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【写真展リアルタイムレポート】
東京国立近代美術館「写真の現在3」

~写真表現の幅広さを体験
Reported by 市井 康延

 キュレーターという存在をご存知だろうか。美術館で行なう展示の企画を考え、作家をセレクトして展覧会を作っていく人たちのことだ。実際に作品を制作するわけではないが、展覧会という空間を生み出すアーティストであるともいえる。たとえていえば、オーケストラにおける指揮者の存在といえばわかりやすいだろうか。

 現在、東京 竹橋の国立近代美術館で開催中の「写真の現在3 臨界をめぐる6つの試論」を通して学芸員の役割と、この展示の見所について解説していこう。この展覧会の基本的な問題設定は「デジタルテクノロジーの進展で変容する写真メディアの役割について」だという。この企画を担当した同美術館の主任研究員・増田玲氏に話を聞いた。

 企画展「写真の現在3 臨界をめぐる6つの試論」は12月24日(日)まで。月曜休館。10時~17時(金曜は20時まで。入館は閉館30分前まで)。入場料は一般420円、大学生130円、高校生70円、中学生以下・65歳以上無料。


増田氏は筑波大学大学院卒。修士論文はウォーカー・エバンスだったという
場所は皇居の向かいにあり、裏には警視庁第一機動隊、並びには国立公文書館がある

 「写真の現在」シリーズは、現代の写真表現の動向を考える企画だ。第1回は1998年の「距離の不在」で、続く2002年には「サイト-場所と光景」を開いた。

 このシリーズは同時代性を重視した企画のため、「普段見ている個展や写真集から気になるものをピックアップしていくことで、テーマを発見する」方法をとっている。今の作家たちが見出しているテーマ、方法論から、共通性を見つけようとしているからだ。実際、前回の「サイト」が風景をめぐる写真が多かったので、今回はポートレート作品を取り上げたいと思っていと増田氏は言う。「『レンズの前の私』といった形でできればとは思っていました。けれど結果的にはポートレートは北野さんの作品だけになってしまいました」。


1年間に足を運ぶ展覧会は150~200本

町にある監視カメラは監視しているわけではなく、ただ映像をメディアに記録し続けているのだ。『WATCH』シリーズより(伊奈英次)
 その収集のためだけではないが、増田氏が見る展覧会は、写真に限らず年間150~200に上る。情報収集は雑誌、インターネット、DM、そしてクチコミ。見られなかった展示はDMなどをファイリングしておく。

 その中で今回の企画でまず増田氏のアンテナに引っかかってきたのが伊奈英次氏の『WATCH』シリーズだ。

 伊奈氏は日本各地に点在していた軍用アンテナを大型カメラで撮影した『ZONE』シリーズなど、社会の中でのタブーとして意図的に「見えなく」されているものごとを、視覚化した作品を制作してきた。2002年に田園調布にあるギャラリー「art & river bank」で発表した『WATCH』シリーズは、町に設置されている膨大な数の監視カメラを記録したもので、こちらはデジタルカメラで撮影している。

 「(WATCHでは)さまざまな形の監視カメラが数多く存在し、そのバリエーションとボリュームを見せるために、気軽に撮れるデジタルカメラを選んだと聞いています。その後、建設現場の仮囲いを撮影した『COVER』が発表されました。見るための監視カメラと隠すためのカバー、この二つを併置することで、今の社会と写真の状況を考えるための、広がりのあるテーマになると思いました」。


北野氏の作品は、さまざまな集団にいる人々の肖像を撮り、1枚のプリントに重ね合わせていく
 続いて北野謙氏の「our face」シリーズが眼に入ってきた。日本各地のさまざまな集団に属する人のモノクロポートレートを、1枚のプリントに重ねて焼き付けていき、集団の顔を創造する作品だ。つながりのなさそうなこの2つが出発点にならないかと考えた。「北野さんのキーワードは輪郭。1人1人の輪郭が消えていく代わりに、集合的な姿が浮かび上がってくる。伊奈さんが写す監視カメラは、社会の仕組みの中に知らないうちに突然増殖してきたものであり、社会のひとつの輪郭を示しているものなのか、などと考えていくわけです」。


個人と社会、そして写真表現の輪郭というテーマを発見

 小野規氏はパリを拠点に活動する作家で、2002年から「周縁からのフィールドワーク」を制作し始めている。パリ市は周囲を外環状道路が走り、ここが市内と郊外の区切りになっている。「小野さんの作品はパリの郊外、周縁をめぐりながら、今の社会の形がどうなっているかを探るものです」。

 そのころ、海を実際に泳ぎながら定点観測的に撮影する浅田暢夫氏の「海のある場所」をとりあげることを考えた。以前から注目していた作家の1人だ。最初、浅田氏は陸と海の境をめぐる撮影を始め、ある時、その一線(臨界)を踏み越えた。「人間は皮膚という輪郭をもって存在している。人間が海の中へ入っていくこの作品は、生理的な感覚でその輪郭を感じさせるのではないか。そしてこの4人の作品の個人と社会の輪郭に、写真表現自体の輪郭を加えればテーマが立つのではないかと思いついたのです」。


「浅田暢夫 海のある場所 1997-2005」
浅野氏はニコノスを手に岸から30m程度の沖に泳ぎだし、周囲を撮影している。空間で見る快感が最も味わえる作品だ
パリ市郊外の風景を会場に再現するように展示した小野規氏の「周縁からのフィールドワーク」

「鈴木崇 Altus 020 2005」
この作品はフィルムで撮影し、銀塩プリントで仕上げている
 そこで見つけたのは、鈴木崇氏が2004年に大阪の「サードギャラリーAya」で発表した「Altus」だ。タイトルはラテン語で「秘密の、根本的な、底深い」といった意味を表す。

 作品は奥行きのある空間を被写体に、手前のみにピントが合わされ、画面のおよそ5/6はアウトフォーカスになっている。さらに画面は分割され、間には少しの空白部分が作られている。写された場所に関する情報を極端に切り詰め、曖昧にしても、見る者は想像してある空間を知覚してしまう。「鈴木さんの場合は写真展を見られなかったので、あとでギャラリーに行って作品を見せてもらいました。彼を持ってくることで、個人、社会、写真の輪郭という三題噺ができるなと思ったのです」。

 そのあと、向後兼一氏の「within 10km of mine」を加えて、「臨界への6つの試論」がプランニングとしての完成を見たわけだ。


鑑賞する上で作品の概略は不可欠

第3のフィールド「写真/イメージの臨界」。作品は向後兼一氏の「within 10km of mine」
 第1のフィールド「社会/公」は伊奈英次氏と小野規氏、第2のフィールド「個/身体」を北野謙氏と浅田暢夫氏、第3のフィールド「写真/イメージ」で鈴木崇氏、向後兼一氏の作品を展示した。美術館のレイアウト上、入口からまず足を運ぶ部屋に、最も難解に見える『第3のフィールド』を置くことになってしまった。「できれば一歩、踏み込んでアートを体験してほしいのですが。困った顔をして会場を後にするお客さんが少なくないようですね」と増田氏は苦笑いする。

 現代アートは感性だけで理解できるものではなく、予備知識が必要。そしてその知識を得て作品に向かった時、それまでにない知的な刺激が得られるのだ。「ひとつの作品を200文字程度で解説したチラシを用意しました。それを読んでいただき、さらに詳しい解説が知りたければ、会場入口に展覧会のカタログが設置してあります。ここには私が書いた総論と、6人の作家へのインタビューが掲載されています。とくにインタビューはお勧めです」。

 向後氏の作品はデジタルカメラで撮影し、パソコン上で加工している。現代の生活の中ではデジタルイメージが氾濫し、『リアルなイメージ』とは明確に目の前の現実を写しだしたものとは限らない。ここでは撮影したイメージと、上下に圧縮した画像を併置し、現実の意味、リアルに見えることへの疑問を提示しているのだろう。

 次の部屋「社会/公」のフィールドは一見、分かりやすそうなイメージに見える。ただパリの郊外を写した小野氏の作品は、ただ見ただけでは人気のない、やや寂れた住宅地程度にしか捉えられない。

 パリは市内と郊外の区分けが明確であり、郊外は移民や低所得者層で構成されていることを知り、作者がこの一見平凡な風景に、『パリ、フランス社会、さらにはヨーロッパという文明の現在形が現れている』と考えていることを理解すると、どうだろうか。

 この中の「塔を眺める」という連作の1作には、タイトルに『コーランを読む男』という一文が入っていて、その写真をよく見ると、画面の片隅に、仰向けになって書物を読んでいる男の姿がある。それに気づいた時、無意味に思えていたこれらの写真が急に身近なイメージとして立ち上がってこないだろうか。

 さらに住宅を描いた作品の中に、雑草を撮った3点が足元に置かれているのも奇異に思うだろう。小野氏は信州大学農学部で学び、この郊外には多くの種類の野草が生育していることを知っている。当然、その写真は、多くの人種が住む郊外の空間をイメージしたものだ。そして作品はパリ市内を取り囲むように展示され、その地理的な位置に合わせて野草も置かれているというのだ。


3名がインクジェットプリント作品を展示

 この展覧会でインクジェットプリントは伊奈氏、小野氏、向後氏の3名が使っている。カメラもデジタルなのは伊奈氏の「WATCH」と、向後氏の「within 10km of mine」だが、増田氏は「クオリティ的に違いはもはや簡単には判別できないし、デジタルだからどうという捉え方はしていない」という。

 小野氏の撮影は4×5の大型カメラで、出力を今回のシリーズで初めてインクジェットプリントを使った。デジタルプリンタのクオリティが上がったことで、自ら最終的な出力までできるメリットを選んだのだ。「小野さんは国内外のペーパーを試され、最終的にヨーロッパ製のペーパーを選ばれたようです」。

 ただ問題になるのはインクジェットプリントの保存性。美術館は作品を展示する役割と、美術史的に重要な作品を所蔵し、後世に伝える役割も持つからだ。「信用はできないが、受け入れざるを得ない。将来的に問題が出るかもしれないが、それはその時、検討するしかないでしょうね。実際、かつて褪色しにくいと言われていたチバクロームのカラープリントに褪色が出ているという話もあります」。

 増田氏は一般論として、デジタル写真の登場で表現の質にはメリットとデメリットを考えているという。メリットは撮影枚数が増えることだ。

 「プロは当然、フィルムの時代でも量を撮っていたが、それ以上に撮れるようになる。量が質を変えていく可能性は見逃せない。デメリットとしては、たとえば印刷所などで、微妙な色の調整ができる専門家が減っているということを聞きます。若い世代ではそうした微妙な感覚が鈍っている可能性がある。平均的なクオリティはテクノロジーの進化で上がっていくが、突出した部分は失われてしまう。それは受け入れざるを得ない部分ではあると思いますが」。


常設展示スペースにある写真展示室。こちらの会期は同じ12月24日までだ
あまりの驚きに思わずブレてしまいました

カメラを持って美術館へ行こう!

 キュレーターはオーケストラの指揮者のようなものという意味がおわかりいただけただろうか。そして限られたギャラリー鑑賞だけでは見えてこない『写真の現在』が、できるだけわかりやすく提示されていることも。

 では時間を作って、一度、竹橋に足を運んでみましょう。その時は必ずカメラを忘れずに。なぜならば、今の美術館は展示室内でも撮影できるところがあるんですよ。あくまでもメモ代わりの撮影に限られるが、かつて「撮影禁止」の注意書きが魔除けのように貼られていたころを考えると、隔世の感があります(ただし「写真の現在3」展は撮影不可)。

 ちょうど所蔵作品展では、細江英公の「薔薇刑」や、写真コーナーではロバート・フランクとウィリアム・クラインの作品が特集されています。もちろん「写真の現在3」の入場券でそのまま鑑賞できます。



URL
  東京国立近代美術館
  http://www.momat.go.jp/



市井 康延
(いちいやすのぶ)1963年東京生まれ。最近、気になる街の風景をデジタルカメラで撮り始めた。突然、街が変わっていることが多く、なくなってしまった光景がもったいないと思うようになったからだ。撮り始めると、これまでと街が少し違う表情に感じられる。写真展めぐりの前には東京フォト散歩( http://photosanpo.hp.infoseek.co.jp )のチェックを忘れずに。開催情報もお気軽にお寄せください。

2006/12/06 16:37
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