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[2007/03/19]

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[2007/03/05]

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[2007/02/19]

【Case-38】朝日桂宜の場合
[2007/02/05]

【Case-37】佐藤恵子の場合
[2007/01/22]

【Case-36】足立浩美の場合
[2007/01/15]


2006年

【Case-22】小沢彩香の場合



 東京生まれ東京育ちです。あんまり年相応には見られない。月曜の朝から栄養ドリンクを飲んぢゃうような女子……。血液型はB型。だけどB型っぽくないと、よく言われるかな。性格は……元気だけが取り柄。いつでも元気、笑顔なイメージ。でも、ホントは寂しがり屋のウサギちゃん(笑)。そして、強がり。長女。母の母と父(うちらは祖母祖父のことをグランマー&じじらと呼ぶ)からしたら、初孫。グランマーとじじらからの、大きい期待という物を背負っております。これが、すんごく重くって……ホント嫌になっちゃいますよ。

 たまに、色々考え過ぎちゃって、自分を見失うことも多々。考えるって、苦手なんです。フィーリングで生きてる動物なもんでね……難しいこと考えてたら、なんか頭のなかゴチャゴチャになってきちゃって。でも、寝ちゃうとスッキリしちゃうの。それが、いい所かな。やっぱB型。

 最近の悩みは目が悪くなってきたことと、肩こり。これでも23歳。今は実家に住んでます。母と弟、うちの3人です。そのせいか、昔っから年上の男性に惹かれます。今までも、付き合うのはたいてい年上の人でしたね。そして今の彼氏もね(照)。これまでの最高記録は18歳上のひと、犯罪やね。父は母の11歳上だから、これは遺伝かもね(笑)。


 遺伝と言えば、身長ですね。身長なしでは、うちを語れないね。父172cm、母175cm、弟182cm、自分は174cm。ちなみに子供の頃から牛乳は大嫌いですから。身長174cm。このデカさは昔から。小学校6年の時にはもう170cmだった。この身長で赤いランドセルに黄色の帽子は、ある意味コスプレね。


 背がデカイってことで、小5からバスケを始めました。本格的に始めたのは中学入ってから。毎日練習、土日も練習。たまに練習試合。うちが1年の時に、3年生が引退してからスタメンに。もちろん、ポジションはセンター。中2だったかなぁ、中3だったかなぁ、東京都選抜に選ばれたりもしちゃって……。考会の時に、熱出してて、一時はどーなる事かと思ったけど。うちの1つ上の代では、都大会に出られたぐらい。自分の代では、区3位か4位で終ってしまったな(泣)。

 もちろん、高校でもバスケ部に入りましたよ。しかも今度は常に東京都ベスト4にいる学校だから目指すはインハイ!! みたいな勢いね。ちなみにそこでは、うちの身長は2番目の大きさ。上には上がいるのよね。うちの身長の女の子なんて、ゴロゴロ。むしろ、センターにしては小さめ。練習は厳しいのなんのって、足がツッても走らされる。夏には、過呼吸になる子もでる。それに対してストレッチが足りないだとか怒られる。とにかく、練習中は戦争ですよ。生きるか死ぬかみたいな。言い過ぎかなあ(笑)

 うちらの練習相手は「男バス」だった。今でも、鮮明に覚えてる先生の言葉。男子に一言「おい! お前ら、女子に負けてたりなんかしてたら1回戦も勝てないぞ!!」女子に一言「おい! お前ら、こんな男子に負けてたら、インターハイなんて無理だぞ!!」いくらなんでも、男子相手はキツかったねぇ。まぁ、それでも対等に戦えてしまうのが、うちらの女バス。



 そんなうちの高校時代はケガ三昧のバスケ人生。1年で手の骨折。そのためインターハイ出場を決めても、ずっとベンチ暖め係。2年の時、新チームになってスタメン決定! もうすぐ大会って時の合宿でのことでした。ゲーム中ですよ。向こうから敵がバーって走ってきたの。そりゃ、ぶつかるよね。。その瞬間「ボキッ」、「あっ」コートに崩れ落ちましたよ。右膝全十字靭帯損傷。

 医者からは水泳とか薦められました。いやいや「うちがやりたいのはバスケだし!」みたいなね。リハビリがんばりましたよ。高っいオートクチュールのメカみたいなサポーター買いましたよ。そしたらね、とある先生のいない練習中のオールコート1対1で、バーっとドリブルで走ってって、バンって止まった瞬間「グキッ」、「あっ」膝がガクンとずれる感じ。すごい気持ち悪い感じで、右膝全十字靭帯断裂。この時からマネージャーに(涙) しかもこのケガは、うちで3人目。あまりにも多過ぎるからって、トレーナーさんを雇い、テーピングやら、ストレッチやら。てか遅いよね。うちだって、もうマネージャーになっちゃったし。

 でも、ここで新たな才能を開花!うちのテーピング術がチームのみんなに大好評。将来はトレーナーにでもなっちゃおうかと本気で思ったもんね。そして、2年の冬の新人戦はなんと優勝。メチャメチャうれしかったね。みんなで、泣きながら抱き合って。こういう時って、辛かった練習の事なんて忘れちゃうのね。でもそれからの大会は結果が思わしくなく、最終的には東京4位で引退。泣いた。泣きまくったなあ。悔しかった。めちゃめちゃ悔しかった。

 先生も泣いてた。「インターハイに連れて行けなくてごめん」って。それ見て、さらに泣いた。そして、今でも忘れられない先生からうちへの一言。「オーがいたら、インターハイ行けたよ」(オーって言うのは、うちのコートネームだった)。そんな……うちだって、あの無名の高校とのゲーム中に、ホント悔しかった。うちがケガした時、うちがマネージャーになった時、悔しかったのは先生も同じだったみたい。

 でもね、いいの。何よりも、すーんごい厳しい練習の中、誰一人も辞めずに、3年間みんなで色んな事を乗り越えてきたっていう達成感。ホント、この3年間は家族よりも一緒に過ごした時間が長いんじゃないかって感じ。練習がキツいから辞めたいとか、「学校に一番近いコンビニは狭いから行ってはいけない(ちなみに3年ならOK)」なんて理不尽な部則に耐えられないから辞めたいとか思ったけど……たくさん喧嘩もしたね。でも、まぁ今となっては全部がいい思い出だね。なんだかんだで3年間あっと言う間だったな。まさに青春だったね。


 今の職業は歯科技工士です。歯を作る人。つまり、デンチャーっていう入れ歯とかを作る人です。一応、国家資格です。そんなマニアックな仕事を3年前から始めました。きっかけは母の弟、つまりうちのおじさんが歯科開業医をやってたり、うちが細かい作業が好きだったって事もあり、グランマーが「こんな仕事あるよ」って、紹介してくれたんです。高校を卒業して、2年の専門へ。実技の成績はまぁまぁなものの、筆記がね。先生に「大吟醸バカ」と。20歳の頃に大吟醸レベルのバカになってました。なんてったって、国家試験(実技試験)の2日前ぐらい前に学校の体育館でバスケしていて、右手の親指をねんざしたバカ者ですから。

 専門卒業後、とある歯科医院へ歯科助手兼歯科技工士として就職しました。院内ラボってヤツです。そこへ入ったはいいが、技工士の先輩がいない。教えてくれるのは、歯医者の先生。「えーと、前に居た人はどうやってたのかなぁ?」。そんな職場で誰からも技術を教えてもらえるわけでもなく、技工士としてどうなんだろ……と思い始め、だんだん疑問が……気づいたら1年で辞めてました。

 でも、自分の作った物が、患者さんの口腔内にちゃんと入って、喜んでもらえた時はすごくうれしかった事を今でも覚えてるな。辞めてから、1年ぐらい歯科業界から離れ、エステやら、パチンコ屋やら、アルバイトを点々とした。フリーターみたいな22歳を過ごして。

 だけど技工の仕事が嫌で前の病院を辞めたわけぢゃないから、またやりたくなってね。。それと、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、親戚中に心配かけまくりだったから「いい加減、仕事くらいは落ち着かないと」っていうのも心の奥にあったしね。だから、新しい技工所に4月から入って「いずれは歯医者のおぢさんの手伝いができるように」と思って、真剣に大修行中なのね。。

 仕事は朝から夜遅くまで、給料は今までの中で一番安い。だけど、これが当たり前の技工士の仕事。自分で選んだ道。今のうちの決意はカナリ固い。1日も早く、一人前の技工士になって、って気持ち、って言っても1年目は大した仕事はしてないんだけどね(笑) 夢があると、どんな辛い事も乗り越えられる……たぶん。がんばれ、あたし!!



  彩香ちゃんとは、友人を通して“とある撮影”をボクに依頼されたのがキッカケで知り合った。それ以降このシリーズの撮影は昨年の春にスタート、夏、秋を経て、この夏に再開した中からのセレクトになる。この1年数カ月の間に何度かの撮影をしたわけだが、彼女は毎回髪型、色、長さも変化してきているので、それぞれが違った表情になったのが面白い経験だった。

 良くも悪くも天候や気温の変化も含めて撮影現場での予測しなかった事態が多いのが、このシリーズの撮影には付き物。中にはわがままで困った人もたまにはいて大変なのだが、彼女は持ち前の明るい性格なのでいやな顔をすることもなく協力してくれて助かった。比較的長いスパンで撮影したせいか、幼かったり、大人っぽかったり、色っぽかったり、そして、バカ野郎だったり(笑)といろんな彩香を見せてもらった。誌上ではスペースの都合上、たった15点しかお見せできないが、これがベストチョイスというわけでは決してない。また暫く時間をおいて撮影してみたら、どんな違った別の貌が見られるんだろうか? それもまた期待できそうだ。

使用機材
Nikon D2X
Ai AF-S Zoom Nikkor ED 17〜35mmF2.8D (IF)
SIGMA 18〜50mmF2.8 EX DC
SIGMA 30mmF1.4 EX DC HSM
Canon EOS 5D
EF 16〜35mmF2.8L USM
EF 135mmF2L USM
EF 70〜200mmF2.8L IS USM
Sandisk Extreme III
Sandisk Ultra II
Lexer 80x




HARUKI
(はるき)1959年広島市生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。広告、雑誌、音楽の媒体でポートレートを中心に活動。
1976年 個展「FIRST」を皮切りに、多数の個展、グループ展を開催。1987年朝日広告賞グループ入選、表現技術賞受賞。1991年パルコ期待される若手写真家展選出。コラボ作品がニューヨーク近代美術館に、「普通の人びと」シリーズ作品が神戸ファッション美術館に永久保存。
2005年に個展「Tokyo Girls♀彼女たちの居場所。」を東京 渋谷、2006年に京都で開催。

2006/09/11 00:01
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