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ライカの歴史を辿る、ドイツ・ウェッツラー探訪記

 2014年5月22日〜5月24日にかけ、筆者は既報のライカ関連イベントを取材すべく、ライカ発祥の地であるドイツのウェッツラーを初めて訪れた。本稿では、取材の合間に訪れた同市内の「ライカゆかりの地」をいくつか紹介したい。

エルンスト・ライツ通りにて、ライカ里帰りの図

 フランクフルト国際空港までは、成田から直行便で11時間。空港からウェッツラー市内までは約60km、車で1時間ほどの距離だった。

成田から直行便で11時間。フランクフルト国際空港の案内表示機は“パタパタ式”
フランクフルトからウェッツラーに向かう車窓。5月は20時を過ぎても明るかった

 今回はせっかくの機会なので、ウェッツラーの刻印が入っている自前の「ライカIIIf」を里帰りさせることにした。出国時に税関で「ドイツにドイツ製の古いカメラを持ち込むのですが、書類に記入した方がいいですか?」と尋ねたところ、「どうしても心配でしたらどうぞ」と言われたので、特に申請はしないことにした。

ドーム広場・アイゼンマルクト

 ウェッツラー市内のランドマークには、大聖堂(Wetzlar Cathedral)が建つドーム広場(Domplatz)がある。屋外席に座ってビールとホワイトアスパラ(Spargel、シュパーゲル)、というのがドイツの春の味覚らしい。

ドーム広場。右端に見えるのが大聖堂。正面の建物は、一番右の入口が観光案内所

 広場のすぐ近くには、クラシックカメラを扱う店「Lars Netopil Classic Cameras」がある。平日の3時間しかオープンしていないという一風変わった営業形態の店で、聞けばメインの仕事は「顧客からリクエストのあったレアライカを探して販売する」ことだそうだ。ちなみに、ライツパーク内にずらりと並んだ歴代ライカは、この店主が3カ月かけて用意したのだという。

Lars Netopil Classic Cameras
カウンターに出ていたのは、見慣れない蓋でスローダイヤル部を塞いだスタンダード。装着レンズはウォーレンサックのベロスチグマットだった。ニューヨークライツ関連の品だろうか

 ドーム広場から200mほど移動したアイゼンマルクト(Eisenmarkt)には、オスカー・バルナックが35mmカメラの試作機「ウル・ライカ」(Ur Leica、ウア・ライカ)で撮影を行なった場所がある。ライカ100周年を記念して、その撮影ポイントにライカカメラ社による解説入りの看板が設置された。

看板を見ながら、記念に同じショットを狙う
足元に「1914年、ここで最初のライカ写真が撮影された」とある
筆者も撮影してみた。正面の建物が手がかり

 その撮影スポットに立っていたところ、通りがかったご婦人に声をかけられ、地元新聞と思しき記事の切り抜きをいただいた。ライカゆかりの街とはいえ、突然世界中からライカを提げた人達が集まっているのは、さぞ珍しい光景だったことだろう。

ご婦人が「これかい?」と新聞記事の切り抜きをくれた。“クレーマー通りにライカの記念プレートが設置された”と報じている
すぐ近くに「おかえりライカ」とホワイトボードを掲げた店
同じ場所で、古いライカを手にした男性に遭遇。マンチェスターのライカディーラーだそうで、手にしていたA型はリペイントで非常にきれいな状態

 撮影スポット周辺でライカを提げていると、他国から訪れたライカファンにも声を掛けられたり、(おそらく)地元の方にサムズアップされたり、散歩中の紳士に「俺の犬を撮れ!」と要請されたり、なんとも楽しいひとときだった。

今回訪れた時は、書店のウィンドウにライカや写真関連の本が目立っていた
ショーウィンドウで見かけたウェッツラーリング。ライカがモチーフに含まれていた
やがて、何でもライカに見えてくる。飲食店前の黒板を見て思わず足をとめたが、ライカではなく本日(Heute)のメニューだった
“赤丸に白”のモチーフがたくさん。車両進入禁止なのか、ライカ歓迎なのか、もはやわからない

エルンスト・ライツ通り(ライカマイクロシステムズ付近)

 アイゼンマルクトから500mほどの場所に、顕微鏡などを扱うライカマイクロシステムズの建物がある。車窓や大通りからでも筆記体のライカロゴがよく見えた。この通りは市庁舎も建つ「エルンスト・ライツ通り」(Ernst-Leitz-Strasse)だ。

ライカマイクロシステムズの建物

 道路を挟んで向かいにオスカー・バルナックの記念碑があり、エルンスト・ライツ二世がライカの製造を決めたという建物も近くにあるので、併せて訪れておきたい。

オスカー・バルナックの記念碑。里帰りのバルナックライカと
ライカマイクロシステムズ近くの建物。通りから見て裏に回ると「1924年、エルンスト・ライツ二世はここでオスカー・バルナックが発明したライカの製造を決めた」という記念のプレートがある

ライカ誕生に関わる人物のお墓

 市内の墓地に、エルンスト・ライツ家、オスカー・バルナック、マックス・ベレクの墓がある。筆者が今回宿泊した「メルキュール ホテル コングレス」(Mercure Hotel Kongress)からは100mほどの場所だった。ちなみに、同ホテルからアイゼンマルクトやドーム広場までは徒歩で10分程度。

入口付近
エルンスト・ライツ家
マックス・ベレク
オスカー・バルナック

 エルンスト・ライツは、言うまでもなくライカを開発したエルンスト・ライツ社のオーナー。オスカー・バルナックは、同社でライカを開発した技術者。マックス・ベレクはライツのレンズ設計者で、「エルマックス」(Elmax、A型に採用されたレンズの一種)の”マックス”であり、「ヘクトール」(Hektor、スクリューマウント時代に数本あるレンズ銘)という名の犬を飼っていたことが知られている。

“光学の街”を感じるスポット

 ここまでライカゆかりの地を紹介してきたが、ウェッツラーという街はそもそも「光学の街」として有名なのだそうだ。例えば、ライカマイクロシステムズの近くには、カールツァイスのスポーツオプティクス本拠地がある。

車窓からツァイスのロゴが見えた
ライカマイクロシステムズの建物前に、カールツァイスの方角を示す標識。どちらもカメラ事業の施設ではないが、面白い
ライカマイクロシステムズ前の地下道。壁面にカメラとフィルムの絵が描かれていた

 ラーン川まで足を伸ばすと、対岸の公園にミノックスのデジタルスパイカメラを模した記念撮影用カメラがある。

ライン(Rhein)川の支流、ラーン(Lahn)川にかかる橋から公園が見える
ミノックスのデジタルスパイカメラがあった。「スパイカメラXXL」という名前で、実物の23倍サイズ・重量374kgらしい
近づくと、けっこうディテールが細かい
背面。ウェッツラー旧市街をバックにした記念写真が撮れるというもの。左がファインダーで、10秒セルフも付いている
こんなアングルで撮れるはず(巨大カメラの上に自分のカメラを置いて撮影)

 このように、2014年にライカカメラ社がゾルムスからウェッツラーのライツパークに移ったことで、ライカの施設見学とウェッツラー市内の歴史探訪・聖地巡礼がこれまで以上にしやすくなった。ライカファンは一度、愛機の里帰りも兼ねて訪れたい。

(本誌:鈴木誠)