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写真の星──村上仁一
[2008/05/15]

アパートメント ウェブ フォト ギャラリー──兼平雄樹
[2008/04/10]


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2006年

日出(いづ)るところの新宿



 年末はわりとよく新宿に出かけて写真を撮っていた。このところ郊外をうろついて写真を撮ることが多かったので、その反動かもしれない。空っ風が吹きつける人気のない荒川河岸で腐ったナスビの写真なんかを撮っていると、身も心も寒々としてくる。時には歳末気分でざわめく繁華街の雑踏にまぎれ込みたくもなる。新宿を撮ろうと思った動機はその程度のものである。



 そもそも、ぼくは新宿という街にさほど思い入れがあるわけではない。ただ、以前に新宿の近くに住んでいたこともあって、なんだかんだでよく出かける馴染み深い街ではある。数年前にデジタルカメラをはじめて手にした時も、毎日のように新宿に出かけては意味も無くパチパチとスナップ撮影をし、それが写真を始めるきっかけともなった。

 そういった意味では、ぼくにとって新宿を撮ることはなつかしい行為だということもできる。思い返せば、20年ほど前の新宿はコマ劇場の前の広場が池になっていて、新宿駅南口の陸橋のたもと(タワーレコードやGAPの入ったFLAGSのあたり)は、ゴールデン街のような小さな飲み屋が並んでいた。そう言えば都庁もまだなかった。たかが20年前のことなのだけど、なんだか不思議だ。もちろん、ぼくはそのころ写真を撮っていなかったので、そうした風景が記憶の中にしか残っていないのが残念だ。

 ぼくが写真を撮り始めてからの6、7年でも新宿はずいぶんと変わった。西新宿の成子坂下あたりの古びた町は完全に取り壊されて、すでに高層ビルの建築が始まっている。路上生活者がめっきりと減ったし、西口公園のブルーテントの数も半減した。成子坂下の路地は取り壊される前に写真に記録しようと思ってずいぶん写真を撮ったのだが、完全には記録しきれなかった。



 ある程度の年月に渡ってひとつの場所を訪れていると、その場所の変化に気づく。新宿に住む人やそこで働く人にとっては、変化はよりはっきりととらえることができるだろう。新宿に限らないが、あるひとつの場所を集中して撮り続けることはそうした意義もある。ただ、ぼくはひとつの場所を集中的に“攻める”のではなく、思いつきでふらふらといろんな場所に出かけて写真を撮りたいという気持もあり、その辺がジレンマを感じるところでもある。

 やはり、長年にわたってひとつの場所を集中して撮ってきた写真というのは重みというか厚みがあって質の高さを感じる。一例を挙げると、昨年亡くなった写真家の渡辺克巳は、何十年にわたって新宿とそこに集まる人々の写真を撮ったことでよく知られているが、ぼくは理屈ぬきですごいと思う。もちろん、ぼくにはこうした写真は撮れないし、これとは違った撮り方でやっていくしかない。



 2000年ごろにぼくが写真を撮り始めた頃は、3DCG(三次元コンピュータグラフィックス)の仕事をフリーランスでやっていたのだけど、業務としての3DCG作成にはかなり情熱を失っており、逃避するように街をうろついて1日を過ごしていた。

 昼前に起き出して、食事をとりがてら新宿まで歩く。今でもよく行く新宿駅構内のカフェ・ベルクや、新宿大久保界隈のタイ料理屋のランチが目当てだ。タイ料理のスパイスの刺激で頭をすっきりさせてから、本屋やマンガ喫茶で読書をする。当時は新宿駅のルミネ内に青山ブックセンターがあって、そこで何時間も写真集を見ることに費やした。本屋にとっては迷惑な客かもしれないが、今思うと青山ブックセンターでずいぶん写真の勉強をさせてもらった。立ち読みだけではなく、ヴォルフガング・ティルマンスや中平卓馬やニック・ワプリントンの写真集を買ったことをおぼえている。

 当時は新宿2丁目にあったphotographers' galleryの展覧会も毎回見に行っていた。会場の構成や額の掛け方といった展示に関する具体的なディテールや自主ギャラリーの運営方法などを横目で観察しながら、本気で写真をやっていこうとしている人たちの存在を感じた。

 時にはゲームセンターでバーチャファイターにコインを注ぎこみ、歌舞伎町のビルの非常階段に登ったり、サブナードの横の地下駐車場を歩いたり、大久保の裏通りやドンキ・ホーテの圧縮陳列の売り場の中に迷い込んだりしながら、新宿という街をひとつの迷宮と見なそうとしていた。



 そうした歩行の合間にサイバーショットで何枚となくスナップをするわけだが、その頃は自分が撮っているものがはたして写真なのかどうかもよくわからなかった。もちろんカメラを使っている以上、写真には違いないのだろうけど、世間に満ちあふれている写真とはどうも似ていない。

 実際、そのころはひび割れた歩道のコンクリートや、壁の「しみ」や、錆びた金属を撮影して、3DCGのテクスチャーマップ(CGにおいてオブジェクトの光沢やざらつきや質感を表現するための画像)の素材としても使っていたので、ぼくが撮っているものが「作品」としてそれ自体で成立するような写真でないことは明らかだった。

 今なら、ためらうことなく「これも写真です」と断言することもできるし、あるいは「ぼくが撮っているものは写真じゃなくてもいい」と開き直るかもしれない。今では「自分が撮ったものが写真かどうか」などということで悩んだりはしないし、自分がどう思うかにかかわらず、撮られた写真は撮った者からも独立して存在している、という風に考えている。

 それはともかくとして、当時のぼくは写真についてほとんどなにもわからず、?マークだらけのまま、謎を振り払うようにしてシャッターを押しまくっていた。多くの写真初心者とそう違わない立場であったと思う。

 自分の昔語りをするつもりもなかったのだけど、要するに新宿の街はぼくが写真を始めた頃の思い出に結びついている気がするのだ。そのころは写真家になろうというつもりもなく、写真が生活のすべてを占めているわけでもなかった。あくまで新宿でブラブラしながらついでに写真も撮っているというスタンスだった。もちろんこうした撮り方は“気合い”が入っていないし、あくまで趣味的というかアマチュア的ではある。

 ただ、ぼくはこうした「ながら」的な撮り方はかならずしも否定すべきことではないと思っている。これもまた写真の楽しみ方のひとつだと思うし、写真を撮る「喜びの量」において軽重はないのだから。いずれにしても、このころのような写真の撮り方はぼくにはもうできないだろうと思う。



 今回の写真は、タイトルに記したように、午前中の明るい日ざしが照らす新宿を撮ってみようと思った。このところ夜の新宿に足を運ぶことが多かったのだが、ほとんど気に入った写真が撮れなかった。歌舞伎町浄化作戦による取締りで以前よりにぎわいを減らしはしたものの、夜の新宿はあいかわらずフラットな明かりの下にホストをはじめとした夜の人たちが多数そぞろ歩き、他の繁華街とは趣きを異(こと)にしている。しかし、そうした光景にカメラを向けてもどうにもおもしろい写真が撮れない。夜の歌舞伎町の写真はいずれはなんとか形にしたいとは思っているが、今のぼくの力ではどうしても満足できる写真が撮れない。そこで、気分を変えて、光のあふれる新宿を撮ることにした。

 だが朝の新宿には、高い建物にさえぎられて朝日がほとんど路上に射しこんでこない。実は「日出るところ」とは言いにくいのだ。午前中の日ざしが照らす場所を撮るためには、大通りや広場といった開けた場所、あるいは階層の低い建物が並ぶ場所を探して回った上で、なお太陽の高度や方位が合致する必要がある。

 過去の記憶や地理を頼りにあちこち移動してみるが、季節による太陽の位置の違いもあって、なかなか思うように朝日をとらえることはできなかった。おそらく、歌舞伎町などの路地を朝日が照らすのはほんの一瞬なので、そのタイミングを拾うことはかなり難しい。そういった意味では、やはり街を撮るには毎日通いつめて、建物の配置や太陽に向きを熟知する必要があるかもしれない。新宿は頻繁に建物が取り壊されたり新たに建てられたりして、日ざしの布置はめまぐるしく変わるだろうから、困難はつきないことだろう。まことに都市は生きており、その写真を撮る者は狩猟者めいた努力が求められる。

 ぼくはそこまで勤勉にはなれないので、太陽がもっとも高く昇る正午を待つ。冬なので正午といえども太陽の高度は低いのだが、この刻限であれば狭い路地や建物が密集する場所にもかろうじて陽光が届く。美観など無視したかのようにどぎつい原色で彩られた街が強い日ざしの中で白茶けたようにさらされる、ぼくがもっとも美しいと思う光景である。



 EOS Kiss Digital X(KissX)の赤やオレンジの発色はなかなか面白い。ピクチャースタイルの変更によってかなり色合いやトーンが変化する。デジタルカメラでは赤系統の色は飽和しやすく、忠実な再現が難しいと言われてきたが、最近のデジタルカメラは赤系統の色の階調もずいぶん良く表現できるようになっていると思った。KissXのピクチャースタイルの「スタンダード」では、赤やオレンジは高彩度で濃く表現されるため、やや誇張されたような感じもするが、飽和しているわけではなく、それなりに階調が残っている。DPP(KissXに標準添付されているRAW現像ソフト)でRAW現像時にいろいろピクチャースタイルを変えて画像の変化を試してみるのは面白いのだが、結局のところスタンダードにすることが多い。印刷で言うところの「金赤」のような、温かみのある華やかでこってりとした赤が得られ、なんとなくKissXっぽい赤だな、と感じるのだ。

 最近は日中でもISO感度400で撮影している。今回の写真もほとんどISO400である。F11まで絞ったうえで、自転車に乗ったまま、あるいは歩きながら速いシャッタースピードで撮影したいからだ。KissXは高感度ノイズが少ないから、ISO400でも画質的には問題がないだろう判断した。

 ただ、撮った写真をPC上で等倍で表示してみると、画像によっては「砂目」のような粉っぽいノイズが気になることがある。DPPでシャープネスを適用すると当然のことながらノイズも強調されてしまい、それはより顕著になる。ぼくはノイズはかならずしも嫌いではないのだが、一口にノイズと言ってもさまざまで、同じISO感度で撮影したものでも画像によってはノイズが気になるものとならないものがある。場合によってはノイズがあったほうが好ましく感じられることもなくはない。要するに、ぼくはまだKissXのノイズの乗り方に関して熟知していないので、もう少し使い込んでノイズの特性を知った上でISO感度の設定や露出補正や現像時の調整を詰めていく必要があると思わされた。

 DPPで残念なのはノイズリダクション(ノイズ緩和処理設定)機能が「環境設定」という別ダイアログの中にあり使いづらく、適用の度合いも「なし」、「弱」、「強」の3段階しかないということだ。この機能は普通にツールパレットの中に入れておけばいいと思うのだがいかがだろうか。



 暖冬とは言え、早朝はそれなりに冷え込む季節だが、非常に寒い日などはKissXで100枚ほど撮影した段階でバッテリーを交換することをうながすメッセージが表示され、一切操作できなくなることが何度かあった。低温によりバッテリーが消耗したのだろうが、あまりにも早すぎる。こういう時は電源を入れなおしたり、バッテリーを取り外してもう一度入れ直すことで復活する。

 普段使っている時は、KissXのバッテリーは仕様に記されているより多くの枚数を撮影できるのだが、温度の変化によって撮影枚数が大きく変化するように思う。温度による起電力の変化はバッテリーであれば避けられないことなのかもしれないが、これまで使ってみたデジタル一眼レフのバッテリーは、ここまで寒さに弱いという印象はない。

 今回KissXで撮った新宿の写真をセレクトしているうちに、数年前に撮った新宿の写真を見返してみたくなり、HDDの中を探してブラウズしみた。サイバーショットやD100で撮った写真は、今ぼくが撮っている写真と似ているようでもあり、まるで異なっているようにも感じ、ある種のなつかしさを感じる。

 ほんの数年前の写真とはいえ、当時と今ではその間に数十万枚の写真が横たわっているわけで、実生活の履歴とはまた異なった写真の中での時間というものもあるかもしれないと思った。そうした「写真の中の時間」というのは、新宿というひとつの場所を撮ることを通してよりはっきりと感じられるのかもしれない。




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  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/webphoto_backnumber/



内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2007/01/11 00:23
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