写真展告知

知られざる移民写真家の物語 ブラジルの大地に生きた写真家・大原治雄

霜害の後のコーヒー農園、1940年頃、パラナ州ロンドリーナ ©Haruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

昨日まかれた種に感謝。今日見る花を咲かせてくれた。

— 大原治雄

開拓農民としてブラジルへ渡り、アマチュア写真家として独自の写真世界を築き上げ、ブラジル国内で高い評価を得た日本人がいました。その名は大原治雄。2016年、生地である高知を皮切りに、日本で初めてとなる大規模な巡回展が国内3会場で開催され、大きな反響を呼びました。本展は、この展覧会から厳選した約30点を展示、首都圏において初の大原治雄の作品を紹介する貴重な機会となります。

1909年、高知県に生まれた大原治雄が、家族とともに集団移民として故郷を後にしてブラジルへ渡ったのは17歳の時でした。“夢の新天地”で彼らを待ち受けていたのは、コーヒー農園での奴隷労働に近い過酷な労働でした。その現実から逃れる手段として、一家は原生林に覆われた未開拓の地パラナ州ロンドリーナに入植し、長い年月をかけて自らの農園を切り拓いていくことになります。

大原の転機となったのは、同じ日系移民・幸(こう)との結婚でした。その結婚式を撮影した写真家との交流が、大原を写真の世界へ導く契機となります。小型カメラを入手した大原は、独学で日々の農作業の合間に家族や身近な風景を撮影することに、新たな喜びを見出すようになっていきました。およそ人間の力が及ぶべくもない広大な大地の中で、自らも自然の一部として生きる命の歓びを、大原はあたかも日記を綴るように撮影を続けていきます。新天地で広大な農園を切り拓き、家族や仲間たちとの農作業のかたわら、身近な風景を柔らかな光をもって撮影しつづけた写真は、過酷な労働を感じさせることはなく、日常のささやかな喜び、「天と地をつなぐやうな」自然の雄大さ、そして人間讃歌に満ちています。それは、現代の私たちにとってもどこか懐かしく、新鮮なみずみずしさを感じさせてくれるものでもあります。

大原は、現地の写真クラブで次第に頭角を現し、1998年に初めて開催された個展が大きな反響を呼び、その後、「クリチバ市国際写真ビエンナーレ」(パラナ州)において第2回(1998年)、第3回(2000年)と連続で紹介され、ブラジル国内で高い評価を受けました。大原にとって生涯の夢でもあった妻・幸(こう)と日本の地を再び踏むことは、1973年、幸の逝去によって潰えます。幸の死後、大原は膨大なネガを見直し、編集した家族の歴史を綴ったアルバムの制作に没頭し、9人の子供たちそれぞれに「母の思い出」でもあるこのアルバムを贈りました。1999年、89歳で家族に見守られながら永眠。2008年、日本人のブラジル移民100周年を記念して世界屈指の写真アーカイブであり美術館でもあるモレイラ・サーレス財団(IMS)に、ネガやプリントをはじめ写真用機材、日記など一連の資料が遺族により寄贈されました。

本展は、IMSの全面的な協力により、その代表作約30点を展示。17歳でブラジルへ渡って以来、故郷の地を踏むことのなかった大原治雄の叶わなかった願いが、彼の残した写真による展覧会という形で果たされることになります。

写真展情報

ジャカ(ジャック・フルーツ)を持つ子ども、1950年頃、パラナ州ロンドリーナ ©Haruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection
朝の雲、1952年、パラナ州テラ・ボア ©Haruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection
治雄の甥・眞田エリオとイチジクの木、1955年、パラナ州ロンドリーナ ©Haruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection
治雄の娘・マリアと甥・富田カズオ、1955年、パラナ州ロンドリーナ ©Haruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

会場

FUJIFILM SQUARE 写真歴史博物館
東京都港区赤坂9-7-3(東京ミッドタウン・ウエスト)

開催期間

2017年10月1日(日)~12月28日(木)

開催時間

10時~19時(入館は16時50分まで)

休館

会期中無休

平間至氏 トークショー

11月4日(土)14時~、16時~

酒井邦博氏 トークショー

12月2日(土)14時~、16時~

作者プロフィール

1909年11月5日、高知県吾川郡三瀬村(現・いの町)に農家の長男として生まれる。 17歳で家族とブラジルに渡り、サンパウロ州のコーヒー農園で働いた後、1933年、パラナ州ロンドリーナに最初の開拓団として入植。1938年、小型カメラを手に入れ、次第に写真に没頭。1951年、ロンドリーナ市の新空港建設のため、市街地に生活を移す。農業経営の一方、60年代後半まで国内外のサロンに積極的に参加。無名のアマチュア写真家だったが、1970年代から地元新聞などで紹介されるようになり、1998年、「ロンドリーナ国際フェスティバル」および「第2回クリチバ市国際写真ビエンナーレ」で、初の個展「Olhares(眼差し)」が開催され、大きな反響を呼ぶ。1999年5月、ロンドリーナで死去。享年89。2008年、日本人ブラジル移民100周年を記念して、遺族により写真と資料の一式がモレイラ・サーレス財団に寄贈された。2015年、NHKドキュメンタリー番組「新天地に挑んだ日本人~日本・ブラジル120 年~」「国境を越えて―日本―ブラジル修好120年」、NHK・Eテレ「日曜美術館~大地が育てた写真~」で紹介され大きな反響を呼ぶ。