デジカメ Watch

【写真展リアルタイムレポート】
HASHI[橋村奉臣]展『一瞬の永遠』&『未来の原風景』

Reported by 市井 康延

橋村奉臣さん
 「ハシはすごいよ。30年以上、アメリカの広告写真界でトップクラスに居続けているんだから」と評したのは元APA(日本広告写真家協会)会長を務めた藤井秀樹さんだ。HASHIこと橋村奉臣(はしむら やすおみ)さんは、1974年から現在まで、アメリカを拠点に活動し、彼の写真はアメリカをはじめ、世界の広告代理店200社以上を通じて、世界の優良企業500社以上に作品を提供している。だから彼の名前は知らなくても彼の作品は眼にしているはずだ。

 その橋村さんの個展「HASHI[橋村奉臣]展『一瞬の永遠』&『未来の原風景』」が東京都写真美術館で開かれている。会期は9月16日(土)から10月29日(日)まで。10:00~18:00(木、金曜は20:00まで)で、入館は閉館の30分前まで。月曜休館。入場料は一般800円、学生600円、中高生/65歳以上400円。

 ここで展示した作品は、橋村さんがアメリカで広告写真家として注目されることになった『アクション・スティル・ライフ』のオリジナルシリーズと、未来において現代の社会がどう見られるかを想像してモノクローム写真をベースに表現する『HASHIGRAPHY』シリーズだ。いずれも橋村さんが練り上げた独自の技法で制作されているのだが、彼はその細部について多くを語らない。

 「写真家は写真にすべてを語らせるのであって、写真家が写真をいちいち解説しない方が良いのでは」という。実際、東京写真美術館の会場では作品を見ながら、感想やどのように制作したかを、連れ相手に自説を披瀝する来場者の姿が目に付いた。来場者はそれで楽しめるからいいが、技法を聞き出せないインタビューアーは内心忸怩たるものがある。しかし、同時に生存競争の激しいアメリカの広告業界で生き残っていくことは、そういうことなんだろうとも思う。実際、この展覧会の前に橋村さんの情報をインターネットで探した時には、全く出てこなかった。本人に聞くと、「そうでしょう。私のサイトもクライアント向けですから、何も得られないはずです」とにんまりされた。どこまでもインタビューアー泣かせの人なのである。


写真学校には行ったが、学んだのは独学

 橋村さんの略歴を少し振り返ってみる。出身は大阪府茨木市で、1945年生まれ。資料には『ほとんど独学で写真を学び』と書いてあるが、写真学校に行かなかったわけではなく、大阪の写真専門学校に1カ月ほど通ったことや、ロスにあったアートセンター・オブ・カレッジ(現在はパサディナにある)に1カ月ほど行ったことはある。

 「教わることに向いた人と、そうでない人がいるんですよね。僕は全く向いていなかった」。

 1968年に日本を発ち、ハワイで約3年半滞在し、ロスを経て、現在活動の拠点とするニューヨークにたどり着いた。その間、生活のためと、先々、写真家として活動していくための資金を貯めるため、通信社や写真館、ラボなどでがむしゃらに働き続けた。そうしてスタートしたニューヨークでの生活も、ゼロからの出発だった。

 「知り合いはいないし、カメラマンがどこにいるかも知らないんだから。今のようにソースブック(写真家名簿)があるわけじゃないから。書店で写真が載っている雑誌を見て、撮影したカメラマンの名前を調べ、イエローページ(電話帳)でそれらしい人の電話番号を調べてかけていったんだ。アメリカ人は同じ名前が多いし、フォトスタジオって明記している人も少なかったから、大変だった」。

 話を聞いていると、かなり苦難な道のりを歩んでいるが、橋村さんはどんな状態になっても、もうだめだとは思わなかったという。

 「僕はつねになにか解決策があるだろうと考える。それと人との出会い。そのときどきで、いい人にめぐり会え、助けてくれた。その人たちには今でも感謝しているよ」。

 そうしてスタートしたニューヨークでの写真家生活も、最初はファッション写真を志望し、その世界に入ったが、すぐに向いていないことに気づいた。「始めてみて、自分がファッションに興味がないことが分かった。優れたファッション・センスがないと本当のファッション写真は撮れないんだ」と笑う。


ストロボで実現した1/100,000秒の世界

「喜び-Cheers」1982。エスクァイヤ誌50周年記念ポスターに使われた作品
 その後はモノを撮るのが好きだったので、スティル・ライフの撮影を手がけ始める。商品写真であっても、自分ならではの表現を志向してきたという。

 「広告写真は、自分が撮らせてもらった写真で多くの人に影響を与えることができる。それは非常に魅力的なことだ。新しい商品は人の生き方や、生活習慣を変える可能性があるのだから、僕は広告カメラマンとして、その商品で世の中の人に意識改革をしてやろうと思って、いつも作品を制作している」。

 『アクション・スティル・ライフ』を生んだ最初のきっかけは、カクテルグラスに注がれたマティーニの撮影をした時だ。当初の広告のイメージにはなかったのだが、橋村さんはグラスのフチからマティーニが揺れてあふれそうになった瞬間のカットを撮影した。

 「僕も美しいと思ったのだが、ディレクターも気に入ってくれて、その広告にも採用されることになった。それを見た別のディレクターがシャンパンの撮影の仕事を依頼してきたんだ」。

 1/100,000秒で発光できるストロボを使い、カメラのシャッタースピードを凌駕した一瞬の時間を切り取る。グラスが砕けたり、水面に石が落ちる様子は目の前で起きていることだが、その一瞬一瞬のフォルムは人間の目では見えていない。

 「ストロボの発光時間が速ければ速いほど、当然、光量は弱くなる。被写体をより鮮明に記録するため、8×10のカメラでISO64のフィルムを使い、絞り込んで撮るので、余計に撮影は難しくなる」

 シャンパンのボトルが弾け、泡が吹き出す瞬間。グラスが割れて砕けていく様子。それぞれが計算された映像であると同時に、偶然の美を演出し、捉える技術も必要になってくる。


「ガラスの叫び・一瞬の永遠-Shatter」1993

 この技法による作品を発表してから、この種の仕事がどんどん入り始め、一時は、あまりの多さに精神面をリフレッシュするため、アリゾナに逃げだしたこともあるという。ただそこでも写真から離れたわけではなく、アメリカン・インディアンを撮っていたというのだが。いまもこの手法による作品はクライアントから望まれているのだが、それは橋村作品が技法だけに頼らないオリジナリティと感性を持っていることの証だ。

 東京都写真美術館で展示している作品は、橋村さんのスタジオで現像、プリントされたもの。デジタルとはまた違う色の鮮鋭さと、被写体が主張する存在感の味わいは、実際に見る以外にない。一部、デジタル処理された作品も展示されているので、それらの違いを見比べる楽しみもある。


デジタルで撮影する時は4×5やハッセルにデジタルバック

 アメリカの広告写真業界でもデジタル化は急激に進んでいる。橋村さんの場合は、デジタルを使うか、フィルムを使うかは仕事による。実際、フィルムでの依頼はぐっと減ってはきている。

 「デジタルで撮る時は4×5かハッセルブラッドにフェーズワンかリーフを装着して使う。35mmは今のところ、遊びで使う以外にない。クオリティ的には、フィルムで撮ってスキャニングした方がまだ僕は良いと思う。そして今はまだ、フィルムでおさえておきたい場合がある。デジタルに比べて、やはりフィルムはひと味もふた味も違うからね。今後、デジタルのクオリティは上がり、占める役割は大きくなっていくとは思うけど」。

 またおもしろい話を聞いた。デジタルとフィルムではコントラストのつき方が変わるので、当然、それにあったライティングをする。橋村さんはデジタルはコントラストがつきにくいので、それをおさえるライティングを考えているのに対し、知り合いのカメラマンは逆の方法をとっているというのだ。

 「使うレンズ、カメラによっても、結果は変わるので『デジタルだからコントラストがつきにくい』とは一概に言えることではないのだけれどもね。ただ、作品の仕上がりイメージを考え、機材をどう選び撮影していくかが、それぞれのカメラマンの感性になる」
 シビアで個性的なアメリカの広告写真界の一端を垣間見せてくれるエピソードだ。


HASHIGRAPHYはデジタルではできない

 もうひとつのシリーズであるHASHIGRAPHYは、完全に銀塩方式による表現であり、銀塩がなくなったら制作できないと言い切る。ペーパーに乳剤を塗布して、焼き付けているように見えるが、「想像に任せます」と橋村さんは言う。

 コンセプトは1000年後に生きる人が遠い過去である現在を振り返るとき、原風景として残るであろうイメージを作り上げようとしたものだ。懐かしい空間を回想した時に、脳裏にカットバックのようによみがえる光景とでもいえばいいのだろうか。モノクロームの表現だが、その黒の色調は墨を思わせる力強く、懐かしい色だ。


「francois lacheze and client, reims」1992。シャンペンの撮影で南フランスに行った際に撮影した 「Rmantic, The Street of Ancient Comedy, Paris」1992。黄昏時に、路地裏に消えていくカップルを撮影

 橋村さんがこれを発想した原体験は、学生時代、友人といった鍾乳洞で見た鍾乳石にあるそうだ。鍾乳石は1cm大きくなるのに60年かかるという話を聞き、ひとつの石から時間の堆積、地球の存在の大きさに感銘を受けたという。過去から現在までの時間と、未来に向けた時の流れに思いを馳せながら、現代を切り取り、未来に残るイメージを定着させていったわけだ。

 「写真はどのメディアよりもリアル感がある表現だと思う。その特徴を生かして、人が見過ごしてしまう世界、眼では見えにくい、見えない世界を提示したい。今回の写真展では、写真のすごさ、醍醐味を味わえるような展示にしたつもりです」。

 実際、展示は橋村さん自ら手がけ、作品を飾ったフレームや戸板(この展示にもメッセージが込められているのだ)、光量調整のためスポットライトに取り付けられたフォイルもニューヨークから持ち込んだものだという。この写真展は、アメリカの広告写真界の第一線を走る写真家のファイン・アーティストとしての才能、オリジナリティをじっくり体験できるチャンスなのだ。

 なお併催イベントとして、10月14日(土)15:00からは評論家の飯沢耕太郎さんをゲストに、ギャラリートークを行なう。いずれも写真展入場券で観覧できる。

【お詫びと訂正】記事初出時、写真展タイトルを誤って記述しておりました。お詫びして訂正させていただきます。



URL
  橋村奉臣
  http://www.hashi-ten.com/
  東京都写真美術館
  http://www.syabi.com/



市井 康延
(いちいやすのぶ)1963年東京生まれ。久しぶりにギャラリーめぐりに1日を使った。これまでのように自由にギャラリーに足を運べないので、見たい写真展を効率よく回れる日を選ぶ。通常より早く終わる最終日は要チェックだ。良い写真展を見るには事前の情報収集が不可欠。ということで、写真展情報を掲載したホームページ( http://photosanpo.hp.infoseek.co.jp )を作りましたので、一度、ご覧ください。

2006/10/02 02:33
デジカメ Watch ホームページ
・記事の情報は執筆時または掲載時のものであり、現状では異なる可能性があります。
・記事の内容につき、個別にご回答することはいたしかねます。
・記事、写真、図表などの著作権は著作者に帰属します。無断転用・転載は著作権法違反となります。必要な場合はこのページ自身にリンクをお張りください。業務関係でご利用の場合は別途お問い合わせください。

Copyright (c) 2006 Impress Watch Corporation, an Impress Group company. All rights reserved.