ぼくは日ごろWeb(インターネット上のホームページ)で写真を発表しているが、もちろんプリントをしないわけではない。たとえば自家製本によって写真集を作ったり、展覧会を行なうために大量にプリントをする機会もある。
PC上でデータとしてのデジタル写真をあつかうことと、紙とインクによる物質としてのプリントをあつかうのでは、気持の上でかなり大きな違いがある。やはり手に持って見ることのできるプリントの“モノ”としての実在感というのはかけがえのないものだ。
データもプリントもどちらも写真であることは同じだが、ぼくにとってデジタルプリントはいろいろな意味でやっかいだ。難しいし、面倒だし、お金もかかる。これまで数千枚以上デジタルプリントをしたが、自分で完全に満足できたプリントというのはなかった。それはぼくが技術的に未熟だということもあるけれど、デジタルプリントの世界自体がまだ発展中であったり、作品としてのデジタルプリントの評価というのが定まっていないということもあると思う。たとえば銀塩プリントは長い歴史があって、どのようなプリントが良いプリントかという評価がそれなりに定まっている。言い方を変えるなら「値段がつく」。デジタルプリントは事実としてまだそうはなっていない。
ぼく自身は、どのようなデジタルプリントを作れば作品と呼べるものになるのか、迷ったり考えたりしながら模索しているところである。具体的に問題点を挙げるなら、一番気になるのはプリントの「質感」である。ここで言っている「質感」というのは、紙の表面の手触りということや、見た目のインクの光沢や盛りのようなもの、さらに付け加えると言葉で説明できないようなパッと見た時に直感的に感じる質感のことである。
数年前はインクジェット用紙に今ほどバリエーションがなく、メーカー純正の光沢紙とマット紙くらいしか選択肢がなかった。いわゆる写真画質をうたう光沢紙の質感をぼくは好きではなかったが、かといってマット紙は解像感が劣っていたので、結局のところ光沢紙を使うしかなかった。
今でもそうかもしれないけど、以前はインクジェットプリントの作品といえば、ツルツルの光沢紙が主流だったと思う。これは好みの問題だが、プリントを展示する場合、鏡面に仕上げられたプリントだと照明が反射したり外界が映りこんだりするのはどうかと思う。とはいえ、ぼく自身が展覧会をやった時はすべて光沢紙であった。解像感を求めるとそうするしかなかった。
ぼくが好きな質感は具体的に言うと、「N面」と呼ばれる半光沢の銀塩印画紙である。ときおり展覧会で見かけるそうした印画紙は、平滑でありながら邪魔な光沢はなく、写真自体にすっと素直に入りこんで鑑賞できるうえ、モノとしての作品自体にも高品質を感じさせられた。「N面」の質感にあこがれて、インクジェットプリントでそのような質感を出すことはできないだろうかと人に聞いたり調べてみたが、どうやらそれは難しいらしい。銀塩印画紙にレーザー光線で走査しながらイメージを焼き付けるラムダプリントであれば、「N面」印画紙が使えるはずだから、いずれそのやり方は試してみるつもりである。
それはともかくとして、自分がインクジェットプリントで作品を作る方向性として近ごろでは半光沢系の紙やマットな紙やさらにはそれ以外の特別な紙を試してみようと思っている。今回、プリンタについての記事を書くにあたっていろいろなプリント用紙を使ってみて、その質感を作品にどう生かすかということを考えてみた。
■ PX-5500というプリンタ
エプソンのMAXART PX-5500というA3ノビのプリンタをお借りした。K3/PX-Pインクという新しいテクノロジーが使われ、MAXARTという主に業務用に使われる機種のブランドを冠したA3ノビプリンタである。身のまわりでも評判が高く、知り合いでも使っている人が多い。ぼくはこれまで顔料プリンタを使ったことがなくて、最初は思うように使いこなせずとまどった。それでも試し刷りを繰り返すのに比例して、プリントのクオリティを上げていくことができる手ごたえを感じた。
■ インクジェット用紙
ここ数年でインクジェット用紙の種類は非常に増えた。あまりにも多すぎて、そのすべてを揃えた店は無いし、取り扱い商品の入れ替わりもはげしい。愛用している紙を買いに行ったら取り扱いが終わっていたり、商品の製造自体が中止されていたりということも何度か経験した。秋葉原のヨドバシカメラの品揃えが充実していると教えてもらって足を運んだら、見たこともないインクジェット用紙がたくさんあって驚いた。用紙の選択をするにはサンプルを手に取ってみることが大切だと思うが、店頭に足を運べない人にもサンプルが体験できる機会があればいいのにと思う。
今回は半光沢紙を中心に十数種類のインクジェット用紙を買ってきたのだが、もちろん店頭にはそれよりはるかに多くの種類の紙が並べられている。ただ、その多くは光沢紙(いわゆる写真用紙)系、半光沢紙(絹目)系、マット紙系の3種類に分類できることがわかった。
それでは実際にそれぞれのインクジェット用紙でプリントしてみて気づいたことなどを記してみたい。
※作例は内原氏のプリントを、編集部でスキャンしたものです。縦位置の画像はサムネール以外はあえて回転していません。
※パッケージ写真は、開封後のものを編集部で撮影しました。
■ アルシュ「ナチュラルテクスチャー(ファイン)」
アルシュ紙というのは要するにフランス製の高級な画用紙である。ぼくが昔、美術学生だったころに水彩やドローイングに使われていた懐かしい名前なのだけど、実は高価だったのであまり使わなかった。インクジェット用紙としてもけっこう高価だ。
店頭にはアルシュ紙だけで何種類ものバリエーションがあった。厚みがあって凸凹を持った表面とややアイボリーがかった色調は共通している。このナチュラルテクスチャー(ファイン)という種類は、凹凸が大きすぎてストレートな写真のプリントには向いていないと思った。特に暗部では凹凸に起因するムラが目立ちすぎる。ただ、レタッチによって絵画調に加工した写真やトイカメラ風の写真などをプリントすると面白いかもしれない。
240g/平方m / 5枚入り1,197円 / マット紙系
■ アルシュ「ピュアホワイトテクスチャー」
パッケージの説明には「白黒などのコントラストが鮮明に出ますので、本物の写真を凌ぐほどの表現性のある紙です」とある。「本物の写真」という言い方がひっかかるが、それはさておいて、確かに紙自体の白色度が大きいので鮮明で解像感が高いプリントが得られた。
「ナチュラルテクスチャー(ファイン)」ほどではないが凹凸のある紙だが、細部まで表現されているし、階調も自然だ。ただ、表面の凹凸が手漉きのランダムさというよりは製造工程の網を思わせる規則的なパターンで、個人的には画用紙っぽすぎていまひとつ好きにはなれない。またこの手の凹凸のある紙に共通することだが顔料プリントの場合、凹凸の凸部分が手などによってこすれて次第に白っぽくテカってしまうのが気になる。
240g/平方m / 5枚入り1,197円 / マット紙系
■ アルシュ「ピュアホワイトソフト」
上記2種よりもさらに凹凸が少ないため、アート紙系にしては使いやすい紙ではないだろうか。最初にアルシュ紙を使うのならこれがおすすめかもしれないが、アート紙としてのパッと見のインパクトはなくごく普通の紙という印象である。
ただ、プリントする写真との相性が合えば、面白い作品になるかもしれない。どこか乾いた印象の紙なので、それを生かすような写真の選択ができれば良いと思った。
240g/平方m / 5枚入り1,197円 / マット紙系
■ アルシュ「ナチュラルソフト(サテングレイン)」
アルシュ紙だけで何種類もあって名称が混乱してしまう。アルシュ紙をこんなに買い込んでしまってムダだったかなと思ったが、実際に使ってみると、それぞれが個性を持っていて面白かった。この「ナチュラルソフト(サテングレイン)」がマット紙系の中では一番気に入った。
マット紙というものに対してぼくが持っていた印象が変わり、これなら作品に使えると思った。紙の表面の凹凸はアルシュ紙の中ではもっとも控え目だが、自然なランダムさがあり、触感もリッチだ。紙の白色度があまり高くないせいか明部の階調を出すのが難しい。作例はかなり軟調にレタッチしているのでこの紙に合っているが、もっとコントラストが高かったり漆黒部分が必要な写真にはあまり向いていないかもしれない。
240g/平方m / 5枚入り1,197円 / マット紙系
■ キャンソン「ミ・タント(ホワイト)」
キャンソンもフランス製の画用紙としてよく知られている。「ミ・タント」という名称をWebで翻訳してみたら「semi color」とのことだった。微妙な色調が出せるということなのだろうか。
アルシュの「ピュアホワイトテクスチャー」に印象が似ているが、それよりはかなり紙自体は薄い。この紙もかなり気に入った。作例の写真はこれまで何度もプリントしてきたが、今までで一番よい結果が出せた。飛行艇のディグローオレンジ(蛍光オレンジ)の階調がちゃんと残っているし、背景の空の雲のグラデーションが色かぶりもなく完全に表現できたのは初めてだ。
もっともこれはプリンタのPX-5500のK3/PX-Pインクによるところも大きいだろう。今さらながら写真と用紙とプリンタの相性というか、マッチングは大切だと思った。解像感もコントラストも文句は無いが、紙の表面のテクスチャーが紙を漉く際の網の規則的なパターンを残しているのが個人的にはあまり好みではない。
170g/平方m / 10枚入り749円 / マット紙系
■ キャンソン「フォトグロス(光沢)」
画用紙の印象の強いキャンソンが光沢紙を出しているので興味を持って買ってみたが、ごく普通の光沢系写真用紙だった。使い込んでいないのではっきりとしたことは言えないが、発色や表面の仕上げが数年前の光沢紙といった感じでやや古さを感じた。もっともそれは写真との相性の可能性もある。一番気になるのは、光にあてたときのインクの乗り具合による反射の違いが目立つことだ。最近の他の光沢紙では、顔料プリンタを使ってもここまで顕著には目立たない。
260g/平方m / 5枚入り1,302円 / 光沢紙系
■ ピクトリコ「写真用紙S」
ピクトリコの普及価格帯の光沢紙系写真用紙を初めて使ってみた。ぼくはこれまでピクトリコの「フォトグロスペーパー」は長く使ってきたのだが、プリンタの機種を変えたら相性があまりよくなくて、そのままでは色が転んでしまうので面倒になって最近は使っていない。この写真用紙SとPX-5500ではそういった問題もなく、納得できる仕上がりだった。
あくまで印象なのだけど、光沢紙特有のギラついた感じではなくしっとりとした感じが気に入った。染料プリンタと光沢紙の組み合わせとは違った絵柄で、彩度が高くない色にも力を感じる。これは常用したい光沢紙である。
厚み260μm / 20枚入り980円 / 光沢紙系
■ PCM竹尾「DEEP PV 波光」
竹尾はデザイン・画材としての紙を作っているメーカーとしてよく知られている。この「DEEP PV 波光」も、「アルシュ ナチュラルソフト」に似た質感で、とても気に入った。色の乗り、コントラスト、階調のすべてに満足できた。
ただ、色によっては若干インクドットの粒状感が感じられるが、それはプリンタの設定にも関係しているようなので、試し刷りを繰り返してベストな設定を見つけるべきだろう。プリント後のインクの吸収と乾燥による色の変化が大きいので注意が必要だ。
233g/平方m / 10枚入り1,365円 / マット紙系
■ PCM竹尾「DEEP PV かきた」
「かきた」とはどういう意味か検索してみたら、シルクスクリーン(版画)用の紙の名前だった。かなり厚みがあるのでPX-5500の背面手差し給紙が上手くいかず、何度かやり直した。
質感はとても好みだし、とにかく解像感にすぐれているという印象を受けた。ただ、この作例とはいまひとつマッチしていない気がする。あまりにも乾いて明晰すぎる質感が、夜景のにじんだような光とそぐわないのだ。かといって、かつて染料プリンタと光沢紙でプリントしたものと比べると、どのトーンにおいても発色は豊かで自然であることも事実なのだ。個性的なインクジェット用紙は、写真との相性に気を使わないといけないと思った。むしろこの紙を想定した写真を撮りたいと感じさせられもする。
300g/平方m / 5枚入り1,365円 / マット紙系
■ エプソン「写真用紙(絹目調)」
インクジェット用紙の絹目調というのはあまり好きではなかったので、これまで自分の染料プリンタで使うことはなかった。ただ、以前使った顔料プリンタと絹目調の用紙がマッチしていたので、今回試しに使ってみた。
危なげなく無難に安定しているというか、特に指摘すべき問題点もないのだが、個人的にはあまり魅力を感じない。スタンダードなインクジェット用紙なので、これを好む人は多いだろう。結局、表面の細かなテクスチャーが単調すぎて好きになれないのだが、A4サイズの比較的小さな寸法のプリントだから気になるのであって、A1など大判でプリントした場合は細かなテクスチャーなどはさほど気にはならないだろう。他のサードパーティの用紙はいくら気に入っても大判用のロール紙が存在しないことがほとんどだろうから、大判用のロール紙が用意されているエプソン純正の用紙は、そういった意味で意義がある。
厚さ0.27mm / 20枚入り1,249円 / 半光沢(絹目)系
■ ピクトラン「局紙」
今回試したインクジェット用紙の中でも一番インパクトがあった。面白い紙だ。まるでワニスをかけた油絵を思わせるようなねばりとコクのある発色である。色の再現性という観点からすると、忠実というよりはやや誇張された感じではあるが、単に彩度が高くて飽和したような発色ではなく、極限まで鮮やかな顔料をさらにつぎつぎと盛り上げていったかのような不思議な絵柄を楽しめる。
表面のざらざらしたテクスチャーはエプソンの用紙と違ってより複雑でランダムなパターンで自然な風合いを感じる。ただ、表面のコーティングの反射率が高すぎるせいか、テクスチャーが目立ちすぎる。たとえ真正面から鑑賞した場合でもテクスチャーに光が反射してちらついて見える。そのため細部がはっきりと見えないのは残念だ。この非常に個性的なインクジェット用紙は手にとってじっくりと鑑賞するよりも、展覧会などに使ってみたい。
240g/平方m / 10枚入り2,100円 / 半光沢(絹目)系
■ イルフォード「ギャラリー スムースパールペーパー」
言わずと知れた銀塩印画紙メーカー、イルフォードが出しているインクジェット用紙である。とても鮮やかで力強い発色である。表面の質感も悪くない。解像感も非常に高い。インコの羽毛の部分を観察すると数ピクセル単位でのブレが視認できるほどだ。いわゆる絹目調のインクジェット用紙を使えと言われたらこれを選択するだろう。
絹目調の紙の良いところは表面の耐久性があることで、たとえ直接触れても指紋やかすれが目立たなかったりという利点がある。ぼくは自家製本の写真集を作るときは、表紙やカバーは絹目調インクジェット用紙を使っている。人に渡すプリントなどには最適の用紙ではないだろうか。
280g/平方m / 25枚入り1,680円 / 半光沢(絹目)系
■ クレイン「シルバーラグ」
米国クレインによるバライタ紙をベースとしたインクジェット用紙。ぼくはかならずしもインクジェットプリントは銀塩プリントをお手本にするのではなく、独自の価値観を目指したほうがいいと思っているので、「バライタ紙ベース」といううたい文句にはさほど心ひかれはしなかった。ところが実際にシルバーラグを使ってプリントしてみたところ、その質感の高さに驚いた。今回試してみたインクジェット用紙の中ではもっとも気に入った紙である。
独特の「ぬめり感」を感じさせる濡れたような質感は官能的とすら言える。乾いた地面や古びたトラックのボディや画面上の暗部のような彩度の低い部分も、じわりと発色し色味を感じさせる。しっとりとうるんだような遠景を見ると、ある意味他のインクジェット用紙よりも解像感は落ちるかもしれないと思ったが、ナンバープレートの文字やディテールに注目すると画像本来の情報が損なわれているわけではない。高精細であることや階調の忠実な再現を求めにとどまらない、不思議な印象のプリントである。画面の隅々までじっくりと時間をかけて見たいという気持にさせられる。
ただ、用紙サイズがA4とは縦横比が異なるレターサイズであることに注意する必要がある。
300g/平方m / 25枚入り5,712円 / 半光沢(パール調)系
内原 恭彦 (うちはら やすひこ)1965年生。東京造形大学デザイン科中退。絵画やCGの制作を経て、1999年から写真を撮り始める。
2002年エプソンカラーイメージングコンテストグランプリ受賞、2003年個展「BitPhoto1999-2002」開催、2003年写真新世紀展年間グランプリ受賞、2004年個展「うて、うて、考えるな」開催
http://uchihara.info/ |
2006/12/13 14:28
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