インタビュー

SIGMA 70mm F2.8 DG MACRO | Art(後編)

“カミソリ”描写だけではない、使い心地への工夫も

SIGMA 70mm F2.8 DG MACRO | Art

前編に引き続き、シグマの最新マクロレンズ「70mm F2.8 DG MACRO | Art」の開発者インタビューをお届けする。(編集部)

描写傾向と目指したボケ

——MTF図によると前モデルから全体的に数値が上がっていて、さらにクリアで抜けの良いシャープなレンズということがわかります。実写結果では無限遠から数十cmくらいまでの距離では文字通り”カミソリマクロ"と言われるシャープな描写に感じられました。

MTF図(絞り開放時)

——いっぽう等倍撮影に近づくほど、引きの撮影時より若干ですがソフトな描写になるように感じました。他機種との比較でというよりも、このレンズ自身の引きの撮影時より等倍撮影付近で若干柔らかく感じられます。ボケの形状も合わせてそう見えているのかもしれませんが。

仲本:その可能性はあると思います。このレンズはピントの合ったところはとても解像度が高く非常にシャープな像を結びますが、ボケの形状につきましては評価の高かった前モデルの特性をある程度継承しつつも、より収差が少なくなる方向に調整し、クセがなく素直なボケの形になるようにしました。そのため、条件によってはボケ部分も含めると至近側のほうがソフトな印象に感じられることはあると思います。

——そこは意図的にそうした特性にした部分もあるでしょうか?

仲本:はい。ボケの形もケアしているという意味では、意図しています。

——前のモデルの良い部分を受け継ぎつつも、シャープなだけでないように感じるのはそのためですね。結果、マクロ域の描写はシャープさとソフトでクリアな感じが共存する非常に繊細な描写で、最近のマクロ作家たちの表現によくマッチしているなと感じました。

——さて、実写結果ではピント近傍は若干エッジが立っているように感じましたが、ある程度の大きさのボケになると、素直なボケ方になるように感じました。このレンズのボケに関する考え方を教えてください。

仲本:先ほども申し上げましたが、基本的には前のモデルのボケを継承しつつ、マクロレンズでは大きくボケやすい特徴がありますので、大きくボケたところのボケの形が素直になるように特に注力しました。

前ボケと後ボケのどちらかを優先すると結局反対側が汚くなってしまいますので、ある程度フラットな特性を目指しつつ、どちらかというと後ボケを若干優先してソフトにする方向を目標にしました。

——ボケの輪郭部分に色にじみが出るレンズは多いですが、このレンズでは非常に少なくて驚きました。これも先ほどの"軸上色収差補正の効果"ということでしょうか。

仲本:はい。軸上色収差があると、ピント面の前後だけでなくボケの周辺部にも色づきが出てきますので、注力して補正しました。

——先ほど、今回のレンズの特徴として「前群繰り出しのフォーカス群が2群に分かれている」とのご説明がありましたが、もう少し詳細に教えていただけますか?

仲本:前モデルは後ろから2枚とその前の群が別々に繰り出すフローティングフォーカスで、今回は後群3枚を固定して前群を2つに分け、群の数を増やしたフォーカス方式を採用しています。

前モデルのレンズ構成図
新モデルのレンズ構成図

——前群が半分に分かれて個別に動くフローティング・フォーカスを採用しているが、全体としては前群繰り出し式のフォーカス方式になっているのですね。この方式のメリットはどんなところにありますか?

仲本:まず前群繰り出し式のメリットとしては、インナーフォーカスと比べてピント位置による画角の変動が少なく、パースペクティブの変化を抑えやすいという点が挙げられます。インナーフォーカスでは至近になるに従って画角が広くなり、パースペクティブがつきやすい傾向があります。

加えて、インナーフォーカスの場合はピント位置による倍率色収差の変動も大きくなってきますので、繰り出し式の方が性能が出しやすいという事もあります。また、できるだけシンプルな構成で高性能を実現したかったので、今回はこの前群繰り出し式を選択しました。

前群繰り出し式にフローティング・フォーカス方式を組み合わせるメリットとしては、単純な前群繰り出し式で発生しがちな撮影距離による収差変動を抑える効果があります。つまり、前群繰り出しとフローティング・フォーカスを組み合わせることにより、撮影距離による焦点変動、収差変動の双方を抑えることが可能になります。

フルタイムマニュアルに対応

——AF速度は従来モデルより大幅に速くなっていますが、最新モデルの中では若干ゆっくり動くタイプかと思います。より高速なAF機構の検討はされなかったのでしょうか? インナーフォーカス方式を採用しなかった理由はありますか?

桑山:先ほど申し上げた様に画質が最優先でしたので前群繰り出しを採用しました。その代わりインナーフォーカスと比べるとフォーカスに関わるレンズが重くAF速度が少し遅めとなります。

——AFモード時でもフォーカスリングでピントを微調整できるフルタイムマニュアルフォーカス機構は使い勝手が良いですね。ただ、常時MFが可能かと思っていたのですが、半押し時のみというところが気になりました。

桑山:このレンズは、MF時もモーターでフォーカス機構を動かしています。フルタイムマニュアルはシャッター半押し時のみ可能というのが仕様ですので、シャッターを半押しのままフォーカスリングを回して微調整ください。

——バイワイヤ方式とは具体的にどのような機構になっているのでしょうか?

白井:フォーカスリングとフォーカス駆動部の機械的連結をなくしたフォーカス方式を「バイワイヤ方式」と呼んでいます。具体的には、フォーカスリングの動きを内部のセンサーで感知し、動いた量に応じて内部のDCモーターでフォーカス群を駆動してピントを合わせる仕組みになっています。

——フォーカスリングの動きはどうやって感知するのですか?

白井:これが実際のセンサーです。小さなセンサーが2つあるのがお分かりいただけると思います。このセンサーでフォーカスリングの内側にある縞模様を読み取り、どれ位回転したかを検知します。

花泉:そのセンサー情報から、フォーカスリングの回転量をモーターの駆動量に変換してフォーカス群を動かします。

白井:モーターから減速ギアを経由して回転筒の内側にあるギアを回す構造になっています。このように、フォーカスリングとフォーカス群が直接ギアなどの機械的な連結でつながっているのでなく、センサーとモーターを組み合わせた電気的な構成で駆動している様子を電気的な配線(ワイヤ)に見立てて、バイワイヤ方式と呼んでいます。

——コアレスDCモーターとはどんな特徴を持ったモーターですか?

白井:基本的には、小型軽量で高トルクかつ応答性が良いという特徴があります。

——このモーターを採用している理由は?

白井:一番の目的である小型軽量化に最適だったからです。トルク的には超音波モーターなども条件に一致するのですが、超音波モーターの場合は繰り出しフォーカス方式と相性が良くない部分もあり、採用はしませんでした。

——作動音が静かになっていますが、工夫点はありますか?

白井:今回のレンズのようにフォーカス群の重量が大きい場合、駆動のために大きなトルクが必要になります。大きなトルクを得るためにはギア比を大きくする必要がありますが、ギア比を上げると作動音が大きくなったり、ギアの枚数が増えるのでガタやバックラッシュも大きくなり、AF精度に影響するという問題があります。

しかし、今回新たに採用したDCモーターはもともと高トルクですので、ギア比をギリギリまで低く抑え、ギアの枚数も減らすことができました。これにより作動音を抑えつつAF速度を高速化し、バックラッシュを少なくすることでAF精度も向上でき、バランスに優れたフォーカス機構にできました。

——マクロ撮影ではマニュアルフォーカスの操作感にこだわる方も少なくないかと思いますが、実際にマニュアルフォーカスだけで操作すると、無限遠から最短撮影距離まで約2周半もピントリングを回さねばならず疲れました。より緻密にピント合わせできることを狙っているのかと思いますが、フォーカスリングの速度を切り替えできると使いやすいのではないかと感じました。

花泉:マクロレンズとしての使い勝手を考えて、微細なピント調節時の感触を優先するようにチューニングしています。そのため、無限遠から最短側まで動かす場合はどうしてもフォーカスの移動量が多くなり、電動式ですと時間がかかってしまいます。

——フォーカスリングをゆっくり動かすと微動、素早く動かすと粗動に切り替わるというのがいいのでは?

花泉:実はそうした機構になっているのですが、粗動時の動きを速くしすぎてもピント調整がやりにくくなる場合があり、その落とし所をどこにするかというのが難しいところです。今回はマクロレンズということで、微調整のやりやすさに重点を置いた設定にしています。

幅広なフォーカスリング(sd Quattro Hに装着)

——手ブレ補正機構OSの内蔵は検討されなかったのでしょうか?

仲本:“画質第一”という目標があり、コンセプト的にあまり複雑なレンズにしたくないという考えから、開発当初から検討はしていません。

——複雑なレンズとは?

仲本:手ブレ補正のための光学系を入れた状態で、手ブレ補正なしの場合と同等の光学性能を担保しようとすると、どうしてもレンズの構成枚数が増えて複雑化し、結果的に画質があまり良くならないといった場合もあります。それならば手ブレ補正系はなしにして、できるだけシンプルな構成にしたいと考えました。

——前玉が奥に引っ込んだデザインですが、レンズフードは効果があるのでしょうか? 最短撮影距離側でレンズ鏡筒の先端がレンズフードの先端と同じ位置にくるのはいいですね。フードをつけた状態だと全長は変化しません。

最短距離時の繰り出し
最短距離。フード装着時

仲本:もちろん光学的にゴーストやフレアを防ぐ役割は果たしています。ただし、最短撮影距離付近では光学的な効果はありません。

白井:今回のレンズフードは繰り出した鏡筒を保護する上でも重要な役割を果たしていますので、付けた状態でお使いいただくことをお勧めします。また、使い勝手の面でも最短撮影距離で鏡筒の先端とレンズフードの先端がほぼ同じ位置になりますので、レンズフードをつけていれば鏡筒が伸びて被写体に不意に接触することはなく、レンズフードの先端位置が最短撮影時の鏡筒位置の指標にもなります。

フード装着例。

——最後に、言い足りない点や使いこなしのアドバイスなどがありましたらお聞かせください。

仲本:あれば便利なアクセサリーとして「MACRO FLASH ADAPTER 65mm」をご紹介しておきたいです。これを今回のレンズの本体部分の先端に取り付けていただくと、弊社のマクロフラッシュ「ELECTRONIC FLASH MACRO EM-140 DG」を直接取り付けられます。

MACRO FLASH ADAPTER 65mm

70mm F2.8 DG MACRO | Artの先端部分には、繰り出すほうの鏡筒の先端には49mmのフィルター用ネジが切ってあり、その外側にある繰り出さない鏡筒の先端部分には65mmのネジが切ってあります。このリングは、外側の65mmネジ部分にリングフラッシュを取り付けるためのアダプターです。リングの先端には72mmのネジ切りがあり、72mmのアダプターを用いることで、EM-140 DG以外の他社製のマクロフラッシュやリングライトも取り付けができます。

もう一つは、今回のモデルでは正式に弊社のテレコンバーター「TC-1401」および「TC-2001」に対応しましたので、ご活用いただければと思います。例えばTC-2001装着しますと、焦点距離が140mmになるのと同時に、最大撮影倍率が2倍になり、等倍から2倍の拡大撮影が可能になります。

白井:メカ設計側は当初インナーフォーカス式を要望していたのですが、光学設計で検討を重ねた結果、画質優先で前群繰り出しになり、その後フローティング・フォーカス機構が加わるなど、製品の完成度を高める過程でたびたびハードルが上がり検討をやり直す必要があったことが苦労のポイントです。

加えて、バイワイヤ方式、フルタイムマニュアルフォーカス機構を取り入れながら小型軽量化、静音化なども合わせて検討する必要があり、機能的にはシンプルな構成のレンズですが、機構的には検討要素が多かったのも苦労しました。ただ、最終的にはAF速度、動作音、使い勝手など、前モデルよりも使いやすく高画質を実現していますので、是非実際にお使いになっていただき、そのあたりを確かめていただきたいです。

花泉:ファームウェア担当としては、今回のレンズはDCモーターを使い、さらにフォーカスの移動量も大きいレンズということで、AFの精度を出すのが難しい構成です。ある程度試作が進んだ段階でチューニングをどうするか検討を重ねました。

新しいSGVのプロダクト・ラインは以前より高い精度基準でなければ許されないため、調整のやり方から根本的に見直し、AF速度など様々な角度から調整を重ねた結果、ようやく基準内の精度に追い込むことができました。

また、先ほど申し上げたバイワイヤ方式のマニュアルフォーカス時の使い勝手について、落とし所を見つけるのも苦労した点です。今回の製品では特に、フルタイムマニュアルフォーカス時のピントの微調整をはじめ、マクロレンズで必要なピントの微調整のしやすさにこだわって作り込んでいますので、この辺りはぜひ実際の製品でお確かめいただけたらと思います。

桑山:Artラインのレンズが出始めた頃に「マクロレンズも欲しい」というご要望をたくさんいただいておりましたが、今回ようやくお応えすることができました。70mmはフルサイズ機でもAPS-C機でも使いやすい焦点距離ですし、お求め安い価格に設定しておりますので、ぜひ多くの方にお使い頂ければと思っております。

マクロレンズというと特殊なレンズというイメージがあると思うのですが、実際には遠景から等倍まで、撮影距離を気にすることなく何でも撮影できるレンズです。例えば、人物なども全身を撮影した後、半身、顔のアップ、目やイヤリングのアップまでレンズ交換することなく撮影できますので使いやすく、テーブルフォトや料理の撮影などにも最適ですので、用途を問わず使っていただけると思います。最近のレンズとしては、比較的小型軽量ですので、普段お使いのズームレンズと一緒に、バッグに入れておいていただくのが理想的かなと考えています。

左から、マーケティング部 マーケティング第2課 課長の桑山輝明氏、開発第2部 第2課の仲本純平氏、会津電子技術部 第2課 係長の花泉朋宏氏、開発第2部 第7課 アソシエイト技師の白井純一氏。

インタビューを終えて(杉本利彦)

インタビュー中、"SGV"という聞き慣れない言葉が何回か出てきたのだが、SGVとは「SIGMA GLOBAL VISION」の略で、2012年のフォトキナにおいて発表されたシグマの製品および事業活動の刷新に取り組む事業方針のこと。レンズ製品に関して言えば「Art」「Contemporary」「Sports」のプロダクト・ラインに基づく新しい製品群のことを指す。

SGVが導入されて以降、シグマの製品はこだわり感のある優れたデザインだけでなく、性能面にもこだわりを持った明確なコンセプトが導入されている。特に「Art」シリーズのレンズは画質を優先するためには大きさ重さはいとわないとする、強いこだわりが感じられる製品が多い。

今回の製品も「Art」シリーズに分類されたというだけあって、画質を最優先する姿勢を明確に打ち出していることがわかった。今時のこのクラスのマクロレンズには多少画質を犠牲にしても、インナーフォーカスや手ブレ補正機構を採用するのが常識とも言えるが、設計者はそうした飛び道具には一切目もくれず、何よりも基本となる画質を最優先するという強い姿勢を明確にしていた。同じ姿勢は機構やファームウェアの技術者はもとより、マーケティング担当者に至るまで一貫していて、関係者が一丸となって製品開発に取り組む姿が印象的だった。

プロダクト・ラインは、ユーザーが製品を選択する際に一目でわかるようにするために導入したというが、実はシグマの社内でも、この製品はどこにウェイトを置いて開発するのかが一目瞭然であり、開発者全員がひとつの方向性を共有するという意味で、大変重要な役割を果たしているのだと思う。

SGVが導入されて今年で7年目。一般的といえるレンズのラインナップは網羅されて、ようやくマクロレンズに着手した段階だ。今回のレンズの高い描写性能を見れば、残りのマクロレンズや今後登場するであろう超望遠レンズ群の開発にも、自ずと期待が高まるというもの。Made In Japanにこだわるシグマ渾身のプロダクト・ラインが完成する日はそう遠くないはずだ。

杉本利彦

千葉大学工学部画像工学科卒業。初期は写真作家としてモノクロファインプリントに傾倒。現在は写真家としての活動のほか、カメラ雑誌・書籍等でカメラ関連の記事を執筆している。カメラグランプリ2018選考委員。