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【Case-34】沖夕理の場合
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今は上京してきて東京都民ですが、今年の1月までの26年間、神戸以外で住んだこともなかったです。神戸生まれ、神戸育ちの神戸っ子です。ほんまに神戸を愛してます。
小学生のときは、明性格は明るいほうで、スポーツ好きな活発な子やった。体育の授業なんかでは、はりきってリーダーシップとるような熱い子やった。今は人見知りの引っ込み思案なんで、考えられない……スポーツも好きやったけど、親がピアノを習わせてくれたこともあって、音楽が好きでした。聴いてた音楽は主にクラッシック。だからなかなか話の合う友人はいなかったな。中学に入って吹奏楽部に入部。3年間、汗水たらして打ち込みました。私が担当していた楽器はユーホニュームという楽器。音は丸みのある豊かな中低音。吹奏楽特有の楽器であまりポピュラーではないけど、そういう所も好きやった。毎日朝練も欠かさず行き、全校生徒の誰よりも早く登校して音楽室を掃除してました。かなりなまじめさんでした。勉強は微塵もしなかったけど……(笑)
高校時代は中学のときの反動からなのか、いきなり帰宅部。放課後は毎日、友人と喋り倒して過ごした。初めて彼氏ができたのが高1の時。彼を中心に生活してた。あの頃は純粋やったなぁ。会いたい会いたい、ずっと一緒におりたい、この人の事好き~!!って、胸はって言えてた。今じゃひねくれてひねくり返ってどうしようもないけど。
その頃は「仕事をしてお金を稼いで1人で生活できるのが大人や」と思い込んでた。誰にも頼りたくない、1人で生きてやるって。かなり独立心が強かったのかも。19歳で音楽の専門学校に歌の勉強に通い、バイトしながら1人暮らしを始めたのが、神戸の中心地から1駅の1Kの部屋。その後上京するまでの約7年、住んでいた。この頃出会った同志達は今もとても心の支えになってます。
その後、約3年、アカペラグループで活動しました。中学、高校、大学、結婚式、祭り、船、スキー場……etc、いろんな所で歌いました。中でもキツかったのは、どこか山奥の夏祭り。夜になってからのステージだったので、照明に蛾(ガ)が大量に集まってくる! しかも掌ぐらいの大きさの巨大な奴らが……。あれには参ったなあ。ほんまくじけそうになった。今でも思い出すだけでも身の毛がよだつ。
けど、田舎の方に行くと土地の方々と交流したりするのがとても楽しいし、人間がやさしくてあたたかい。出会いってすばらしい。あと一生忘れられないなぁ、と思うのは、神戸YahooBBスタジア ム(現スカイマークスタジアム)、阪神×オリックスのオープン戦で君が代を歌った事。3万人のあの歓声と地響きは興奮で涙が出そうやった。
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アカペラグループは約3年活動して脱退する事にしました。理由は一つじゃないし、いろいろありますが……束縛が大の苦手なんです。歌ってお金をもらう事にがんじがらめになり、耐えれなくなってました。何か見えない物にぎゅっと押さえつけられてる圧迫感で、とても苦しくなりました。何かに縛られたり、振り回されたり、自分のペースが乱れる事が嫌いで、そうなる事に恐怖を感じてる。こんな性格じゃぁ一生結婚できないどころか、この先は彼氏すらできないんじゃないかと思うような日々……。
それからアクセサリーブランドに就職、百貨店で販売の仕事に就きました。超人見知りな私にとって接客業はかなりの試練でしたがこれも修行だ、と言い聞かせてやってた。でも人間関係にも恵まれてたし、楽しく仕事してた。それと平行して、アカペラグループを一緒にやってた、“とも”と一緒に「7th clover」というユニットの活動を始めました。ともはヴォーカル、私はピアノ&コーラス、という形。ピアノは小さい頃習ってただけで、それからはちゃんと弾いてなかったので、無理矢理はったりで弾いてます。曲は主に私が書いてるんですが……ええ曲書くってのはホンマ難しい。だけど曲を作り上げてく作業には喜びを感じてます。
ある音楽事務所とご縁があり、それまでの仕事をあっさり辞めて東京へ。まだこの音楽活動だけでは食べていけないので、2つアルバイトしてます。昼間はファミレスのホール係。本当に毎日忙しい。オーダーを取り、料理を運び、テーブルを片付け……常にホールを歩き回ってる。競歩並のスピードで。1日どれぐらい歩いてるんやろう?? 今度、歩数計つけてみよかな、なんて(笑)。お客様は中高生も多く、ふざけた奴らが多い!! 平気で寝転んだり、ひたすらUNOとかやって居座ってたり、最近では「スマイルください」って言ってくる奴らがいて、真顔で「高いでな!」と言ってやった。
夜のバイトはショットバーのバーテン。お酒は好きやし神戸にいるときも何度かバーでバイトした事はあるけ ど、シェイカーを振るようなカクテルはあまり作ってなかった。まだ始めて間もないので、かなり挙動不審な動きしながらシェイカー振ってます(笑)。お酒を作るのも楽しいけど、いろんな人に出会えるのが楽しいし刺激になります。店長がマレーシアの人で、マレーシア料理もメニューにあります。まかないも作ってくれるんですがマレーシアのカレーがかなり美味で、始めて食べたときから虜になってしまいました。
バイトをしながら音楽活動の日々は毎日がホンマに忙しい。貧乏ヒマなしってやつですね。いつもここからの出口を探しています。
今回もEF 70~200mm F4L IS USMの登場が多かったが、実際この誌上で使用したのは2カットのみ。屋外での動きを追ってみたが、ある程度の光量があって、被写体の動きが速い場合には、AF性能が向上したとはいえ、開放よりは1~2段絞った方が良さそうだった。やはり被写界深度も利用しなければ。室内&スタジオカットを含めて単体レンズは24mmと35mm、50mmのF1.4ばかり。室内では蛍光灯+彼女の部屋にあった電球のまわりに回転する飾りのついたランプのみでの撮影だったが、ミックス光が好きな感じに仕上がってくれた。カット数が限られてるのでココには載せてないけど、いろんな楽器を使って遊んでもらいながらの撮影だった。
毎日がホンマに忙しく、吸い込まれそうな大きな目の夕理ちゃんは最初の日、待ち合わせ場所までダダダーっと勢い良く走りながらやってきた。その日もバイトだったみたいだから、きっとアレがバイト先で身に付いた素早い動きだな。早速、店に入って打合せ時、どんな音楽やってるのかを聞いたら夕理ちゃんは自分で焼いたCDを持ってきてて、即座に「暗~い曲です!」とニコニコ笑顔で元気よく答えてくれた。実際に暗い人はそう簡単には答えられないだろうから、きっと「暗い音楽家になる」という事に憧れてるんだと思う。それで暗い曲を作ることを目指しているんだろうな。だって彼女がやってるバイトも超ハードなのに、完璧にこなしているパワフルな人だから。これだけ頑張ってるんだから、出口だってそのうちきっと見つかると思うよ!
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使用機材
Canon EOS 5D
EF 24mm F1.4L USM
EF 35mm F1.4L USM
EF 50mm F1.4 USM
EF 70~200mm F4L IS USM
Sandisk Extreme III
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■ URL
バックナンバー
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/haruki_backnumber/
HARUKI (はるき)1959年広島市生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。広告、雑誌、音楽の媒体でポートレートを中心に活動。
1976年 個展「FIRST」を皮切りに、多数の個展、グループ展を開催。1987年朝日広告賞グループ入選、表現技術賞受賞。1991年パルコ期待される若手写真家展選出。コラボ作品がニューヨーク近代美術館に、「普通の人びと」シリーズ作品が神戸ファッション美術館に永久保存。
2005年に個展「Tokyo Girls♀彼女たちの居場所。」を東京 渋谷、2006年に京都で開催。
http://www.harukiphoto.com/ |
2006/12/18 00:01
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