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KissXでモノクロ写真を撮る


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このページに掲載された画像はすべて内原恭彦氏により加工された作品です。(編集部)

 最近、EOS Kiss Digital X(以下、KissX)でモノクロ写真を撮っている。KissXのピクチャースタイル(被写体や表現意図に対して最適化された画像特性が得られるプリセットの撮影モード)を“モノクロ”にしてRAWで撮影し、現像時に多少の調整を加えて、エプソンの顔料プリンタ「PX-5500」でプリントしている。といっても、ここ数日で数百枚撮影して数十枚プリントした程度なので、モノクロ写真のほんの入り口でちょっと遊んでみたという程度なのだけど、自分でも意外なくらい面白くてハマっている。

 ぼくはこれまでモノクロ写真を撮ったことはほとんどない。デジタルでは皆無、銀塩フィルムのネオパンを2、3本使ったことがかすかに記憶にある程度だ。もちろん白黒の自家プリントの経験はない。そもそもモノクロ写真自体があまり好きではなくて、他人の写真もモノクロであるというだけでかなり興味が殺(そ)がれてしまうといったありさまで、われながらこれは明らかに偏見だと自覚していた。でも、嫌いなものは嫌いなのでしょうがない。

 それなのになぜ急にモノクロ写真を撮り始めたかというと、PX-5500を使ってみたことがきっかけとなっている。このプリンタの特長のひとつはK3インク(ブラック、グレー、ライトグレーという濃度の異なる3種類のモノクロームインク)による白黒プリントの美しさであることはご承知の方も多いことと思う。PX-5500とさまざまなサードパーティ製の写真画質インクジェットペーパーを使ったインプレッションを書いたのだけど、その中でとりわけぼくの興味をひいたのが通称「バライタ用紙」と呼ばれる類のペーパーだった。

 ぼくも写真をやっている人間のハシクレなのでバライタ紙という言葉くらいは知っているが、触ったことはもとより、バライタとは何であるかということすら知らなかった(今でも知らないけど……)。ただ、モノクロの階調にすぐれ黒のしまりがよく、プリントに手間がかかる印画紙であるということは耳にしており、それを応用したインクジェットペーパーも「黒のしまり」や「バライタ紙風の質感」などをキャッチコピーとしてかかげていた。そうしたバライタ紙風のインクジェットペーパーを実際に使ってプリントしてみると、やはりその画質はすばらしく非常に気に入った。これでモノクロ写真をプリントしてみるとどうなるのだろう、という興味からモノクロ写真を撮ってみようと思ったわけである。



 モノクロ写真は好きではないと書いたが、森山大道の写真は好きだ。ぼくにとってモノクロ写真といってすぐさま思い浮かぶのは、森山大道の何枚かの写真である。とはいうものの、はじめて森山大道の写真を見たときは、特に興味も惹かれないし理解することもできなかった。やはりモノクロ写真であるということで、生理的に目が受けつけなかったのだろう。それでも長年(といってもここ数年なのだけど)見続けているうちに、次第にぼくの気持に食い込んできた。音楽でも食べ物でも人間でも、クセがあって最初は取っ付きにくく感じるもののほうが、後からとても好きになるということがあると思うのだけど、森山大道の写真もそんな感じである。まあ、今でも森山大道の写真が全部好きというわけではないし、絶対的なカリスマとしてあがめているわけでもない。ただ何枚かのモノクロ写真が気持に引っかかり続けているし、それを見ることはつきることのない楽しみをぼくに味あわせてくれる。

 誰の目にも明らかであるように森山大道のプリントはきわめて硬調(コントラストが高い)である。視認できるほど大きな銀塩粒子の分布の粗密によって、階調(ハーフトーン)が表現されているのが特徴的だ。細部に目を凝らすとそこには白地に黒い粒子が踊っているだけだが、全体に眼をやるとグレーの階調がイメージを形づくっている。極端に言うと、デジタル画像における「白黒2階調のディザリング」表示のようにすら感じられる。肉眼で銀塩粒子がまったく視認できないほど超微粒子によるモノクロプリントは、喩(たと)えてみるなら8bit~16bitのグレイスケールのように連続したなめらかな階調を示すが、ぼくはそういうプリントにはあまり惹かれない。



 森山大道のプリントのディテールを見ると、強い日ざしのあたる路上に散らばった小石や、生物の組織を拡大していった時に現れるパターンを連想する。それらの粒子は目に対して抵抗してくる異物のように感じられると同時に、視線をそらしたり引いて見ることによって、階調を表す組織化された“画素”として振る舞い“イメージ”へと変容する。……いくら言葉を連ねてもわかりきったあたり前のことしか書けそうにないので、この辺にしておきたいのだけど、ぼくは森山大道のプリントにおいて「イメージとイメージならざるものが分かちがたく結びつき、それが見ることによってすばやく反転し続けるダイナミズム」のようなものに魅力を感じる。

 森山大道は「自分にとって写真はモノクロである。カラー写真には興味はない」というようなことを何度か本に書いている。とにかく最初からそう思ってそういう風に写真をやってきたんだから仕方がない、とでもいうような口ぶりだ。これは言うなればすべてに先立つ写真家としての生の条件とでもいうべき事柄で、言葉によって理由や意味を説明することはできないのだろう。しばしばある人間にとって最も重要なコアのようなものは口にできなかったりするのだけど、それに加えて森山大道が何十年もモノクロ写真だけをやってきたという事実の重みのようなものも感じる。いずれにしても彼がモノクロ写真を撮り続けるということは理屈を越えているし、そのことにぼくはとても共感する。




 森山大道の写真について書いたあとで自分のモノクロ写真のことを書くのは気恥ずかしいが、ぼくなりにデジタルカメラでモノクロ写真を撮りながら思いついたことを書いてみたい。

 のっけから否定的なことを言うようだけど、Web上でモノクロ写真を発表することは難しいと思った。モノクロ写真に関してはやはりプリントしたもののほうが魅力的に感じられる。PCの液晶ディスプレイでモノクロ写真を見ると青味がかって見えるし画像サイズを縮小すると粒状感(厳密にいうとノイズなのだけど)が損なわれてしまう。理由が上手く説明できないのだけど、なんとなく単調でさびしく見える。紙にプリントしたものは黒自体に濃度や物質感や密度が感じられ、豊かな印象がある。今回掲載した写真はすべてPhotoshop上でカラー情報を破棄してグレイスケールモードにして、JPEGで圧縮している。たとえばフルカラーモードのままわずかに温黒調の色味を与えれば、また見え方は変わってくるだろう。カラーの写真をWebにアップするときよりも、むしろモノクロ写真のほうが微妙な色合いやトーンの調整が必要で難しいと思った。

 ぼくがこれまでモノクロ写真を撮らなかった理由のひとつは、ぼくがデジタルカメラを使っているからということがあげられる。デジタルカメラは本来はフルカラーでしか撮影できないものであって、モノクロモードはフルカラー画像からわざわざ情報を捨て去ったものだという風に考えていたのだ。

 この辺のデジタル画像の仕組みについて完全に理解していないのだけど、24bitフルカラーであれば1,670万色の情報を持っているのに、それをグレースケールに変換すると8bitすなわち256色(階調)の情報へと激減するのではないかという危惧だ。実際Photoshop上でフルカラー画像をグレイスケールに変換するとなんだかさえない画像になるな、という風に感じていた。要するにデジタルによるモノクロ写真は「なんちゃってモノクロ」じゃないか? という疑いがぬぐえなかった。

 KissXのピクチャースタイルのモノクロモードがどういうアルゴリズムを使っているのか知らないけど、より銀塩フィルムライクなモノクロ画像を生成してくれたりするのだろうか? 結局のところぼくは銀塩のモノクロで撮った経験がないのでなんとも言えないのだけど、素朴な感想として「けっこうそれらしい」と思う。仮に銀塩のモノクロ写真とは似て非なるものだったとしても、これはこれでひとつの写真のスタイルとしてじゅうぶん楽しめるものだと思う。



 このようなKissXのモノクロ写真に対する一種の手ごたえのようなものは、PX-5500というプリンタによるところも大きい。すでに、銀塩フィルムで撮影してエプソンのMAXART系のプリンターでモノクロプリントを作る、シリアスな作家が増えてきていることがそれを証しだてている。

 さらにインクジェットプリント用紙によってもモノクロプリントの質は大きく変わる。ぼくが気に入ったのは、米クレインのSilverRagペーパー( http://www.ginichi.com/shop/technical_11.html )と、ピクトランの「局紙」( http://www.cosmosint.co.jp/product/pictran.html )である。どちらも「バライタ紙」風であることがうたわれている。

 これら二つのインクジェットペーパーはその特性がかなり異なる。SilverRagはコントラストがはっきりとして明部がすっと抜けたシャープな印象であるのに対して、局紙は暗部よりのミドルトーンがこってりと乗り全体にぬめり感のある重厚な印象である。もっともこうした印象ははカラーマネージメントをしないでそのままプリントしてみた結果によるものなので、用紙ごとにプロファイルを用意するなどしてその紙に最適な設定でプリントを行なえば用紙ごとのクセのようなものは補正されるのかもしれない。ただ、ぼくが普段やっているように、とりあえず試しにプリントしてみて、その結果を見てPhotoshop上でオリジナルのファイルに調整レイヤーで補正するというやり方でも、けっこういけるような気がする。フルカラー画像よりはモノクロ画像のほうが調整を加えやすい。



 告白すると、今回お見せするモノクロ写真は、はっきり言って森山大道の写真の真似をしている。ぼくはこれまで誰かの写真を意識して真似るということはしたことがなかった。そういった意味でも、これらの写真は自分の作品とは言い難いところがある。これは言うなれば森山大道の写真をデジタルでシミュレーションする試みであり、ある意味遊びでもあるし実験でもある。しかしこの試みは「作品」を撮ろうとすることよりはるかに楽しかったということも付け加えておきたい。まあ、あんまり森山大道には近づけなかったのだけど……。

 最初にKissXのモノクロモードで撮影した写真は、A4にプリントするとあまりにもシャープすぎる印象だった。ISO200で撮影した画像はプリントするとほとんど粒状感は感じられない。もう少し森山大道風の粒状感を付け加えようとPhotoshopでフィルターを使ったりレイヤーを重ねたりしてみたが、なかなか銀塩フィルムの質感にはならない。もっともこの辺は先刻承知で、Phoshopのデフォルトのノイズフィルターでは銀塩フィルムの粒状感は表現できない。映像ソフトであるAdobe AfterEffectsのサードパーティ製フィルターにはフィルムの粒状性をシミュレートするものがあるのだが、それを使っても動画ならともかく静止画のモノクロ写真そっくりにすることは難しいのではないかと思う。

 意外とKissXの高ISO感度によって生じるノイズが銀塩の粒状感に近いと思った。ISO800に設定して撮影した後、DPP(Digital Photo Professional。KissXに標準添付されているRAW現像ソフト)のシャープネスを最大値の10にしてみると、ぼくがイメージする森山大道の写真のディテールに近づいた。もっともKissXのノイズは以前にも書いたようにランダムに発生するのではなく、画面の長辺と短辺に平行して並ぶ人工的なパターンを感じさせるものなのは、如何ともしがたい。ノイズ自体も、等倍以上に拡大すると銀塩の粒子とは似ても似つかぬデジタル臭い矩形のパターンが見えてくる。それにしても、通常ではありえないくらい強くシャープネスをかけることで、森山大道の写真のディテールっぽくなることが興味深かった。もしかしたらそれは写真集の製版段階でシャープネスがかけられた結果かもしれないと想像している。



 KissXでモノクロモードで撮影する場合、RAWで記録しておけば、あとでDPP上でピクチャースタイルをモノクロ以外に変更することで、カラー画像を得ることもできる。逆に言うと、カラーで撮影した場合でもRAWで記録したものならあとでモノクロに変更することもできる。そうは言っても、気分を出すためにも撮影時にはモノクロモードに設定しておきたい。もっとも液晶モニターで見るモノクロ画像はなんだかピンと来なくてチラッと見る程度にとどまっている。モノクロ写真の微妙なトーンやディテールについては、カメラの背面液晶モニターで見たところで話にならず、PCのディスプレイでじっくりと見て調整を加えるしかないからだ。いっそのことカメラの背面液晶モニターをOFFにしてみるのも面白いかもしれない。

 KissXをモノクロモードにして撮影した初日は、やはりなんだか調子が出なかった。なんだか左手で飯を食っているような、不自由で心もとない感じだ。何がどのように写るのか予想できないからだ。まことに写真というのは気分によって左右されるものだと思ったし、最近の自分が予想のつくような写真を撮ってしまっていることを痛感した。いずれにしても、普段カラーモードで撮影しているときとはまるで事情が異なった。帰宅してから撮影した写真をPCでブラウズ(閲覧)したり、調整を加えてプリントしてみると、ようやく自分がこんな写真を撮ったのだという風に納得することができた。




 普段カラー写真を撮っている時は、現像ソフトやPhotoshopではそんなに大きく輝度のトーンを変えるわけにはいかない。画像が不自然になったり破綻したりするからだ。しかしモノクロ写真の場合は、カラーの場合に比べるとはるかに大胆にトーンをいじることができると思った。トーンカーブに複数のコントロールポイントを置いて複雑な変更を加える場合でも、思ったよりもうまくいく。デジタルにおけるモノクロ写真と銀塩フィルムにおけるモノクロ写真の暗室作業というのはどれくらい似ているのか異なるのかわからないけど、モノクロ写真をやる人が自家プリントにおける暗室作業を重視することが、多少納得できた。

 ほんの2、3日に過ぎないがモノクロ写真を撮ってみて実に面白かったし、発見がたくさんあった。デジタルカメラでモノクロ写真を撮る人が増えているようなのだけど、その理由がよくわかった。

 ぼくにとってモノクロ写真は遊びであり実験であると書いたが、それは取るに足りない行為ではまったくなくて、大げさに言うと自分の目が変化するという切実な体験でもあった。普段撮れないものが撮れるようになる一方で撮れなくなるものもあった。以前に自分が撮ったカラー写真を見ると、違和感を感じるほどだ。

 モノクロ写真はぼくにとって非常に面白い遊びであるとともに、危険をはらんだ行為であるような気がする。デジタルと銀塩の違いよりも、カラー写真とモノクロ写真のほうが大きな断絶があるのではないかということも思った。もちろんカラー写真であってもモノクロ写真であっても、写真は写真に違いない。カラーに加えてモノクロでも写真を撮れば、写真の幅が広がると言えるかもしれない。さて、明日はカラーで撮るかモノクロで撮るか、ほんとうに予想がつかない。




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内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2006/12/07 00:52
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