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2006年

【Case-24】吉沢雅世の場合



 出身は福岡なんだけどもうすぐで千葉の方が長くなる。九州から関東へ引っ越してきた頃は田舎モノだから、大きいビルと人混みにビックリしてたのを今でも覚えてる。小学生まで福岡に住んでたんだけど、小学生の子どもが知ってる世界なんてせいぜい近所のまわり数キロだと思うんだけどそれが私の全てでした。今でも福岡に帰りたい気持ちは変わらないんだけど、あまりに東京に慣れすぎてもう気持ち的に帰れないのかもしれない。一生子どもの気持ちを忘れないように……とは思うんだけどやっぱり世間に揉まれちゃうのかな。その気持ちの変化が成長なのか、慣れなのかなんなのかわかんないけど昔の気持ちとは全然違う。

 福岡の人ってすごく熱いんです。関東に来たときには人にもビックリさせられた。気にしてるところが全然違うんだもん。なんて冷たい人たちなんだろうって思って最初はすごく理解できない事ばっかりだった。言葉がすごいなまってたから、中学入ってもいじめられて泣いてお父さんに「もう福岡に帰りたいっ!!」って何回も言ったな……今となっては少し辛い思い出だけどそれから少し強くなったのかもしれない。お父さんは九州男児っぽくない。お母さんは九州の女って感じです。九州の女って強いんですよ。みんな九州男児は男らしいってイメージあるかもしれないけど、実はその陰には女の力があるんですよ。
あたしも九州の女らしく強く、男を立てられる女になりたいなー!!

 中学校ではたぶん地味な存在だったと思う。特に目立つわけでもなく地味な訳でもなくふつぅ~の女の子でした。むしろ高校デビューって言った方がはやいかも知れませんね。高校は普通高校には行かないで通信制でした。

 ずっと音楽がやりたくて通信制高校行きながら音楽の専門学校に行ってました。高校の時は遊びまくってたな。毎週クラブに入り浸ってた。音楽の専門学校には年齢の違う人がいっぱいいたからすごく勉強になった。1歳、2歳上は当たり前でひと回り違う人までいたもんなぁ……。そこでの生活になれちゃったから今でも同じ年の友達って少ない。友達になる人は年上ばっかり。年下だと構ってもらえるし。専門学校と焼き肉屋のバイト先の往復でどこかに遊びに行った思い出よりもみんなでワイワイ話明かしたっていう思い出の方が濃い。


 高校卒業してすぐに水商売を始めた。きっかけは本当に単純でお金欲しさ。まさか自分が水商売するなんて、考えてもみなかったからすごく変な感じだったけど楽しかったな。もちろん楽しい事ばっかりじゃないし、むしろ辛いことばっかりだったけど思い出って美化させるもんで、今想い出すことは楽しかった事ばっかり。最初は先輩ホステスさんに付いていっぱい勉強させてもらった。いいお客さんもいれば大変なお客さんもいる。人間模様を観察してるのがとっても楽しかった。その頃はあんまり飲んだくれじゃなかったんだよ。だんだん、慣れてくるとお客さんに指名してもらってどんどん給料も上がってすごくイイお給料もらってました。今から考えるとそんなにもらってたの!?って自分でもビックリするけど、それまではまともに働いたことなかったから、お金を稼ぐ大変さって理解して無かった。そして、稼いだお金もお水を卒業してからあぶくの様に消えて行っちゃった。

 水商売の女って男に媚びてお金もらってるって言うイメージ持ってる人少なくないと思うんだけどそれは全く逆!!! 確かに、最近はバイトで水商売って軽いノリで始められるけどそこからが勝負の世界なんだよね。もちろん自分自身が商売道具だから自分にいっぱいお金使うし、勉強もいっぱいしないといけない、技も磨かないといけない。技って何!? って疑問に思うと思うんだけど、人間ってやっぱり一緒にいて楽しいとか、安心とかドキドキする人の事好きでしょ?

 万人の人にそう思わせる技をいろいろと勉強しなきゃ1番にはなれないと思う。そー思わせてくれる先輩に出会ったのもすごく貴重な体験だった。女が女に惚れるってすごい事じゃない? 別に顔がきれいとかそういう人じゃなかったんだけど、すごいのオーラがね……同じ人間なのに何が違うの?! って思うね。

 お客さんもいろんな人が来てたね。こんなんで大丈夫なの!? ちゃんと生きていけてるの!? って言う人ももちろんくるし、本当に素敵っていう人もくる。そりゃー、お金の使い方も派手だよね。どこからそんなお金が出てくるの? って不思議な位いっぱい使って頂きましたね(笑)。お水を卒業してからまず入院しました。卒業する頃にはもう今みたいな飲んべえになってたから毎日吐いては飲んでの繰り返しだったから毎日トイレにこもってた。入院生活は本当に辛かったよぉ……。

 4日間位の入院だったから長期入院に比べれば可愛いもんだと思うんだけど、病院ってやっぱりイメージ悪いじゃん? 看護婦さんも怖いし、注射は痛いし、ご飯はおいしくないし……それからは、健康一番だなってさすがに思うようになりました。それからはもちろん入院はしてませんよ。たまには吐くけど……。



 お水を辞めてからは普通にOLさんをしてました。これもまた、あたしには新鮮で貴重な体験した仕事だった! すごくいい職場で、すごーく可愛がってもらってたな。社員さんも若い人が多くて楽しかった。上司にもよくしてもらってたし。だけど最初の頃は初めてまともな仕事始めたから理想を追いすぎて現実受け止められ無かったな。毎日先輩にグチってた。会社ってすごく不思議な所で、いろんな人が集まって1つの会社として活動してるけど人間関係自体はまったくまとまってない……だけどそれでも会社ってちゃんと回るんだよね。自分がいなくても大丈夫っていうのは、いなくても同じって事でしょ? 今までお水の世界で自分を商品に頑張ってきた私には本当に窮屈だった。だけどそれと同時にそんな中でも、どうしたら自分の価値を認めてもらえるか頑張ろうって思えるようになった。それほど仕事出来るわけじゃなかったけど、あたしにしかできないことがきっとあるはず! って思って。本当にイメージそのまんまのOLで、毎日が電話と事務処理とお茶くみばっかりでした。お茶くみが嫌いな女性って今は結構いると思うんだけど私は大好き。お客さんとの飲み会があんまりなかったのが残念な所だけど、電話では毎日仕事の事だけじゃなくて世間話しながら楽しく仕事させてもらってた。この間もOLの時の人の飲み会に行ってきました。みんな仕事中はまじめに仕事してかっこいいのに飲み会になると本当にバカっっ!!(笑)。でも、そんなみんなが超面白くってまだまだ飲み会に呼んでもらってる。人に呼んでもらうってすごく幸せなことだよね。いつまでも人に囲まれてる人でいたいし、自分も人の事大事にしたいって思う。


 将来の夢は……まだはっきりはわかんない。これになりたいって具体的なものはないけど、いつか起業やフリーでお仕事できたら幸せだなーって憧れはある。誰でもそうだと思うけど、好きなことを仕事に出来るってすごく稀な事だと思うし、そこまでの道のりも人それぞれ違うと思う。「キャリアウーマン」に憧れているのです。うーん、具体的な事を聞かれると困るんだけど、まずは来年の4月から栄養士の学科に進もうと思ってる。今までは自分だけの体だからって、健康のことなんて考えたこと無かった。多分「生活習慣病」ってあたしみたいな生活してる人のこというんだろうなっていう位の生活だったしね(笑)。お水を辞めてからすっかり、健康に気を使うようになりました。っていうか、何か起こってからじゃないとわからない人っていっぱいいると思う。もちろん私も含めてだけど(笑)。最近は健康ブームでジムに通って体力つけたり食事に気をつけたりしてる人って多いと思う。興味はあるけど、何をしたらいいのか……どうしたらいいのか……ってわからない人っていっぱいいるんじゃないかなあ。あたしも基本的に三日坊主の人間だから興味があるのもだいたい2日目まで?!

 そんな人たちにアドバイスする業種があったらなーって今は思ってます。栄養士になりたい! って目標はできたけどまだまだ無知だから、どんな事で起業したりとかフリーでお仕事できるようになるのかって事はわからないけど若いうちは情熱で突破できることがあると私は信じてる。逆境あって当たり前って思えるくらいの根性つけたいね。小さなところからコツコツと「キャリアウーマン」目指して頑張らないとっ! いろんな人に出会っていろんな話きくけど、「なんかタマタマ?」、「気がついたら?」とか曖昧な返事が意外と多い。人生勝ち組、負け組みなんて分けられがちだけど人生の価値観なんて人それぞれ違うものだし、そんなのに振り回されてる人の方がよっぽど暇で退屈な人生だと思うよ。昔はすごくボランティアに興味があった。昔って言っても小学生の頃で自分で生きていくって事もまだ全然わかってない頃だけど、その頃の将来の夢は「ユニセフで活躍する事」だった!


 今でもボランティアは興味のあることだし、この先もきっと気になる事だと思う。自分の生きてきた人生って小さい頃は自分の意思とは違うところで決まっていくけど、自分で決められるような年齢になると逆になにしたらいいのかわかんなくなったりして……いつの間にか慣れてしまって当たり前って感じてる生活のことなどすべてをいつでも新鮮に感じ取れるような女性になりたいなって思う。それまでにはいっぱい自分で経験値つまないといけないと思うけど、それもいつか気づいた時には自分の物になっているんだと思う。だってすぐに自分の物になるくらいなら誰もがそーなってると思うし、人間同士が憎しみ合う世界は無いと思う。すべてが計画通りに進んでほしいまでとは思わないけど、何も考えないで進む人生にはしたくない。20歳すぎたら速いっていうし。女性にはチャンスがあればいろんな人生経験が用意されてるし……。男性にはわかんない喜びらしいからね。

 子どもの授業参観とかに「お母さん若いね」っていわれるのも女の子で憧れてる子は多いと思う。実は私もそのひとりなんです(笑)。「若い」と言われる事だけに喜んでいるわけではないとはおもうんだけど、子供にとっての自慢のお母さんで居たいと思ってるんだと思う。やっぱりオシャレで綺麗なお母さんの方が子供も鼻高々じゃん? でもたいていの世の中の主婦はやっぱそーいうことにはいかないのかな……子どもを産むって言うことが女性にしか出来ないことだから、そうなった時には女性の特権を大いに楽しみたいと思う!!



 現在二十歳の雅世ちゃんはとにかくスゴイ。何がスゴイって? もちろん歳相応の若さや少女のような面もあるのだが、オッサンみたいに世の中を達観してる部分もあるし、ちょっとしたオバハンだったり(失礼!)。何も考えてない素振りをしながらも実は結構その先の事をしっかりと考えたうえで生きている。人生の年輪だけは彼女の倍以上も生きてきたボクだけど、20歳の時の自分がそんな風に世の中を見ることができていたかって思い起こしてみるけど、まったく違ったなあ。親に学費を出してもらって不抜けた大学生活を送りながら将来の夢をも漠然としか考えられないでいた。もちろん自分なりには写真家になるべく必死で足掻いてはいたのだが、その頃は情報化社会になって東京と地方の格差が少なくなった今とはまったく違い、田舎の大学生のボクには具体的な思考や行動を取ることは全然無理だった。インターネットや携帯電話なんて存在さえしていなかったので、国内で発売されている月刊写真雑誌(全部で3~4種類しかなかった)と大学の教授や講師、写真のアルバイトや、仕事をスタートさせて知り合った地方の小さなマスコミ社会にいる一部の先輩たちだけが、情報のすべてだった。その中で将来どうやったら写真家としてやっていけるかなんて想像するにも、あまりにも元になる例が乏しい時代だった。こんな事を書くと自分も知らない間にずいぶんと歳をとってしまったのかとガッカリするのだが(笑)。Girl'sMomentsに登場してきた女の子たち同様、彼女もまた一見した外観とは違い、苦労しながらちゃんと今を生きてるひとりの若き先輩だと痛感。最近は年下の人から教わる事が多い。まだまだ負けてられないので、もっとがんばらなきゃあなあ。


 これまで使ってきたニコンだけでなく、35mmフルサイズのキヤノン EOS 5Dも購入し、使い始めてから約4カ月。この誌上でも既に何度か発表しているが、度々メーカーから拝借使用しているうちに、気が付いたらこの短い期間に何本ものLレンズを購入してしまった。そして遂に買ってしまった24mm F1.4。やっと自分専用のを買ったばかりの嬉しさも手伝って、今回の発表作品でも半分以上のカットは24mmを使ってみた。人物との距離感がちょうど良く、明るいレンズなので開放値からF2.8くらいで使えば背景も微妙にボケてくれるのが好きだ。設計や光学適正のことは素人なのでわからないのを前提にいうと、16~35mmのズームレンズも多用してきたが、同じF2.8でも開放の2.8と2段分を絞ったF2.8ではシャープさとボケる部分とのバランスがまったく違うような気がする。2本を同じ条件で撮影してみたが、このレンズの方が圧倒的に逆光に強いのも安心できる。それ以前に単焦点とズームの違いはあるので当然だが。単焦点とはいえ明るいレンズなので、何本ものレンズと一緒に持ち歩くにはやや重いのが辛いかな。ただしEOS 5Dでも縦位置グリップを装着して電池2個を入れるとかなりの重量になるので、撮影時のホールディングバランスはかえってちょうど良い。今年になってから50mmや85mmのLレンズがタイプ2になっているので、このレンズもデジタル向きに更に改良されていくのかも知れない。35mmカメラをほとんど使わなかった約10年間を除き、アマチュア時代から国内外いろんなメーカーのカメラやレンズを使い分けてきたが、焦点距離35mmが自分の中では標準化していたせいか、ワイド系でもっとも多用してきたのは常に24mmの焦点距離だった。広すぎず狭すぎず無理のないパースペクティブ、この焦点距離は自然と身体に馴染んでしまっているような気がする。長かったフィルム時代のレンズたちとはとても比較出来ないが、この原稿を書いてる9月現在、持っているフルサイズ対応のレンズとしてもっとも気に入ってるレンズの1本に加わった。フルサイズボディゆえにキヤノンを使う以上は、まだまだ高価なLレンズが与える経済への圧迫はこの先も暫くは続きそうだ。


使用機材
Nikon D2X
AF-S DX Zoom Nikkor ED 12~24mm F4G(IF)
Canon EOS 5D
EF 16~35mm F2.8L USM
EF 24mm F1.4L USM
EF 50mm F1.4 USM
EF 135mm F2L USM
Sandisk Extreme III



URL
  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/haruki_backnumber/



HARUKI
(はるき)1959年広島市生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。広告、雑誌、音楽の媒体でポートレートを中心に活動。
1976年 個展「FIRST」を皮切りに、多数の個展、グループ展を開催。1987年朝日広告賞グループ入選、表現技術賞受賞。1991年パルコ期待される若手写真家展選出。コラボ作品がニューヨーク近代美術館に、「普通の人びと」シリーズ作品が神戸ファッション美術館に永久保存。
2005年に個展「Tokyo Girls♀彼女たちの居場所。」を東京 渋谷、2006年に京都で開催。

2006/10/02 02:31
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