今度はしっかりとつかんで飛び去っていった。

 仕方がないのでビーチの駐車場に腰を下ろしてビールを飲みながら、もやにかすむ富士山や江ノ島をながめて休憩していると、周りでは同様に食べ物を取られた人たちが小さな悲鳴を上げている。上空を見上げると何羽ものトビがグライダーのように舞っている。その下には駐車場とコンビニ。完全に人間の生態に順応して行動していることがうかがわれた。

 だいぶ陽も傾いてきたのでぼくは鎌倉に引き返すことにした。頭上で物欲しげに旋回しながらついて来ていたトビもいつしかどこかに行ってしまった。夕暮れの浜辺には犬を散歩させたり遊ばせる人たちが集まりはじめていた。



URL
  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto_backnumber/



内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2007/01/18 00:57
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