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モロッコ漫遊記-マラケシュ



 前回に引き続きモロッコ旅行の写真である。モロッコに到着したぼくたちが最初に向かったのは、マラケシュだった。

 千年にわたる歴史を持ち、数多の文人や旅行者が訪れ、世界遺産にも登録された名高い観光都市でもあるマラケシュについて、今さらぼくが何事かをつけくわえることができるだろうか。写真についても同様で、これまで散々撮られつくされたであろうマラケシュをいったいどのように撮ればぼくらしい写真になるのだろうか、と身構えないでもなかった。まあ「一度は行ってみたい」という単純な好奇心に衝き動かされてのモロッコ行であり、近所を撮るのと同じような私的なスナップ以外の撮り方が、ぼくにできるはずもなかった。



 快適に整備されたモロッコ国鉄の数時間の乗車を経て、終点のマラケシュ駅に着いた頃にはだいぶ日が傾きかけていた。マラケシュは観光都市であると同時に、普通の人々が暮らすモロッコ第3の都市であり、荷物をかかえて里帰りする人たちを出迎える親族たちが再会を祝していた。

 マラケシュ駅は味もそっけもない新市街に位置しており、旧市街に移動するためには駅前で客待ちをするグランタクシーを利用する必要がある。世界中のどこでも同様だが、駅や空港で客待ちをしているタクシーの多くは、全部が悪質とは言わないまでも料金が不明瞭でありしっかりと交渉しないと割高に請求されることが多い。

 グランタクシーというのは他の客との相乗りでもある。大荷物をかかえたモロッコ人たちが乗り込んでいくタクシーにどう乗り合わせて、どういう風に交渉すればいいのかがよくわからない。流しのタクシーはまるで見あたらない。地図を見ると駅から旧市街までは歩けそうな距離だったので、ぼくと同行者は荷物を持って歩くことにした。これが失敗で、道に迷ってしまい、たいした距離でもないのにかなりの時間を食ってしまった。

 やたらにだだっ広い新市街は、高級ホテルがぽつりぽつりと建っている以外には何もない。水不足で力なくしおれた並木の続く道路はひたすら一直線に伸び、その先には砂漠と雪を頂いたアトラス山脈がぼんやりとかすんで見える。西日に照らされた道路を荷物を背負ってとぼとぼと歩く先に旧市街のランドマークであるクトゥビア・ミナレット(塔)と緑の樹々が見えたときには、大げさだがオアシスにたどりついたようなほっとした気分だった。



 ぼくたちは、ジャメルフナ広場に面したホテルにチェックインした。広場の周りには格安だが快適な小さなホテルがいくつもあって、世界中の旅行者でにぎわっている。

 荷物を置いたら、すぐさまぼくたちはジャメルフナ広場に出かけた。ガイドブックなどには「ジャマ・エル・フナ広場」と書かれているいわゆるフナ広場は、ぼくには「ジャメルフナ」という風に聞き取れたので、ここではそのように記したい。アラビア語で「死者の広場」という意味らしく、かつては公開の処刑場だったこともあるそうだ。

 ジャメルフナ横の一等地には地中海クラブがあり、警察署も隣接してにらみを効かし、今ではすっかり観光名所となって外貨をかせいでいる。昼間は大道芸人たちが場所を占め、夕方からは多数の屋台が立ち並び、盛んに白煙を上げている。観光名所というのはたいていどこも通俗化しており、ジャメルフナも例外ではないが、それでも充分に祝祭的で魔術的な雰囲気をそなえておりとても魅了された。



 とにかくこれだけの広さの空間というのは、東京ではちょっと思いつかない。何もない単なる広場のほうが、建築家が凝りに凝ってデザインした空間よりもはるかにぜいたくで、刺激的だと思った。ジャメルフナに身を置いてみればそれはすぐに体感できることだと思う。

 広場はランダムな方向に歩く人々で満たされている。調理の煙にかすむ暗がりから人々が現れ、薄明かりによってその顔が一瞬浮かび上がり、すれ違ってまた消えていく。時おり雑踏の中を縫って、原付バイクがヘッドライトの光とともに走り去る。言うなれば雑踏は動き回り形を変えつづけるオブジェのようにも感じられる。

 どこからか聞き慣れない打楽器の音が、単調に鳴り響きつづけている。広場の中央には何十という屋台が設営され、そこには無数の白熱電球が吊るされ、煌々とした光を放っている。屋台から立ち昇る白煙や水蒸気が、全体として巨大なボリュームとなってそれらの光に照らされ動きつづけている。不定形に立ち昇る煙を見ているだけでトリップしてしまいそうなほどだ。考えてみると、クラブやパーティなんかは音楽とVJによる映像で人々の意識をトランス状態に持っていこうとするわけだけど、ジャメルフナはそれよりはるかに大がかりで巧みなトランスイベントだと言えなくもない。

 ジャメルフナ広場で毎晩くりひろげられるこの祝祭のごとき光景を、いったいどう写真に撮ればいいのだろうかと途方に暮れた。この広さや奥行きや、止まることなく動き続けるイメージ全体を、完全に写し撮ることは不可能だと感じる。まあ、ぼくは写真に撮ることが困難な事物に対しては、無理して撮ろうとしないことにしている。計算しつくした大がかりな撮影や、合成や加工も辞さないデジタル処理によってもしかしたら撮れるかもしれず、あるいはまた撮り損なうかもしれない。とりあえずJPEGによって連写した大量の写真を時々PC上でいじってはみているが、それが作品として成立するかどうかはまだわからない。



 ジャメルフナ広場の屋台では、モロッコ滞在中でもっとも美味しいものを食べることができた。ここではあらゆるモロッコ料理が食べられるのではないだろうか。羊肉のサンドイッチやゆでたエスカルゴといった具合に料理の種類に特化した屋台もあれば、一般的なモロッコ料理のアラカルトを網羅する屋台もある。

 白いテーブルクロスのかけられた、長さ4mほどのテーブルによって四辺を囲まれた中央が、調理スペースとなっており、客はそれを取り囲むようにテーブルにつく。調理人は白衣と帽子を着用して忙しく調理に立ち働いており、屋台の外では日本語も含む数カ国語での客の呼び込みに余念がない。

 はげしい競争にさらされる屋台街はどこでもおのずと味のレベルが高くなるのだろうか。博多の屋台やバンコクのラン・ナム通りの屋台がそうであるように……。ぼくたちがテーブルにつくと、とりあえず小皿に山盛りのオリーブの突き出しが置かれた。黒、紫、ピンク、オリーブ色など色とりどりのオリーブが、香辛料とともに漬けこまれている。コクがあって芳醇なオリーブと、食べ放題のアラビアパンをいっしょに食べると実に美味しい。タジン(特別な土器で肉や魚や野菜を蒸し煮にしたモロッコの伝統料理)やサラダやソーセージや炭焼きの内臓料理など、どれも飛びきりの味わいだった。

 屋台で食事をしているのは観光客と地元のモロッコ人が半々だった。これはマラケシュにのみ特有なことで、他の街ではモロッコ人たちが屋台で外食しているのはあまり見かけなかった。屋台ごとに味の差があるようで、モロッコ人たちが多く集まっている屋台はやはり特筆すべき味わいであったように思う。食い意地の張っているぼくは、マラケシュの屋台で食事をするためだけでも、もう一度モロッコに行ってみたいと思う。



 ジャメルフナ広場の一方にはスーク(市場街)が広がっている。ここは北アフリカ最大の規模のスークとして有名である。イメージとしては、那覇の公設市場や大阪の天王寺界隈のアーケード街や、バンコクのプラトゥナーム市場をもっと大きくしたような感じで、小さな小売店舗が、その1階にずらりと並んだ建物どうしがアーケードやひさしによって連結されて、全体としては構造のよくわからない複雑な迷路のようになっている。

 衣料品や金属製品や陶器や薬種といった商品ごとにまとまったスークとなっている。商品のセレクトや陳列にそれぞれの店主の工夫が凝らされてはいるようだが、基本的には限られた間口や空間を最大限に利用して、隙間なく商品が吊り下げられディスプレイされている。ディスカウントショップ「ドン・キホーテ」の「圧縮陳列」を連想する光景でもある。

 ぼくは、このように大量の商品がゴチャゴチャと積み重ねられたイメージに興味をひきつけられるのだけど、もしかしたらぼくに限らず買い物客も、こうした豊饒と言っていいような雑多な陳列に目を引きつけられたり、購買意欲をそそられたりするのかもしれない。



 さほど観光客が足を踏み入れないマラケシュのメディナ(旧市街)の奥には、住宅や小さな工房や鉄工所や工房があり、浮ついたところのない日常生活が営まれている。祝祭的な場所としてのジャメルフナ広場とは、異なった光景が広がっている。メディナ(旧市街)の建物はすべて、近辺で採れる赤土を混ぜ込んだ漆喰かモルタルのようなもので塗られている。街全体が代赭色(たいしゃいろ)からピンクといった赤いトーンで統一されている。

 個人の住宅は外部に面してほとんど窓がなく、ドアや高い場所にわずかに小さな窓が開いているにすぎない。要するにモロッコの住宅は、外から見るとほとんど土壁に囲まれた要塞のようなのだ。おそらく中庭がプライベートなスペースとなっているらしく、たまに開いているドアからそれをうかがうことはできる。中庭には植物と水があふれ、家族がリラックスして団欒できる場所なのだろうと想像するが、それを見ることはできなかった。常に外敵からの侵入に対し家族単位で自衛する必要のあった歴史が、このような景観を作り出したということがよくわかる。

 モロッコ人だけでなく、アラブ人全般に言えることなのかもしれないけれど、外部に対する物理的防壁を求めるのと同じくらい「見られること」に対しても防衛的であるという風に感じる。つまり、要塞のように壁面で覆われたこれらの家は、外部から見られることを拒む民族的な心性が実体化したもののように感じられるのだ。

 例外はあるが、彼らの多くは写真を撮られることをとても嫌がる。成人女性がチャドル(全身を覆う伝統的な衣服)を着て他人の目から姿を隠していることなども、それと関連するように感じられる。スーク(市場街)のことさらに豊富で雑多な商品をこれでもかと見せつけるようなディスプレイと対極的に、メディナ(旧市街)の住宅地は、ほとんど赤い壁にはさまれた細い路地が続いているばかりで、きわめて単調な写真以外に撮ることがむずかしく、ぼくはあてが外れる思いだった。メディナ(旧市街)の入り組んだ複雑な迷路を表現するには、高い場所から俯瞰するしかないのではないかと思った。しかし、立ち入り禁止であるモスクのミナレット(塔)以外にそのような場所はなかった。

 異国の地で自分が思うように写真が撮れず苛立つというのはありふれたことなのだけど、今思い返せば、見られることを拒むような壁面だけをひたすら撮ればよかったと思わないでもない。




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内原 恭彦
(うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/

2006/08/10 00:07
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