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熱戦が繰り広げられた「写真甲子園2015」本戦レポート

全国18校が北海道に集結 連日の“競技撮影”を制したのは?

第22回全国高等学校写真選手権大会、通称「写真甲子園2015」は、その名の通り、全国の高校写真部やサークルの部員が“写真の日本一”を目指して繰り広げる夏の祭典だ。

今年も全国11ブロックから初戦を勝ち抜いた18校が、「写真の町」として知られる北海道東川町に集い、写真による熱戦を繰り広げた。

写真甲子園2015の本戦は8月4日から7日までの4日間、北海道の大雪山国立公園一帯を舞台に、各校が3人1組でチームを組み、テーマに基づいた競技撮影に挑戦した。

1994年から始まる由緒正しい本大会、8月6日に現地に入り、優勝校が決定するまでの2日間を取材することができたので、高校生たちが思いの丈を写真にぶつけた暑い夏(北海道なので涼しかったが)をレポートしたいと思う。

写真甲子園・本戦の流れ

写真甲子園の本戦が開かれるのは4日間であるが、実際に高校生たちが写真を撮影し、審査が行なわれるのは大会2日目から最終日までの3日間(8月5日・6日・7日)。

基本的には朝から昼過ぎ頃まで「撮影ステージ」と呼ばれる定められた撮影地区で撮影を行い、その後「セレクト会議」を経て選手たちが選んだ組写真に対し、夕刻から6人の審査員による「公開審査会」(ファースト公開審査・セカンド公開審査・ファイナル公開審査)が開かれるというのが連日の流れだ。

ただし、ステージ以外の時間、例えばホームステイ先(選手は初日夜、学校毎に東川町の一般家庭と交流して親睦を深める)や、ステージ開始前の早朝などに撮影を行い、セレクトの対象とすることも許されている。

3回の公開審査会にはそれぞれ「テーマ」が設けられており、8月5日のテーマは「出会い」、8月6日のテーマは「風景」、8月7日のテーマは「ぬくもり」だった。

公開審査の審査員長は立木義浩氏。審査委員は竹田津実氏、米美知子氏、長倉洋海氏、藤井貴城氏、岩井直樹氏である。

機材もフェアな公式サポート

選手たちは普段の写真活動で、当然、それぞれが思い思いのカメラを使って写真を撮っている訳であるが、写真甲子園では「テーマ」が共通であるのと同じく「機材」もみな共通。同じ機種のデジタルカメラと交換レンズを使用して撮影し、同じ機種のプリンターと同じ種類のプリント用紙を使用して審査のためのプリントを打ち出す。

例:キヤノンマーケティングジャパンからの貸出物

  • EOS 8000D
  • EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS STM
  • EF-S55-250mm F4-5.6 IS II
  • EF-S10-18mm F4.5-5.6 IS STM
  • EF-S60mm F2.8 マクロ
  • EF50mm F1.8 STM
  • スピードライト430EX II
  • LP-E17(予備バッテリー)
  • EOS 8000D取扱説明書
  • PIXUS PRO-100S
  • 写真用紙PT-201 2L 30枚入り
  • 写真用紙PT-201 A4 20枚入り

各校の選手は、使用する機材によって写真の表現に差がでるという不公平がなく、与えられた同一の条件で純粋に撮影に向き合えるという意味で、大変フェアな措置であるといえるだろう。

しかも、貸し出されるデジタルカメラは初心者から上級者まで使いやすいEOS 8000Dであり、交換レンズも標準から望遠までのズームレンズに、マクロや大口径単焦点レンズまで幅広く用意されている。テーマに沿った写真を自らの着眼点で切り取るために、どのような機材を選択するかが試されるという意味でも、写真甲子園という舞台に相応しい取り揃えだと思う。

また、カメラやプリンター以外にも、三脚がマンフロットから、メディアがサンディスクから貸し出されているなど、期間中の機材の用意については、選手たちの撮影に支障がないよう万全の公式サポートがなされていたのが印象的だった。

大会3日目の様子

さて、デジカメ Watch取材班が選手たちに同行できたのはこの日からである。

大会3日目の撮影ステージは朝8時40分発の「上富良野町フラワーランド〜千望峠」と、11時20分発の「美瑛駅前〜市街地」の2地区。

上富良野町フラワーランドから千望峠の間は、ひとつのステージとはいっても北海道らしく非常に広大なので、選手たちは用意された3台の巡回バス「モモンガ号」(モモンガは東川町のマスコットキャラクター)に乗り、チームがここぞと思った撮影地で自由に降車して、タイムアウトが近づくとまた乗車できるという具合だ。

せっかくの富良野の風景なのに、残念なことに当日は雨。しかし、選手たちは天気の悪さなどまったく意に介さない様子で、真剣に撮影に臨んでいた。

各校の3人は、時に1人で自分の見つけた被写体に向き合い、時に相談して協力し合う。それを付かず離れず見守る顧問の先生はさながら野球でいうところの“チームと監督”そのもの。決められた場所と時間、また雨という厳しい条件のなかで成果をものにしようとする選手たちの姿勢は、写真という文化的で穏やかにとらえられがちな印象とは裏腹に、撮影フィールドを舞台として繰り広げられるまさに熱闘であった。

各ステージでは、決められた時間内に画像を記録した記録メディアを提出する決まりだ。10時30分に「上富良野町フラワーランド〜千望峠」でのメディアを現地本部に提出すると、次のステージとなる「美瑛駅前〜市街地」へとバスで向かった。ちなみに昼食はバスの中でとるという忙しさだ。

美瑛町でのステージは、駅前に設置された現地本部にいったん集まり、そこから市街地の方々へ各校が歩いて撮りまわるというスタイル。選手たちは美瑛町らしい町並みの風景を撮り、町の人に会えば高校生らしい爽やかな笑顔で話しかけ、町のいたるところで思い思いの撮影を真剣に、そして丁寧に行っていた。

初めの富良野の自然と次の美瑛町の町並みではイメージがだいぶ異なるが、ステージが変わるとすぐに撮り方を工夫していく順応力の高さは、さすが若さというものだと感心しきり。

13時40分に「美瑛駅前〜市街地」のステージが終了すると東川町の本部に戻り、公開審査会に向けてセレクト会議が始まる。選手たちは本当に休む間のない忙しさだ。

この日の公開審査のテーマは「風景」。選手たちはテーマに沿って8点からなる組写真をセレクトしプリントする。セレクト会議の途中20分間だけ、顧問の先生による指導が可能な「テクニカルタイム」があるものの、作品の選出は基本的には選手たちの自主性に任される。

そうしてセレクトされた作品を提出し、しばらくの休憩を挟むと、いよいよ公開審査会である。前日の8月5日にファースト審査会が開かれているので、この日はセカンド審査会ということになる。

公開審査では、チーム毎に組写真がプロジェクターで映写される。映写の前には、1分以内でプレゼンテーションを行なうのであるが、このプレゼンも撮影の内容や意図を、手紙を読むようであったり、唄を詠うようであったり、それぞれが工夫を凝らして精一杯に伝えようとしている姿が印象的であった。

その後、発表した各チームに対し代表の審査員ひとりと、審査員長の立木義浩氏から質問や講評を受け、各チームに得点が与えられる。連日行なわれる3回の公開審査で得た総合得点が優勝以下、各賞に反映される仕組みなので、選手たちが審査員の厳しい講評(決して優しくなく的確で率直な意見であった)を聞く姿勢にも熱が入る。

特に、翌日のファイナル公開審査会は得点が1.5倍に設定されているとあって、最終段階での逆転も可能なだけに、4日間を通しての選手たちの成長は著しいものとなっているのだ。

審査委員長の立木義浩氏。

大会4日目(最終日)の様子

明けて8月7日の大会最終日、昨日の雨は上がったもののやや雲の多い天気であった。

最後のステージは、大会本部があり、選手の宿泊するコテージのある「東川町キトウシ〜市街地」である。これまでのステージと違い、朝6時半にコテージ内にある物産センター前で携帯食が配布されるという以外、撮影開始の時間は特に決められていない。つまり、選手はどんなに早くから撮影を始めてもよく、実際、どのチームもまだ暗いうちから起きだして東川の町へと撮影に繰り出していた。

7時には巡回バスの運行が始まるものの、すでに歩いて町を巡っている選手が多いため利用者は多くない。撮影の目的地は決まっているが徒歩では遠いという場合など、計画的に乗車をしているようだ。

最終日ともなると、選手各人が要領をよく掴めていることもあって、チームワークがますますとれている様子。効率よく充実した内容の写真を撮るための役割分担が明確になっているようで、あるチームでは撮影の方向をそれぞれが別にとるようにしたり、またあるチームでは撮影者は一人に任せて他はサポートに回ったりするなどして、チャンスを掴む努力を最後まで惜しんでいなかった。

9時40分に撮影が終わり記録メディアの回収が行なわれた。最終日は2回目のステージがないため、選手はこれで大会期間を通してすべての撮影が終了した訳である。3日間をともに過ごした機材を返却した後、昨日、一昨日と同様にセレクト会議で8点の組写真を選び、泣いても笑ってもこれが最後の公開審査会へと臨んだ。

14時45分、いよいよファイナル公開審査が始まった。テーマは「ぬくもり」で、選手は大会期間中に撮った写真のすべてを使って表現をする。前述のとおりファイナル公開審査の得点はファースト公開審査、セカンド公開審査の1.5倍であるため逆転のチャンスが残されており、選手たちのプレゼンも前日よりさらに熱く、感情を込めていることがひしひしと伝わってきた。

これまでに審査員からもらった講評を真直に聞き、反省を繰り返したからだろう、映写された8枚の作品群は、いずれの学校も数日間の厳しいスケジュールをこなしたからこそ表現できた、成長の結果と呼ぶに相応しいものであった。

おめでとう!優勝は沖縄県立浦添工業高等学校

18時30分からは「写真甲子園2015」の表彰式ならびに閉会式が執り行なわれた。

全国514校の中から見事優勝の栄冠を勝ち取ったのは、九州・沖縄ブロック代表 沖縄県立浦添工業高等学校だ。浦添工業高等学校は写真甲子園でも強豪校と知られる名門で、今回の優勝は3年ぶり2回目となる。

優勝校の九州・沖縄ブロック代表 沖縄県立浦添工業高等学校チーム

表彰式では審査員長の立木義浩氏が壇上で浦添工業高等学校の優勝を発表。「おめでとう!」の大きな祝福の言葉とともに優勝旗が渡され、続けてチームワークを存分に発揮した感性豊かな作品と認められたのでこれを賞します」とした賞状が読み上げられるとともに、記念の楯、メダル、木製フォトフレームが贈られた。

また優勝校には、キヤノンマーケティングジャパン株式会社より「キヤノンEOS 7D Mark II・EF-S18-135 IS STM レンズキット」と「キヤノンPIXUS PRO-10S」ならびに写真用紙が、またサンディスク株式会社よりメモリーカードが、マンフロット株式会社より三脚セットが贈られた。

閉会後の記者会見でキャプテンを務める宮平愛美さん(3年)は、「3年前に先輩たちが優勝したように、自分たちもぜったい優勝を目指したい」という強い意志で写真甲子園に挑んだ。それだけに「優勝が決まったときは本当に嬉しかった」と話してくれた。

優勝旗と賞品を手に。左から宮平愛美さん(3年)、普天間皐月さん(3年)、佐和田星さん(2年)。

宮平さん、普天間皐月さん(3年)、佐和田星さん(2年)の3人のチームは、本大会に出場が決まる前から時間を決めて撮影とセレクトの練習をしており、いまでは首に下げているのが当たり前という程にまでカメラに馴染んでいるという。

3人が共通して「土地の人に急に撮影をお願いしても笑顔で受け入れてくれたり、選手同士でも仲良くなったりして、皆とのコミュニケーションが一番楽しい思い出だった」と語るように、大会期間中に得た人との温かな触れ合いが、優勝に繋がる大切な要因となったのだろう。

なお、準優勝には四国ブロック代表 香川県立坂出商業高等学校が選ばれ、続いて優秀賞として5校、敢闘賞として11校が選ばれた。

優勝

九州・沖縄ブロック代表 沖縄県立浦添工業高等学校

準優勝

四国ブロック代表 香川県立坂出商業高等学校

優秀賞

北関東ブロック代表 埼玉栄高等学校
北海道ブロック代表 北海道岩見沢高等養護学校
北関東ブロック代表 埼玉県立芸術総合高等学校
中国ブロック代表 山口県立下松高等学校
近畿ブロック代表 和歌山県立神島高等学校

敢闘賞

北海道ブロック代表 北海道尚志学園高等学校
東北ブロック代表 青森県立弘前高等学校
東北ブロック代表 宮城県白石工業高等学校
南関東ブロック代表 千葉県立四街道高等学校
南関東ブロック代表 千葉県立松戸南高等学校
東京ブロック代表 東京都立小石川中等教育学校
東京ブロック代表 東亜学園高等学校
北陸信越ブロック代表 富山県立富山東高等学校
東海ブロック代表 光ヶ丘女子高等学校
東海ブロック代表 愛知県立津島東高等学校
近畿ブロック代表 大阪府立生野高等学校

熱戦終わって……

写真甲子園本戦が開かれる東川町は1985年に「写真の町」を宣言したことで有名な、自然に恵まれた北海道中部の町だ。毎年夏には写真の町としての一年間の集大成と翌年への新しい出発のための祭典として「東川町国際写真フェスティバル」が盛大に開かれている。

写真甲子園はそんな写真フェスティバルの一環でもあり、多くの地元の人たちがボランティアとして大会を支えていることで成り立っているのである。

閉会式で審査委員長の立木義浩氏が、大会を総括した「ここに集まった皆さんは誰もが賞をとったといっていいでしょう。一番の宝物は、心に残った友人やお世話になった人々への感謝の気持ちで、これはお金では買うことができない大切なものです」との言葉通り、厳しい数日間をここで過ごした選手たちは皆、人生にとって忘れることのできない貴重な体験ができたに違いない。

22回の歴史の中で、写真甲子園を経験した高校生のなかにはいまプロとして現役で活躍している人もいるという。写真を職業としなくても、この大切な経験はこれから社会で生きていくうえ大きな心の柱となることだろう。今年、奮闘する姿を見せてくれた選手たちはもちろん、これから挑戦していくであろう未来の写真家に向けて、最大の声援を送りたい気持ちでいっぱいになる。写真甲子園とはそんな素晴らしい若者たちの祭典であった。

※選手たちの作品は、写真甲子園公式ページで公開されています。

(曽根原昇)