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【写真展リアルタイムレポート】
広川泰士写真展「As time is ―齢―」

~デジタルだからできる部分と銀塩のよさ
Reported by 市井 康延

中央の吹き抜けと、その照明がなかなか雰囲気がある。が、このライティングがプリントの色を変えてしまうので、プリント技術者にとっては泣かせ所ではあるのだ
 2005年の結びと、06年のスタートにあたって、ハイクオリティなインクジェットプリントと銀塩プリントによるモノクローム作品に触れることができる写真展を紹介する。広川泰士写真展「As time is ―齢―」だ。会場は東京の「GALLERY 21」。会期は12月20日(火)~2006年2月5日(日)。10時~20時(最終日は17時まで)。会期中は無休なので、年末年始も気がねなく足を運べる。入場無料。

 このGALLERY 21は、ホテルの中に常設されたフォトギャラリーで、都内はもちろん日本でも唯一のスペースだろう。ゆりかもめ線 台場駅に直結したホテル グランパシフィック メリディアン(東京都港区台場2-6-1/Tel.03-5500-6711)の3階にある。広い回廊スペースに設けられた空間には、毎回、見応えのある作品が展示される。


銀塩写真では選べない紙の質感が魅力

 今回の作品展は、「Timescapes―無限旋律」と「樹齢」の作品シリーズからと、作者のオリジナルプリントによる「月齢」シリーズで構成されている。3つの時のかたち、存在が、それぞれにあったプリント方式で再現されているのだ。

 「Timescapes」は2002年に東京都写真美術館で展示した作品から選んだもので、こちらは銀塩による大型プリントとなる。そして「樹齢」は、新たにキヤノンの大型インクジェットプリンターで出力した作品だ。そのサイズは1点が1,109×1,480mm(幅×高さ)で、6点並ぶ。

 展示する壁面が回廊により曲面となっているからか、その大きさと相まって、写し込まれた樹々たちは不思議な立体感をもって迫ってくる。このサイズと、銀塩写真では選べない紙の質感がインクジェットプリントの魅力だと広川さんはいう。

 だが、デジタルプリント(ラムダ)に関して、広川さんは1度試みて断念した経験がある。2002年の東京都写真美術館の展示で、「Timescapes」を最初は銀塩方式のデジタルプリントで再現しようとした。この作品は長い年月を存在し続けてきた地球上の巨岩と、天体を移動していく星の軌跡を写し込んだもので、プリント作業はかなりの技術を要する。後述するが、撮影はそれ以上の困難を究めたのだが。

 「そのときには星がどうしてもジャギジャギになってしまい、あきらめました。その経験があるから、デジタルプリントにはちょっと懐疑的でした」。

 2005年に開いた写真展で、再度デジタルプリントを体験し、その考えを改めた。そして2回目の今回は、デジタルプリントならではの表現を追求した。「銀塩と同じ表現を求めてもおもしろくない。デジタルだからできる部分で遊びたかった」。

 「黒の表現力に関しては、インクジェットはまだ銀塩の域に到達していない」と広川氏はいう。だからそれを追い求めても仕方がない。そこで独特の味わいがあるアート紙を使い、大きなサイズでの展示を志向したのだ。「実物大にしなくては伝わらない温かみ、風合いがあると思います」と広川氏はいう。

 大型プリントの場合、これまでは遠くから見ることが前提だった。それがアート作品の場合は、サイズに関係なく近くからも凝視されるから、解像度も必要だ。

 「プリンターの能力ではどのプリントサイズでも2,400dpi出せますが、作者の意図をオペレーターがどれだけ理解してデータを作れるかで、結果が大きく変わってきます」と、キヤノンのプリント制作の担当者は話す。この苦労は銀塩方式でも同様であり、それを暗室でするか、明室のPC上でするかの違いではある。


左からキヤノンで大型プリンタの設計を担当する総合デザインセンターの吉原功チーフデザイナー、今回のプリントを担当したキヤノンの畠健志氏、広川泰士氏、このギャラリーのディレクションを行なうクレーインクの太田菜穂子氏
会場には現物とほぼ同じサイズの巨木が6点並ぶ
(C)hirokawa taishi

 今回、大きな課題になっていたのは、作者から指示された「色のコク」をどう再現したらよいか、だったという。技術者としては、その意図をプリントでどう表現したら良いのか、試行錯誤があったという。作者の感性と技術のキャッチボールが数回行なわれた。

 回廊の中央部分、この「樹齢」に向かい合うかたちで、広川さんが自らプリントした「月齢」がある。月の満ち欠けを撮影した作品で、こちらは果てしのない宇宙空間の漆黒に、月が浮かぶ。

 「黒のしまり具合は銀を使った黒とは違う。ただ、最近の感光材料はかつての品質ではなくなってきていて、そこに危機感を感じる。銀塩は銀塩のよさがあるのだから、その表現は残したい」とも話す。自ら暗室作業でできるサイズのプリントは、これまでも、またこれからも自分でこなす。それは最終的な作品制作の過程まで関わる作家としての楽しみでもあり、責任でもあるのだからと広川さんはいう。

 そして「樹齢」と同じ壁面の会場半分側には、銀塩プリントによる「Timescapes」が並ぶ。長時間露光と、二重撮影を駆使して写し込んだ岩の存在感と、幾重にも美しく伸びた星の瞬きの名残りは、永劫に続く時の流れと、存在の儚さを感じさせる。まずは、ただただ静かに、回廊をめぐりながら、時の流れの中に身を委ねてみてほしい。


「Timescapes」シリーズはこれからも

 ここで改めて、広川さんのこれまでの活動と、撮影エピソードなどを紹介する。写真展を見てから、作者に興味を持ったら、改めて読んでいただければ嬉しい。

 作者は1950年、神奈川県生まれ。写真に興味を持ったのは20歳ぐらい。学生運動華やかりし時代の大学生活で、初めは8mmフィルムから映像の世界に入り、ルーペで見たフィルム上のヒトコマに興味を持つ。

 中学の同級生に写真好きを見つけ、レクチャーを受けた。そして親戚から暗室道具を譲り受け、自宅に暗室をしつらえると、昼は撮影、夜は暗室作業の日々を送る。そうこうしているうちに、中学の先輩が雑誌の編集者をしていて、モノクロのページを任された。ブーム真っ盛りのボーリングの専門誌だ。

 その後、週刊プレイボーイなどで仕事をし、次には田中一光氏に声をかけられ「流行通信」、「ハイファッション」など、ファッションの分野に活躍の場を移す。70年代後半のことだ。

 「これという新人を積極的にピックアップして使うディレクターや編集者がいた時代ですよね。人との出会いにもめぐまれていました。アサヒカメラでも1982年に、10ページのモノクログラビアの依頼がきたんです。同じ号で、カラー10ページを稲越功一さんが撮っていました」。

 そのとき浮かんだアイデアは、流行のファッションデザイナーの服を、田舎に住む人たちに着せたらどうだろうという発想。新作のファッションショーが終わる5月に、服を借り、スタッフ4人で服と機材をワゴン車に詰め込み出発。行き先は気分で決め、行き当たりばったりの撮影だった。

 「始めるまでどうなるかわからなかったが、やってみたらおもしろかった。結局、これは5年続きましたね。写真集『sonomama sonomama』にもなり、アメリカでも出版されました」。これは今、絶版になり、アメリカでもプレミアがついているらしい。

 またアサヒカメラの依頼で、今度は原子力発電所を撮ろうと思いたつ。この施設が日本の風景のなかでどう見えるのか、興味があったからだ。このテーマは撮影許可がとりにくいだろうから、同誌の仕事であれば朝日新聞社の名での協力が得られるとの計算もあった。

 「最初は敷地の周りから撮ろうと、レンタカーを使って、ポイントを探して歩いたんですが、敷地の外からでは見えないようになっているんですね。よく考えてあります。そのときは、すぐにパトカーがきて職質されてしまいましたが」。

 それが「Still Crazy」、チェルノブイリ原発の大惨事から少しあとのことだ。


 この作品と同じころに始めたのが「Timescapes」だ。カレンダーの撮影でアリゾナのモニュメントバレーや、オーストラリアのエアーズロックに行き、岩の凄さに圧倒された。その大きさとかたちから、人類が誕生する前からの存在と大きな時間の流れを実感したという。

 そこから岩のディテールと、星の流れを1枚の写真に写し込む作業が始まった。最初は夕方、長時間露光をしたが、岩は黒くつぶれ、空はとんでしまう。3年間の試行錯誤の末、昼間、岩をまず撮影し、同じ場所にカメラを固定し、夜、星を撮影する。

 「月が出ていてはダメだから、新月の前1週間だけで、その中で昼夜とも雲がない日であること。砂漠で撮影していると、深夜12時までは岩が温かいが、それを過ぎると一気に凍える。アウトドアなんて経験がなかったから、その装備を揃えたりと初体験の連続でした」。

 砂嵐でカメラが揺れ、星がギザギザの軌跡になったり、ちょっとした光かぶりはざらだ。1台のカメラに三脚2つを使い、サンドバッグで固定する。カメラもディアドルフからエボニーの特注品と工夫を重ね、12年間、撮影してきた。

 「アフリカのナミビアでは、初日、砂漠を走行中に運転していた自動車(ランドクルーザー)が横転してしまった」。

 この道路は中央から路肩に向けて路面が低く彎曲している。その上に砂が堆積しているから、その状態はわからず、スリップしやすい。事実、事故が多く、日本のテレビクルーも死亡事故を起こしているとか。このトラブルで、広川さんも肋骨にヒビが入ったが、そのまま2週間の撮影をこなし、続けて海外の別の仕事に向かった。日本で病院にかかったのは約1カ月後だった。

 このシリーズの撮影は、今後もしばらくは続くようだ。このあとも原油が流れ着いた海岸の風景を捉えた「OILED COAST」など、独自の視点で切りとった世界を見せてくれている。

会場:GALLERY 21
   東京都港区台場2-6-1/Tel.03-5500-6711
   ホテル グランパシフィック メリディアン 3階
会期:12月20日(火)~06年2月5日(日) (会期中は無休)
開場時間:10時~20時(最終日は17時まで)
入場料:無料



URL
  広川泰士
  http://www.cyberoz.net/city/hirokawa/
  GALLERY 21
  http://www.meridien-grandpacific.com/facilities/gallery.html



市井 康延
(いちい やすのぶ)1963年、東京都生まれ。あの北島商店の肉を食べて育つが、水泳は大の苦手だった。写真とは無関係の生活を送り、1995年から約9年間、フォトギャラリーのスケジュール情報誌の制作に携わる。「写真に貴賎はない」が持論。

2005/12/27 17:16
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